人魚の出る泉
2話予定でしたが1話に纏めました。
スタードールトンネルを抜けた僕達は森を歩いている。
地図を見る限りあまり広くない森だ。探索は今日中に終わるだろう。当然目的は森人族の国。この森にはないと思うが、ないと決まったわけじゃない。可能性が僅かにでもあるなら調べる価値がある。
「ヘルゼスさーん。エンドドールの町は南西ですよ。なんで私達、東に向かっているんですかあ? 何もないですよこの先」
「森の中に森人族は住んでいるからな。どんな場所にあろうと、どんな状況だろうと、森には必ず入るぞ。君だって早く帰りたいだろ?」
「それはそうですけど、たぶんこの森には森人族が居ませんよ」
「なぜ分かる?」
「森に人の手が入ってますから。この道とか」
確かに、この森は自然そのままではないな。
今歩いている道は明らかに人間が整備したものだ。邪魔な木々は伐採されて、歩きやすいよう地面が平らにされている。人間にとっては良いことかもしれないが……森人族にとっては悪いことか。自然を大事にするらしいしな。
「ね? だから引き返して町に行きましょうよ。この森を探索しても意味ないですって。宿屋のベッドでぐっすり寝たいですよ私」
「君は勘違いしているようだ」
「え?」
「僕は森人族の国だけを探しているわけじゃない。面白いことも探しているんだ。どんな場所でどんな面白いことが起きているかは分からないだろ。この森にも面白いことがあるかもしれない」
「面白いことって、漠然としすぎでしょ……」
なんとでも言え。僕の旅に同行すると決めたのは自分だろう。
「あれ? 人が集まってますね」
人? 本当だ。遠くに複数の人間が居る。
彼等は何かを背負っている。あれは釣り竿だな。地図には川がなかったけど、実は魚の釣れる水場があるのか。近くまで歩いて訊いてみよう。
「すまない。少しいいだろうか」
口髭を長く生やす男が「なんだ?」と振り向く。
後ろには小さな泉が見える。その泉で数人の人間が釣りをしているが何か釣れるんだろうか。珍しい魚でも釣れなきゃ、町から離れた森になんて行かないよな。森にはモンスターも居るわけだし。
「みんな釣りをしているけど、何か珍しい魚でも釣れるのか?」
「なんだお前、知らないで来たのか? 人魚だよ人魚。この泉で目撃されたって噂があるのさ。俺達みんなそいつ目当てよ」
「に、人魚だと?」
冗談を言っている雰囲気じゃないな。
人魚が釣れるなんて信じられないんだが。
「ヘルゼスさん、人魚っていうのは?」
「知らないのか。今は絵本にも出ているのに。人魚ってのは上半身が純人、下半身が魚の生物だ。創作物に登場するだけで実際に居るとは証明されていない。人魚の肉を食うと不死身になるなんて噂があるから、長く捜されているんだがね」
「人魚の肉……」
不死身と言っても首を斬れば死ぬらしい。
完全な不死身ってわけじゃないし、所詮噂だ。
「美味しいんですかね?」
気になるのはそこか。
「人間を食えば味の想像つくかもな」
「いくら肉好きでも人間は食べませんって」
どうだか。この女、肉の話になると目の色を変えるからな。ミミズのモンスターを肉と言うような捕食者だ。人間を食っていたとしても僕は驚かないぞ。
「それにしても、人魚って魚人とは違うんですか?」
「良い質問だ。答えは、全く違う」
人魚は上半身と下半身で種族が別物だ。
単純に考えれば純人と魚人との間に作られた子供だが、それはありえない。呼び方が人間と一纏めにされていても純人と魚人では種族が違う。とある学者の発表によると、同じ種族の男女でなければ子は生まれないらしい。
つまり、もし人魚が存在するのならそれは元から人魚という種族。純人も魚人も関係ない。
「うーん。確かに、アユタ君とは外見が違いますよね」
アユタ君……? ああ、奴隷の魚人か。
「人魚の目撃情報があると言っていたな。信憑性はあるのか?」
口髭の長い男は笑う。
「はっはっは! 噂があれば俺みたいな人間はどこへでも行くのさ。信憑性なんて考えたこともないね」
口髭の長い男は笑いながら釣りの準備を始める。
人魚出現の噂、か。
火のないところに煙は立たないという言葉がある。噂が発生したなら人魚が居る可能性は僅かにあるだろう。実在するなら僕だって目にしてみたいものだ。
「リフレ、一旦エンドドールの町へ向かうぞ」
「はい。宿屋で休みましょう」
「いや、釣り竿と餌を買ってここに戻る。人魚釣りに挑戦するぞ」
「えええええええええええ!?」
そうと決まれば早速エンドドールへ向かう。
森から少し離れているといっても、僕が天能〈神速〉を使って走れば2分で町に到着出来た。まだ日が暮れるまでに時間がある。夜には宿屋で休むとして、最低でも3時間は釣りに使える計算だ。
「町へ着いたのに宿屋で休めないなんてえ」
「夜には戻ってくるさ。安心しなよ」
早速僕は釣り道具専門店を探す。
リフレは……食べ物を探してやがる。
「あ、ヘルゼスさん。人魚パンなんてものがありますよ」
「人魚パン?」
立ち止まってパン屋を見てみると、確かに人魚パンというものが売られている。人魚の形をしたパンってだけだ。他のパンより売れ行きが悪いのか山のように残っている。
「ああ! 見てください、人魚のお肉です!」
「なんだと?」
肉屋に普通の赤い肉が売られている。
まあ、人魚風の肉と看板には書いてあるな。
「向こうのお土産屋には人魚クッキーです! どうやら人魚は実在するようですね。人魚と名前が付いた食べ物が沢山あります」
「材料に人魚は使われていないだろ」
次から次へと人魚人魚。
よく見れば食べ物だけじゃないな。服、枕、帽子、絵本、バッグ、ウィッグ、家具、色々ある。人魚の形だったり、人魚のイラストが描かれた商品がやたら多い。全て売れ行きは微妙なようだが。
「町の特産品ってやつですかね」
「露骨に人魚を推してるな。人魚目撃の噂があるからか?」
「魚屋には人魚風の魚が売られていそうですね」
「同感だ」
お、ようやく釣り道具専門店を見つけた。
必要な釣り竿と餌は店員に2人分選んでもらう。
人魚の餌は……ミミズじゃないか。
人魚ってミミズ食べるのか?
そもそも釣り竿で釣れるものなのか?
さっきまで疑問に思わなかったが奇妙に感じる。まあ、僕が人魚に詳しくないだけだろう。人魚に会えたら好物や生態を聞き出してやる。最初に言うことは決まった。なぜ釣り針に刺さる餌なんて罠丸出しな物に食いついたのか、だ。
釣り道具を用意した僕達は急いで森に戻った。
泉にはまだ釣りに勤しむ釣り人達の姿。
僕も交ぜてもらうとするか。
釣り針にミミズを刺した後で釣り竿を振り、針を泉の中へと落とす。リフレもやり方は知っていたようで疑問なく実行する。なんだ、真剣な顔じゃないか。不満を口から漏らしていても人魚釣りがしたかったのかな。……そう思っていたら段々と怠そうな表情に変わっていく。やる気を無くすの早すぎるだろ。
「釣りって暇ですねえ。飽きてきましたよ」
「まだ1分も経っていないぞ。釣り関係の天能でも持っていなきゃ短時間で釣るのは不可能だろうさ。僕達は獲物が餌に食いつくのを長く待つ必要がある」
「お父さんは釣り上手だったなあ」
残念ながら僕は釣り関係の天能を持っていない。釣りの経験は数回だから技術もない。リフレの経験と技術も僕と変わらないだろう。長い戦いになりそうだな。
「はぁ、お肉でも釣れるんならやる気出るんですけど」
「何かしら魚は釣れるんじゃないか?」
「だといいんですけど……ああ暇」
一応〈気配察知〉で何かが泉を泳いでいるのは分かる。3時間も釣りをしていれば何かしら釣れるだろう。
しかし、現実とはやはり上手くいかないものだ。3時間経ったのに魚は1匹も餌に食いつかなかった。悲しいことに濡れたミミズは針に残ったままである。
今日はもうすぐ完全に日が落ちるから暗いし、諦めて町に戻って宿屋で休もう。問題ないさ。時間はある。人魚が釣れるまで何度でも、毎日挑戦してやろうじゃないか。
2日目。釣れない。
3日目。釣れない。
4日目。釣れない。
5日目。釣れない。
10日目。全然釣れない。
なんてこった。魚すら1匹も釣れないとは。
何が悪い。技術の無さ? 道具の性能?
どちらにせよ今すぐ解決出来ない問題だ。
……時間帯はどうだろうか。
この10日間、僕は朝から夕暮れまでの時間を釣りに費やしてきた。夜は眠くなるし、遅くまで起きていると不健康になるので宿屋に戻っていた。他の釣り人もモンスターの危険を考えて夜は森に入らない。泉に住む魚や人魚にとって夜は唯一安心出来る時間帯と言えるんじゃないか?
夜こそ釣れる時間。
そう考えた僕は夜中に1人で泉へやって来た。
誰も居ない静かな森の中、ポチャンと水音が聞こえる。来た。僕の推測通り夜こそ人魚が現れる時間。釣りのチャンス。いや、釣り竿を使うまでもなく手掴みで捕まえられる。
「あれは!」
泉の中から魚の下半身が出て来た。
大きい。人間と変わらないくらい大きな下半身。
あれこそ正に人魚!
人魚が今、見える場所に居る!
「捕まえられるぞ。今だ!」
天能〈神速〉で助走してから泉の水面ギリギリを跳び、水面から出ていた人魚の尾を掴む。捕まえたぞ。しっかりとこの手で人魚の尾を掴んだぞ。跳んだ側の反対側へ着地して、手に持つ人魚を……人魚、を。
「な、何いい!? 魚の部分だけ!?」
僕が持っているのは魚の下半身だけだ。
しかもこの感触、皮膚じゃなくて布。
中にあるのはワイヤーだけ。
つまり、骨組みを作ってから布を被せただけの簡単な作り物。
誰がこんな物を作ったというんだ。
「――ああああ、君。それ、返してくれないかな?」
泉の中から冴えない容姿の男が上半身だけ出て来る。
この男、夜の森で泉に入って何をしていたんだろう。わざわざ人魚の下半身部分なんて手作りして、上半身裸で泉を泳がなきゃいけない訳は……ないだろ。身近な人にも言えない変な趣味って可能性はあるが。
「返してもいいが、何をしていたのか聞いても?」
「ああああ、秘密にしてくれよ? 俺はエンドドールの町長バズーレ。人魚が居るという噂を撒き、町を活気付けているんだよ。噂に釣られてやって来た者達に人魚関連の商品を売るつもりでいたんだが、売れ行きが悪くてな。もっと人を呼びよせるために人魚の目撃者を増やそうとしていたんだ」
「じゃあ、噂は嘘なのか」
「ああそうだ。すまないが秘密にしてくれよ」
噂がただの嘘、なんてこった。
本気で人魚を釣りに来た僕がバカみたいじゃないか。いや、僕だけじゃない。この男が吐いた嘘のせいで多くの人間が時間を無駄にしている。許せん。出鱈目な情報を流す輩は絶対に許さん。
「他に方法はなかったのかい?」
「お、思い付かなかったんだよ。怖い顔しないでくれ。エンドドールは貧しい町で税金を納めるのも苦労している。余所から買い物客を連れて来るために人魚の噂を撒いただけなんだ。罪にはならないだろ」
「……やれやれ」
この男の嘘は許さないが秘密にはしてやろう。町を豊かにするための嘘らしいし、目を瞑るさ。町を豊かにする代案を僕が出せない以上、真実を吹聴すれば町の人間が苦労してしまう。
まあ、今回の作戦は失敗に終わるだろうがな。
人魚の噂で町に人を呼ぶのは成功していても、人魚関連の商品は売れていなかった。そもそも人を騙し続けるのにも限界がある。いつか僕以外にも真実を知ってしまう人間が現れるだろう。誰もが秘密にして町長を助けるとは思えない。きっといつか、噂のせいで町の評判が落ちる日が来る。
人魚釣りをやる気力を無くした僕は町の宿屋に戻る。
寝ようとしたが……全く眠れなかった。隣のベッドでぐーすか眠るリフレが羨ましく思える。何もせずベッドに寝たまま時間が過ぎていき、朝日が昇って部屋が明るくなっていく。
「ほええ」
リフレが目を覚ましたようだな。
僕もベッドから起き上がるか。
「ありぇえ? ヘルゼスさん、早起きですねえ」
「リフレ、出発の支度をしろ。今日でこの町を出るぞ」
「人魚は釣れたんですかあ?」
「僕が釣ろうとしても釣れないと分かったからな。釣りは暫くしたくないし、道具は荷物になるから店で売却する。君が持っていたいなら君の分は持って行けばいい」
「釣りはつまらないので私も売ります」
つまらない、か。ああ、つまらなかったな。ちっとも面白くない。時間を無駄にしてしまったよ。本当に人魚が現れるなら時間をどれだけ費やしても構わなかったんだがね。
実に……残念だよ。




