小話 2
2
そんな、生きることに一つも執着していなかった私にも友達はいた。こんないい加減に生きていても良き友はできるらしい。
明るくて、ちょっとアホっぽくて、どこか抜けてて、とってもかわいい女の子。
梅乃 深青。身長が高くて(私よりは低いけど)、髪が短くて、おしゃれさんで、聞き上手で、素直で、部活熱心で、家がものすごくお金持ち。
出会ったきっかけは新入生交流会だった。お互い一人だったから、なんとなく手持ち無沙汰で話しかけに行っただけだったけど、話してみるとすごく面白くて、すぐに仲良くなった。
入学初日に夕方のファミレスで安いコーヒーを頼んで、一杯のコーヒーで三時間くらい粘って、くだらないことで大笑いして、隣に座っていたおじさんに睨まれて小さくなって。
そうしてやっと。
「「友達になろう!」」
不器用な私たちが交わった瞬間だった。
それからというものの、毎日一緒に過ごすようになっていた。
高校生活にも馴染み、こなれ感が出てきて、迫る夏休みに浮き足立った七月中旬。
休日も目の前の金曜日の学校には気だるげな空気が充満している。この空気感はどう足掻いても打ち消せない。
生ぬるい夏の空気に嫌悪感を覚える。
勉強の時間は残すところあと二限だけという昼食休憩の時間。中庭や食堂にご飯を食べに行く生徒も多く、教室には生徒が少なかった。
パラパラと、あと二時間がんばろ、とか、うわー五限の課題やってない、とか、六限林じゃん最悪、という話し声が聞こえる。(全くどうでもいいことだが、六限は古典であり、林というのは特に女子から嫌われている少々頭髪の薄いおじさま教師である。嫌われている理由としては、言わずもがなである頭髪が少々薄いことと、あと話がくどいことである)
そんな中。
「夕希さーん?」
お母様の手作りだというバナナケーキを食べ終わり、食後のおやつを食べながら動画鑑賞していた深青が、視線はスマホに預けたまま私の名前を呼んだ。
「なんでしょう深青さーん」
購買でそこそこ人気であるサンドウィッチミックスセット(たまご、ハムきゅうり、カツ、フルーツ)を食べ終わり、深青の食後のおやつを横から盗み食いしながらお気に入りの文庫本を読み返していた私は、視線を文庫本に預けながら、気を少しだけそちらに向け、返事をした。
「お金持ってますー?」
スマホから視線を外し、こちらをまっすぐに見た深青。私はびっくりして文庫本から視線を上げる。
「持ってると思うー?ていうか、今月は減給だったって言ったじゃん」
冗談だと思い、笑って深青の目を見る。
その目にあるのは、真剣そのものだった。
「え、なんか欲しいものあるの?何が欲しいの?」
「あー、いや、なんでもないことにする」
私から逸らされ、再びスマホの画面に戻った深青の目からは何も読み取れなかった。
私はあまり深追いはしなかった。
この十数年間で身についた悪癖である。人に踏み込むことができなかった。よく言えば、程よい距離感。悪く言えば、真剣に付き合わない。
人と疎遠になりつつあった理由の一つである。
なんでもなかったことになった一〇秒間の三〇秒後。
「今日これからとその先一ヶ月ぐらい、なんか予定ある?」
深青は再度私に目を向け、デートのお誘いを申し出る。
「うーん、いや、今のところは特にない。なに?どっか行きたいとこあるの?」
文庫本を机の横にかけてあったスクールバッグにしまい、入れ替わりにスケジュール帳を取り出し、予定を確認する。予定は無し。空白だ。まあ大体何も予定は入っていないのだが。
「いやさ、うち来ない?泊まりに。もちろん長期で」
スマホを見ながら軽くお泊まりに誘う深青。そっけない感じで誘うあたりにテクニシャンだな、と感じる。
「お母さんに聞いてみる。着替えもないし多分、一回帰ることになると思う」
スマホをバッグから取り出し、フェイスアイディーでセキュリティを突破する。なんの変哲もない初期のホーム画面に、私のつまらない人間性が現れているな、と自嘲しながらメッセージアプリを開き、母の連絡先のアイコンをタップする。
先ほどの私の発言に対する深青の返答は、流石セレブリティといった感じだった。
「いや、着替えいらないよ。うちで用意するし。メイドも夕希に会いたい、着せ替えしたいって私にアピールしてきてたし」
深青のお家には何度かお邪魔しているのだが、お母様やお父様によくしてもらっているし、メイドさんにも気に入ってもらっている。ありがたいことだ。
「はーい。いつもお世話になってます深青、お母様、お父様」
母に連絡しながら梅乃家の皆様に感謝を伝える。
『今日これから、深青の家に泊まりにいくことになりました。長期で泊まらせてもらうことになりそうです。着替えなどは用意してくださるそうです。』
とん、と液晶画面をタップしてメッセージを送信する。
まぁどうせ、と心の中の自分が私の心をちくんと刺す。
こういうとこだよ、私。自分に言ってみるものの治らなさそうだ。
送信してまもなくニュートリノの速さで既読がつき、太陽の、十倍も速く返信がきた。お母さんは仕事中なはずなのにいつもすぐに連絡がつく。
『そういうことは前日以前に連絡してくださいといつも言っています。お母さんにも段取りがあります。今回はお断りしてください。丁寧に断ること。謝っておいてください』
あぁ、まただ。
敬語で構成されたこの文面を見るとしんどくなる。
きゅう、と喉の深いところが狭くなるような錯覚に陥る。
お前に自由なんてないのだと、改めて思い知らされる。
それでも、その不自由に逆らえないように私の体はできている。
自分の意思で返信をするようになっている。プログラムされたロボットのように。
『はい、すみません。断っておきます。今日は部活動があるので、十九時くらいに家に帰ります。晩ご飯はいります。お願いします』
業務連絡。その文字がよく似合う通信の履歴。これも、苦しくなる。どれだけ前の履歴へスクロールしようと、暖かさのかけらもない、冬のガラスのような言葉たちだけが無機質に並んでいる。
「どんな感じー?お母さんだめだって?」
そんな冷たさを吹き飛ばすような明るさで話す深青の言葉に、何度も救われてきた。
「うん、だめだって……」
でも状況は変わらない。また少し苦しさが込み上げてくる。
「そっか、じゃあ圧力かけとくね‼︎」
パア!と小学生のような無邪気な笑顔の後、真顔になり、スマホのキーボードを親指で高速フリックし出した深青さん。
その圧力とやらが私にかからないことを心の底から願っています梅乃様。
「はい、おっけー」
神速のフリックをやめた深青さんに笑顔が戻った三秒後。
ピコン!
私のスマホが、初期のままの機械的な通知音で着信を知らせる。
パッと画面を開くと、母からメッセージが届いていた。
『一回帰宅してからお邪魔させてもらってください。お土産も持っていかなければいけません。』
どのように、どんな圧力をかけたのかは知らないが、あの冷血の母上でさえ梅乃家の圧力には勝てないのだ。というか梅乃の権力怖い。
「で、お母さんなんてー?」
こてん、と首を倒して私に聞く深青。可愛らしいですね。これはポイントが高いんじゃないでしょうか。
「いいよって……一回家帰ることになるけど」
『わかりました、晩ご飯はいりません。』
ざまみろ、という気持ちで送信ボタンをぐっと押して深青を見ると、にやにやと随分機嫌がいい様子だった。
「りょうかい!放課後車回すからねー」
ご機嫌で私の髪の毛をいじり始めた深青は、休憩が終わる頃に豪華な髪型を完成させていた。私の髪質は扱いやすくて飾るのが楽しいらしい。
今思ったんですが、車って回すものなんですね。
夕希ちゃんがだんだん僕に似てくるなぁ