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それは豚でなく猫の貯金箱だった

作者: ナナミ

 私が見つけたのは、豚の貯金箱でもなく、猫の貯金箱だった。

 

 これは、私──高橋 泰子が高校一年生の時に起こった不思議な話だ。



◇◇◇



 高校に入学してから暫くして。私はクラスに好きな人がいるものの、なかなか距離を縮めることが出来ないでいた。

 

 水色の空が広がり、西にある太陽が辺り一面を赤く染めている。空気が暖かい。クラスメイトの誰かが開けた教室の窓からは、桜の甘い匂いが鼻を擽った。授業が終わり、私は伸びをした。終わったー。そして私はクラスの男子の元へするすると近付き、声をかける。


「井上君、あの。」

 

「おーい、井上。ちょっとー。」


 右手を上げてかけた声は、しかし彼に届くことはなかった。


「分かった!」


 制服を着た背の高い彼──井上祐介君は、彼の友達の声に反応して遠さがってしまう。あ、とポツリと口から漏れた声は、彼に届くことはなかった。右手を下ろし、軽く握る。ダメだった。私は項垂れ、ため息をついた。折角話しかけようとしたのに。

 

 私が想いを寄せている彼、井上君はかっこよくて背が高く、スポーツが上手い。明るく、クラスメイトの人気者だ。時々しか話せないけれど、私は彼の明るい笑顔や優しいところが好きだ。


 その週の土曜日。私は部屋の掃除をするついでに整理をしていた。ボックスの中身を取り出していると、奥に光る物を見つけた。手を突っ込み、持ち上げると、全体像が目に入る。


「何これ?……貯金箱?しかも、豚じゃなくて猫型かー!えー、可愛い!」


 金色の貯金箱をカーペットに置く。両手を合わせ、笑顔で喜んだ。可愛い!まん丸だ。耳や尻尾も付いてる!私はツルツルとしている貯金箱を撫でた。暫くして、ハッと我に返る。苦笑いしてから、首を傾げた。これいつ買ったっけ?眉間に皺が寄る。

 

 見た目は豚の貯金箱の猫バージョンだ。ちょっと違うだけで何で可愛く見えるんだろう。そこで手の中でカサ、と言う音がしたのに気付き、手を広げる。貯金箱の横に白い紙が付いていた。何だろう?私は紙を広げて見た。黒い文字が目に入る。え?私は息を呑んだ。


「願いが叶う貯金箱……?」


 そんなことあるわけない、と思うけれど、目が離せない。内容は100円玉貯金で、いっぱいになると願いが叶う、と言うもの。おまじない的な?いやでも……。私は顔を俯かせ、紙を持ってゆらゆらと揺らした。下の猫を見つめながら考える。


「願いが叶う……ね。怪しいけれど、試してみるかな。井上君に振り向いて貰えるかもしれないし。」


 目が細まる。両手を握りしめた。

 

 私は貯金箱を机の上に置き、ダンボール箱を戻した。整理や掃除を再開する。全てが終わったところで、椅子を引いて座り貯金箱を微笑みながら見つめる。猫の青い瞳がジッとこちらを見つめ返す。


「頑張ろうかな、貯金。」


 あの日から二週間。休みの日、太陽が東にある時間帯。机の上の貯金箱を持ち上げ、揺らしてみても音はしない。悲しいくらいスカスカだ。


「貯まらないなあ……。」


 苦笑いした。


 私は貯金が苦手だ。いつもすぐに使ってしまう。原因は色々だ。お菓子だったり、小説はまだしも漫画だったり。友達と遊びに行くのは仕方ないけれど、そこで色々買い食いしてたらあっという間だ。今月もすぐなくなってしまうかもしれない。やっぱり難しいのかな。でも、と目を伏せる。井上君を諦めることは出来ない。

 

 ため息をつき、私は階段を降りた。今日は特に用事はないので家にいるつもり。リビングにあるソファに腰掛け、テレビの電源を入れた。番組表を見るも、特に面白いテレビはやっていない。数回リモコンでチャンネルを切り替えたところで、ある番組が目に入った。前に身を乗り出す。


「つもり貯金?」

 

 何かをしたつもりで貯金箱にお金を入れる、と言うものらしい。これで結構貯まりました、と貯金箱を揺らしている女性が画面に映っている。聞いたことがある。今まで興味はなかったけれど。金色の猫と井上君の顔を頭に思い浮かべる。両手で握り拳を作り、キリッと眉を吊り上げた。私はソファから勢い良く立ち上がり、大きな声を出す。


「これだ!」


 そこから私はお菓子や漫画を買ったつもりで貯金するようにした。最初は全く上手くいかないし誘惑に負けそうになったが、そう言う時はグッと我慢するようにした。まあたまに我慢出来ず買っちゃう時もあるけど。何か良い方法ないかな。コンビニとか行くとついついお菓子とか見ちゃうんだよね。

 

 ところでたまに部屋から猫の鳴き声する気がする。気のせいだよね?凄く可愛い声なのになあ。



◇◇◇



 一ヶ月後。あれから少しずつ貯金箱の中身が増えて来た。道端の野良猫を気にするようになった。井上君とは特に進展はない。クラスメイトだから授業やクラスの活動とかでたまに話すけどね。それ以外でってなると、なかなか。ちょっと話して終わりだ。席も離れてるし部活も違うから……。うーん。金色の貯金箱を思い出す。本当に願いが叶うのかな?

 

 とある休みの日。日が真上にあり過ごしやすい時間帯。私は近所を歩いていた。さっきまで用事があり出掛けていて、その帰りである。私はスカートを揺らしながら、家へと向かっていた。

 

 不意に、ニャー、と言う猫の鳴き声が聞こえる。野良猫か飼い猫かな?姿を見たわけでもないので特に気にせず歩く。ふと道沿いの公園に目を向けると、同い年くらいの男子がベンチの近くでしゃがみ込んでいるのが見えた。気になって立ち止まる。その人は右手を伸ばしている。それにしても、あの後ろ姿見たことあるような……?近寄ってみた。


「よし、おいで。」


 その声に固まった。その人は聞いたことないような優しい声で、話しかける。自分にかけられた声じゃないのに、胸が押されたように苦しくなる。彼は影から飛び出して来た猫が逃げないのを見て、そっと撫でた。白猫だ、うわあ、可愛い……。じゃなくて。あれは。


「井上君?」


 私の声に、その人はバッと振り返った。運動部だけあり高い身長、黒のベリーショートの髪に整った顔付き。やっぱり、彼は井上君だ。私と目が合うと、彼は頰を赤くした。彼は焦ったように立ち両手を上げ、立ち上がった。首をブンブン、と横に振る。


「た、高橋!違う、これは……。」


 いや、そんなに焦んなくても……。苦笑いした。弁解する井上君の足元からニャー……、と言う低い声がした。彼と一緒に視線を下に向けると、猫が不満そうに彼の足に顔を擦り付けている。撫でられるのを中断されたからだろう、こちらを睨んでいるように見える。か、可愛い……。その様に笑顔が溢れる。彼の様子を窺うと、彼も顔の表情を崩している。彼は再びしゃがみ、猫を撫で始めた。猫は体を伸ばして寝転がり、ゴロゴロ……と喉を鳴らした。私はそっと近寄り、数歩離れた位置でしゃがみ込んだ。彼は頰を赤くしたまま、顔をこちらを向けて話しかけて来た。


「恥ずかしいところを見られたな。内緒にしてくれないか?」


 もう片方の手で頭を掻く彼に、私は首を縦に振った。別に恥ずかしいことじゃないと思うけどな。


「分かった。」


 それを見て、彼は顔を綻ばせる。ホッとした様子だ。その様に、私は首を横に傾けた。


「猫好きなの?」


「ああ。」


「そうなんだね。可愛いもんね。」


 井上君は目尻を下げて微笑む。私はそれに頷き、彼の手の先の猫に視線を向けた。あまり彼の顔を見ていると、赤面しそうになるから。

 

 私達は猫が飽きて去るまで、暫く猫と戯れながら話をした。そこから、彼が近くに住んでいることを知った。猫が好きだけど家では飼えないので、こうしてたまに野良猫と触れ合っているらしい。猫を撫でると、ふわふわで温かかった。


「じゃあ、高橋、また学校でな。」


 井上君はカラリと笑うと、片手を上げて去って行った。私は手を振り、彼を見送る。そして彼の姿が見えなくなると、頭を下げてしゃがんだ。頰に両手を当てると、熱いのが分かる。


「やっぱり、かっこいいな……。」


 暫くして、頰の熱が少し引いてから、立ち上がった。それにしても。ふふ、と笑いが漏れる。


「井上君、猫が好きなんだ。」


 新しい一面が見れて嬉しかった。


 ある日の昼休み。私は中庭の端の方で緑の上に腰掛けていた。そこで本を読んでいると、一匹の茶色の猫が尻尾を揺らして近寄って来た。そしてその子は膝の上に乗って来る。可愛い……、嬉しい。笑顔で撫でていると、近くから足音が聞こえてきた。そちらに視線を向け、現れた人物に目を瞬かせる。井上君だった。彼は目を爛々と輝かせて、こちらを──正確には私の膝の上の猫を見ていた。彼はいそいそと私の横に胡座を掻いて座った。ち、近い。私は固まった。目線を彼から猫にズラし、固定する。

 

 わあ、猫は可愛いなあ。

 

 現実逃避により撫で回した。


「膝の上に……猫。」


 井上君は喉をゴクっと鳴らす。視線は私の膝の上に向けたままだ。その様はまるで大好物を前に待てをする大型犬みたいだ。


「良いなー。俺の膝の上にも来てくんないかなあ。」


 井上君は羨ましそうに言った。

 

 そんな彼に私は瞬きをした後、茶色い猫をそっと抱き上げる。猫は身じろぎをして、私の腕に手を乗せた。そして、彼に差し出した。流石に彼の膝の上に乗せる勇気はなかった。彼は目を瞬かせる。


「え?良いのか?やった!」


 井上君は目を輝かせ、満面の笑みを浮かべる。ガッツポーズをして、サンキューと言った。そして、猫を受け取り、胡座を掻いた膝の上に乗せた。猫はニャーン、と鳴いた後、身じろぎをした。そして良いポジションを見つけたのか、目を閉じて丸くなった。彼はニコニコと笑っている。彼の周辺にお花が飛んでいるように見える。幸せそうだ。その様に、私も釣られて笑みを浮かべた。彼の手が猫の背中を撫でる。茶色い猫はゴロゴロ……と、喉を鳴らした。

 

 その後は、予鈴が鳴るまでポツポツと話をした。

 

 彼の膝の上にいるので茶色の猫を撫でないでいると、首を傾げられた。


「もう撫でないのか?」


 猫もこちらを見上げている。数秒してから恐る恐る撫で、すぐに止めた。恥ずかしい……。


「もう良いや。貴方が撫でてあげて。」


 手を退かして促すと、井上君は不思議そうに首を捻る。数秒後再び笑顔を浮かべて猫を撫で始めた。


 そこから学校で時々話をするようになった。ちなみに公園で会った時に話す話題はほぼ猫の話だ。

 

 ……猫の話をするのに丁度良い話相手だと思われてる気がする……。話せるのは嬉しいけど複雑。


 面白いことに気付いた!


 貯金を始めてから暫くして。前からたまに部屋から猫の鳴き声する気がしていたけれど、気のせいじゃなかった。

 

 普段は金色の貯金箱を触っても何の異変もない。でも100円玉を入れると、何と毎回猫の鳴き声がするのだ!ナーン、という高い甘えた声だ。しかもお金入れた直後に顔周りなどを撫でると、ゴロゴロ……という低い喉を鳴らすような音が聞こえる。可愛い!

 

 疑問に思い、貯金箱のあちこちを触ってみたものの、どこにも機械などはついていなかった。中は割らないと見えないし……。不思議だな。


 何にせよ、これからはもっとお金を貯めようと決意した。



◇◇◇



 二ヶ月後。井上君は猫が凄く好きと言うことは知っている。

 じゃあ、あの鳴く猫の貯金箱を見せたら喜ぶのでは?と言うことに気付いてしまった。とは言っても、学校に持って来るのも変だし、どちらかの、家で見せるのは無理。話すようになったとは言え、そこまでの仲じゃない。いや、家に行きたくないとか招きたくないとかって訳じゃないけど……。

 

 とにかく、それならスマホの動画撮って見せれば良いのでは?と思い付いた。


 早速、部屋を綺麗にして、明るい音楽をかけながら、ピロン、とスマホの動画を回す。


「これから貯金箱を撮影しますー。」


 カメラを覗き込み、大きな声で笑顔で言う。そして貯金箱を広げた右手で指し示した。同じ右手で机の上の貯金箱に100円玉を入れる。チャリン、と入れるといつものナーン、と言う高い音。更に背中を撫でると、ゴロゴロ……と言う音がする。


「こんな風に、猫の声が聞こえまーす。可愛いですねー。とっても不思議ー!」


 カメラの前に顔を出し、笑いながら明るいテンションでカメラに向かって話しかける。そして、また貯金箱だけを映す。暫く撫でた後、ピロン、と音を立てて動画を止めた。明日学校で井上君に声をかけて、見せてみようかな。喜んでくれるかなあ。明日が楽しみだ。

 

 次の日、東に太陽がある時間帯。授業の合間の休み時間。教室にいる井上君の近くに寄り、大きめの声で話しかけた。


「井上君。」


「高橋。どうした?」


 彼は私に気付いて振り向いた後、笑いかけてくれた。なるべく気にしないようにしながら話す。


「ちょっと廊下に来てくれる?見せたいものがあって。……猫みたいなものについてなんだけど。」


 小声で言うと、彼の黒色の瞳がキラリと光った。


「そっかそっか、見せたいものか、分かったー。じゃあ行こう。」


 彼はいそいそと立ち上がると、廊下に出た。後に続く。そして、彼と一緒に端の方に寄った。そして、彼は、笑顔で尋ねる。


「で、猫についての見せたいものって何?」


「ちょっと待っててね。動画なんだけど……。」


 ニコニコと笑う井上君に、私はスマホの電源を入れた。そして、すぐに見れるようにしていた動画画面を開く。これ、と言って彼にスマホを渡す。彼は視線をこちらに向けた後、動画を再生した。時間は数十秒と短いもので、彼は静かに見ている。動画はすぐ終わった。

 

 彼の様子を覗き込む。目尻が下がり、満面の笑みが浮かんでいた。彼は身体を震わせ、バッ、とこちらを向いた。彼は小声で叫ぶ。


「何、これ。貯金箱!?猫の声がしてる!これ、良いな!」


 スマホを持っていない左手を握り、軽く上下に振って興奮したように言う井上君に、私は笑い返した。喜んで貰えて何よりだ。


「この間家の中で見つけたんだ。調べたけれど、機械もないのに、猫の声がするの。可愛いよね。」


「良いなー、実物見てみてえ。」


「なら……。」


 続きを言おうとして慌てて口を右手で押さえる。首を横に傾け疑問符を浮かべる彼に苦笑して何でもない、と言った。やばい、家に来たらどう?と言うところだった。危ない危ない。


 それから彼は数回再生した後、スマホを返してくれた。とても満足そうだった。


「サンキュー。また今度見せてよ。」


「うん、またね……。」


 私は曖昧に頷いた。また今度?話す機会が増えたとは言え、私大丈夫かなあ。話が終わった後、彼の後に教室に戻ると、既に井上君は男女含めたクラスメイトに囲まれていた。人気者だなあ。私は苦笑した。

 

 それから公園で会うとお互いに野良猫などの猫の動画を見せるようになった。連絡先が聞けたらなあ。

 

 最近では公園で猫以外の話だけの日もある。徐々に仲良くなれてきたのかもしれない。嬉しい。



◇◇◇



 三ヶ月後。この頃になると学校でも私の友達と一緒に井上君や彼の友達と話するようになった。グループでいることも多い。学校で活動で組んだりすることが増えた。前よりも近くで彼の笑顔が眩しい。二人で話すこともある。最初に比べてたら凄い進歩だ。良いぞ、私。


 そんな中、午前中の休み時間。学校で、井上君に話しかけられた。


「高橋、連絡先交換しない?」


 え?私は驚き、目を丸めて彼の顔を見上げる。彼はスマホを掲げていた。彼は笑顔だ。嬉しいけれど。


「良いの?」


 私が首を傾けると、彼はカラカラと笑ってた。


「良いの?って俺が聞いてるから良いんだよ。はい、スマホ貸して。」


 電源を入れて渡すと、彼はピロン、と操作して連絡先を交換した。


「んじゃ、これからよろしく。」


 そう言って、スマホを返した彼はヒラヒラと手を振って去って行く。私はスマホを胸の前に握りしめたままぼんやりとそれを見送った。彼の連絡先を見て、徐々に顔を綻ぶ。やった!井上君の連絡先だ!嬉しい!私はニコニコと微笑んだ。

 


 ある日、学校から帰ってきてからのこと。何気なく机の上を見た。


 「あれ?」


 いつもあるはずの金の猫のフォルムが見つからない。どこ行ったの?ガサガサとあちこち探す。机の下、布団の上、棚の中、元々入ってたボックスの中とかにあるかも。リビングや他の部屋も見て探してみる。……何処にもない!どうしよう。お金半分くらい貯まって来たのに!ショックに愕然とした。

 

 一応両親にも聞いてみた。やっぱり知らないと言うことだ。もう一度自分の部屋を探してみたら?と言われた。自分の部屋に戻る。もう一回見てみるも、やっぱりない。はあー。肩を落としながら下のリビングに戻った。


「あった?」


 こちらを見て尋ねるお母さんに首を横に振る。彼女は肩を竦めた。


「まあ外に持って行ったわけでもないだろうし、そのうち出て来るわよ。お金が全くないわけじゃないんでしょ?」


 それには首を縦に振った。


「なら大丈夫でしょ。見つかるまでは何かにお金を入れときなさい。」


「はーい……。」


 それに力無く頷いた。何処行っちゃったんだろう……。目を閉じて金色の猫を脳裏に思い浮かべた。


 次の日。学校の部活が終わり帰ってきてからも少し貯金箱を探した。でも見つからずため息を吐いた。心の中は曇っている。机の上の茶色が殺風景に見えた。黄色い電気を点けて教科書を開く。勉強しようとするけれど、なかなか身が乗らない。そして暫くして、スマホが鳴った。この音は電話だ。その相手を見て、目を見開く。スマホを強く握りしめたまま叫んでしまった。


「井上君!?何で!?」


 そこには、「井上祐介」君と書かれていた。雲の中に太陽が差した。心臓がバクバクと鳴っている。私はワタワタと手を動かした。今は21時。こんな時間に、井上君から?尚も鳴るスマホに、私は深呼吸してから出た。


「もしもし……。」


「もしもし、俺、井上だけど。突然夜にかけてごめん。」


「良いけれど……。どうしたの?」


 私は両手でスマホを持ったまま要件を待った。ビデオ通話じゃないから赤くなってる顔は見えていないよね。


「実はさ……。」


 井上君は困ったような声で話し始める。それを聞いて雷に打たれたような衝撃が走った。いつも会う公園でこの間動画で見せた私の貯金箱らしき物を見かけたらしい。思わずえ!?と声を上げてしまった。実は昨日なくなったの、と言うと彼はやっぱり、と返す。


「この後通話切るから、確認してみてよ。違ったらごめんな。合ってたらいつもの公園に来てくれ。一応これ以上汚れないように拾っておくから。」


「分かった、確認してみる。……ありがとう。」


「ああ。じゃあまた。」


 そう言って通話が切れた。確認すると合っているみたいなので、返信する。そして私は教科書をパタン、と勢い良く閉じた。外に出る準備をして、両親に声をかけてから向かう。「いつもの公園」と言うセリフが何となく嬉しくて、笑顔になった。


 街灯があるとは言え大分暗い中、懐中電灯を点けて公園に向かう。そこでは電気の下、井上君がベンチに座って待っていた。暗い中に見えた姿といつもと違う状況に胸が高鳴る。彼はこちらに気付いて片手を上げる。彼の隣には貯金箱がちょこんと乗っていた。金色、猫の形。間違いない、私の貯金箱だ。

 

 私はありがとう、と彼に頭を下げてから貯金箱を持ち上げてあちこち確認した。よかった、あまり汚れてないし傷付いてない。持ち上げて、耳の横で振ってみる。ジャラジャラ……と言う音がする。よかった。割れてないし多分中身も減ってない、と思う。こちらに視線を向けている彼に笑顔で頷くと、彼も安心したようにため息をついた。


「やっぱり合ってるよ。中身も無事みたい。……本当にありがとう。」


「だよな。俺も貯金箱を見つけた時は驚いたよ。高橋のに似てる、って思って、電話したんだ。……良かったな。」


 目を細めて微笑む彼に、私は感動して大きな声でお礼を言った。


「ありがとう!」


「ああ。」


 井上君は笑って頷いた。そして、あそこに落ちていた、と奥を指差す。緑が有って、目立たないところにあった。聞いてみると、公園の近くに寄った時に暗闇の中に黄色い物が見えて、不思議で見に行ったみたいだ。その割には綺麗で良かったと思う。


「拾って、見といてくれてありがとう。誰か別の人が拾って持ってっちゃったかもしれないし。見つけてくれたのが井上君で良かったー。本当にありがとうね。」


 ニコニコと笑って言うと、彼は苦笑いして頭を掻いた。


「いや、俺も何も……。見てただけだし。」


「そんなことないよ。」


「そうか。」


 彼は穏やかに目尻を下げて頷いた。優しいし謙虚だ。やっぱり良いな。

 

 私はベンチの上に持って来た紙袋を置く。ビニール袋でも良かったけれど、念のため紙袋を持って来たのだ。そして貯金箱を割れないようにそっと入れる。ガサ、と言う音が鳴った。

 

 その後一人分空けて座り、暫く雑談をした。何だか落ち着かないな……。身じろぎする。夜になっても井上君に会えるなんて。頰が赤くなる。何で貯金箱が移動したのかと話したけれど、やっぱり理由は分からなかった。

 

 暫くして、彼はソワソワし出した。時々視線が紙袋に向いている。それに、どうしたの?と私は首を捻って尋ねる。彼は悪戯がバレた子供のようにビクッと身体を震わせた。そして苦笑いをして話し出す。


「実は、この間の動画見て、気になって。ついつい貯金箱を撫でてしまったんだ。」


 彼はそっと目を細めた。


「撫でると猫の鳴き声がした。動画を見た時も思ったけど、可愛いな。」


 頰を赤くする井上君の言葉に、私は固まる。え?それはおかしい。だって……。


「え、お金入れた時しか鳴き声がしないけど?」


 眉を顰めて言うと、彼は不思議そうに首を傾ける。


「俺が撫でた時は何も入れなくても鳴き声がしたけど?」


 ええー。私は口を開いて固まった。

 

 紙袋から一回取り出して、実際に撫でてもらうと、貯金箱からナーン、と高い鳴き声がした。ほら、とこちらを見る井上君。逆に私が撫でると、貯金箱は石のようにうんともすんとも言わない。

 

 ええー……。私は不貞腐れた。それを見てハハハ……、と明るく笑う彼。彼が笑ってるのを見れても私の心は曇ったままだ。私は眉を寄せて彼を見る。それを見て彼はごめんごめん、と言いつつ、より一層声を上げて笑った。

 

 最終的に私はため息を吐いて目線を逸らした。何で井上君が撫でた時だけなのさ。そりゃないよ。私はやや乱雑に金の猫を茶色い紙袋に突っ込んだ。

 

 彼は暫く笑い続け、治った後にもう一度謝った。ジト目で見る私に、彼は笑顔のままもう遅いからまた明日学校で、と言って立ち上がった。私も同じく立ってじゃあまたね、と返す。

 

 別れ際に考えると心の中で冷たい風が吹き始める。去り際に手を振ると振り返してくれた。後でちゃんとお礼のメールを送らないと。

 

 帰ったら金の猫を睨んだのは言うまでもない。優しく撫でても何の音もしなかった。不公平だ。私は猫を強めに指先で弾く。チン、と言う高い音が鳴った。

 

 先ほどよりも勉強にやる気が出た。やっぱり井上君のお陰だ。私は微笑んでスマホを見つめた。


 最近は、公園でも、猫以外の話をする日が多くなった。学校や趣味の話など、半々。動物番組以外のテレビの話題で盛り上がったりもした。


 少し前からたまに学校の外で会うようになった。友達同士集まって遊んだりしている。井上君がいる時はスキンケアや服装に普段より気を付けている。

 

 それに少し前から公園に立ち寄ると決めた時には着るものに気をつけてるようにしている。会うかもしれないし。……まあ偶然の場合はしょうがないけどね。


 夏休みに入った後も、友だちと一緒に遊んだりした。夏祭りも皆で行けて楽しかったな。井上君と二人きりにはなれなかったけど、花火も見れたし私は満足だ。……ちょっと残念だけどね。


 ある日、皆で遊んでいる時。私が井上君と話してるの見て友達が笑いながら揶揄って来た。彼女は私が井上君のことを好きなのを知っている。


「最近井上君と仲良いじゃん。皆で遊んでても二人で話してることあるし。ぶっちゃけ脈ありなの?」


 小声でニヤニヤしながら聞かれ、私は首を横に傾ける。うーん、どうかな。そう見えるのは嬉しいけど。でも。井上君の方を見る。彼は男友達と楽しそうに話している。


「うーん、どうだろうね。友達にはなれたけど、分からないや。」


 夏休みは遊びだけじゃなくて部活や大会、塾などもあってあっと言う間に過ぎていった。井上君とは遊び以外で文化祭の準備で学校に集まった時に会うこともあった。



◇◇◇



 五ヶ月後。夏休みが明けて、学校が始まった。もう秋のはずなのに、ジリジリと辺りには熱気がある。まだ紅葉は見られず、虫が元気に動き回っている。

 

 そんな時期のある日の夜。家で、100円玉を猫の貯金箱に入れる。いつも通り、ナーン、と言う猫の甘えた声がした。普段だったら撫でるところだけど、今日はやる気にならない。いそいそと金色の猫を中を覗いて見ると、すぐ近くまで銀色の硬貨が見える。持ち上げてみると、ずっしりと重い。軽く揺らすと、ジャラジャラと音がした。笑顔で机の上に置く。

 

 やった、ついに!


「やったー!とうとう貯まったー!」


 両手を握り、大きな声を出した。とうとういっぱいになった!嬉しい!ニコニコと笑みが止まらない。胸の奥がジーンとなった。この五ヶ月、苦労した!色々と我慢して……。達成感が凄い!私は貯金箱を見つめた。

 

 暫くして、笑顔が消える。

 

 何も起こらないなあ。紙の通りなら、願いが叶うはずなのに。井上君に振り向いてもらえるはずなのに。やっぱり嘘?そりゃないよ。

 

 口を尖らせ、貯金箱をつつく。ちょっと、何か起きてよ。貯金箱が揺れた、次の瞬間。


 ビカ!と貯金箱が光った。


「まぶし!」


 思わず両手で目を塞いだ。目が……。瞼を閉じても目の前が黄色い。少ししたら光が治まったのが分かるけれど、目がチカチカしてすぐ開けられない。もう、何なの……。十秒位してから瞳を開けた。数回瞬きをして、落ち着いてから貯金箱に目を向ける。


「え?」


 声が出た。

 

 そこには、何事もなかったかのように金色の貯金箱が鎮座していた。全然眩しくない。ええー……。脱力した。


「何なの……。」


 不貞腐れる。ジト目で見つめる私を、猫は知りませんとばかりに見返していた。


 やめたやめた。その後は貯金箱のことは気にせず過ごした。

 

 こんな貯金箱後で割って……、割る?

 

 不意に想像した。


 

ーーヒュ、バキィィィン!

 

ーー猫の形をした貯金箱に振り下ろされる灰色のハンマー!

 

ーーまん丸の金の猫の胴体が真っ二つ!中からザラリと大量に溢れる銀色!


 

 ……やめよ。

 

 想像したら胸が痛んだ。どうにかして割らずに取り出せないもんかなー。

 

 後で撫でたらゴロゴロという音がした。いつもだったらお金入れた時しか鳴らさないのに。より力を入れて撫で回した。

 

 明日も学校だし一応井上君の様子見てみようかな。未練がましいかもしれないけど。


 次の日。

 

 何かがおかしい。私は冷や汗を掻いた。幻覚か?笑えない。

 

 部屋を出て階段を降りたら、お母さんが変だった。普通の耳とは別に、頭上に生えていたのだ。


ーー黒い猫耳が。


 おかしいでしょ。何で猫耳?しかも垂れてるし。

 

 初めて見た時はその瞬間大声を上げてしまった。何あれ!?


「わあ!お母さん、何その耳!」


「どうしたの?泰子。大きな声を上げて。耳?」


 お母さんはびっくりしたように目を見開いた。普通の耳を触り首を傾げる。違う、そっちじゃない。私は彼女の頭上を震える指で差し示した。上、上。


「違う、上の……。」


「え?」


 お母さんは目線を上げ、頭の上に翳した。おかしい、触れない。手が猫耳を擦り抜けてる!?


「何もないわよ?」


 彼女は首を横に傾けた後、眉を寄せる。そして、じとりとこちらを見た。


「寝ぼけてるの?それより早く準備して、学校へ行きなさい。朝ごはん食べちゃって。」


「えー……。」


 洗面所を指差すお母さんに、私は困って立ち尽くした。彼女の頭上へとチラチラ視線を向ける。気になる。動かない私に彼女の目が吊り上がったのを見て、渋々そちらへ向かった。ええー、だって猫耳。


「え!?」


 私は洗面所で自分の顔を見て、小声で叫んだ。鏡に手を当て、顔を近付けて覗き込む。私の頭にも、猫耳が生えてる!?黒くて普通の三角の耳だ。ピクピクと落ち着きなく動いている。

 

 何で、お母さんだけじゃなくて、私にも!?

 

 全く笑えない。猫に生えてる耳は可愛いのに、自分に生えると全くそうは思えない。頭上で手を動かす。やっぱり何も触れない。鏡の中でも私の手は擦り抜けている。ええー……。口を一文字に結んだ。顔が引き攣っている。

 

 数秒鏡を覗き込んでいたが、学校に間に合わなくなるので、準備し出した。なるべく猫耳は見ないようにした。多分落ち着きなく動いているんだろうな。


 学校へと到着。来るだけで疲れた。はあー、とため息を吐いて机に突っ伏す。行くまでに見た全ての人間に猫耳が生えていた……。人によって耳が違うらしい。三角とか、垂れ耳とか。毛の長さの違いとか。茶色に染めたであろう人の耳は、黒と茶色が半々に混ざっていた。誰も気付いてみたいだ。

 

「どうしたの?朝からため息なんて吐いて。」


 眉を顰め心配して声をかけてくれた黒髪の長い女友達の頭にも、猫耳。


「授業を始めるぞー。」


 黒い短髪の男の先生の耳にも、猫耳。


 極め付きには、と休み時間にチラッと教室を見る。気のせいだと思いたい。でも、無理だ。

 

 秋になっても強い日差しが彼の顔を照らしている。整った顔付きの頭からはピン、と立った黒の三角の猫耳が生えている。もし本人に見えていたら喜んでいただろうか?猫好きだし。いや、生えてるのは自分にだし、男子だし嘆いていたかもしれない。


 ……井上君の頭からも、猫耳……。


 必死に目を逸らす。私は何も見ていない。彼の頭から、可愛い猫耳が生えている、だなんて!


 こんなのって、ないよ!


 想いを寄せてる人の頭から、猫耳って。ガックリと項垂れる。性格はともかく、整った顔付きや背の高い身長と猫耳が合わない。かっこいいし好きな人だったら何でも良いと言う人もいるかもしれないけれど、私は違和感しかない。

 

 何だか一気に冷めそうだ。もう良いんじゃないかな、望み薄そうだし。友達で。投げやりな気分になりそうだ。


 それから猫耳が見えるのは一週間続いた。見えなくなった時は安心してため息をついた。

 

 片想いの相手が以前にも増して話しかけてくれるようになったのは嬉しい。でも、ピコピコしてる猫耳が気になって仕方ない。しょっちゅう目線が上に向くので、井上君は眉を寄せ、首を傾げた。彼は頭上に視線を向ける。黒の三角の猫耳がへにゃりと伏せられた。


「どうした、高橋。何か俺の上にあるか?」


「いや、何でも、ないよ。」


 私は誤魔化すためにあははは、と苦笑いして頬を掻いた。それに井上君は疑問符を浮かべていた。


 それにしても、と目を閉じる。最初はショックを受けてたけれど、段々慣れて来た。猫耳だけじゃなくて井上君自身が可愛く見えて来た、なんて気のせいだよね。


 彼の黒い猫耳はピクピクと動いていた。



◇◇◇



 その後、2年に上がってから。井上君から告白されて、恋人になった。


 前に祐介君から「泰子、俺のことどう思ってる?」と聞かれた。その時に、かっこいいけど可愛い!と答えてしまった。ガックリされた。いやだって……ね。やっぱりあの猫耳のインパクトが強いよ。後猫に対する顔とか、うん。


 貯金箱に関しては、後で底に取れる口を発見した。今までどれだけ探してもなかったのに。割らずに済んだ、とホッとした。

 

 貯金箱が願いが叶えてくれたのかもしれない。帰ったらあの猫を撫でようかな。貯金箱にお金入れても声は聞こえなくなった。でも撫でるとたまに猫の鳴き声やゴロゴロ……と鳴る音が聞こえる。

 

 ……それにしても不思議だなあ。


 外を歩いている時、猫の高い鳴き声が聞こえた気がした。



──ニャーーーン

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― 新着の感想 ―
夢を叶えるにゃんこ。 逆に、高橋さんの頭に猫耳が生えたら。 井上君はどんな反応をしただろう? 不気味でドギマギ? 好きに可愛いが合わさって限界突破…? ふむ、次のステップへの後押しにはなるやも。…
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