第15話 天罰
「……あれは何だ?」
異変に気づいた神官の一人が、空を指さした。
その仕草に釣られるように空を仰いだ人々は、頭上の雷雨を巻き起こしていた黒雲の一部が、ゆっくりと掻き消えていくのを目にする。
空にぽっかりと穴が開き、そこからまばゆい光が降り注いだ。
神殿の前――人々が留まっているその一帯だけが、雷雨から守られるかのように晴れ間に包まれる。
その頃には、外にいた者は皆、無言のまま空を見上げていた。
まぶしさに目を細めながらも、空を凝視していた神官が、やがて空に浮かぶ『何か』の存在に気づいた。
「……女神様?」
光が静まり、まばゆさから視界が戻ったとき、人々の目に映ったのは――宙に浮かぶ女神ネモフィラ様の御姿だった。
神官たちは我に返ったように慌てて膝をつき、祈りを捧げ始める。
それを見た周囲の人々も、次々とひざまずいていった。
女神様の長く美しい髪が、空中でゆるやかに揺れている。
その神秘的な光景に心を打たれ、私も自然と膝をつき、静かに祈りを捧げた。
すると、女神様がふとこちらに目を向け、ほんの少しだけくすりと微笑まれたような気がした。
その御姿に見惚れていると、やがて神殿の中にいた神官たちも異変に気づいたのか、次々と外へと姿を現した。
そして、女神様の存在を目にした瞬間、誰もが言葉を失い、ひとり、またひとりと跪いていった。
「女神ネモフィラ様!!!!」
最後に血相をかえた神官長が飛び出してきた。
神官長様は跪くことも忘れ、恍惚とした表情で女神様を見ている。
『きっつ……。直視するの無理なんだが』
女神様の声が聞こえた気がするが……。
誰も気にしていたので、勘違いだったかもしれない。
少しすると、クリスティアン様とアルマス様も外に出てきた。
二人は女神様を見ると、他の人達と同じように跪いた。
女神様は、ただ一人立ち尽くす神官長様に冷ややかな視線を向けた。
「…………っ!」
それに気づいた神官長様が、さらに目を輝かせたのだが――。
『あなたには失望いたしました』
「え? 失、望……?」
神官長様の顔が強張る。
周囲を見回して『失望した』と言われた人を探しているが……誰がどう見ても神官長様のことだ。
『わたくしの唯一の愛し子——エステルを大切にせず、挙句の果てには死なせてしまう愚行……断じて許せません』
女神様の言葉を受けて、神官長様の顔色は次第に青ざめていく――。
「そんな……私は女神様の神託通りに、カレンを第一に……!」
『あなたに神託を与えた覚えはありません。わたくしの愛し子はエステルただひとりです』
「!!!?」
女神様の断言を目の当たりにして、神官長は言葉を失った。
「そ、そんな……私は確かに神託を……!」
神官長様が慌てふためいているが、周りにいる神官達や人々もざわめき始めた。
口々に「カレン様は聖女じゃないのか?」「神託は神官長の嘘?」などと話している。
『あなたに神託を与えたのは、この声でしたか?』
「え?」
神官長様は無言だったが、次第に表情が硬くなっていった。
神託の声との違いに気づいたのかもしれない。
「カレンが聖女だとしても、エステルを蔑ろにする理由にはなりません。そんなことも分からぬ者が上に立つこの神殿は……必要ありません」
女神様が力強くそう宣言した瞬間、神殿に大きな雷が落ちた。
「ひいいっ!」
怯えた神官長様の足元がふらつき、しりもちをついて倒れる。
そして、人々の悲鳴と共に、建物の一部が崩れる音が響いた――。
「神官長様に、女神様がお怒りだ……!」
『この者だけではありません。ここにいる者は誰一人、真実を見抜くことができなかった。……恥を知りなさい』
女神様の言葉に、神官たちや人々は気まずそうに俯く。
それはアルマス様とクリスティアン様も同じだった。
『傷つきながらも、使命を全うしたエステルのために祈りなさい』
「!」
ハッとした神官たちや人々が姿勢を正し、再び祈り始めた。
私のための祈りだなんて……戸惑ったが、不思議と温かく、魂が癒されるような感覚がした。
アルマス様とクリスティアン様は、誰よりも熱心に祈ってくださっている。
その姿を見ていると許したくなる気持ちが湧いてくるけれど、それでも断頭台に上がる私に向けられた冷たいまなざしは忘れられない。
『わたくしの怒りと悲しみが癒えるかは……あなた方次第です』
これは、起きている災いが鎮まるかどうかの兆しなのだろう。
神官たちや人々は、真剣なまなざしでその言葉を受け止めた。
そんな中、神官長様は放心状態のまま、しりもちをついたままだった。
今後、カレヴィ様がこの神殿を率いることはなさそうだ。
建物の修復も必要になり、長年過ごした神殿は大きく変わっていくだろう。
「あれ、雨が……?」
再びぽつぽつと雨が降り始めたことに誰かが気づいた。
頭上を見ると、雨雲が戻りつつある。
それに伴い、女神様のお姿も次第に見えなくなって――。
「女神ネモフィラ様!」
去る女神様を引き留めるように、アルマス様が立ち上がった。
「我々にエステルを返して頂けないでしょうか!」
それを聞いたクリスティアン様も立ち上がって声を張り上げる。
「女神様、お願いです! もう二度と愚かな過ちを繰り返しません!」
二人の言葉を聞いて、女神様はこちらに目を向けられたが、私は静かに首を横に振った。
私が『死』を望む気持ちは、今も変わらない。
『あの子はそれを望んでいません』
「「!」」
その言葉に、二人は大きなショックを受けたようだった。
女神様は二人のうなだれる姿を見つめながら、ゆっくりと姿を消した。
そして、神殿の前には雨が降りしきる暗い空間が戻った。
多くの人々は静かなまま、この場を去っていく――。
神官たちも今日のところは神殿を離れ、後日対応することにしたようだ。
「エステル、ただいま!」
立ち去っていく人々を見つめていると、女神様が私の前に戻ってきた。
ふわりと飛びついてきた女神様が、直前まで神秘的なお姿を見せていた方と同じだなんて驚いてしまう。
「わたくし、びしっとキマッてたでしょう?」
「はい。神々しい女神様のお姿を拝見することができて光栄です」
私の返事に女神様は満足そうに頷いている。
「……で、あれはどうする? 放置でいいの?」
女神様の視線を追って神殿の前を見ると、そこにはアルマス様とクリスティアン様だけが残っていた。
二人は降りしきる雨の中、じっと佇んでいる。
「アルマス、諦めるのか?」
「……いえ」
「そうだな。だが……どうしたら私達はエステルに会えるのだろうか」
静かに話す二人の声が、やけに耳に残る……。
あんなに立派に生きてきた二人の背中が、なんだか小さく見えた。
「ねえ、エステル。ちょっとだけ余計なことをしてみていい?」
「え?」
「何のこと?」と思っているうちに、景色はまた変わっていた。
真っ白な空間。
そして、そこには、横たわる私を収めた棺――。
またこの場所に戻ってきたのかと思ったが、これまでにはなかった変化が起こっていた。
「アルマス、あれは……!」
「エステル……!」
この空間に女神様と私だけではなく――アルマス様とクリスティアン様の姿があったのだ。




