ヴァンパイアの夜襲③
厚みが薄ければ内容も薄い。それよりも気になるのは絵本に出た英雄。
キレル・ドーランドル。偶然か、2年前ヴァンパイアに襲われて死亡した夫婦の姓もドーランドル。無関係とは思えない。もし絵本が実話だとすれば、被害者は英雄の子孫だったと考えられる。ヴァンパイアに会ったら聞きたいことが増えたな。
さて、もうノエラが起きたかもしれないしドーランドル家に戻ろう。
小さな図書館からドーランドル家へ移動。先程と同じように扉をノックする。
今度は起きているな。家の中から誰かが歩く音が聞こえる。もっとも、耳が良い奴じゃなきゃ聞こえない程度だがね。僕の場合、天能〈感覚強化〉で五感が強化されているおかげだ。
家の扉が開いて黒い長髪の女が顔を出す。彼女がノエラか。
「どちら様ですか?」
「初めまして。僕の名はヘルゼス・マークレイン、冒険者さ」
「……ヴァンパイアを討伐しに来たんですか?」
「いや、僕はヴァンパイアと話をするために来た。討伐出来るならしようと思っているがね。君には2年前の事件について教えてもらいたい。どんな些細なことでも構わないよ」
「中へ入ってください。お茶でも飲みながら話しましょう」
「おおありがたい。じゃあ遠慮なく」
家に入って目にしたのは多くの棚。パンを並べればパン屋だな。
両親が死んで店を閉めたのに、商品を置く棚は当時のままか。しかもシャッター同様掃除が行き届いている。もう使わない場所だろうに、ここまで綺麗に掃除をしているとは感心する。
会計用スペース奥には薪釜のある部屋があり、階段で2階に繋がっている。ここはパンを作っていた部屋か。やはり清潔だ、埃すら見えない。
2階の部屋に上がった僕は椅子に座り、ノエラとテーブル越しに向かい合う。
「話と言っても、私から話せることは少ないですよ。ヴァンパイアの姿は見ていませんから容姿も分かりません。2年前ですし声も覚えていません。性別は女性だという噂ですね」
「覚えていないのは仕方ない。事件は2年前だからな、記憶も薄れて当然だ。しかし君はなぜ襲われなかったんだろう。なぜヴァンパイアは君の親だけを殺していったんだろうな」
「父と母に言われ、私はクローゼットの中に隠れていたんです。悲鳴だけが聞こえてきて怖かったのを今でも覚えています。音がしなくなってからクローゼットを出てみたら死体がありました。血を吸われつくし、干からびた父と母の死体が」
「そこのクローゼットか?」
「ええ」
現場はここか。この部屋にドーランドル夫妻の死体があったと。
部屋に破壊の痕跡がない。壁や天井が壊れて修理しても僅かな痕跡が残るはずだ。ヴァンパイアは律儀に階段で上がって来たってのか。家を壊して襲撃したのかと思いきや、玄関から普通に入って来たってことか。そして暴れることはなく、速やかにドーランドル夫妻を吸血して去ったと。
「中に入ってみてもいいかな」
「……え? えっと、どうぞ。服は汚さないでくださいね」
クローゼットの中には女物の服が多く入っていたが強引に体を入れる。
扉を閉めれば真っ暗だな。扉の隙間から僅かに光が入るが、これでは何も見えない。残念なことにヴァンパイアの情報をノエラから得るのは無理そうだ。他に訊くべきことといえば……図書館で閲覧した絵本くらいか。
クローゼットから出た僕は再び椅子へと腰を下ろす。
「ヴァンパイアについてはもういい。他にも気になることがあってね。少し前、図書館で絵本を読んだんだ。タイトルは『伝説のヴァンパイアとスタードールの英雄』。その絵本に出て来る英雄の名前はキレル・ドーランドル。偶然か、君の姓もドーランドルだろう。何か繋がりでもあるのか?」
「あの絵本は1000年以上も前の実話だと聞いています。本当なら私はキレル・ドーランドルの子孫になりますね。残念ながら、キレルのような剣の才能はないですけど」
「そうか、やはり実話か」
かつてヴァンパイアを倒した英雄の子孫が襲われたとなると、様々な状況が考えられる。実は伝説のヴァンパイアが生きていたとか、その子孫が恨みで襲って来たとかな。
しかし気になるのはドーランドル夫妻以降の被害。
英雄の子孫だけを襲ったなら恨みや憎しみで納得出来る。だがそれ以降は余所者しか狙われていないし、誰も殺されていない。なぜ英雄と同郷でさえない余所者を狙うんだ。被害者には余所者以外に共通点でもあるのか? 僕は何か見落としているのか?
「なあ、ヴァンパイアが現れるのは夜だけなのかい?」
「そうですね。町の外から来た人が夜に襲われているので」
分からないことを考えても無意味だ。詳細は本人に訊けばいい。
今夜だ、今夜ヴァンパイアに会って真実を確かめてやる。
* * *
日は完全に落ち、月が夜闇を照らす。
人々は寝静まった頃だろう。町は静寂に包まれている。
僕が1人で立つのは道のド真ん中。早く襲えという雰囲気を出す。
いつでも来い。誰かが近付けば天能〈気配察知〉ですぐに分かる。
さらに天能〈視界確保〉により闇の中でも昼と変わらずよく見える。
「やっと来たか」
後ろから音もなく近寄って来ようが分かるんだよ。
振り返ってみれば、そいつは居た。体を覆い隠す黒いマントのせいで性別は分からない。顔も不気味な仮面で隠している。長い髪と狭い肩幅から考えて、華奢な女性の可能性があるな。
まずは会話を試みよう。言葉や声からは様々なことが分かる。話に付き合ってくれるか分からないが、そもそも僕の目的は会話出来なければ達成出来ない。絵本のヴァンパイアは話していたし、あれが実話なら会話は成立するはず。
「自己紹介といこう。僕の名は――」
ヴァンパイアが無言で走って来た。
無視して接近だと!? 僕とは話したくないということか?
黒いマントが揺らめき、中から細い腕が飛び出て来る。
中々速いが……僕の方が速い。殴打は問題なく回避出来る。
おっと、連続で殴打を繰り出して今度はジャンプ蹴りか。危ない危ない。
あの黒いマント、夜だと暗闇に紛れるし、体を覆い隠す長さだからどこから攻撃して来るのか分かりにくい。身体能力が想像より高くないとはいえ、夜はこいつに有利な空間。僕以外なら苦戦も仕方ないな。仮に強い冒険者が挑んでも倒すのは難しいだろう。
残念ながら僕相手じゃ相性が悪すぎる。
暗闇に紛れても〈視界確保〉で丸見え。攻撃を悟らせにくいマントは厄介だがそれだけだ。身体能力はいくつもの天能で強化された僕の方が上。冷静に戦えば攻撃の防御も回避も問題ない。
そちらが攻撃して来るのなら手刀で返り討ちだ。
ヴァンパイアの攻撃を避けつつ不気味な仮面を手刀で切り裂く。
慌てて後ろに跳んだんだろうが既に遅い。仮面は真っ二つに割れる。
「近付くとは判断を誤ったな。天能〈鋭利化〉、僕の体は全身刃物と思ってくれていい。さあ、どんな顔をしているのか見せてもらおう。顔を合わせて改めて挨拶といこうじゃないか」
顔を両手で押さえて隠していたヴァンパイアはゆっくりと手を退ける。
「……な、何?」
ヴァンパイアの顔は知った顔、というか今日見た顔だ。
口元に牙が見えるが彼女はノエラ。ノエラ・ドーランドル。
「馬鹿な。ノエラだと? まさか、吸血事件は君が起こしていたっていうのか? 最初から全て君の仕業なのか? 分からない。いったいなぜ?」
「ついに、バレちゃったか」
またしてもノエラが殴りかかって来た。懲りないな。
逆に僕は彼女の腕を掴んで背後に回り押さえ込む。
無理に動こうとすれば骨が折れると察したのか彼女は大人しくなった。
「無駄だ無駄無駄。君じゃ僕に勝てない。大人しく事件の真実を話してくれないか? 昼前にはなかったその牙のこととか、親と余所者を狙った理由とかね」
「……分かったよ。全部話す」
「言っとくが、もし次襲ってくれば手足の骨を折るぞ」
「襲わないって。勝てないの分かったし」
信じよう。腕を放してノエラを自由にしてやる。
聞かせてもらおう。2年前から続く事件の真相を。