私が死んだあとのこと 亡霊聖女は復活を望まない

第20話 隠し通路

　クリスティアン様がこっそり教えてくださった隠し通路には、いくつか入り口がある。

　私が知っているのは、外にあるもののひとつだ。

　子どもだからこそ入ることができた小さな穴だったが、亡霊である私は関係なく通ることができた。

　隠し通路は、大人が一人やっと通れるほどの狭い空間が迷路のように入り組んで続いている。

　成長して目線が高くなったせいか、子どもの頃よりも狭く、薄気味悪く感じられた。

　水路と交わっている場所もあるためか、通路内には色々な生き物が現れる。

　クリスティアン様が案内してくださったときには、大きなネズミが現れた。

　初めてネズミを見たクリスティアン様はびっくりして飛び跳ね、私はそんな彼に驚いて、二人であたふたしたことを覚えている。

　私はネズミのことは平気だったので、掴んで捨てたら引かれたことも記憶している。

　あのときのクリスティアン様の表情を思い出してくすりと笑っていると……。

「…………っ　…………」

　微かに誰かの声が聞こえてきた。

　まだ距離がありそうだが、先の方が騒がしい。

　神官長がいるのかもしれないと思い、急いでその方へ向かった。

「え、クリスティアン様？」

　予想外の人物に驚きながらも、その向かいに誰かがいることに気づいた。

　黒と銀の髪の二人――神官長様とカレン様！？

　もしかして……クリスティアン様が二人を逃がした？

「まさかと思って来てみたが……。神官長、あなたもこの道を知っていたのだな」

「…………」

　クリスティアン様の言葉に、神官長が苦々しい顔をしている。

　その様子を見て、クリスティアン様が二人を逃がしたわけではないと分かった。

　私は信じてもらえず苦しかったのに、疑ってしまってにごめんなさい。

「まさか脱走するなんて……お前達がここまで愚かだったとは」

　クリスティアン様は神官長に冷たい視線を送っている。

「わ、私に神託があったのだ！　カレンを助けるようにと！」

　神官長の言葉に、クリスティアン様の視線はさらに冷たくなる。

「神罰を与えられたあなたに神託が？」

「なんだと！　ネモフィラ様ではないが、『カレンに紋章を与えた女神様』に認められたのだ！　私は誰もいない寂れた神殿に送られるような人間ではない！」

「赤い花の女神に？」

　怪訝な顔をしたクリスティアン様に答えたのはカレン様だった。

「そう……赤い花の女神様——アネモネ様が選んだ聖女なのよ、私は！」

　一歩前に出たカレン様は、傷痕は治っていないものの、足取りはしっかりしていた。

　体調はかなり回復した様子だ。

「アネモネ様……？」

「ええ。アネモネ様が新たに私に力をくれたの！　……クリスティアン様、あなたはこの力にとても興味が湧くんじゃないかしら」

　カレン様はそう言うと、通路のすみに手をかざした。

　その先にはネズミの死骸が転がっていたが……。

　カレン様が放った何かの魔法がネズミを包んだ。

　次の瞬間——ネズミはぴくぴくと動き出した。

「い、生き返った？」

　クリスティアン様と同じように、私もひどく驚いた。

　どう見ても完全に死んでいたネズミが、突如として動き出したのだ。

　生き物を蘇らせる魔法なんて存在しない。

　それができるのは、女神ネモフィラ様だけではなかったの？

　しかも今の魔法からは、邪悪な気配が漂っていた。

　私の体を修復してくださったときに感じたネモフィラ様の力は、清らかで温かかった。

　それとはまるで違って、今の魔法には嫌悪しか感じない。

　混乱する私の耳に、さらに追い打ちをかけるような言葉が飛び込んできた。

「見逃してくれたらぁ、私がこの力でエステルを生き返らせてあげる」

「！」

　驚いて目を見開くクリスティアン様に、カレン様は悪魔のささやきを続ける。

「これぇ、何か分かるでしょ？」

　カレン様の手には、魔力を込められる魔法石が握られていた。

　数が少なく、一度使うと壊れてしまうためとても貴重な品だ。

　もしかすると、神官長様が所持していたものだろうか。

　そう考えている間に、カレン様は先ほどネズミを生き返らせた魔法を、その石に込めていた。

「これをクリス様に差し上げまぁす。だからぁ、少しの間だけ目を瞑っていてくださいません？」

「…………」

　クリスティアン様は、カレン様の手にある魔法石を凝視したまま、黙って動かない。

　もしかして……迷っているのだろうか？

　私を生き返らせるために、二人を逃すなんて――そんなこと、絶対にあってはならない！

「またアルマス様にとられてもいいのぉ？」

「…………」

　クリスティアン様は口を閉ざしたまま動かない。

「いけません！　しっかりしてください！」

　私はクリスティアン様に向かって呼びかけるが、亡霊の私の声は届かない。

「逃がしてくださるわよねぇ？」

　そう言って、カレン様が魔法石を差し出しながらクリスティアン様に近づいていく。

　そして、クリスティアン様も手を伸ばして――。

「クリスティアン様！」

「…………っ！？」

　必死に呼びかけると、クリスティアン様がはっとして私の方を見た。

　……私の声が、届いた？

「あら、よそ見しているってことは、見逃してくれるのかしらぁ？」

　カレン様がけらけらと笑いながら挑発する。

　クリスティアン様はその言葉に顔をしかめつつも、魔法石を受け取った。

　まるで取引が成立したかのように見えた――が。

「…………っ！？　な、何をするの！？」

　突然、クリスティアン様がカレン様の手首をがっしりと掴んだ。

「逃がすわけがないだろう？」

「離しなさいよ！　くそっ、神官長！」

　カレン様はすぐさま神官長に助けを求める。

　だが状況を察した神官長は、すでにカレン様を見捨て、走り出していた。

「お前も逃しはしない！」

「ああああっ！！」

　クリスティアン様が放ったナイフが、神官長の足に突き刺さった。

　神官長が悲鳴をあげて倒れこむ。

「何するのよ！　話が違うわよ！？」

「どうしてお前と取引をしなければいけないんだ？　魔法石はお前達を捕らえたうえで頂けばいいだけの話だ」

「…………っ」

　手首を捕まれたままのカレン様は、悔しそうにクリスティアン様を睨んだが……。

「ふんっ！　……まあ、そういうずる賢い男は嫌いじゃないけどぉ？」

　クリスティアン様に顔を近づけ、ニイッと笑顔を見せた。

　それにクリスティアン様が一瞬動揺した瞬間、二人の周囲を赤黒い炎が包んだ。

「……くっ！」

　クリスティアン様が顔を押さえ、膝をついた。

　全身が燃えたのではないかと焦ったが外傷は見当たらない。

　どうやらこの炎は、肉体ではなく精神を蝕むもののようだ。

　クリスティアン様の顔が苦痛に歪む。

「交渉は決裂、ね。クリス様、また会いましょうねぇ」

　カレン様はそう言い残し、神官長とともにその場から逃げ去っていった。

　どうしよう、私は二人を追うべきだろうか。

　でも、クリスティアン様の容体も心配だ。

　それとも、私の気配を感知できるアルマス様を呼んでくるべきか……！

「しくじったな」

　私が迷っている間に、クリスティアン様はなんとか炎に耐え切ったようだった。

「……逃したか」

　体勢を立て直したクリスティアン様が周囲を見渡す。

　しかし、すでにカレン様たちの姿はどこにもなく、今から追っても間に合いそうにない。

「……エステル？」

「！」

　クリスティアン様がそう呟いた。

　もしかして、アルマス様のように私の気配に気がつくようになった？

「…………」

　私は口元を押さえ、できる限り気配を殺してその場に身を潜めていた。

　クリスティアン様は私を気にかける素振りを見せながらも、足早にその場を去っていった。

　カレン様たちを追う手配をしに行ったのかもしれない。

　二人に逃げられてしまったのは大変な事態だ。

「やっぱり、カレン様たちを追って、居場所の手がかりくらい掴んでおくべきだったかな……。あっ、寒気もかませなかった！」

　絶対に果たそうと心に決めていたのに――。

　そんなことを考えていたそのとき、視界の端で何かが動いた。

「ヂ……ギャ……」

「！」

　耳障りな、不気味な鳴き声。

　動いていたのは、先ほどカレン様が蘇らせたネズミだった。

　体の一部が腐って崩れ落ちているのに、なおも這うように動いている――まるでアンデッドだ。

「そういえば……あの魔法石って……」

　カレン様が魔法を込めていたあの石。

　一瞬だけだったが、クリスティアン様がそれを手に取っていた。

　……ということは、今も彼の手元に？

　クリスティアン様は、私を婚約者にすると言っていた。

　そして、私が生き返ることを望んでいた。

　嫌な予感がする。