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小話 6

 



 6

 



「初めまして、編入してきました佐倉です。あんまり好きじゃないので下の名前で呼ばないでください。よろしくお願いします」

 そう言おうと思ってた。本当に本気で。

 でも、

「「「「女子だーーー‼︎」」」」

 みんながガッツポーズをしている、こんな空気感で言えない。

 黒板にチョークで自分の名前を書く。久々にチョークなんて触ったものだから変に緊張してしまった。

「初めまして、佐倉夕希です。仲良くしてください、よろしくお願いします」

 頭を下げてありきたりな挨拶をすると拍手が返ってきて少し困った。

 教室の奥の窓際まどぎわには少年がいた。少年は同じクラスだったのか。

「じゃあ、佐倉さんは百井くんの後ろね」

 みさきちゃんが私に笑いかけた。その笑顔には、絶対言うなよと書かれている。その後、生徒たちの方を向いて今日の連絡を言い始めた。

 うなずいて席に着くと、折りたたまれたメモ用紙が置いてあった。

【よろしく】

 整った文字と、小さく鳥の絵が書いてある。

 へたくそ、呟いてふっと笑うと後ろ手で軽くこづかれた。

 筆箱を出して、メモを保管しようとした時。ふと気づいた。

 あの、赤い鳥がいなかった。

 飛べなかった赤い鳥。潰れてしまった赤い鳥。

 必死で探した。どこを探してもなくて、涙が出た。無意識のうちに、自分とあの鳥を重ねていた。自分の心はあそこにある気がしていて。

 手で口をふさいでいたのに、小さな嗚咽おえつれてしまって、泣いていることが少年に気づかれてしまった。

 少年が振り向く音が聞こえた。

 見ないで。何もしないで。なぐさめないで。私はそれだけでみじめになる。

 ぎゅっと目をつむって体が強張こわばる。

 しかし、少年は私が予想もしていなかった行動をとった。

「先生。俺、体調悪いので佐倉さんに付きってもらって、保健室行ってきていいですか」

 ゆらりと気だるげに立ち上がってみさきちゃんに聞いた少年。

 みさきちゃんが行ってらっしゃいと言って、連絡を続ける。

 少年は私の手を取って、行くよ、と引っ張った。

 少年は、私をかばってくれた。気を使わせてしまったのかと申し訳ない気持ちになる。

 私は力無く立ち上がって少年についていった。

 その間もずっと涙が止まらなかった。

 違う世界に飛ばされてきて、自分が思っていたより混乱していたのだ。あのメモがなくなって、感情のスイッチが入ってしまったのだろう。

 下を向いていたから分かりにくかったけれど、編入生ということもあって注目されていただろう。きっと泣いているのも気づかれていた。

 そう思うと吐き気がしてきて、ひざからくずれ落ちる。

 手を繋いでいた少年が私と目線を合わせる。

「立てる?」

 長い前髪からのぞく大きな目にあわれみの色はなくて、安心してしまった。

 頷くと、少年は肩を支えてくれた。

 立ち上がって歩こうとしても、力が入らなくて、立っているのが精一杯だった。

 少年はため息をついて、私を座らせる。少年は私に背を向けてしゃがんだ。

「乗りなよ」

 え、と困惑こんわくしていると、少年はまたため息をついてほら早く。とかした。

 おずおず背中に乗ると、思ったより背中は広かった。

 そのまま少年の背中に揺られていると、少年はどこかのドアを開けた。

 ぐったりと脱力だつりょくしきっていると、優しく地面に降ろされた。

 顔を上げると、そこは屋上だった。保健室には養護教諭ようごきょうゆがいるから、気を遣ってくれたのだろう。

「あ……り、がと」

 回らない口でお礼を言うと、少年は少し嫌な顔をしてどうもと返した。

「袋もらってくるから待っといて」

 少年は自分のカーディガンを私にかけて足早に屋上から出ていった。

 気づかなかったが手が震えている。

 少年の暖かさが残るカーディガンに救われた。それはもう、吐くほど。

 少年が帰ってきた時、私はひどい顔だったと思う。

 泣きながら吐き気を我慢していたのだから。

 袋を渡されるも、人目があるところでは吐けない。

 少年を気にしていると、吐けない?と聞かれる。直球、と思いながら首を縦に振ると、少年が近づいてきた。なぜだ、くるんじゃねぇ。

 少年は私の後ろに回って——

 私の背をさすりながら、私の口に指を突っ込んだ。

 うっ⁉︎と驚くと、じっとしててと注意される。

 喉の奥に入っていく少年の指。

 吐けないってそう言うことじゃないんだけど……?

 ぐぅっと喉から変な音がした。胃液が迫り上がってきて嘔吐えずく。

 まだ出る?と聞かれる。

 必死で頷くと、そう、と言ってまた指を突っ込む。

 それから何度か吐いて、少し気分が良くなった。

 後片付けも少年がしてくれていた。記憶が朧気おぼろけながらも、少年はずっと背中をさすってくれていた。

 こういうことに慣れているのだろうか。人差し指と中指の爪がよく切られていた。

 その後の処置も的確だった。

 私に口をゆすがせた後、少年は生理食塩水を買ってきて、ちまちま飲ませた。

 おかげで大分だいぶん回復した。震えも止まった。

「ごめん、ありがとう。助かった」

 改めてお礼を言うと、隣に座る少年はまた少し嫌な顔をした。

「別に」

 しばらく無言だった。日差しが暖かくて、私は寝てしまった。

 次に起きた時、少年も寝ていた。

 私たちは肩を預けあって寝ていた。

 寝顔はあどけなさが残っていて、綺麗だった。

 あれだけ泣いたからか、寝たからか、目が腫れぼったくて、目を閉じる。

 そうしているうちにまた眠気がおそってきて眠った。

 短い夢を見た。起きた瞬間に記憶から消え失せてしまったけれど、とても幸せな夢だったと思う。

 目覚めると、少年は起きていて、少し離れたところに座っていた。

 太陽は私たちを真上から照らしていた。

「おはよ」

 少年が言う。うん、とぼんやり相槌を打つと、体調どう?と聞かれた。うん、と言うと、そ、と返された。膜に覆われているような不思議な安心感に包まれていた。

「ちょっと、しんどい」

 素直に呟くと少年は立ち上がり、いつ買ってきたのか、冷たいみかんゼリーとプラスチックのスプーンを渡してきた。

「まだマシになったけど、顔色悪い」

 食べれる?と渡されたゼリーをちょびちょびと食べていると、少年は俺もお腹すいたと梅おにぎりを食べ出した。

「あ、授業」

 唐突に思い出した学校生活。気分が悪すぎて忘れていた。やばい、お母さんにバレたら……

「大丈夫だよ、みさきがなんとかするから」

 思わずせてしまった。みさきちゃんのこと呼び捨てしたじゃん……

「俺の兄貴の婚約者だからさ」

「何が関係あるの?」

 聞くと、一瞬びっくりしたように目を大きく開けて、ふぅと息を吐いた。

「俺の兄貴、ここの理事長」

 知らなかった?と聞かれたけれど、本当に知らない。少年はいいとこの子なんだな。

 つまり授業サボってもみさきちゃんがなんとか隠蔽いんぺいしてくれる、と。

「ていうか、あんたなんで泣いてたの?」

 梅おにぎりを咀嚼そしゃくしながら、こちらを伺うように、自然に聞いてきた少年。

 フラットに聞いてくれたおかげでこちらも気を使わずに応えることができた。

「私の心がどっかいった」

 みかんゼリーをむぎゅむぎゅしながら言うと、少年は、は?というような顔をして意味わかんない、とぼやいていた。

「私に似てる、鳥の絵があったんだけど、それがどっかいっちゃった」

 空を眺めながら、ぼーっと解説してみるも、少年には伝わらなかったようで。

「それが吐くほどだったわけ?」

「少年はすっごい無神経だねー」

「そう?」

 ふんわりした空気感で会話をしていて、なぜか、少年には気を使わずに話せることができるとこに気づいた。

 珍しい人種だ。素のままで話せる人は深青ぐらいしかいない。

 深青も、少年も、きっと自分のことが嫌いだ。

 そういう人は見ていたらわかる。私が、そうだからだろう。

 自分に無頓着な人は、やがて人にも無頓着になる。

 他人に無頓着な人というのは、冷めている印象も持ちがちだが、私にとってはあまり踏み込んでこないという点で好ましかった。

 類は友を呼ぶとは本当によく言ったもので、良い類であっても悪い類であっても人を集める。

 深青と、少年と、私。

 よく似ていた。

 深青は、自分と人が違うという苦しみにもがく、努力の人だ。

 あの小さな背中にはたくさんの紙が貼られている。「社長の娘」「成績優秀」「優等生」「明るい、良い子」「頼りがいのある」深青は、その全てを完璧にこなしてみせる。そのために、心が疲れ切っていた。

 深青は私と二人きりの時、ふとたまに泣き出してしまうことがあった。必死に堪える嗚咽が、ひどく痛々しかった。

 細々と言葉を紡ぐことがあった。もう、しんどいのだと。自分で背負ったくせに重くて仕方がないのだと。

 ごめんねと、私に謝ることがあった。こんなことを夕希に言ったって、苦しませるだけだと。別に良いよと、私は返す。深青のためだったら私はどれだけ傷ついても良い。

 少年のことはまだ、何一つ知らない。

 それでも、私には、少年が今にも泣き出しそうに、苦しそうに見えている。

「戻ろうか」

 私がゼリーを食べ終わったことを確認して、少年はゴミをビニール袋に入れる。

 私は無言で立ち上がり、少年にカーディガンを返した。

「ありがとう」

 少年は変な顔をしてカーディガンを私に押し戻した。

 お礼を言われ慣れていないのだろう。少年はありがとうと言われると変な顔をする。さっきもそうだった。

「まだ着ときなよ」

 もう震えは止まっているし、夏だから気温も高い。

「いい、いらない」

「いいから」

 押し問答を続けていると、少年が強く出た。

「顔色悪いって言ってんだろ!」

 今まで少年から聞いた声の中で一番大きい声だった。

 びっくりした拍子にカーディガンを受け取ってしまう。

「ごめん」

 少年は気まずそうに謝った。

「いや、ありがと」

 ありがたくカーディガンを着させてもらう。

 少年でさえオーバーサイズのそれは、私にはとても大きかったが、安心感があった。

 カーディガンを脱いだ少年をまじまじと見つめる。さっきはそれどころじゃなかったけれど、少年の体は異常だった。

 細い。尋常じゃないほど細かった。

 スレンダーだとかいうレベルではない。不健康的に痩せていた。

 私は明らかに異常なそれを、見ないふりをした。私だったら、何も言われたくないだろうから。

「少年、次の授業なに?」

「古典」

「林?」

「そう」

 そうして、私たちは長い時間を過ごした屋上を後にした。

やっと念願の嘔吐シーンだよ

友人に見せてるんですが吐くとこ好きって言われました。

表現が難しかった


文章上手くなりたいので出来れば感想お願いします

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