新たな大陸へ
森人族は今僕が居る大陸には居ない。
スタードール王国のあるサイゴス大陸は十分に見て回った。未知を求めるなら別の大陸へ移動する必要がある。サイゴス大陸の隣にあるとされるエライド大陸へ渡るのだ。別の大陸へ渡ると思うと少し興奮する。
地図によれば関所は近いはず……だが、視界に映るのは岩壁と草原のみ。
視界に入りきらない巨大な岩壁が広がっている。
おそらく、このサイゴス大陸を囲むように広がっている。
僕達を閉じ込める檻のようにも思える。
あの岩壁を越えるのは苦労するな。
「リフレ、君は別の大陸から来たんだろ。関所はどこにある」
森人族の国がサイゴス大陸にないし、彼女が住んでいたのは必然的に他の大陸となる。
「えーっと、あ! あれですよあれ!」
彼女が指を伸ばした方向を見ると、岩壁に白い道が見えた。
おいおい、地図書いた奴はもっと分かりやすく書いてくれよ。
地図には海が書いてあるのに実際は岩壁。しかも関所が岩壁に埋まっちまってるじゃないか。地図だけじゃなくて関所造った奴にも文句言いたくなるぞ。
馬車が2台通れる程度の広さしかない白い道。
岩壁に埋まる関所へと続く道は山よりも高く伸びていた。
面倒だから〈神速〉で一気に登ろう。
普通に徒歩で登っていたら日が変わっちまうよ。
そうして登りきって、振り返れば高所からの緑溢れる良い眺め。遠くにはグリーンドラゴンと戦った山も見えるな。今までの旅路が自然と頭に浮かんでくる。
岩壁に埋まった白い関所の扉を開ける。
意外と中は清潔だ。埃も汚れもない。
しかし、誰も居なかった。
関所に誰も居ないなんてありえるか?
何の為の関所だよ。
誰も居ないなら勝手に通るぞ。
「なっ!? こ、これは……」
奥の扉を開けた瞬間、目に飛び込んだのは青。
太陽光を浴びて煌めく水面。
風で小さな波が立ち、すぐに消える。
「……海。これが、海か」
大きな湖なら見たことはあるが、比べ物にならない広さだ。
深さは? 広さは? 味は? 温度は? 暮らす生物の数は? 疑問が溢れてくる。
「ヘルゼスさんって海を見るの初めてなんですか?」
「ああ。川や湖ならあるが、海は初めてだ」
「じゃあ橋を渡りながらゆっくり眺めてください。私も初めて海を見た時は感動しました。この広大さ、大量の魚、まるで世界規模の生簀。お魚捕り放題ですからね」
「生簀……その発想はなかったな」
海上に1本の大きな鉄橋が伸びている。
エライド大陸まではこの橋で渡れということか。
橋を支える柱は海に漬かっているし、海底に刺さっているんだろう。強度は問題なさそうで安心した。いきなり橋が崩れるなんてことになったら心臓に悪いからな。
「行くぞ」
「はい」
終わりの見えない鉄橋を歩き出す。
べたつく風が吹く。違和感があり肌を指で擦ると、白い粉が付着していた。塩か。海水は塩分が高いと本で読んだが、まさか風で塩が飛ぶ程とは。想像以上にこの海は塩分が濃いらしい。
「ヘルゼスさん」
「何だ」
「暇です。もう〈神速〉で渡っちゃいましょうよ」
「さっきはゆっくり眺めてくれと言わなかったか?」
「だって……暇ですし」
「……あと数分はゆっくり眺めさせてくれ」
まあ気持ちは分かる。
リフレにとって海は珍しくないもので、眺めても退屈なんだろう。僕がただの草原や山を見ても退屈なのと同じだ。見慣れた物には感動出来ないからな。僕も次に海を見る機会があったら、今回程に興味を持てないだろう。
おっ、魚の群れが海面を跳んだ。そして大きな白い鳥が空から急降下して、跳ぶ魚を見事に足で捕獲する。食物連鎖か。どこでも似たようなことが起こるんだなあ。
「よし、橋を〈神速〉で渡ってしまおう」
「え? もう海を見なくていいんですか?」
「いいさ。今しか見られない景色じゃないしな」
実際のところ満足はしていない。
もっと広大な海を眺めていたい。
1人なら歩いて橋を渡っていただろうが、今は旅仲間が居るからな。退屈は敵だ。リフレにも旅を楽しんでもらいたい。海を見てつまらないと思うなら、彼女のために先を急ごうと思ったまでだ。
鉄橋を〈神速〉で渡りきり、草原に足を踏み出す。
エライド大陸側には関所が無いんだな。尚更あの無人関所の存在意義が分からない。まあ関所が無ければ通行は楽だし、無くても僕は困らないがね。
それにしても深緑の草原か。
サイゴス大陸では若草色が多かったな。
地面に生えているこの深緑の草、今までに見たことがない種類だ。屈んで注視してみれば分かる。生命力が溢れている。触れてみると硬く、千切ろうとしても簡単には引き千切れない。
強い草だ。なぜこんな強い草が生える。
環境はサイゴス大陸と変わらなそうなのに。
「どうしたんですかヘルゼスさん。草なんて触って。お腹空いてるんですか?」
「見たことない草だったから興味が出たんだよ。とりあえず人が住む場所へ行こう。この大陸の地図はないから歩きながら探すぞ。君が村や町の方角を知っているなら話は別だが」
「いやー、覚えてないです。すみません」
「謝らなくてもいい。奴隷は必要最低限の情報しか与えられなかっただろうし」
深緑の草原をリフレと共に進む。
この草原を歩くと靴が草に引っ掛かる感覚がある。
まるで刃物や棘の上を歩いているようだ。
「いたっ」
リフレが顔を歪めて立ち止まった。
「どうした?」
「足裏に痛みが……」
「靴に棘でも刺さったか?」
リフレが僕の肩に掴まりながら靴を脱ぐ。
棘が刺さったなら靴裏だな。見てみよう。
「なっ、何だこの傷」
靴裏は刃物で斬られたようにボロボロだった。
傷が深く裂けている部分まである。
長く同じ靴を履いていたとはいえ、ここまでボロボロにはならないだろう。
異変はこの草原を歩いてからだ。
まさかこの傷、地面に生えた草が原因なのか?
バカな、草だぞ。草で靴が切れるのか?
「うわっ。足、切れちゃってます」
リフレが右足の裏を確認すると切り傷だらけだった。血が滲んでいる。
まさか僕の足も傷だらけになっちゃいないだろうな。
靴は……うっわ、切り傷だらけじゃないか。
靴下も傷だらけでもう履けないぞ。
足裏は大丈夫だな。傷はない。
僕の体は頑丈だから傷付かなかったのか。
確定だな、深緑の草が原因だ。
硬い草だとは思っていたが、まさか靴が切れてしまう硬度だとは思わなかった。
自然の罠だな。誰が予想出来るんだこんなの。
「仕方ない。背中に乗れ。僕は問題ないから」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
靴下と靴を履き直したリフレが僕の背に乗る。
……背中に柔らかく広がる感触。手で持つ彼女の太ももも柔らかく、触れていると気持ち良い。耳にかかる吐息がくすぐったい。今までで1番密着しているな。女性に慣れていなければ理性が吹っ飛ぶだろう。
「ヘルゼスさん、エロいこと考えてますね?」
「考えてない」
「胸や太ももを揉みたいとか」
「考えてない」
「本当に?」
「考えてない」
「……少しはエロいこと考えてくださいよー。私可愛いでしょー」
まあ、美女なのは間違いない。
胸は大きく、腰はくびれて細く、顔は美しい。
大抵の男に好かれる容姿だろう。実際、町でリフレに向けられる性的な目は多かった。恋人だと思われたのか僕には多くの嫉妬の目が向けられた。そういえば、意外にもノーム王子は負の感情を向けて来なかったんだよな。
「あっ、もしかして……男色家」
「落とされたいのか?」
「でも興味本位で男とセック――」
「落とすぞ」
「ごめんなさい」
僕はゲイでもバイでもない。性的指向は女性だ。
思わずため息が出る。とりあえず歩こう。
*
深緑の草原を歩き続けて1時間は経っただろうか。
歩いてみて分かったが、この草原、草に隠れて沼地が点在している。さらに沼は毒沼だ。試しに靴の先端で触れてみたら若干溶けてしまった。肉体なら天能〈再生〉で元通りになるが、自分以外の物体は再生出来ない。自分以外も再生出来たら便利なんだがな。
仕方なく、今は細心の注意を払いながら歩いている。
――そして、この草原で注意するべきことがもう1つ。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
「キョアアアアアアアアアアアアアアアア!」
あれだ。モンスター同士の争い。
遠くから2体のモンスターが戦いながら近付いて来る。
金色の体毛を全身に生やす巨大猿。
羽と腕が一体化している赤き巨大鳥。
僕なら大抵のモンスターに勝てるが、今は状況が悪い。
リフレを背負っていて、両腕は彼女を支えているせいで使えない。僕が多用する天能〈鋭利化〉も今発動したらリフレがバラバラになってしまう。つまり蹴りだけで戦うしかない。
雑魚なら足だけで倒せるんだが、どうもこの草原のモンスターは強いんだよな。グリーンドラゴンよりは劣るが近い強さを持っている。リフレを背負ったまま戦ったら確実に苦戦する。モンスターを見かけたら逃走1択だ。
2体のモンスターから〈神速〉で離れ、また歩いて南下する。
さらに1時間は歩いた気がするが、未だに視界は深緑の草原と青い空のみ。どれだけ歩けば景色が変わってくれるんだろう。
「……ん? あれは」
またモンスター同士が争っているのが見える。
大きく曲がった牙とトサカの生えた豚。
王冠を頭に乗せた人型の蝙蝠。
モンスター2体が争っているだけなら何度も見た光景だが、今回は違う。人間だ。人間も戦っている。この大陸へ来てから初めて会う人間だな。人を見つけられただけでとても嬉しい。
上半身裸の男だ。頭には獣らしき頭蓋骨を被っている。刃物のように鋭い草原を裸足で走り、モンスター達を拳で攻撃していた。稀に雄叫びを上げている。
「ヒャッハッハアアアアアアアアアアア!」
5メートルはある豚型モンスターを男は殴り飛ばす。
凄まじい腕力だ。豚型モンスターが吹っ飛び、倒れて動かなくなる。
動きも速い。人型蝙蝠が上空から襲い掛かると男が跳躍した。爪を躱し様にすれ違い、互いの高さは逆転。男が人型蝙蝠の脳天を殴りつけると、人型の蝙蝠は縦に3回転して地面に陥没する。豚型モンスター同様停止したので絶命したのだろう。
「ウオッシャアアアアアアアアアアアア!」
モンスター2体を倒した男は雄叫びを上げた。
……あれ、まともな会話が出来る相手かな。
話しかけた瞬間に襲われる可能性あるぞ。
どうする。話しかけるか、無視するか。
彼の強さは未知数。戦闘は危険だが……エライド大陸の情報が少しでも欲しい。現地人なら人が住む場所も知っているだろうし、地図を持っているかもしれない。多少のリスク承知で話しかけに行くべきだな。
「すまない、少し話を聞かせてくれないか」
「んお? おお誰だお前等。ここは危ねえぞ。帰れ帰れ」
「僕はヘルゼス。背負っているのはリフレ。旅する冒険者だ。サイゴス大陸から来たんだが、エライド大陸の地図は無いから困っていてね。人が住む村か町の情報を教えてくれないか」
「なるほどそういうことか。じゃあ地図をやるよ」
意外と話が通じるタイプなんだな。
拳で語る的な人間かと思っていた。
「ありがとう。助かる」
これがエライド大陸の地図か。現在地どこだろう。
「因みに今俺達が居るのはここだぜ。魔刃草原」
地図のどこに僕達が居るのか男が指で教えてくれた。
魔刃草原。エライド大陸の最北端だな。
南に進めば学問都市スペルディオという町がある。
一先ずはこの学問都市とやらを目指そう。
しかし、広いな魔刃草原。
大陸の3割はこの草原だ。
「おっと、まだ名乗ってなかったなあ。俺の名はリタル。サイゴス大陸の冒険者ギルド、マスターランクの1人。リタル・リボーンだ! よろしくな同僚!」
「なっ」
「ええ!?」
サイゴス大陸の冒険者、しかもマスターランクだと?
リタル・リボーンという名は聞いたことがある。異名は『不命』。どんな傷を負っても動き続けることから不死身なんて噂もある。異名の由来もその噂だろう。まあ実際に不死身かは置いておき、戦闘を見るに純粋な身体能力だけでもマスターランクに相応しい実力者だ。
しかし妙だな。なぜサイゴス大陸の冒険者がエライド大陸に居るんだ。僕も来ているが、僕とリタルでは立場が違う。マスターランクは国を守る最高戦力。スタードール王国どころか大陸まで離れて良いわけがない。
「いいのか? 別の大陸に来て。マスターランクは多忙だろ」
「だからお仕事中なんだぜ。魔刃草原のモンスターの数を減らす仕事」
「それはこの大陸で活動する冒険者の仕事じゃないのか?」
「エライド大陸の冒険者にゃ関係ねえのさ。襲われる心配がねえんだ。魔刃草原のモンスターはなぜか南に行かねえ。北、サイゴス大陸の方へ行く。数が増えると厄介だから偶に数減らしに来るんだ」
「そうなのか。大変だな。広い草原で単独モンスター退治とは」
リタルにはパーティーメンバーが居ないと聞く。
魔刃草原のモンスターは強いし、1人で倒し続けるのは大変だろう。
しかし、なぜ魔刃草原のモンスターはエライド大陸の人間を襲わないんだろうか。不思議だ。なぜか知りたいが、モンスターは喋らないし分からないな。モンスターの思考が読めたら分かるんだが。
「町まで護衛してやろうか? モンスター強いし、連れは怪我してるんだろ?」
「怪我はしているんだが、背負っている理由はここの草だ。彼女が歩くと足が切れてしまうから。君はよく平気だな。足が痛くないのか? 足から出血しているようだが」
「血は止まってる。俺の天能は〈自己再生・極み〉。どんな怪我もすぐ治っからよ」
なるほど。名前からして〈再生〉の上位互換か。
「で、護衛はいるのか? いらねえのか?」
「親切な申し出だったが断るよ。僕なら大丈夫」
「そうか。じゃあ気を付けて進めよ? 死ぬんじゃねえぞ」
「ああ。君も気を付けて仕事してくれ」
僕達はリタルと別れ、再び魔刃草原を歩き出す。
南に歩いて草原を抜ければ学問都市スペルディオだ。
「護衛、断ってよかったんですか?」
「いいのさ。仕事の邪魔しちゃ悪いし」
他人と共に行動するのは僕にリスクがある。
僕の天能について隠す必要があるから、複数の天能は使えない。使えるのは冒険者ギルド登録の際に受付嬢へ話した〈剣術〉のみ。戦闘方法の幅が狭まる。リフレが森人族ってのもなるべく秘密にしておきたいし、断った方がいいと判断した。
さあ、気持ちを切り替えて学問都市スペルディオだへと向かおう。
町の名前からして僕の知らないことで溢れていそうで楽しみだ。




