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将軍家に生まれた令嬢、父の跡を継ぐため男装する。 ~正体を知っている王子から求婚を迫られて困ってます。~

作者: 抑止旗ベル


 フオルゼン王国のジアイディー将軍は、屋敷の一室でその時が訪れるのを待っていた。

 落ち着かない素振りで部屋の中を行き来していた将軍は、とある音を―――声を聴いて立ち止まった。


「……生まれたか!」


 将軍が呟いた瞬間、部屋のドアが開き、メイドの一人が姿を見せた。


「旦那様、お生まれになりましたよ!」

「おお、そうか! よくやった!」嬉しそうにメイドに駆け寄る将軍。「今度こそ男だな!?」


 が、将軍が放った言葉に、メイドは表情を曇らせた。


「いえ、それが……」

「な、何!? まさか―――また、なのか!?」


 メイドが暗い顔で頷く。


「ええ、元気な……女の子でございます」

「バカな! そんなことがあってたまるか!」


 将軍はメイドを押しのけ廊下へ飛び出す。


 そしてそのまま階段を駆け下り、その突き当りの部屋のドアを勢い良く開けた。


 部屋の中には乳母と、出産を終えたばかりの彼の妻、そして―――その腕に抱かれた赤子が居た。


 将軍に向かって、妻は言う。


「……女の子よ」

「女だと!? だったら我がジアイディー家の跡取りはどうなる!? 100年続く将軍の家系が途絶えてしまうではないか! 将軍となるのは男でなければならない―――フオルゼン王国の厳格な規則なのだぞ!」


 将軍は妻に駆け寄り、生まれたばかりの赤ん坊を荒々しく抱き上げた。


「あなた、何をなさるつもりですっ!?」

「この子は―――」


 男でなければ生まれた意味がない。ならばいっそこの手でと、将軍は赤ん坊を掴む手に力を込めた。


 が、その瞬間、赤ん坊と目が合った。


 将軍は絶句した。


 赤子は将軍を見て、微笑んだのだった。


「くっ……」


 唸りながら、将軍は我が子を抱きしめ、言った。


「この子は――――ジアイディー家を継ぐ跡取りとして、男として育てる!」

「な、何を仰っているのですか、あなた!?」

「この子の名はリコ・ジアイディー! 私の次の将軍となる―――男だ!」


 かくして、リコはこの世に生を受けた。


 それが王家を巻き込む事件の発端になるとも知らず―――。





 それから十数年の月日が過ぎた。


 春の日差しが降りそそぐある日、王宮の中庭には激しく剣を切り結ぶ二人の若者の姿があった。


「そこだっ!」


 黒髪の青年が、相手めがけて剣を振り下ろす。


「どうかな、ジャン!」


 その瞬間、その相手は身を翻し剣先を躱すと黒髪の青年の懐に飛び込み、剣を振り上げた。


「うっ!」


 攻撃を受け止めようと構えた剣が、相手の剣に弾き飛ばされ宙を舞う。


 剣は空中で一回転すると、そのまま地面に突き刺さった。


「……これで僕の勝ちだな。ようやく君に勝つことが出来たよ」


 そう言って、金髪を肩のあたりで切りそろえた若者は額の汗を拭った。


「本当に腕を上げたね、リコ」

「王子殿下にそう言っていただけると光栄だよ」


 リコと呼ばれた若者は、冗談めいた素振りで礼をする。


 ジャン―――フオルゼン王国の王子である、ジャン・グランデ・フオルゼンは苦笑いを浮かべた。


「私と君は生まれたときから兄弟も同然だったじゃないか。今更、王子だなんて呼ぶなよ」

「ははは、そうかい? でも、模擬戦とは言え王子に勝ったとなれば、僕が次の将軍になる日も近いかもしれないぜ」

「リコ……」

「どうしたんだよジャン、暗い顔をして。僕に負けたのがそんなに悔しかったのか?」

「いや、将軍になることが君にとって本当に幸せなのだろうかと思ってね」

「バカなことを言わないでくれ。僕は父上に、ジアイディー家を継ぐために育てられてきたんだ。将軍になること以外、僕に生きる目的なんてないんだよ」

「しかし……君は女の子だろう?」


 ジャン王子がそう言った瞬間、リコは不機嫌そうに眉を顰めた。


「だったらどうだっていうんだ。何か文句でもあるのか?」

「そんなつもりはないが……」

「大体、僕は男として生きて来たんだ。ジャンや家族以外に僕が女だって知ってる人間はいないんだよ。何の問題もないさ。来月の今頃、僕は王国騎士団に入団することになっている。いつか父の跡を継ぎ将軍になるためにね」

「そうなれば君は一生男として生きていかなければならないんだよ。本当にそれで良いのか?」

「良いさ。それ以外に何があるんだよ」

「例えば……」ジャンは一瞬言い淀むようにして、言葉を続ける。「例えば、僕が君を妃として迎え入れる、とかね」


 リコは呆気にとられたように目を見開き、それから大声で笑い始めた。


「……あははっ! 変な冗談はやめてくれよ。いまさらそんな―――」


 不意にジャンが腕を伸ばし、リコの身体を抱き寄せた。


 予想外のことにリコは言葉を失った。


 そんなリコの耳元にジャンが囁く。


「私は本気だよ、リコ。将軍になることが君の幸せなら止めはしない。しかしそうでないなら―――私は君の幸せのために、この身さえ捧げる覚悟が出来ているよ」


 リコは心臓が心地よく高鳴っていくのを感じた。


 ジャンの提案に頷いてしまいたい欲求に駆られた。


 しかし、父の顔が脳裏に浮かんだ瞬間、リコはジャンを突き飛ばしていた。


「ばっ――――バカにしないでくれ! 僕は将軍になる男だ! 王子と言えど、愚弄が過ぎるぞ!」


 ジャンはやれやれとでも言いたげに首を振った。


「そうか。君の気持ちは分かった。とにかく、私が君の幸せを願っているのは本当だ。何かあれば相談してくれ」


 と、そのとき、王宮の執事がこちらへ走って来た。


「リコ様、ジアイディー将軍がお呼びです。急ぎ将軍の執務室へお越しください!」

「ああ、分かった。……ジャン、さっきの話だけど、君が立派な国王になったときには考えてあげるよ」


 冗談めかして言うリコに、ジャンも素直な笑顔を浮かべる。


「気分を悪くさせてすまなかったね。……リコ、私に勝った君ならば将軍にもなれるだろう」

「ありがとう、ジャン。またな」


 ジャン王子に背を向け、リコは執事とともに将軍の執務室へと向かった。





「おお来たか、我が息子よ」


 執務室の重たい扉を開けると、ジアイディー将軍はゆっくりと椅子から立ち上がった。


 この十数年で急激に老け込んだ彼は、最近は戦場に赴くこともなく、専ら事務作業に没頭していた。


「お待たせし申し訳ありません、父上」

「謝ることは無い。さあ、座れ。執事よ、ご苦労だった」


 将軍の言葉に、執事は恭しく頭を下げ、執務室を出て行く。


 それを見送りながら、リコは来客用のソファに腰かけた。


「一体どうされたのですか。お仕事中にお呼び出しとは、珍しい」

「今すぐ伝えておかねばならんことがあってな」


 と、将軍はリコの向かい側に座る。


「伝えたいこと? 僕にですか?」

「そうだ。オータム・リバー公のことは知っているな?」

「ええ。父上の後の将軍の座を狙っていると噂の新興貴族ですね?」


 オータム・リバー公はジアイディー将軍を目の敵にしている、官僚上がりの軍人であった。


 かつて彼は王国の財務官として王国軍との折衝を一手に引き受けており、それゆえ王国軍の指揮官クラスに対し、強い影響力を持っていた。


 そうした人脈をフルに利用しながら、オータム・リバー公は次の将軍に成り上がろうとしているのだ。


「奴の手腕は並大抵ではない。ここ数年、遺憾ながら私自身も奴に後れを取った。戦場でなら負けぬものを……」


 ジアイディー将軍は疲れたように目を瞑り、瞼の辺りを揉んだ。


「そのオータム公が何か?」

「決闘を申し出て来た」

「な……っ、決闘ですか?」

「次の将軍を誰にするかという話は、もはや政治的な決着をつけられん。指揮官クラスや官僚どもがオータム公を支持しているとしても、将軍の職は代々ジアイディー家のものという考え方が根強いのもまた事実だ。国王陛下も、ジアイディー家以外から将軍を選ぶことに難色を示しておられる」

「国王陛下が……。では、オータム公はどのような手を使っても将軍になることができないのでは?」

「だからこそ、だ。奴は次の将軍になる者の実力を見せろと言ってきた」

「次の将軍? まさか、僕のことですか?」


 ジアイディー将軍は深く頷いた。


「オータム公の提案はこうだ。奴と私がそれぞれ代理人を立て決闘を行う。その決闘に勝利した陣営が次の将軍となる。もしジアイディー家の跡継ぎ、つまり次の将軍が本当に将軍の座に相応しいものであるならば、決闘に勝利することなど容易いだろう――と」


 リコはオータム公の顔を思い出し、彼に対し怒りの感情が湧いてくるのを感じた。


「それは僕に対する挑発です。お任せください父上。必ずこの僕が、オータム公の代理人とやらを打ち砕いてみせましょう!」


 リコが言うと、ジアイディー将軍は感激したように立ち上がった。


「おお、そうか! やってくれるか、リコ!」

「僕の剣の腕前はご存じでしょう。歴代の王族の中でも優れた剣の腕を持つと噂のジャン王子と僕は、小さい頃から共に剣技を磨いてきました。僕の剣は王子に勝るとも劣りません」

「心強い。さすが我が息子だ!」


 ジアイディー将軍は力強くリコの肩を抱いた。


 ジャン王子に触れられたときのような胸の高鳴りは無かった―――当たり前のことかもしれないが。


「私がまだ若ければ、このような決闘など大した問題でもなかったのだが―――げほっ、げほっ!」


 将軍は胸元を押さえ、再び椅子に座り込んだ。


「父上! 大丈夫ですか!?」

「あ、ああ……す、すまん。今、薬を飲むからな……」


 ジアイディー将軍は蒼白な顔を上げると執務机の薬瓶に手を伸ばし、その中から無造作につかんだ丸薬を口に放り込み飲み干した。


「父上、胸の御病気が……」

「将軍がこのようでは、オータム公のような若造がつけあがるのも仕方ないというべきか……! この身体さえ健康であれば……!」


 言いながら、将軍は虚空を睨む。


「ところで父上、決闘の相手はもう決まっているのですか?」

「決まっておる。ブレイド・パレスブックという男だ」

「知っています。王国軍の中でも剣の腕で知られた方ですね?」

「そうだ。オータム公は奴に動かせる駒の中で最も腕の立つ者を用意しおった。だが恐れることはない。ジアイディー家の血を引くお前なら、必ず勝てる」

「父上……!」

「お前には苦労ばかりかけてすまないと思っている。しかし……これもジアイディー家に生まれた者の宿命だ。お前が将軍と呼ばれるに相応しい年齢になるまで、私は何としても持ちこたえてみせる。お前にこの職を渡すまで、将軍であり続ける。頼んだぞ、リコよ」


 手を震わせながら、ジアイディー将軍はリコの手を握った。


 リコは将軍の顔を真正面から見つめ、言った。


「はい、父上」





 その晩。


 ジアイディー家の屋敷で剣の素振りをしていたリコは、妙な気配を感じて手を止めた。


「……そこに居るのは誰だ? 僕に何か用か?」


 リコが暗闇へ練習用の剣を向けると、草陰からジャンが姿を現した。


「そう怖い顔をしないでくれ。私だ」


 旧友の顔を見て、リコは安堵のため息をつく。


「なんだ、君か。驚かせるなよ」

「顔色が悪いな。大丈夫か?」

「最近、誰かに見られているような気がするんだ」

「それは良くないな。ジアイディー家の命運が懸かった決闘が決まって緊張しているんじゃないか?」

「……知っていたのか、ジャン」


 リコは剣を下ろし、傍らに置いていた布で汗を拭った。


「心配で王宮を抜け出してきたんだ」

「冗談だろ」

「本気さ」


 そう言ってジャンは肩を竦める。


「まさか止めに来たんじゃないだろうな。だったら無駄な努力だよ。僕は決闘に勝って、僕が次の将軍に相応しいことを証明してみせるんだ」

「私が君の資質を疑っているとでも思うのか? 自慢じゃないが、私は君のお父上よりも傍で君を見て来たつもりだ。きっと君は勝つよ。たとえ相手が剣の名手として名高いパレスブック公だったとしても」

「だったら君は観覧席で決闘を見物してくれていればいいじゃないか。こんな夜に、わざわざ何の用なんだ?」

「忠告だよ」

「忠告?」

「オータム・リバー公は目的を達成するためなら手段を選ばない男だ。私の父、国王陛下でさえ彼には警戒している」

「だったらますます都合が良いじゃないか。僕がオータム公を倒せば、彼の名誉は地に落ちることだろう。父上も将軍としての威厳を回復して、王家にとって邪魔な者も排除できる。ジャン、僕に任せておけ」


 胸を張るリコだったが、対照的にジャンの表情は暗かった。


「リコ、君のその前向きさは君の良いところだ。だが、それが通用しない相手もいるかもしれない」

「……オータム公がそうだって言いたいのか?」

「君の剣の実力は私が保証する。パレスブック公に勝利する可能性は高いだろう。だが、オータム・リバー公はそれさえも見越しているかもしれない。とにかく油断してはいけないよ、リコ」


 いつになく真剣な表情のジャンを前に、リコは一瞬だけ戸惑った。


 しかし、その戸惑いをかき消すように、わざとらしく大きな笑い声をあげた。


「ははははは、やめてくれよ、ジャン。わざわざそんな話をしに来たのか? だったら余計な心配だよ。いや、もちろん君の気持ちはありがたいけどね」

「リコ……」

「仮にオータム公が卑劣な手を使ってきたとしてもだ、それはかえって彼の品位を下げるだけだろ? 君は心配しすぎだよ」


 ジャンは何かを言いかけたが、それを口には出さず、代わりに小さくため息をついた。


「確かに心配しすぎかもしれないな。君の言う通り、決闘当日は観覧席で君の勝利を拝ませてもらうことにするよ。リコ、練習熱心なのは良いが、あまり張り切りすぎて身体を壊すなよ」

「分かっているさ。じゃあな、ジャン」

「ああ」


 ジャンはリコに手を振り、再び暗闇の中へ消えていった。


 ふとリコは、また誰かに見られているような気がして背後を振り返った。しかし、そこには誰もいなかった。


 疲れてるのかな、と呟いて、リコは剣の練習を切り上げて屋敷へ戻ろうと決めた。




 

 ついに決闘の日がやってきた。


 王宮の広場に設置されている決闘場の客席には大勢の見物客が集まっていた。


 そして決闘場全体を見渡せる特等席には、国王をはじめとした王国の関係者たちの姿があった。ジアイディー将軍もまた、不安な胸中を押し殺し、国王らに並んで観覧席に座っていた。


「リコ……、せめて無事であってくれ」


 数日前から、将軍は我が子が敗れる夢を見ては夜中に跳び起きる日々を送っていた。


 が、後悔しても既に遅い。決闘は今にも始まろうとしているのだ。


 観覧席にはオータム・リバー公の姿もあった。


 彼はちらりと将軍を見ると、薄い笑みを浮かべたまま決闘場の壇上へと顔を向けた。


 その壇上に二人の騎士が現れる。


 右手側にはオータム・リバー公の代理であるパレスブック公が、そしてその反対側にはジアイディー将軍の代理人、リコが。


「おお……!」


 ジアイディー家に伝わる決闘衣装に身を包んだリコの精悍な姿に、将軍は思わず感嘆の声を漏らした。


 一方、大勢の観客に囲まれながらも、リコは落ち着いていた。


 この勝負に敗北すれば、将軍の座はオータム・リバー公のものになる。そうなれば先祖代々将軍として君臨し続けて来たジアイディー家の誇りを傷つけることになる。そんなことはできない―――たとえ自分が、本当は女だとしても。


 相手のパレスブック公は決闘場の端から、リコを観察するように眺めていた。


 戦場に出たこともない自分が、剣の名手であるパレスブック公に勝てるのだろうか……いや、勝たなければならないのだ。父上も――そしてジャンも、自分の剣の腕を認めてくれている。だったら勝てるはずだ。


 ふとリコは、観客席の特等席へ視線を向けた。


 国王陛下の姿がある。父の姿がある。……しかしジャンの姿はなかった。


 見に来ると言っていたのに。薄情なやつ―――と、リコが心の中で王子を罵ったとき、決闘の審判役の声が上がった。


「ジアイディー将軍の代理人、リコ・ジアイディー。そしてオータム・リバー公の代理人、ブレイド・パレスブック公。双方、剣を構え――――決闘を始めよ!」


 リコは短く息を吐き、剣を抜いた。


 その瞬間、パレスブック公が動いた。


「ぬんっ!」


 掛け声とともに、パレスブック公の鋭い突きがリコを襲う。


 リコは身を翻すようにして斬撃を躱すと、パレスブック公めがけて剣を振り下ろした。


 その剣は、振り向きざまに振るわれたパレスブック公の剣をぶつかり、甲高い音を上げた。


「……っ!」


 押し負ける、そう感じたリコは後方に跳び衝撃を受け流した。


 パレスブック公はその間に剣を上段に構え、言った。


「なるほど、剣に迷いがない。センスも良い。しかし――それまでだな」

「何?」

「剣士に必要な強靭さが足りん。全てを捨てでも押し勝つという強さがな」

「僕をバカにしているのか?」

「貴様に足りていない点を述べたに過ぎん。納得がいかぬというのならば、見せてやろう。これが騎士の強靭さだ!」


 パレスブック公はリコとの距離を一気に詰め、その勢いのまま剣を振り下ろした。


 咄嗟に剣で受け止めたリコだったが、その衝撃で両腕が痺れるのを感じた。


「この力―――っ!」

「そう何度も耐えられるかな!?」


 上から下に。左から右に。そして右から左に。


 次々と繰り出されるパレスブック公の斬撃に、リコはいつの間にか決闘場の淵まで追いつめられていた。


「くっ……!」

「残念だったな!」


 パレスブック公が再び剣を振り上げる。


「……踏み込みが」

「何?」

「剣を振る時、お前は必ず右足を踏み込む癖がある」


 リコは深く身を屈めた。


 パレスブック公がリコめがけて剣を振り下ろす――――その瞬間、リコは剣を前に突き出した。


 小柄なリコが放った剣に吸い込まれるように、パレスブック公が右足を踏み込む。


「しまった……!」


 リコの刃がパレスブック公の足を切りつける。


 よろめいた相手の背後に回ったリコは、その背後に剣の柄を叩きつけた。


 バランスを崩されていたパレスブック公は抵抗することも出来ず、そのまま倒れこんだ。


「僕の勝ちだな、パレスブック公」


 そう言って、リコはパレスブック公の首筋に剣を突き付けた。


「……力で勝つことにこだわった、俺の負けか」


 パレスブック公は呟き、剣を壇上に捨てた。


 リコの勝利である。


「……勝者、ジアイディー将軍の代理人、リコ・ジアイディー!」


 観客席から歓声が沸き上がった。


 リコは全身から力が抜けるのを感じたが、ここで倒れてはいけないと思い、何とか踏みとどまった。


 とにかくこれでジアイディー家の誇りは守られた。父上の名誉も損なわれずに済んだ。


 リコが安心して深く息を吐いたとき、一人の男の声が決闘場に響いた。


「いやあ、すばらしい勝利でしたね。しかしこの決闘、嘘偽りなく行われたと言えるのでしょうか」


 オータム・リバー公だ。


 彼は特等席から、静まり返る観客席に空いた隙間を堂々とした様子でリコたちへと歩み寄って来た。


 呆気にとられる客たちを他所に、オータム・リバー公はそのまま壇上へ上がるとパレスブック公の剣を拾い上げ、言葉を続ける。


「もちろん私は正当な手続きでこの決闘に臨みました。王国軍の中でも腕の立つと有名なパレスブック公に代理人を依頼し、戦っていただいたのです。しかしジアイディー将軍はどうでしょうか。彼は実の息子を代理として決闘に送った―――そう聞いていますが、果たしてそれが真実なのかどうか」


 もったいぶったような物言いに、リコは頭に血が上るのを実感した。


「バカなことを言わないでいただきたい! 僕はジアイディー将軍の息子だ!」


 オータム公はリコの方を振り返ると、敵意の無い笑みを見せた。


「そうですか。勇ましいことですね。……息子と名乗られるのは自由でしょう。しかしこれを見た観客たちはどう思うかな?」


 一瞬だった。


 オータム公が振るった剣は、一撃目でリコの決闘衣装の胸元を両断し、そして二撃目で―――リコの胸をきつく縛っていた布を切り裂いた。


「あっ……!?」


 直後、露わになったリコの白い胸が衆目に晒された。


「将軍となるのは男性でなければならない―――それが王国に伝わる規則でしたね? しかしいかがです、ジアイディー将軍が次の将軍として用意していたのは女性なのですよ! これが王国に対する侮辱でなければ何だというのです!」

「ぼ、僕は、僕は……男だ!」


 両腕で胸元を覆いながら、リコは必死に叫ぶ。


 しかしオータム公はリコを嘲るように言った。


「ではその手で隠しているものは何ですか? その膨らんだ胸こそ、あなたが女性である証拠ではないですか!」


 リコは何をどうすれば良いのか分からなかった。


 大声を上げて泣き出したかった。


 手に持っている剣でオータム公を刺し殺したかった。


 しかし、自分を見つめる観衆たちの視線が彼女から力を奪っていくようで、リコはついに動くことが出来なかった。


「もうやめろ、やめてくれ!」


 半狂乱になりながら決闘場に割り込んできたのは、ジアイディー将軍だった。


 将軍は上着を脱ぎ、それをリコの肩に被せた。


「父上……」

「将軍の座などくれてやる! 王国軍も貴様の好きにしろ! だから――これ以上、私の子を辱めないでくれ!」

「ほう、このオータム・リバーに将軍の座を譲ると?」

「ああそうだ! だからもう、リコに構うな! 全ての責任は、この子が娘であるにもかかわらず息子と偽ってきたこの私にある!」

「そうですかそうですか、自らの罪を認めますか。つまり真の勝者は私だということですね!」


 ははははははっ、と、オータム公は大きな笑い声をあげた。


 それはリコとジアイディー将軍を蔑むようでもあった。


 が、その笑い声を遮るように、凛々しい声が決闘場に響き渡った。


「そこまでだ、オータム・リバー公!」


 オータム公が訝し気な表情で声のした方を振り返る。


 そこに立っていたのは、ジャン・グランデ・フオルゼン王子だった。


「……これはこれは王子陛下。いかがなさいました」


 白々しい様子でオータム公が王子の顔を見る。


「いかがなさいました、だと? ふざけるな。この大罪人が」

「大罪人? ご冗談を、王子。大罪人はこのジアイディー親子でしょう。彼らは身分を偽り、将軍の地位にしがみつこうとしていたのですよ。このリコ・ジアイディーという者は女の身ながら自らを男だと―――」

「そんなこと、私はとうの昔から知っている! 貴様は自分が誰を辱めたのか分かっていないらしいな」

「なんのことでしょう」

「リコは―――私の婚約者だ! 将来の妃なのだぞ!」

「は……な、何を!?」


 突然の発表に群衆が騒めく。


 それに被せるように、王子は言葉を続けた。


「私が国王となったのち、私と結ばれる手はずになっていたのだ! そしてなによりオータム・リバー公、貴様には将軍暗殺の疑いが掛かっている」

「私が将軍の暗殺を? バカな」

「これを見ても無関係と言えるかな?」


 そう言って王子が取り出したのは、ジアイディー将軍の執務室にあった薬瓶だった。


「それは……」

「この薬からは、本来であれば薬品として使えない毒が検出された。そしてジアイディー将軍の薬に毒を混ぜるよう指示したのはオータム公―――そうだな?」


 王子は背後に居た老人に問いかけた。


 その老人は王宮かかりつけの医師であり、ジアイディー将軍の治療を担当している者でもあった。


「……そうでございます、王子。私もオータム公に王宮で暮らせなくしてやると脅され、家族を人質に取られ、仕方なく……」


 ううっ、と老人は嗚咽を漏らした。


 眉を顰めるオータム公に向かって、王子はなおも言葉を続ける。


「他にも貴様には様々な疑いがかかっている。財務官時代の賄賂の問題、関係者への脅迫、事故に見せかけた殺人、列挙すればキリがないほどにな。そうした貴様を排除すべく、リコは自分から進んでこの決闘に臨んでくれたのだ。将来は私の妃ともなるはずの彼女を、貴様は辱めたのだ!」

「し、しかしですね王子、ジアイディー将軍は―――」

「話ならあとでゆっくり聞かせてもらおう。牢獄の中でな! 兵士たちよ、この不届き者を連れて行け!」


 王子の号令で武装した兵士たちが現れ、オータム公を取り囲む。


 狼狽したように周囲を見回すオータム公。


「お、お前たち、一体何の権限があって私を捕らえようというのだ! 私は元財務官で王宮内のみならず軍隊にも太い人脈が―――や、やめろ! 放せ!」


 抵抗虚しく、オータム公は兵士たちに連行されていく。


 それを尻目に、王子は颯爽と決闘の壇上へ上がった。


「……私が遅れたせいで辛い思いをさせてしまった。すまなかった、リコ」


 そう言って、王子はリコに深く頭を下げた。


「ば、ばか、やめろ! みんなが見ているんだぞ! お前は王子じゃないか。堂々としていなきゃ――」


 慌てたようにリコが言う中、王子は身体をジアイディー将軍の方へと向けた。


「将軍。お願い申し上げます。あなたの愛する娘、リコ・ジアイディーを私の妻として迎え入れたい。どうかお許しください」


 ジアイディー将軍は呆気にとられた表情のまま口を開く。


「そ、それは、将軍として代々王家につかえて来たジアイディー家としては願ってもないことではありますが、しかし、いつの間にそんな話を?」

「つい先日、私の方から結婚を申し入れたのです。彼女は、私が立派な王となったならば私の妻になってくれると、そう言ってくれました」


 リコは数日前のことを思い出した。


 確かに別れ際、そんなことを言った気がする。


 しかしあれは冗談のつもりで―――などと今更言えないし、何よりジャンが自分を本気で愛してくれていると知って嬉しかった。


「ジャン……!」

「改めて言わせてくれ、リコ。今はまだ頼りないかもしれないが、いずれ私は立派な国王になってみせる。そのときは私の妃になってくれるか?」

「……こんなことになっちゃって、断れるわけないだろ!」


 照れ隠しのようにそう言い捨てて、リコはジャンの胸に飛び込んだ。




 ――――十数年後、国王の退位と共に新たな国王となったジャンは将軍を兼任し、最愛の妃であるリコと共にフオルゼン王国の最盛期を築き上げていったのだった。

 



読んでいただきありがとうございます!


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