ヴァンパイアの夜襲⑤
ノエラの天能〈吸血〉を手に入れてから1日が経過した。
ふう、宿屋で1日ぐっすり眠ったから気分が良いなあ。体の調子も良い。
「行くか」
この町、フレームーンともお別れだ。次の町へ向かおう。
「――待ってヘルゼス!」
この高い声、ノエラか。
振り返ってみれば籠を持ちながら走る彼女が目に入る。
「何か用かい?」
町の入口までわざわざ走って来たんだ。用事があるんだろう。
もしかして僕の見送りにでも来てくれたのかね。
「はあっ、はあっ、会えて良かった。封印のお礼にパンを焼いたから、食べてよ。両親の仕事は子供の頃から傍で見ていたし、作り方は問題ないはず。味は美味しいはずだから」
「良い匂いがすると思ったらパンか。ありがたく受け取ろう」
昼食までには時間がある。町の外を歩きながら食べよう。
「ねえ、この町に残るつもりはないの?」
「ないね。なぜそんなことを訊く」
「……まだ恩を返しきれないから」
恩か、感謝されるのは嬉しいが。
「気にしなくていい。僕はやりたいことをやっただけだ」
そう、僕はやりたいことをやった。
ノエラが呪いと呼ぶ天能〈吸血〉を奪ったのも、自分の欲に忠実に動いたからにすぎない。僕は善人じゃないんだ。彼女を助けたいと思っての行動じゃないんだから、恩返しなんて考えなくてもいい。
「次はどこへ向かうの?」
「サントペテンかな」
サントペテンは近くに鉱山が多くある町らしい。地図を見たが、この町から行くには山越えしなきゃな。徒歩じゃ少し遠いね。
この町に来る前に会った商人……名前は忘れたが、彼が行くと言っていたっけ。うーん、興味ないことはすぐ忘れてしまうんだよな。もう名前どころか顔も覚えていない。性別も男だったか自信がなくなってきたぞ。
「君はこれからどうするんだ?」
晴れて呪いが解けたんだ。ノエラもやりたいことをやれる。
「……私、両親のようにパン屋をやりたいの。だけど、私には出来ないかも。両親は世界一のパンを作るのが夢だった。その夢を私は、命ごと奪ってしまった。両親は私を恨んでいる。私にはパン屋を継いでほしくないと思う」
「いや、君の親は恨んじゃいないと思うよ」
「な、何を言って……テキトーなこと言わないで」
「君が暴走して親を襲ったのは家の中なんだろ。それにしてはあの家、破壊の痕跡がない。普通誰かに襲われたら抵抗して争いになるはずなのに、争った痕跡がない。事件が2年前とはいえ争いの痕跡が全くないのは不自然だ。これが何を意味するか君に分かるか?」
「……抵抗……しなかった?」
「君の親は呪いの話を知っていたはず。君の異常な行動も呪いのせいで、抵抗しなければ殺されると理解しただろう。それでも夫妻は抵抗しなかった。最愛の娘を傷付けたくなかったんじゃないかな」
僕は当然真実を知らない。ドーランドル夫妻が何を思っていたかなんて分からないし、本当は抵抗する間もなく殺されたのかもしれない。何も知らないからこそ自由に想像出来る。悪い想像よりも良い想像をした方がノエラも心が晴れるだろう。
僕が告げたのは推測だがありえる話だと思う。
夫妻を両方同時に襲うのは不可能。夫妻のどちらが最初に襲われたのかは不明だが、確実に1人は襲われるまでの時間がある。逃げず現場に留まった理由があるはずだ。今となっちゃ誰もそれを知ることは出来ないがな。
「……それが本当だったら、馬鹿だよ。死なれたら傷付くに決まってるじゃん。家族なんだから。私にどんな傷を負わせたとしても生きてほしかった」
「子供のことを1番に考える、良い親馬鹿さ」
静かにノエラが泣き始める。
「私、両親のパン屋を継ぐ。両親の夢は私が叶える。世界一のパンを作ってみせる。もし世界一のパンを作れたら、最初はあなたに食べてほしいな」
「期待して待つよ。世界一美味しいパン、是非食べたいからね」
「うん、待ってて」
手に持つ籠から漂う匂いは香ばしい。店を出すのに十分な技量は持っていると考えていいだろう。しかし世界一という目標は達成困難。達成出来るのは数年、数十年後かもしれない。それでも世界一美味いパンが味わえるのなら待つ価値はある。
「そろそろ出発するよ。また会おう、ノエラ」
「うん、またね。ヘルゼス」
またいつかこの町、フレームーンを訪れようじゃないか。
次に訪れるのは、この町に世界一のパン屋があるという噂を聞いた時だ。




