第23話 魔法石
だめっ!! やめて!!
私は慌てて止めようとしたけれど、実体のない亡霊の身ではどうやって止めればいいのか分からない……!
迷っている間にアルマス様が動いた。
「クリス!! やめろ!!」
魔法石を持ったクリスティアン様の手を掴み、力づくで捨てさせようとする。
けれど――魔法はすでに発動していた。
「くっ……!?」
突如現れた黒い靄が、アルマス様の体を包み込んだ。
ねっとりとしたヘドロのような霧で、明らかに『よくないもの』だと分かる。
大変だ……アルマス様に魔法がかかってしまった!
「アルマス様!」
その場にうずくまったアルマス様の元へ、思わず駆け寄った。
クリスティアン様は呆然としていたが、ハッと我に返ると、ベッドに横たわる私の遺体に目を向けた。
その目はどこか企みを含んでいるようで……何をするつもりなの?
「クリスティアン様?」
「!」
私の声が届いたのか、クリスティアン様の動きが一瞬止まった。
けれどすぐに私の亡骸へと手を伸ばし、そのまま抱き上げてしまった。
「な、何をするつもりですか!?」
「私は……何を犠牲にしてでも……」
狼狽している間に、クリスティアン様は遺体を抱いたまま部屋を出ていってしまった。
追いかけるべきか迷ったが、怪しい魔法にかかったアルマス様を、このまま放っておくことなどできない。
「アルマス様! 大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
「ううっ……エス、テル……?」
青い瞳が私の方を向いた。
普段は凛とした目が、弱々しく揺れていた。
顔色が悪いし、体もわずかに震えている。
明らかにあの魔法が体に悪影響を及ぼしている――。
「大丈夫、だ……やっと……ちゃんと姿を見せてくれたな……」
「無理に話さないでください! 治療を――」
そう思ったが外傷はないし、どういう状態なのか分からない。
私が見たカレン様の魔法は、死んだ生物をアンデッドにする邪悪なものだった。
生きているアルマス様にも、何かの効果がかかってしまっている。
……呪い、だろうか。
解呪の魔法を試してみたが、まったく効果はなかった。
「……大丈夫だ。しばらくすると治る」
どうするべきか考え込んでいると、青い顔のアルマス様が声をかけてきた。
こんなにつらそうなのに……強がらないで欲しい。
「そんな根拠はありません」
「俺が気合なんとかするさ」
「気合でどうにかなるような状態ではないと思います。とにかく、怪我や病気を癒す魔法をかけてみますね」
カレン様が蘇らせていたネズミは、アンデッドとなっていた。
アルマス様が今どういう状態にあるのかは分からないが、アンデッドには治癒魔法がダメージになることがある。
慎重にやるべきだろう。
「どんな効果が出るか分からないので、まずは少しだけ試してみます。手を出していただけますか?」
「……わかった」
アルマス様は静かに頷き、手を差し出してくれた。
私はその指先に、ほんのわずかに治癒魔法をかけてみる。
すると――。
「ぐっ……!!」
「アルマス様!?」
突然、痛みを感じたアルマス様が手を引いた。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……」
「指を見せてください!」
確認すると、魔法をかけた部分の皮膚が赤くただれ、火傷のようになっていた。
明らかに痛そうで、魔法が逆効果になってしまっている。
「ごめんなさい……!」
「問題ない。気にするな。それに……体調も、少し落ち着いてきた」
心配させまいとアルマス様は微笑んでくれたけれど、私は泣きそうだった。
顔は青ざめたままで、とても回復しているようには見えない。
「そんなことより、エステルの体を取り戻さないと……! ……うっ」
立ち上がろうとしたアルマス様の体がふらつく。
めまいがしているのか、バランスを崩しそうになった。
私は支えてあげたくても、亡霊の身では触れることができず、ただ焦るしかない。
そのとき、ドアが開いて誰かが入ってきた。
「アルマス? それに……エステル!?」
「ユリアナ様! アルマス様が……!」
私の姿を見て驚くユリアナ様だったが、うずくまるアルマス様に気づくと、すぐに駆け寄ってくれた。
「アルマス様は、魔法石に込められていたカレン様の怪しい魔法を受けてしまったんです! その影響で体調が悪化していて……解呪も効かず、回復魔法をかけたら逆に傷ついてしまって!」
私の説明を聞きながら、ユリアナ様は素早くアルマス様の容体を確認してくれた。
回復魔法でただれた指先を見て、その深刻さをすぐに察してくださったようだ。
「なんてこと……。アルマス、大丈夫なの?」
「大丈夫です。そんなことより、早くエステルの体を取り戻さないと……!」
アルマス様の言葉を聞いて、ユリアナ様はベッドを見た。
「エステルの体はどこに?」
「クリスが連れて行ってしまいました」
「……さっき王家の馬車とすれ違ったわ。まさか、あの中にエステルもいたなんて……」
ユリアナ様はそう呟いたあと、少し思案している様子だったが、アルマス様の肩を叩いた。
「大体の状況は分かりました。とにかくアルマスは部屋に戻って休みなさい。私は医者とエステルの体を追う手配をしてくるわ」
「休んでなんていられないです!」
「そんなフラフラの状態で行っても、エステルを取り戻せるわけがないでしょう? それに回復がダメージになるなんて、あなたはとても危険な状態だわ。……エステル。しばらくアルマスを見張ってくれる? もちろん、家の者にも声をかけておくけれど、アルマスにはあなたが言ったら一番効果的でしょうから」
「は、はい」
効果があるかどうかは分からないけれど、ユリアナ様の頼みなら……!
それにアルマス様の状態をもっと詳しく知りたいという気持ちもあって、私はすぐに頷いた。
「あなたの体の行方についても、私が最善を尽くすわ」
ユリアナ様はそう言って微笑み、足早に部屋を後にした。
なんて頼もしくて、かっこいい人なんだろう。
私も女神様やユリアナ様のように、芯のあるかっこいい女性になりたかった。
いや、今からだって遅くない。
頑張ってかっこいい亡霊になろう。
体の行方が分からないのは不安だけれど、今は何よりアルマス様を休ませないと……。
「アルマス様、ご自分のお部屋で少しお休みください」
「だが……俺もお前の体を探さなければ……」
「だめです。今はまず、しっかり休んでください!」
じっと見つめると、アルマス様は観念したように苦笑し、静かに頷いてくれた。
おとなしく眠ってくれるまで、私はそばで見守ろう。
そう思ったとき、ふと視線の先にベッドサイドに落ちている花束が目に入った。
クリスティアン様が私の亡骸を連れて行ったときに、落としていってしまったのだろう。
「……少し花びらが散ってしまったな」
私の視線に気づいたのか、アルマス様も花束に目を留め、そっと手に取って花の様子を確かめてくれた。
「数本折れたか」
呟いたアルマス様の表情は、どこか寂しげで……。
私は思わず、花束に癒しの魔法をそっとかけた。
すると、折れていた茎がゆっくりとまっすぐに戻る――。
その様子を見ていたアルマス様は、少し驚いたように私の方を見つめた。
「そうか。君が癒せるのは、人だけじゃなかったんだな。……ありがとう」
「……いえ。その花束は、私が頂いたものです。ですから、私は私のものを治しただけです」
そう答えると、アルマス様は一瞬目を見開き……優しく微笑んだ。
「……受け取ってくれたんだな」
「はい。美しい花束を手向けてくださって、ありがとうございます」
「…………」
私が「手向ける」という言葉を使ったことに、アルマス様は少しだけ表情を曇らせた。
その言葉で、まだ私に生き返る意思がないことを悟ったのだろう。
けれど、彼は何も言わず、追及もしなかった。
とにかく今は、余計なことを考えずにしっかり休んでほしい。
「この花は君の体が戻ったときのために、この部屋に飾っておいていいだろうか」
「ええ。嬉しいです」
了承すると、アルマス様は花束を持ったまま廊下に出た。
屋敷の誰かに飾っておくように頼むのだろう。
アルマス様は扉を開けて私が通るのを待ってくれていたが、私はすでに壁をすり抜けていた。
「あ、すみません」
「いや……本当に君は亡霊なんだな」
「はい」
何とも言えない表情のまま、アルマス様が扉を静かに閉めると、向こうからメイドたちがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「ちょうどいい。花束を飾るように頼んでおこう」
そう言ってメイド達に声をかけ、花束を託したアルマス様は自室に向かい始めた。
私もすぐにあとを追おうとしたが、メイド達のひそひそと話す声が耳に入った。
「アルマス様、また一人で話してなかった?」
「エステル様を呼びながら屋敷の中を歩き回ったりしていたけれど、本格的におかしくなっちゃったのかもね」
アルマス様の行動を訝しむ気持ちは分かるし、私も奇妙な目で見られているアルマス様を見て笑ってしまった一人だけれど……。
少しばかり苛立ちを覚えたので、寒気攻撃の対象としてロックオンさせて頂いた。
「な、なんだか急に寒気がするっ」
「私も……!」
震え出したメイド達の背後にいる私は、あることを一つ試してみようと思った。
それは何かというと、『聞こえるように話す』だ。
アルマス様やクリスティアン様が私の声を聞こえるようになったきっかけを考えてみたのだが、私が何かを伝えたいと思ったときだった。
つまり、話したい! と思いながら話せば、聞こえるのではないだろうか。
私はメイド達に声を届ける――話し掛ける――と強く念じながら口を開いた。
「陰口は感心しませんよ」
「「!?」」
メイドたちは瞬時に振り返った。
だが、私の姿は見えないらしく視線を彷徨わせている。
「い、今、何か聞こえなかった?」
「うん……女の人の声……エステル様だった気がするんだけど……」
「まさか、本当にエステル様が――!?」
顔を見合わせてゾッとしている彼女たちの様子を見て、私は満足げに微笑んだ。
ずいぶんと亡霊らしい真似をしてしまったものだ。
さあ、アルマス様に気づかれないようにあとを追おう。
「エステル? 何かあったのか?」
「いいえ。それより、歩くのはつらくありませんか?」
「正直に言うと体が重いよ。でも、大したことはない」
そう言って笑うけれど、やっぱりアルマス様の顔色は悪いままだった。




