前編
鬱蒼とした森の奥深くに、ぽつんと広場があった。背の低い草が生い茂っている中で、少女は地面にしゃがみこみ、歓喜に打ち震えていた。
「あった……見つけたーーっ! 勇気だして『魔の森』に入った甲斐あった! これで、これであたしの忌まわしい体質ともおさらばできるっ!」
彼女が見つめていたのは、辺りに自生している大蒜の、その一株であった。
*
ガルデニア王国の西の辺境領の、そのまた外れにある小さな町でリリィは生まれた。両親は宿屋兼食堂を営む、ごくごく普通の平民の家庭だ。
彼女は前世の記憶なんてものを持ってはいたが、それ以外はごく普通の少女として育った。
異変が起き始めたのは、八歳を過ぎた頃からだった。
「ぐへっぐへへへっ、リ、リリィちゃあああ~~~ん!」
「ぎゃあああああ!」
なぜだか、リリィは狼藉者に襲われることが多かった。さらわれかけたことも一度や二度ではない。
「ブヒィィィイィィィィ!」
「来るな! 来るなぁあぁぁっ!」
なぜだか、魔物からも狙われた。それこそ、他に獲物にされそうな人が周りにいても、魔物は一直線にリリィめがけて襲ってくるのだ。
貞操の危機だけではなく、生命の危機の連続だった。
襲われる頻度も、だんだんと上がってきていた。最初の頃は週に一~二度という程だったが、今では二~三日に一度は事件が起きていた。とりあえず、近所の人や町の衛兵により助けられて、事なきを得てはいる。
いくらなんでも、これほど危機が続くのはおかしい。何かに呪われているのではないか、というくらいに異常だった。
自衛のために、武術の訓練も始めた。幸い、今世の体は鍛えれば鍛えるほど、身体能力は常人を上回るほどに向上していった。異世界転生モノにありがちなステータスのようなものは見あたらないが、ゲーム的なレベルアップのようなシステムはあるのではないかと思われた。前世で薙刀を習っていたのもあって、リリィの戦闘能力は並みの兵士よりも強くなっていた。
ただ、撃退はできても、襲われること自体を未然に防ぐことはできなかった。
困り果てて、リリィは町のはずれに住む老魔女を訪ねた。
老魔女はリリィを見るなり、一発で原因を言い当てた。
「お前さん、凄い匂いをさせとるのう」
「え? 匂い? あたし、クサい?」
「ああ、いや、不快な臭いではないがの。お前さんから漏れ出る魔力が変質して、匂いとなって漂っておっての。それが〔魅了〕の魔法に似た効果を持っておって、性フェロモンのように雄を惹きつけてしまうのだな」
「じゃあ、あたしが変態や魔物に襲われるのって」
「その匂いが元凶だの」
「ぐはっ」
男を無差別に惹き寄せるなど、少女にはたまったものではない。どうせなら、いい男だけを惹きつけてくれたらいいのに――とも思ったが、魔法で魅了というのはどう考えても厄介ごとにしかならなさそうだ。
この体質は魔法の効果ではあるが、実質的に呪いと変わらない。転生特典がこれだとしたら、泣くに泣けない。
「どうしたらいいんでしょう?」
「意図せず魔力が漏れてるのが原因だから、〔魔力操作〕を覚えればコントロールは可能だろうが……」
「ほんと!?」
「〔魔力操作〕を習得できるかどうかはその人間の素質にもよるし、長い修練が必要だからのう。お前さんの場合、素質は問題なさそうだが、いかんせん今すぐにどうこうというわけにはいかんね」
「えーー……」
〔魔力操作〕は魔法の基礎なのだが、習得できる人は少ない。感覚に頼る部分が大きいため、教えるにも難儀する分野である。魔法使いが少ないのも、このせいである。
魔法が使えれば不埒者を撃退するのにも役立つだろうが、彼女が求めるのはそもそも不埒者が近寄ってこないようにする方法である。
「他に方法はないんですか?」
「手っ取り早い方法もないではないが……」
「教えてください!」
「少々人としての尊厳に関わるやり方での、あまりお勧めはできん」
「で、でもっ、襲われるよりはずっとマシなはず! 教えてください!」
老魔女はため息をつくと、「少し待っておれ」と言って、隣の部屋へと引っ込んだ。しばらくして戻ってくると、その手には白い塊が握られていた。
リリィはその塊に見覚えがあった。
「それは……『ニンニク』?」
「ほお、よく知っておるな。大蒜はこっちの大陸ではまったく使われておらず、見かけることもないのじゃが」
「え?」
言われてギクっとした。つい、前世での日本語での呼び名でつぶやいてしまったが、たまたまなのか、こちらでも同じ発音らしい。
ただ、一般に知られていないものをなぜ知っているか、というのを説明するのは少々面倒なことになる。転生の話は誰にもしていないことでもあるし。
「あー、それは、えーと、宿のお客さんが置いていった本かなにかで見かけた、んじゃないかな、と……?」
「ふむ。まあ、あちらの大陸では薬草として使われとるからのう」
なんとかごまかせたのだろうか。老魔女の目はいぶかしげなままであったが。
「それで、大蒜を使うって……ま、まさか」
「匂いには匂いで、じゃな。大蒜は魔物除けにも使われるほど、強い匂いを放つからの。魅了の匂いを大蒜の匂いで打ち消してしまえばよい」
ニンニク臭の少女。字面だけでも印象が悪すぎる。人としての尊厳、というより乙女の尊厳がボロボロになりかねない。……のだが。
「い、いや、それでも、どっかのおっさんに襲われるよりはずっとマシ……なはず!」
結局、彼女の中で不埒者への恐怖のほうが勝った。彼女にとっては切実なのである。
とりあえず、効果があるかどうか試してみたが、確かに効果はあった。球根をバラし、そのうちの一粒を火で焙って食べたところ、数分で漏れ出る魔力の質が変化し、魅了の効果はなくなった。
持続時間はこれから調べないといけないが、一歩前進である。
「ただ、うちにあるのはそこにある分だけさね」
「じゃあ、これが尽きたら終わり?」
「さっきも言った通り、こっちでは栽培も流通もされとらんからのう」
今手元にあるのはかなり古いもので、乾燥しきっており、これを植えても発芽は難しいだろうとのこと。
「向こうの大陸から取り寄せる手もないではないが、とんでもなく高くつくわ。あとは、自生しているのを探すしかない」
「あるんですか?」
「こちらの大陸にも場所によっては自生しとるはずでの。わしが知っとるのは一ヵ所だけだが、そこはお勧めできん。まあ、おそらく探せば他にもあるだろう」
「その知ってる場所というのは?」
「……魔の森だ」
「あー……」
魔の森はリリィが住む町の北西に広がる大森林である。ありがちな名前が示す通り、そこは危険な魔物がそこかしこに出没する場所であった。
冒険者ギルドみたいなものがあれば、大蒜の採取を依頼できたのかもしれないが、残念ながらこの世界には冒険者ギルドは存在していない。冒険者と呼べそうな活動をしている者はいるものの、その数は少なく、ギルドとして組織するには至っていない。また、彼らの依頼料はとんでもなく高額で、とても宿屋の娘が払える金額ではなかった。
必要ならば、自前で採りに行くほかないのだが。
「魔の森に生えている大蒜なら、通常のものより効果は高いだろうがのう。それに、なにかしら魔法の効果も付いてくるかもしれん。だが、お前さんが採りにいくには危険が大きすぎる。わしではもうそこまでは行けんしの」
「その場所はどの辺なんでしょう?」
「……魔の森に20Km近く入ったところだ」
魔の森全体から見れば、まだ中層の入り口程度の地点ではある。しかし、一般人にはなかなか危険度が高い。
リリィも何度か訓練がてらに、森の浅いところには入ったことがあるが、それはせいぜい4~5Kmまでで、半日で往復できるくらいの距離でしかない。
そこから先となると、出現する魔物の脅威も跳ね上がる。
「それでも……わたしは変態に脅えて暮らすより、危険を冒すほうを選びたい!」
彼女は天を見上げて拳を突き上げながら、吼えた。
「……それもまた、お前さんの運命か。いや、運命に抗って生きるためにこそ、必要なのかもしらんのう」
「運命?」
老魔女は何か意味ありげな言葉をつぶやいた。どういう意味なのか、この時のリリィにはまったく見当もつかなかったが。
「……なんでもないわ。どれ、雷撃の杖と、目的地を指し示す腕輪を貸してやろう」
「ほんとに!?」
「ああ。貸すだけだぞ? 生きて帰ってきて、きっちりと返すのだぞ?」
「ありがとうございます!」
数日後。リリィは準備を整えて、魔の森の入り口までやってきた。
両親には泊りがけで魔の森の外側で訓練してくると言ってある。前にも何度かやったことがあるので、特にあれこれ言われることはなかった。
「怖いけど……でも! 変態に襲われ続けるのはもっと嫌! 行くしかないっ!」
自分を叱咤するように叫び、勇気を振り絞って森の中へと足を踏み入れた。
*
森の外縁部は比較的穏やかで、リリィも訓練と称して何度か訪れている。
しかし、いつもより奥へ入ると徐々に様相が変わってくる。大型の野生動物が増え、中には動物が魔力で変質してしまった魔物も現れる。
極力、戦闘は避けて進んだ。いちいちまともに戦っていたら身がもたない。
老魔女にもらった大蒜はバックパックに入れてある。魔除けというより、動物や魔物が忌避する効果があるのか、近寄ってくるものは意外と少ない。
近寄ってきても、大抵は雷撃の杖で追い払うことができた。しかし、中には戦闘となることもあった。
「GUOOOOAAAHH!」
「ひぃっ!?」
熊に似た魔物がツメを振るう。それをリリィはひぃひぃ泣きながらかわしていた。
野生動物はちょっとダメージを与えれば逃げていくことが多いが、魔物になると凶暴極まりなく、決して諦めることがない。
対策としては逃げきるか、殺すかしかない。どちらも普通の子供には厳しすぎて、不可能に近いのだが。
ただ、リリィはこう見えても普通の子供ではない。地道に経験値を重ねてきて、戦闘能力はそれなりにあるのだ。涙目を浮かべて回避もギリギリで、余裕こそまったくないが、それでもなんとか魔物相手に戦えていた。
「こんっ、のぉっっ!!」
「GUAAAAHHH!?」
すれ違いざまに突き出した大振りのナイフが、魔物の胸に刺さり、心臓を破壊した。魔物はしばらくのたうっていたが、バタリと地面に倒れて、浅い息を繰り返すばかりとなり、やがては痙攣も止まった。
「ふぅっ……」
魔物が完全に死にきるのを待ってから、リリィはナイフを回収した。追撃してくるような他の魔物の気配もない。そこで、ようやく安堵の息を吐いた。
どうにか倒せたが、リリィにはかなりギリギリだった。だが、まだ目的地まで半分といったところだ。この先はもっと厳しくなる。
それでも彼女は先に進むことを選んだ。
「こんなところで、負けてられっかーーっ!」
強敵と戦えば、それだけ経験値は大きい。……はず。彼女は自分にそう言い聞かせて、立ち上がった。
そうして森を進んでいったところ、
「あそこ……かな?」
森が途切れて、草が生えている広場が見えた。腕輪も前方を指し示している。
すでに日はだいぶ傾いてしまったが、ようやく目的の地点についたようだ。
「あった……見つけたーーっ!」