星に想いをのせて
夜風が静かに吹き抜ける田舎町。
遠くの山々が夜空に溶け込み、漆黒のキャンバスには無数の星が散りばめられていた。
「流れ星に三回願いを唱えられたら、どんな願いでも叶う」
幼い頃の千夏は何度もその言い伝えを信じ、夜空を見上げた。
隣にはいつも蒼真がいて、二人で肩を並べながら流れ星を探したものだ。
「蒼真、お願いしようよ!」
「何を?」
「大人になっても、一緒に星を見られますようにって!」
と千夏は無邪気に笑いながらそう言った。
蒼真はその笑顔が大好きだった。
「……そうだな」
本当は、それだけじゃなかった。
――”好き“
でも、そんな想いを抱くことさえ、どこか気恥ずかしくて言えなかった。
だから、せめて千夏と同じ願いをしておこうと思った。
ずっと一緒にいられるなら、それでよかった。
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ーー時が経ち、大学生になった頃。
「千夏が入院した」
その知らせを聞いた瞬間、蒼真の胸の奥が冷たくなった。
大学の講義も、友人たちの声も、すべてが遠のいていくような感覚。
気づいたときには、地元へ向かう電車の中にいた。
病院に着くと、病室の扉を開ける手が震える。
「久しぶりだね、蒼真」
ベッドの上で微笑む千夏は、驚くほど痩せ細っていた。彼女の頬は青白く腕も細くなっていたが、その瞳だけは昔と変わらず輝いていた。
「どうして、もっと早く言わなかったんだよ……」
千夏は少し困ったように笑う。
「だって、また星を見ようって約束したかったから」
「馬鹿かよ......」
そんな約束より、もっと大事なことがあるだろ。
言いたかった。でも、言えなかった。
「ねえ、覚えてる? 子どもの頃の約束」
「……流れ星に願いをかけたやつか?」
「そう! 大人になっても、一緒に星を見られますようにって」
「ああ……覚えてる」
蒼真は、視線を逸らした。
あの頃の願いは、叶ったのか?
いや、違う。
俺が願ったのは、“千夏がずっと隣にいてくれること” だった。
でも、叶いそうになかった。
それを認めるのが怖かった。
「今夜ね、流星群が見られるんだって」
千夏が楽しそうに言う。
「……じゃあ、一緒に見るか」
「うん!」
蒼真は、彼女の手をそっと握った。
彼女の手は、ひどく細く、儚かった。
病院の屋上は、思ったよりも風が冷たかった。
千夏が小さく震えたのを見て、自分のジャケットを脱ぎ、無言で彼女の肩にかける。
「ありがとう。でも、蒼真こそ寒くない?」
「俺は平気。……それより、ちゃんと歩けるのかよ」
「もう、心配しすぎ。ちゃんと歩けてるでしょ?」
千夏はいたずらっぽく笑って、屋上のフェンスまで小さな歩幅で進んでいく。
蒼真はその後ろ姿をじっと見つめた。
夜空には、無数の星が瞬いていた。
「わあ、すごい綺麗……」
千夏が感嘆の声を漏らす。
見上げると、夜空いっぱいに広がる星々の間を流れ星がいくつも横切っていた。
「本当に流星群、来てたんだな……」
「ねぇ、蒼真、お願い事しようよ」
千夏が笑いながら言う。
「願ったって、意味ないだろ」
「そんなことないよ。昔、二人でお願いしたでしょ? 大人になっても一緒に星を見られますようにって」
「……ああ、したな」
「叶ったじゃん」
千夏は嬉しそうに言うけれど、蒼真は素直に頷けなかった。
たしかに今、一緒に星を見ている。
けれど、これが最後かもしれない。
そう思うと、胸の奥が締めつけられるようだった。
「なぁ、千夏……お前は、何を願うんだ?」
「んー……」
千夏は少し考えて、優しく微笑んだ。
「蒼真が幸せになりますように、かな」
「……バカ言えよ」
「本気だよ?」
千夏は少し寂しそうに笑った。
蒼真は、喉の奥が詰まるのを感じながら空を仰ぐ。
流れ星がまた、一つ消えていく。
――俺の願いは、叶うのか?
願うなら、一つしかなかった。
”千夏が生きてくれますように“
けれど、それを口にするのは怖かった。
「……蒼真?」
「……いや、なんでもない」
千夏はまた少し寂しそうに微笑んで、夜空を見上げた。
蒼真は、その横顔を見つめる。
今すぐにでも抱きしめたかった。
”好き“だと伝えたかった。
でも、それを言ってしまったら終わりが近づいてしまう気がして言葉が喉の奥でつかえた。
流れ星が、一つ、また一つと夜空を横切っていく。
願いを唱える時間は、まだ残されているだろうか。
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流星群を見た翌日、蒼真は病室へ向かった。
外は冷たい雨が窓を打ちつけていた。
けれど、その扉を開く前に看護師が慌ただしく出てくるのが見えて嫌な予感がした。
蒼真は駆け出した。
「千夏!」
声が震える。
胸の奥に冷たい何かが突き刺さるような感覚。
千夏は薄く微笑んで、かすれた声で言った。
「……ごめんね。また……一緒に星を見たかったのに」
「謝るなよ……バカ」
「ねえ……最後に、もう一度お願いしてもいい?」
「……なんだよ」
「流れ星が見えたら、願ってくれる?」
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静まり返った病室。壁に掛けられた時計が、無機質に秒針を刻む。
窓の外には、遠くの街明かりがぼんやりと瞬いている。
蒼真は千夏の手を握りしめたまま動けなかった。
「……千夏?」
呼びかけても応えはない。
千夏の手はまるで雪のように冷たくなっていた。
「おい、嘘だろ?」
彼女の肩を揺さぶる。でも、千夏はもう二度と目を開けてはくれなかった。
「なんで、お前が先に逝くんだよ……」
「どうして、昨日みたいに笑ってくれねぇんだよ……っ」
唇を噛みしめた。涙がこぼれそうになるのを必死でこらえる。
「俺だって……ずっと一緒にいたかったんだよ」
込み上げる後悔に喉が焼けるようだった。
どうして伝えなかったんだろう。
どうして「好きだ」って、あのとき言えなかったんだろう。
千夏が笑うたび、心の奥でずっと思ってたのに。
「好きだったんだよ……お前のことが……ずっと…...」
掠れた声が虚しく夜に溶けていく。
千夏はもう、どんな言葉も受け取れないのに。
それでも、蒼真は彼女の手を離すことができなかった。
その時一筋の流れ星が瞬いた。
――願い事しなきゃ、蒼真。
そんな千夏の声が聞こえた気がして、ハッとする。
「……願ったって、意味なんかないだろ」
そう呟いたのに気づけば目を閉じていた。
そして、心の中で願う。
流れ星はゆっくりと尾を引きながら消えていく。
まるで千夏が微笑んでいるようだった。
夜空の星は、変わらず優しく瞬いていた。