第2話 ここは貴女の場所じゃない
『政志さんの元妻が失踪した』
その連絡に政志さん達は女に関する情報を集め始めた。
女がここに来るかもしれないと警戒しての事だ。
私は政志さんの元妻、楠野史佳の顔を知らない。
この家には史佳の映像はおろか、写真の一枚すら無い。
離婚後、全部捨ててしまったから。
史佳の実家から写真を取り寄せて貰ったが、それは全て十数年前の物ばかりで最近の写真は無かった。
『...すみません、これしかありません』
電話の向こうで申し訳なさそうに史佳の両親が謝った。
話によると、見つかってから半年、写真を撮る機会が無かったそうで、この姿より現在は随分老け込んでいるとの事だ。
それでも無いよりマシなので、女の写真をインターホンのモニター上に貼り付けた。
これで似た人間が来たなら家に上げないぞ。
しかし女は一向に現れない、気づけば1ヶ月が過ぎていた。
「よく乾いてる」
庭に干していた洗濯物を取り込む。
お腹が随分出てきて、軽い家事をするのも一苦労だけど、少しくらい身体を動かさないと。
そうでなくても、一人で外に出るのを止められているんだから。
時刻は昼の2時を少し過ぎた。
政志さんは会社で、お義父様とお義母様は私の姉からベビーカーを貰いに行っている。
ベビーカーは元々兄が8年前に購入した物。
それを2年後に姉が譲り受け、そして今回私達が使う。
新しく購入するのも考えたが、義父母が使いたいと言った。
綺麗に使われていたのと、兄と姉の子供達は病気一つせず、元気いっばいに育ったから、縁起が良いという事らしい。
もちろん、危険が無いかメーカーには念入りに調べて貰った。
「楽しみね」
早く子供達を乗せて家族みんなでお出かけしたい。
もうちょっとで夢が叶う。
元気な私達の子供達、早く会いたいな...
「ちょっと良いかしら?」
「はい?」
声に振り返ると、一人の女性が家の柵越しに私を呼んでいた。
年の頃は50過ぎくらい、化粧が濃い、髪も赤茶に染めている。
初めて見る人だ、一体誰だろう?
「どちら様...」
「ここは山内さんの家でいいのよね?」
「そうですが」
「何か家の感じが変わってるから、分かんなかったわ」
言い終わらぬ内に女性が外玄関の扉を開け、中に入って来る。
随分遠慮が無い、義母の知り合いだろうか?
「どちら様ですか?」
とにかく誰か聞かなくては、勝手に家に上げる訳にいかないし。
「貴女こそ誰?」
「は?」
質問に答えるつもりは無いのか。
「...この家の者ですが」
「この家の人間?」
「はい」
女性はじろじろと私を見る。
値踏みするような目付き、近づかれると香水の臭いが凄い。
妊娠以来、臭いに敏感だから吐き気がする。
「お義父様とお義母様は?」
「へ?」
なんて言ったの?
「だから、貴女は山内さんの親族なんでしょ?」
「そうですが...今、お二人は留守です」
「あっそ、ちょっと上がらして貰うわね」
「待って下さい!」
なんなんだこの人は!
「退いてくれない」
女は手にしていたキャリーバッグで私を強引に押し退け、中に入る。
これ以上抵抗しては不味い、お腹の子供達に何かあったら大変。
「何してるの、早く案内しなさい」
「はあ...」
とにかく従うしかなさそうだ。
隙をみて警察に連絡をしなくては...
「どうぞ」
「ふん」
とりあえずリビングに女を座らせる。
女は憎々しげに私の淹れたお茶に手を伸ばした。
「あんた山内さんの親戚みたいだけど、どういった関係?」
一体コイツは何様だ?
「あなたこそ...」
いや待て、コイツはもしかして?
「ひょっとして楠野さんですか?」
「そうよ、山内政志の妻、山内史佳」
「あの...」
どこから突っ込んで良いのか。
とにかく女は政志さんの元妻である事は分かった。
にしても、写真と変わりすぎだ。
確か43歳のはずだが、肌はボロボロ顔には深い皺が刻まれてるし。
「なによ」
「その...政志さんは史佳さんとは離婚されたと聞いていますが」
「今はね、また再婚するから」
「はあ?」
何を馬鹿な妄言を。
「見たところ妊娠されてるみたいね、子供を産んだら早く出て行きなさい。
山内さんに取り入って上手く潜り込んだみたいだけど、あつかましい」
『あつかましいのはどっちだ!』
必死で声を抑える。
ここまで非常識だとは...
「まあ、良いわ。
後はお義母様達が帰って来たら話をしましょう」
そう言うと女は勝ち誇った笑みを浮かべる。
一体どこからそんな自信が湧いてくるんだろう?
史佳の両親は捜索願を出したらしいが、事件性も無い中年女性の失踪とあって、警察も本気で探してないみたいだけど。
「大丈夫か!」
「紗央莉さんどこ?」
玄関の扉が開き、二人の声が聞こえる。
さっき台所で、お茶の用意した際メールをみんなに送ったから、慌てて帰って来てくれたみたい。
「お義父様...お義母様も、お久しぶりです」
「一体なにしに来たんだ!」
「そうよ、早く出て行きなさい!!」
お義父達の姿に女はしおらしく頭を下げる。
当然だが、お二人は怒りを滲ませて女を睨み付けた。
「あ...あの、また政志さんと...」
「馬鹿を言うな!」
「政志は再婚して幸せに暮らしてるのよ!」
「へ?まさか?」
女が私を改めて見る。
どうやら察したみたいだ。
「山内政志の妻、紗央莉と申します」
軽く頭を下げた。
「う...嘘よ、なんで?」
何が嘘なのか?
ああ、そういう事か、女の視線が私のお腹に向いているから。
「紗央莉大丈夫か!!」
その時部屋中に政志さんの初めて聞く大声が響いた。
「...政志さん」
「お前に名前を呼ばれる覚えは無い!」
掴みかからんばかりの勢いで政志さんは女に詰め寄る。
これは不味い、下手に手でも上げたなら面倒な事になる。
「私は大丈夫です、ちょっとびっくりしましたが」
「そ...そうか、すまない」
「ごめんなさい、お腹の子供に障りでもしたら大変だわ」
「そうだな」
どうやら少し冷静になってくれたみたい。
「...ふざけるな」
「何がです?」
「ふざけるな!
何が子供だ!コイツは種無しだぞ!!
誰の子供を仕込んだ?この嘘つき女が!!」
髪を振り乱し女は激昂する。
正に夜叉、いや最早狂人か。
「この子は間違いなく政志さんの子供ですよ。
ちゃんと出生前のDNA鑑定は済ませてますから、貴女と違って」
「...な」
妊娠が判明した時、私は病院でDNA鑑定を受ける事にした。
もちろん自信があったし、政志達さんも私を疑ったりしなかった。
でも証明したかったのだ、政志さんは決して不妊なんかじゃないと。
「そんな...妊娠の可能性は殆ど無いって」
「確かにな、俺も驚いたよ」
「そうね...奇跡だとお医者様も」
それは正に奇跡、更に。
「しかも三つ子だし」
「あ...ああ」
びっくりしたか、ここまで行くと声も出まい。
私の家系は代々多産なのだ。
兄の子も、姉の子供達もみんな三つ子、更に私達兄姉も三つ子なのだ、参ったか!
「嘘よ...そんな」
「早く出て行きなさい、さもないと警察を呼ぶぞ」
「いや!!」
お義父様の言葉に女は慌てて立ち上がる。
足が痺れていたのか、何度も転倒を繰り返しながらキャリーバッグを引っ掴み、家を飛び出して行った。
「この畜生腹が!」
遠くから女の叫び声が聞こえる。
畜生腹とは酷い言われ様だ。
「畜生はアイツだよ」
「本当に、紗央莉さんは私達の宝物だ」
「全くよ」
優しく微笑む政志さん達に胸が熱くなる私だった。
久し振りのエピローグ行きます!