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楽岩鳥の岩落とし⑦


 普段は隔離している天能で〈嗅覚強化〉というものがある。

 名前の通り嗅覚を強化する天能。

 誰もが役立つと思うだろう。

 実際役立つ場面はあるんだが、この天能は強力すぎる。

 この天能を使っていた過去は今でも嫌な思い出だ。


 僕が、この僕が! 犬の糞の臭いで気絶したのだ!

 なんて屈辱的な過去だろうか。犬の嗅覚は純人の1億倍と言うが、当時の僕の嗅覚は犬以上だったと思う。犬の7倍以上の嗅覚を持つ熊並みだったと思う。そんな嗅覚と常に生きるなんて僕には無理だ。強力すぎるがゆえに隔離せざるを得なかったのである。またこの天能を使うことになるとは思わなかったぞ。


 財布を盗んだ犯人は許さん。

 子供だろうが老人だろうが深い謝罪をしてもらう。


「さて、やるか」


 まずは軽く鼻で呼吸する。


「うヴェ」


 人間の体臭、飲食物の匂い、革製品の独特な匂い、その他諸々な匂いが一気に流れ込んだ。ヤバい、吐きそうだ。少し鼻から空気を吸っただけでこれか。慣れなきゃマジで吐くぞ。思わず鼻を指で摘まんじまったじゃないか。


「大丈夫ですか? やっぱり匂いで探すなんて無茶なんじゃ」


「いや、探せる」


「走り回って犯人捜しをした方がいいんじゃ」


「大丈夫だ。匂いで探せる」


 わざわざ〈嗅覚強化〉を使ったんだぞ。もしこの力で財布を探し出せなかったら、辛い思いをしてまで使った意味がないじゃないか。誰がなんと言おうと匂いで探してみせる。


「リフレ、少し手を貸せ」


「え、手ですか? まあ、いいですけど」


 財布の匂いで追跡したいところだが、僕の財布は店で買った(かわ)財布。特別な素材じゃないし、革で作られた製品なんて町には多く存在している。どの匂いが僕の財布のものか区別がつかない。財布の匂いで追跡することは不可能だ。


 しかし、財布に付着した匂いなら追跡出来るかもしれない。

 財布はずっとリフレがスカートのポケットに入れていた。何度も彼女が触れている。僕が追跡するべき匂いは彼女の匂いなのだ。


「えっ、手の匂いを嗅ぐんですか? く、臭くないかな」


 リフレの手に鼻を近付けて、軽く匂いを嗅ぐ。

 人間の体臭ってのは種族ごと、個人ごとに違う。獣人は獣臭がするし、魚人は生臭いし、竜人は無臭らしい。まあ、あくまで知識として知っているだけだ。森人族の匂いの情報はないので興味がある。


「これは……」


 花のような、甘い匂い。

 花畑に居ると錯覚してしまった。


 今は嗅覚を強化しているからどんなに良い匂いだろうと嗅ぐのは辛いが、通常状態の嗅覚なら全く不快にならないと思う。これが森人族の体臭なのだろうか。それとも、リフレだけの体臭なのだろうか。


「あの、臭くないですか?」


「臭くない。他の匂いと区別しやすいから匂いを辿りやすい。これなら財布も見つけられるだろう。正直、肉ばかり食べる君は脂臭いと思っていたんだがね」


「なるほど。つまり、私のおかげで財布が見つかると」


「君のせいで財布を探す羽目になったんだがな。早速匂いを辿る。走るぞ」


 優秀すぎる嗅覚でリフレの匂いの道が分かる。

 宿からこの市場まで歩いた道も、財布が移動した道も今の僕なら分かる。他の匂いは邪魔だが仕方ない。邪魔な匂いを避けて走り財布を追いかける。かなり離れているが大丈夫、辿れる距離だ。


 匂いを追跡していくと狭い路地に入った。

 人通りはない。周囲には民家のみ。

 匂いは……民家の中。


「誰も居ませんね。本当に財布があるんですか?」


「間違いない。君の匂いがあの民家の中から漏れている」


「家の中って……場所は分かりましたけど、これからどうすればいいんでしょう。騎士団の人に報告しますか? 財布を盗られたって言えば捜査してくれるかも」


「どうするかなんて決まっているだろう。乗り込む!」


「そうですね乗り込みましょうってええ!? 不法侵入になりますよ!?」


 知ったことか。僕の財布を盗んだ奴が悪い。

 だいたい、財布の在処がもう分かっているんだ。騎士を捜して事情を説明する時間が惜しい。さっさと乗り込んで財布を取り返し、犯人を謝らせる。それで終わる話さ。


 おっと、もう必要ないから〈嗅覚強化〉は隔離しておこう。


「邪魔するよ」


 僕の財布がある民家の扉を雑に開ける。

 ドアガードは付いていなかった。この家、安全性に問題があるなあ。ドアガード付きの扉じゃなきゃ恐ろしい奴が侵入してくるかもしれない。例えば、僕のようになあ。


 家に居るのはさっき市場で見た少年……と、布団に転がっている女。2人か。


 汚い部屋だ。床には脱ぎっぱなしの服、紙屑、透明な袋が散乱している。キッチンシンクには皿が積み重なっている。長く掃除がされていないらしい。家に入る前に〈嗅覚強化〉を隔離しておいて良かったな。


「だ、誰!?」


「誰か分からないのかい? なら教えてやろう。僕は、君が盗んだ財布の持ち主だよ。さあ財布はどこだ。財布を返せ。あと頭を下げて誠心誠意謝れ」


「ひっ、ご、ごめんなさい。あ、あの、出来れば静かにして」


 静かにしろだと? ああ、布団に転がる女が寝ているからか。

 ふん、君達の事情なんて知ったことじゃない。僕としては母親に起きてもらった方が良いね。子供が物を盗んだら親も謝らなきゃいけないだろう。


「あのなあ、僕は財布を返してくれと言っているんだが?」


「……分かりました。返します」


 少年が財布を床から拾い上げ、僕に渡してくる。

 中身を見てみたが紙幣は減っていない。少し抜き取って返すなんて愚かな真似はしなかったようだな。もしそんなことをしたら、子供だろうとキツいお仕置きをしなくちゃいけなかったよ。


「ねえ、どうして私から財布を盗んだの?」


「お金が、ないから」


「だからって金を盗むのは犯罪だ。まともな教育を受けていないのか?」


「悪いことだって分かっていました。けど、僕の年齢じゃどこも働かせてくれなくて、お母さんも働かないから、お金は減ってばっかりで。もうご飯を買うお金もなくて」


「そうかい。そりゃ大変だな」


 まあ、部屋を見た時から貧困が理由だと思っていた。

 理由を知ったところで僕にはどうすることも出来ない。仮に今、僕の金を恵んでやったとしても、金を稼ぐ手段がないから減っていくだけ。その場凌ぎにしかならない。


「ヘルゼスさん、この子が可哀想ですよ。お金あげません?」


「その金が尽きたらどうなる。また盗みを働こうとするぞ」


「なら、孤児院に連れて行きませんか?」


 孤児院、シャイニー孤児院か。

 この子供は貧しいだけで孤児じゃない。母親が居る。親が居る子供を孤児院は預かってくれるんだろうか。母親が働けと言われると思う。


 そもそもなぜ母親は働かないんだろう。

 こんな朝っぱらから布団でぐっすり寝やがって。


「なあ君、名前は」


「ルートです」


「そうか。ルート、君が金を得る手段はない。ここに居ても貧しいだけだ。孤児院に行けば最低限の衣食住が与えられる。母親と共に過ごせるかは分からないが、行ってみるかい?」


「……いえ、行けません」


「なぜだ」


「迷惑になりますから。僕のお母さん、変だから」


 母親が変? どういう意味だ?

 家事を一切しないって話ではなさそうだな。


「お母さんはずっと……あ」


 ん? いつの間にか母親が上体を起こしている。

 長く手入れされていない髪。所々破けた服。顔や首は細く、食事を碌にとっていないと分かる。さらに体臭で体を洗っていないのも分かる。働いていないどころか、家から1歩も外に出ていないのかも。


「始まる」

「始まる?」


 ルートの母親はゆらりと立ち上がり、上を向いた。


「キアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 な、何だ、急に叫びだしたぞ!?

 リフレは目を丸くするが、ルートは慣れているのか平然としている。

 さっきルートが『変』と言っていたのは間違いなくこの奇行。


「お、おい、ルート。君の母親に何が起きているんだ?」


「分かりません。ただ、お母さんはずっと、欲しがっている物があります。それを買うお金が足りなくなってから変になりました。叫んだり、暴れたり、紙を食べたりするんです」


 病気だろうか。見たことのない症状だ。

 確かに変だ彼の母親は。これじゃ孤児院に連れて行けないというか、外にも出せない。


 解決する鍵はやはり、彼女が欲しがる物とやらだろう。それを与えてやれば奇行は止まるんじゃないのか。金で買える物らしいし、僕が買ってきてやってもいい。彼女を放置したら何をするか分かったもんじゃないからな。


「ルート。君の母親が欲しがる物は何だ」


「粉です。確か名前はホーミーパウダー」


「……ホーミー……パウダー」


 どうやら、この町ではあの粉に随分と縁があるらしい。


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