エピローグ 私の居場所
史佳の母親が一年前に亡くなったと知ったのは史佳から再び届いた手紙からだった。
政志さんは先方の家族に連絡を取った。
私にとって関係の無い人達だけど、政志さんは違う。
交際期間を含め、四年も楠野家と山内家は関係があったのだ。
その縁は離婚によって切れてしまった訳だが、政志さんは楠野家の人達から大切にされていたらしい。
最後まで娘の不始末に苦しめられた楠野家。
政志さんの心境は複雑だろう。
「さて、行きますか」
会社に行く政志さんを見送る。
今日は義父母達は町内会の旅行で朝から出掛けて留守。
私は娘達を実家の両親に預けた。
実家には同居する姉の家族が居る。
娘は従姉妹達に会えるので大興奮だ、寂しくないだろう。
私が出掛けるのは史佳と会う為。
興信所で私の携帯番号を調べた史佳から1ヶ月前に連絡があったのだ。
『どうしても話がしたいの...』
危険は感じなかったかと言われたら、嘘になる。
何しろ彼女は色々とやらかしてくれたんだから。
『...だから、お願い』
理由を話す史佳に絆された訳ではないが、会う事を了承した。
政志さん達に報告はしなかった、余計な心配を掛けたくないし、また私達の自宅に押し掛けられては堪ったもんじゃなかったからだ。
電車を乗り継ぎ、1時間を掛けて私の指定したホテルにあるラウンジに到着した。
「...紗央莉さん」
「史佳さん?」
私の姿を見つけた一人の女性が頭を下げる。
一瞬誰か分からなかった、四年前と別人だ。
「今日はごめんなさい」
「いいえ」
柔らかな物腰、以前の様な刺々しい雰囲気は無い。
黒髪に抑え目のメイク、上品な服を見事に着こなしていた。
「それで一体私に何をしろと?」
史佳さんの対面に座り、コーヒーの注文を済ませる。
早速、本題に入ろう、余り長い時間は掛けられない。
「電話で話した通り、何とか私の家族と話がしたいのよ」
「だから、それは無理よ」
史佳が私に連絡してきた理由。
それは自分の家族に連絡する橋渡しをお願いしたいだった。
興信所を使い、ようやく家族の居場所を突き止めた史佳。
しかし名前を名乗る前に、電話は切られてしまったそうだ。
諦めきれない史佳は父親の新しい自宅へ向かったが、そこで待ち構えていた兄妹達に激しく罵倒され、追い返されてしまった。
楠野さん達の気持ちは痛い程分かる。
何の為に縁切りしたんだ、って話だ。
「そんな...」
冷たい様だが私に出来る事は無い。
今日来たのも、史佳が私達家族に危害を加えないか確認する為。
「自分のした事をちょっとは考えたら?」
「分かってるわ...でも」
ハンカチで涙を拭うが、そんな態度に騙されるもんか。
「私にはもう帰る場所は無いのよ...その苦しみ貴女に分かる?」
何を言い出すと思ったら、それを別れた元旦那が再婚した妻に言うセリフか?
「あのね...」
いや落ち着け、ここで煽ったりしたらダメだ。
また政志さんに粘着されたら、今度こそ我慢出来ない。
「縁を切られたとしても、楠野さん達は貴女の家族でしょ?
それで十分じゃない」
「今までの事を謝りたいのよ」
「謝るって...」
手遅れに決まってるじゃないか。
「真面目にやってるのよ...店も順調だし、預かったお金だって」
預かった金じゃないだろ?
立て替えて貰った慰謝料と盗んだ金に手切れ金じゃないか。
「返したところで何も変わらないわよ」
スナックの経営が上手く行ってる事は電話で聞いた。
こっちは別に知りたくも無かったのに。
「私はそんな悪い事をした?
償え無い程の酷い事した?」
「おい...」
しただろうが!!
浮気だぞ?しかも政志さんが種無しだと言い触らしたんだ、バカにしてるのか?
コイツが反省しているのは現在自分の置かれてる境遇だけ、政志さんや自分の家族に対して何も反省してないのがよく分かったよ。
「あなた、政志さんと何の為に結婚したの?」
「それは...」
「答えなさい」
我慢の限界が近い、ここで引導を渡すとしよう。
「幸せになる為よ、決まってるじゃない」
「あなただけが、ね」
「そんな事は」
「無いと言える?
夫婦の幸せって、力を合わせて築き上げる物じゃないかな」
「あなたには子供が居るから、そう言えるのよ。
私も政志さんとの間に子供が居たら...」
おっと、そう来たか。
「たった1年で浮気したくせに」
「黙れ...」
「黙らない」
黙ってたまるか、子供をだしにする奴なんかに。
「確かに娘達は掛け替えのない宝物よ。
それは奇跡の授かり物」
「そら、みなさい」
「でも貴女は棄てた」
「違う!あれが政志の子供だったなら!!」
叫ばないで欲しい。
周りに丸聞こえじゃないか、次にここへ来る機会は無いと思うけど。
「まともな人間は種無しなんか相手に言わないでしょ?」
「だって...」
「自分が悪いのに反省無し、慰謝料も払わず家族に押し付け失踪、そのくせ窮地に陥ったら頼る。
で嫌になったらまた逃げて、別れた旦那の元に。
それは勝手過ぎない?」
「.....」
ダンマリか。
今まで何もその辺りは考えて来なかったのね。
これ以上追い詰めては危険だ。
暴発でもされたら元も子もない。
「全てはこれからでしょ?」
「...何がこれからなのよ?」
「曲がりなりにも今は真面目にやってるんでしょ?
それなら自分に出来る事をやったら?」
「それは?」
わからないか。
立派な人間にはなれそうもないな、私もまだまだだけど。
「幸い店は繁盛してる、それは貴女の生き方が実を結んだ証拠でしょ?
だから続けたら良い、和解のチャンスはきっと有るわ」
「無いわよ...話すら聞いて貰えないのに」
「まだ数年じゃ当然でしょ?」
「じゃあ何年掛かるっていうの?」
そんなの分かる筈ない、でも...
「謝るしかない、謝って、謝り続けるの。
それしかないわ」
「でも...」
「でもじゃない。
家族なんだから、きっとチャンスはある」
「...本当に?」
「ええ」
無いと思うが。
「...分かったわ、ずっと謝る。
お母さんの、家族の為にも」
「そうしなさい」
どうやら前に進んでくれるか。
「貴女は年下なのに」
「まあね」
確かに貴女より13歳下だが。
「でもありがとう」
「どういたしまして」
スッキリした顔で席を立つ史佳。
結局政志さんに対する謝罪は最後まで無かった。
きっと愛情なんか最初から無かったのだろう。
いや、史佳は自分しか愛せない人間だ。
自分の家族すら殆ど眼中に無い、本当に自分本位だ。
でも仕方無い、そういう人間なら、それで良い。
これで少しは安心だろう。
矛先が向かう楠野家にはちょっと迷惑だろうが、縁切りしても家族だからしょうがない。
「さて帰るとするか」
愛しい我が子、大切な家族。
それが私の生き甲斐、私の居場所はここに有るのだから。
ゆっくり席を立つ私の頭から、史佳の事は既に消え失せていた。
ありがとうございました。