第24話 もう一度君と
アルマス様は部屋に戻ると、「着替える」というので私は隣の部屋で待つことにした。
しばらくして名前を呼ばれたので、アルマス様の部屋に……一部だけお邪魔する。
「……エステル。それはやめてくれないか? ちゃんと中に入ってくれ」
壁から頭だけ入れている私に、アルマス様は苦笑いだ。
「これからお休みになる殿方の部屋に、お邪魔するわけにはいきません。私は隣の部屋か、廊下から見守らせていただきます。おやすみなさ――」
「待ってくれ! 少しでいい、話がしたいんだ」
「今は体を休めるのが最優先です」
そう言って立ち去ろうとしていたら、廊下の奥からこちらに向かってくる足音が聞こえた。
誰かがやってきたようだ。
ほどなくしてノックの音がして、執事が医者の到着を告げた。
「聖女であるエステルがいるのだから、医者など……」
「ちゃんと診察を受けてください」
アルマス様は拒もうとしたが、私はしっかりと目で訴えた。
私は治療の専門家ではあるけれど、今は死んでいる身。
生前のような力は出せないし、医療用の魔法具から得られる情報も必要だ。
じっと見つめる私に、アルマス様は渋々ながらも扉を開ける。
中へ入ってきたのは、中年の男性医師だった。
「アルマス様、体の調子はどうですか? 怪しい魔法を受けたと聞いておりますが……」
「気分が悪いのと、とにかく体が重い」
「治癒の魔法がダメージになったそうですね?」
「ああ。指が少し」
そう言って火傷のようになっているところを見せた。
「なるほど……。この治癒はアイテムで? それとも誰かが?」
「聖女のエステルだ」
「………? あの、エステル様は亡くなっていますが……」
「そこにいる」
医者はアルマス様が指さしたこちらを向いたが、私が見えていないので視線をさまよわせている。
「…………。なるほど。しばらくゆっくりお休みされた方がいいかと」
あ、これは……信じて貰えていない。
アルマス様も「またか」という顔をしている。
ちゃんと診て貰えないのは困るので、私が何とかしなければ……!
「アルマス様。信じてもらうために、この方に癒しの魔法をかけます。念のため、アルマス様は離れてくださいね」
「! なるほど。今からエステルがあなたに癒しの魔法をかけるそうだ」
「はい?」
医者はどこか怪訝そうな顔をしていたが、アルマス様が一歩距離を取ったのを確認すると、私は魔法を発動させた。
「こ、これは……! ほ、本当に……?」
魔法の効果を実感した医者は、自分の身体を見下ろしながら驚きの声を漏らした。
その目は何かを信じきれないまま、助けを求めるようにアルマス様を見る。
問いかけるようなその視線に、アルマス様は無言で頷いた。
その瞬間、医者の顔がみるみる青ざめていった。
「ひ、ひいっ」
医者は姿の見えない私におびえているようだった。
だが、亡霊として扱ってもらえるのは、私にとってはむしろ嬉しいことだった。
「怯えるなんて失礼だろ……って、どうしてエステルはそんなに嬉しそうなんだ?」
「亡霊に対する、正しい反応をいただけて満足しております」
そう答えると、アルマス様はなんとも言えない複雑な表情を浮かべた。
それでも気を取り直し、医者へと向き直って口を開く。
「……とにかく、エステルの癒しの魔法でこのような怪我をしたんだ」
「アルマス様はアンデッドのような状態になっているのかもしれません」
私が補足するように言葉を添えると、アルマス様はそれを医者にきちんと伝えてくれた。
「なるほど……。その可能性も考慮して確認してみましょう。身体に何か変化はありませんか?」
「着替えたときには、特に変わったところはなかったが……背中は見ていないな」
「では、確認しましょう。上着を脱いでいただけますか?」
「ああ」
アルマス様はシャツに手をかけ、脱ぎかけたところでふと動きを止め、私の方を見た。
「……エステル、ずっと見ているのか?」
はっ、そうだった。
怪我や病を診るときには体を見るのが当然だから、つい無意識にじっと見つめてしまっていたけれど、さすがに失礼だったかもしれない。
とはいえ、身体に異変がないかを見逃したくはない。
「見ていては……だめでしょうか?」
「……構わないが」
「ありがとうございます!」
許可を頂いたので確認させていただいたが、怪我や傷、肌の変化などは特になく、安心した。
それにしても、アルマス様の身長が伸びたのは一目で分かるが、体つきまでこんなにたくましくなっていたとは驚きだ。
騎士たちはみんな鍛えているのだから当然かもしれないが、引き締まったその身体は、まさに努力の賜物といえる。
「立派になられて……」
母のような気持ちで見つめていたそのとき、アルマス様がそそくさとシャツを着始めた。
どうやら、私がじっと見ていたのが気まずかったようだ。
「無礼を承知で見入ってしまいました。アルマス様のお身体を拝見して、感慨深くて……」
「どういう意味だ……」
シャツを着終えたアルマス様の前で、医者が魔法具を取り出し、次々と体の状態を調べ始めた。
今回使っている魔法具は手鏡のような形をしており、体にかざすことで生命力や体内の魔力の流れなどを診ることができる。
私は部屋の中へちゃんと入り、医者の背後からその魔法具を覗きこんだ。
「さ、寒い……」
つい真剣に見すぎて、医者の背後に立って寒気を与えてしまった。
慌てて少し距離を取ったところで、アルマス様が医者に尋ねた。
「何か分かったか?」
「それが……魔法具の反応が薄いのです」
魔法具の反応が薄いということは、生命力が弱まっているということ。
だが、アンデッドであればそもそも生命力は存在しない。つまり、完全にアンデッドになってしまったわけではないということだ。
「おそらく、魔法の影響でアンデッドに近い状態にはなっているものの、アルマス様本来の生命力によって、徐々に回復しているのだと思われます」
医者の説明に、私も頷いた。
「つまり、時間をかけて自力で克服していくしかない、ということか」
「はい。アンデッドのような状態が完全に治るまでは、通常の治療がかえってダメージになってしまう可能性がありますので、怪我をするような危険な行動は控えてください」
「騎士には難しい注文だな」
「しばらく休養されるのが良いでしょう」
アルマス様は苦笑いしているが、深刻な状態なので医者は真剣だ。
私も医者の言葉に賛成だ。
「……考えておく」
診察を終えた医者は、気まずそうにしているアルマス様にもう一度「危険なことはしないように」と念を押してから、その場を後にした。
アルマス様は無理をしそうだから、私の方からユリアナ様に報告しておこう。
「アルマス様、もう横になられては? 私は失礼しますね」
「待ってくれ!」
上半身はもう隣の部屋に戻っていたのだが、呼び止められて頭を戻した。
「少しだけでいいから話したい」
休んでください、と押し通して去ろうと思ったが……。
アルマス様の目は真剣で、話さない限りはゆっくりしてくれそうにない。
「分かりました。アルマス様は横になってくださいね」
体を戻してそう伝えると、アルマス様は嬉しそうに微笑み、静かにベッドへ横たわった。
「その恰好、本当によく似合っている」
ベッドのそばに立つと、アルマス様が顔をこちらに向けてそっと呟いた。
「女神様に頂きました」
「そうか。女神様はセンスがいいんだな」
「はい!」
女神様は本当に美して、優しくて、気高くてセンスも良い!
力強く頷くと、アルマス様は苦笑いを浮かべた。
「君をそんな笑顔にできる女神様が羨ましい」
どう返せばいいのか分からず、私は黙ったまま俯いた。
沈黙が静かにその場を満たす。
やがて、アルマス様が小さく息をつき、ゆっくりと上体を起こした。
そして、真っ直ぐに私の目を見据えて言った。
「まだ……こうして面と向かって謝ることができていなかった。君を信じることができなくて、すまなかった。許してほしいなんて、都合のいいことは言えない。……それでも、少しでも君の信頼を取り戻したい」
私は一瞬、言葉に詰まりながらも、なんとか声を出す。
「……そう、ですか」
それ以上、何を言えばいいのか分からず、私はそっと視線を外した。
そして、再び休んでもらおうと、ベッドに横になるよう静かに促した。
「君は……女神様の力で、生き返ることができるのか?」
「私が望めば叶うそうです」
「やはりそうなのか。君が戻りたいと思ってくれるまで待っている」
その時はこないと思います、という言葉は飲み込んだ。
「俺は君の体を取り戻したい。君が戻ってくるまで、俺が君の体を守りたいと思っている。でも、君はクリスの元にいた方がいいか?」
「クリスティアン様のところに、ですか? もうカレン様から得た魔法はありませんが、私を生き返らせようとしているので、最後のときまでこちらで保管して頂いた方が安心です」
私の返事を聞いたアルマス様はとても複雑そうな顔をしている。
『最後のとき』という言葉をつかったことにショックを受けたのかもしれない。
「俺は君と婚約することが決まったとき、クリスに申し訳ないと思ったんだ」
「どうしてですか?」
「君と仲良くなったのは、クリスの方が先だからな。それに――」
「それに?」
「……いや、俺が言うことじゃない」
少し迷ったような視線と表情……。
私には分からない、二人だけの友情の話があるのかもしれない。
「君の気持ちをちゃんと聞いたことがなかったし、俺も言ってこなかった。クリスもそうだ。俺たちは分かり合えているつもりで、実は誰も本音を言っていなかったのかもしれない」
たしかに、そうだと思う。
アルマス様とはそれなりにうまくやれていたと思っていたけれど、未来について話したことなんて一度もなかった。
「……俺は君のことを好きになってはいけないと思っていたんだ」
ぽつりと落とされたその言葉に、胸が静かに波立つ――。
「でも、婚約が決まったとき、申し訳ないという気持ちよりも先に……嬉しかった」
私は思わず息を呑んだ。
そんなふうに思っていたなんて驚きた。
アルマス様は私との婚約を、淡々と受け入れたのだと思っていたから……。
「君が生きて戻ってきてくれたら、もう一度君の婚約者になりたい」
あまりにも予想外の言葉に、頭が真っ白になる。
「エステル?」
「……カレン様の本性を知ったときより、おったまげました……」
私の返事にアルマス様はきょとんとしていたが、少しするとくすりと笑った。
「君の……そういう、少しズレてるところが昔から好きだよ」
「……ありがとうございます?」




