婚約破棄されたら私は・後編
その日の夕食は、お互いにいつもより口数も少なく静かだった。
彼は私と出会う少し前にご両親を亡くし、兄弟もいない。
私、初めてこの館に来た時、あまりにも静かで驚いたな。
大きな建物なのに最低限の人数しかいないのだから当たり前だった。
私がいなくなったら、彼はまたそんな生活に戻ってしまうのだろうか。
食後のお茶は食堂から談話室に移ってからになる。
彼は使用人たちを全て部屋から出して、私と向き合う。
私はお茶を一口飲んでカップをテーブルに置いた。
「あの、教えてください」
「ああ」
「騎士さまからの荷物の件ですが」
落ち着け、私。
ちゃんと聞くのよ。
「……私の元いた世界に戻れる、ということですか?」
彼は頷く。
それが婚約を白紙に戻す理由。
もう私の婚約者でいる必要がなくなったということだ。
「最初に貴女が召喚された場所にいた、白い服のご老人を覚えているかい?」
あのお爺さんは魔法省というところの偉い方で、儀式を成功させ、召喚された者の能力を鑑定するためにいた。
「あの人を調べて弱みを握るのに三年掛かってしまったよ」
婚約者は今まで見たこともない黒い笑顔でニヤリと笑う。
「実は歴史書に記述が無かっただけで、召喚された者たちを元の世界に帰す術は存在していた」
本当なのか疑いながらも私はドキドキする。
「空間を特定し、一瞬だけ歪めるそうだ。
時間までは遡れないがちゃんと同じ場所に戻れる。
安全も確認出来ているらしい」
ただ、召喚した有能な者たちに戻ることを諦めてもらうため秘匿されていた。
「この世界に悪影響があると判断された者たちだけを送り返していたようだが……貴女は当てはまらない」
そう。 哀しいほど役には立たない上に、さほど影響はないと判断されてたのよね、私。
王族や国の上層部にも報告されていない事実を突き止めた彼は、そのお爺さんを脅して協力を取り付けたそうだ。
「どうしてそこまで」
「助けると約束したからね」
あの日、異世界から攫われて来た私と。
数日後。
忘れもしない、最初に召喚された魔方陣の部屋に来た。
「大丈夫なんですか?、ここ、王城の敷地内ですよね」
今日の同行者は私と元婚約者、騎士さまに白い服のお爺さん。
「大丈夫だよ。 城の者たちには新たな召喚を行うための下見と言ってあるから」
騎士さまは扉の前で廊下の外を伺う。
「召喚した者を逆に送り返すなんてこと、普通は思いもせんよ」
お爺さんは床に描かれた魔方陣を確認している。
国にとって召喚者は本当に道具扱いなのだと、お爺さんは辛そうに顔を歪めた。
「しかし、本当に良いのか?。 その娘さんを送り返してしまって」
お爺さんは元婚約者に小声で問いかける。
「彼女には向こうの世界に家族がいます。 生きているうちに会わせてあげたい」
両親を亡くし家族のいない彼は「帰りたい」と泣いてばかりいた私にずっと同情してくれていた。
まるで小さな子供をあやすように。
三年も一緒に過ごして来て、私にとって彼は保護者以上の存在になっているということに気づいてもくれない。
私はすっぽり被っていたフード付きローブを脱ぐ。
これから元の世界へと帰るため、私は高校の制服に身を包んでいる。
私は元婚約者に近寄り、彼の服を掴んで顔を見上げた。
「あの、最後に二人だけで話をさせていただけませんか」
もうこれが最後だから、思い切って伝える決心をしてきた。
後悔したくない。
お爺さんと騎士さまが黙って部屋を出て行く。
「何だい?」
彼は、いつものように優しい目で私を見下ろす。
「あの、三年間、ありがとうございました」
帰還が決まってから何度も伝えている。
彼は優しく次の言葉を待つ。
「私、本当に感謝してて。
あなたがいなかったら、私、どうなっていたか。
ていうか、だからって訳じゃないけど、私、ずっと、あの。
……あなたのこと、好きでした」
優しい顔も寂しげな背中も、バリバリ仕事してる姿も、のんびり庭を眺めて二人でお茶を飲む時間も、全てが愛おしく思っていると。
しばらく沈黙が続く。
「だから、私、住む世界が違うと分かってたけど婚約者になれて嬉しかったし、このまま結婚するんだ、してもいいんだって思って」
私が再び喋り始めると、彼は片手を上げて言葉を遮る。
「こちらで暮らすしかないから、そんな風に思い詰めてしまったんだね」
と、静かに言った。
「でも帰れるんだ。 もうこちらのことは忘れなさい」
私は、帰れるなら帰りたいとずっとそう思ってきた。
だけど。
「だけど今は、あなたのことが心配で気持ちが揺らいでいます」
正直にそう言うと彼は驚いた顔をした。
「向こうの家族より私を?。 あはは、まさか」
自嘲気味に笑う。
「私、あなたを愛してはいけませんでしたか?」
笑うなんて酷い。
私はムキになって訴えた。
「私、召喚されたのに役立たずで、勉強も出来ないし、やっと礼儀作法が少しまともになってきたくらいだし。
婚約破棄されても仕方ないけど」
彼は、俯いた私を子供を慰めるようにそっと抱き締める。
「すまぬ、それについては謝罪したい。 貴女を突き放すようなことをしてしまった」
私は顔を上げて彼を見る。
間近で見る彼の瞳は今までと少し違う気がした。
「懐かしいですね、貴女のその姿は。 変わった服装でしたが、私にはとても魅力的でした」
短いスカートから伸びる長い脚に目を奪われたと、彼は顔を赤くして告白する。
「あの時から、私はすでに貴女のことが好きになっていたよ」
異性として好ましいという気持ちを隠すため、小さな妹だと思って接してきたと言う。
私たちは両思いだった。
びっくりしたけど嬉しい。
「貴女がこの世界で頼れるのは私だけだ。
他に選択肢のない、私にとって都合良過ぎる婚約は、貴女を騙しているようでずっと心苦しかった」
だから彼は必死で「帰りたい」と泣く私のその願いを叶えようとしている。
それが好きな相手との永遠の別れになると分かっていても。
私は胸がキュンとした。
年上なのに健気で可愛いと思う。
私は自分から彼にギュッと抱き付いた。
「私、帰るのを止めます」
「えっ」
「だって、帰る方法があるって分かったら慌てなくてもいいかなって」
それより今は、この人の傍に居たい。
私がそう言って笑うと彼は一旦離れ、目の前で片膝をついた。
「それが本心なら、もう一度、婚約からやり直させてくれ。
もしこの先、貴女が妻となり母となっても、この世界や私に嫌気がさしたら、いつでも帰れるように手配すると約束しよう」
驚きの提案に私の瞳が潤み、新たな約束に「はい」と頷く。
そして私たちは初めてのキスをした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「お前が婚約し直して半年で結婚した時は驚いたが」
騎士である男性は、今日も友人の館で我が家のように過ごしている。
「ふぉっふぉっふぉっ、その上、一年も経たぬのに奥方がご懐妊とはおめでたいですな」
白い服の老人は因縁のある貴族家の当主を揶揄う。
ゴホンッと咳き込みながら少し顔を赤くした当主は、使用人たちを部屋から下げた。
大貴族の青年は姿勢を正す。
「お二人の協力には心から感謝している」
異世界から来た女性を妻にすることが出来たのは、この二人のお蔭だ。
「ふむ。 ワシにすれば今回の召喚は我々にとって最良であったと思うぞ」
魔法省の老人も幼馴染の騎士もクスクスと笑う。
「他の貴族家や王族が真実を知ったら悔しがるだろうね」
多少、誤魔化しはしたが嘘はついていない。
その青年は大貴族という名家を若くして継いだため、王族のご機嫌取りに王宮に通っていた。
そんな時、ちょうど召喚の儀が行われる。
しかし、まだ魔獣の脅威が少ない時点での今回の召喚は、国王の臆病さを表し、賛同者も少ない。
老人はあの時、現れた若い女性を気の毒に思った。
しかし、能力は素晴らしい。
『英雄の母』
そんなものを初めて見た老人は「彼女自身には魔獣討伐に関する能力はない」と国王に報告した。
おそらく、神が次の危機に備えて与えたのだろう。
将来産まれてくる彼女の子供には特別な力が授かるという「必ず英雄を産む」という能力。
老人は、その娘を大切にしてくれるだろうと優しい青年に託したのだが、まさか脅されるとは思わなかった。
「その節は申し訳ありませんでした」
「いやいや、ちゃんと研究のための援助を約束してもらったのだから構わんよ」
青年と老人は微笑み合う。
「ふふふ、俺も将来が楽しみだしな」
騎士さまは『英雄』なら鍛え甲斐がありそうだとニヤリと笑った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「母上、ここは危ないから下がっていてください」
長男は最年少で騎士団に入った。
「あら、私がついているから大丈夫よ」
長女はまだ子供ではあるが、魔法省から後方支援部隊として派遣されている。
「僕たちも兄様の活躍が見たい!」
「ウンウン。 そのために無理に連れて来てもらったのに」
まだ幼い双子の男の子は、すでに兄に迫る勢いで剣術の修行中だ。
「あははは、頼もしくて結構だ。 だがな、お前たちの母上が怪我をすると父上が怒り狂うから気をつけろよ」
大貴族家の護衛である騎士さまが、子供たちをまとめて面倒をみてくれている。
「うふふ。 魔獣たちが気の毒なくらいだわ」
私は可愛い子供たちに囲まれて微笑む。
今日は皆で魔獣狩りの最前線に来た。
これぞ異世界生活って感じね。
私がこの世界に留まることを決めてから、魔法省のお爺さんが元の世界に手紙を送る術を作ってくれた。
こっそり我が家に提供されたので喜んで利用させてもらっている。
『日本のお父さん、お母さん。
私はまだ帰れませんが、今日も楽しくやっています』
ある日突然、異世界に召喚され、ようやく慣れた頃に今度は突然、婚約破棄された私。
だけど、優しい人たちのお蔭で、私は今日も元気に生きている。
〜 完 結 〜
お付き合いいただき、ありがとうございます