閑話 行き着く場所
史佳...
「...これからどうしよう?」
うるさい両親から逃げ出したは良いが、手持ちのお金は後少ししかない。
家から持ち出した現金や金品類は50万近くあったのに。
私の足元には大きなキャリーバッグが一つ。
中には着替えと日用品が詰められている。
「何が私の為よ、世間体しか頭に無いくせに」
憎々しげな両親の顔が頭に浮かぶ。
1ヶ月前に実家を飛び出したが、ホテルを転々しながら過ごしたから、所持金は残り数万しかない。
「こんな事になるなら、離婚しなきゃ良かったわ」
今さらながら離婚が悔やまれる。
元旦那の政志は私より3歳下で、告白も向こうからだった。
自分で言うのもなんだが、容姿には自信があったし、若い頃から男には苦労しなかった。
だから適当に付き合って頃合いを見て別れるつもりだったが、政志は一流企業に勤めていたし、容姿だけでなく性格も良かった。
なにより私も当時30前だったから、そろそろだと結婚を決めたのだ。
でも夫婦というより、仲の良い友達関係の様だった。
そんな結婚生活だったが、悪く無かったと思う。
まあ結局は私の浮気で終わってしまったけど。
浮気相手は昔の恋人だった亮二で、軽い遊びのつもりだった。
結婚生活まで壊すつもりは無かった、だからバレた時に政志とやり直したいと思ったんだけど。
亮二と再会したのは偶然だった。
仕事帰りに寄った行きつけのバー、そこに亮二は一人で飲んでいたんだ。
『亮二はまだ独身なの?』
『そうだよ、史佳は?』
『わ...私もまだなの』
昔話に花が咲き、そこに亮二の言葉。
私は咄嗟に嘘を吐いた。
普段から指輪を外していたし、亮二との会話を邪魔されたく無かった。
政志に対しての罪悪感はあった。
しかし仕事に忙しい人だったので寂しさが上回ってしまっただけだ。
密会は一年、その間何度も止めようとは思った。
だが政志より亮二との身体の相性が良かったので、どうしても別れられなかった。
でも妊娠した時、ようやく私は亮二と別れる決心が付いた。
これで昔の恋は終わり、これからは良い母親になるのだと。
亮二に別れを告げ、妊娠した事を政志に報告した。
政志が不妊だと知らずに...
亮二とは必ず避妊をしていたし、政志との夫婦生活も有ったから、問題無く政志との子供と思っていた。
しかし違った、政志は病院に行き、不妊が分かったのだ。
『どういう事だ...』
病院の診断書を前に政志は呻いた。
不味い事になったと思った。
亮二の事は当然言えない、何しろ私は独身だと彼に言っていたし、既に別れていた。
『...丁度良いじゃない』
苦し紛れの言葉だったが、本気だった。
政志となら家族として、この子も含めやっていけると思った。
『そんな事出来るはず無いだろ...』
信じられない物を見る目で政志は呟いた。
それから離婚まであっという間だった。
亮二の事もバレ、私は両親から激しく叱責されてしまった。
『お前騙していたのか!』
ようやく連絡した亮二にも怒鳴られた。
こうなったら亮二と結婚するしかないと迫ったが...
『ふざけるな!不倫する女と分かって結婚する馬鹿が居るか!!』
亮二はそう言って、政志にも連絡をして謝罪をした。
私との密会も全て政志にバレ、悪質という事で200万という慰謝料まで請求されてしまった。
それなのに亮二はお咎め無し。
まあ幾らかの金を亮二は政志に無理やり支払ったらしいが。
全てが馬鹿らしくなった私は子供を堕ろした。
こんな奴の子供なんか欲しくも無い、責任の一つも取らないのに。
数ヶ月後、体調が戻った私は実家を出た。
慰謝料を支払う為と両親には言ったが、当然払う気など最初から無かった。
当たり前だ、私は何一つ悪い事なんかしていない。
不妊のくせに私と結婚した政志。
子供が出来たのに責任を取らず、私を罵倒した亮二。
娘の私より世間体を気にし、離婚に賛成した両親。
全てが嫌になったのだ。
だから行方を眩ませただけ、後の事など、どうでも良かった。
それから私は素性を隠し生きて来た。
幸いにも東京は身を隠すにピッタリだった。
いくつもの仕事に就いた。
ホステスを始め、スナックの雇われママ、全ては生きる為だった。
数年後、店のオーナー、葛名満夫の愛人になった。
これで子供が出来れば、一生安泰だと考えたのだ。
しかしいくらヤっても妊娠しない。
危険日はもちろん、避妊具に細工してもだ。
不安になり、婦人科にも掛かった。
『異常はありません』
診察した医師はそう言い、更に数年が過ぎた。
『別れてくれ、任せてる店も来月までだ』
『え?』
遂に恐れていた言葉が葛名から告げられてしまった。
『お前は用済みなんだよ』
『そんな...なんでもしますから』
すがり付くしかなかった。
もう四十代、容姿の衰えは隠しきれない。
悪い事に生理不順で妊娠すら難しくなっていた。
『それじゃ』
『待って!!』
必死に葛名のスーツを掴む、貯金なんか無い。
もし捨てられたら、破滅しかなかった。
『最後に良いことを教えてやる』
『...良いこと?』
『俺はパイプカットしてるんだ』
『...そんな』
だから妊娠しなかったのか。
醜悪な笑みを浮かべ、葛名は部屋を出ていく。
こうして私は何一つ手にしないまま、全てを失ったのだ。
後の事は余り覚えていない。
数日後、気づけば私は病院に居た。
どうやらスナックで倒れたらしい。
病院から連絡が両親の元に行き、私は十数年振りに再会した。
『早く働きなさい』
『そうよ、建て替えたお金は急がなくても良いから』
実家に帰ってから、毎日両親は同じ言葉を繰り返した。
そんな気力なんか出るはず無い、邪険に扱われているのが分かった。
きっと私が居たら兄妹達が寄り付かないからだと。
だから家を出たのだ。
持ち出した金は手切れ金、文句は無いだろう。
「...そうだ政志に」
名案を思い付く。
政志に会えば良いのだ、きっと不妊の彼は今も独り身に違いない。
上手く行けば再婚出来るかも、いや必ずそうしてみせる。
政志の連絡先は分からない、だが彼の実家は覚えている。
正直あの二人に会うのは気か重い。
だが、離婚まで上手くやっていた。
きっと寂しい老後を過ごしているだろう、面倒を見ますとか甘い言葉でも掛ければなんとかなる。
二人を懐柔したら、次は政志だ。
「今度は裏切ったりしないからね」
新たな希望を胸に、私は駅へ向かった。