ベアトリーチェと撲殺魔っ
ワシも長く生きておるが、このような光景を見るのは初めてじゃ。
ドドドドドドドドドドドドドドッ!
地平線を埋め尽くす、獣、獣、獣。津波のように押し寄せるそれは、簡単にワシらを飲み込んでいった。
「う、うわあああっ!?」
「きゃああああっ!!」
馬の横を熊が、狼が。
腹の下を、猪が、鼠が。
頭上を鳥が。
ドドドドドドドドドドドドドドッ!
ワシらを障害物としか見做していない様子で、馬を避けて駆け抜けて行く。
「こ、これは聖女殿の仕業なのかの?」
「せ、先頭で笑っていらっしゃったのは団長でしたから、ま、間違い無いかと」
…………む?
「そう言えば、いつの間にやら首だけ……いや、リブラ侯爵夫人が居らんのう」
「え……あ、あれ? さっきまで確かにそちらに居た筈ですが……?」
忽然と姿を消しおった。まあ、この状況下じゃからの、想像はできるが……。
「きゃああああああああっ!?」
ドドドドドドドドドドドドッ!!
あらあら、無粋な男性陣の中に一輪だけ可憐な花が咲いていたものですから、ついつい摘んできてしまいましたわ。
「リ、リファリス!?」
「ご機嫌良う、リブラ侯爵夫人……どうですか、馬以外の動物の乗り心地は?」
突然馬上からかっ浚われたリブラは、少し頬を赤らめてわたくしを睨みつけます。
「ちょっとリファリス、心配したんだよ?」
「仕方無いじゃありませんの。『遠出の回廊』を抜けた先が中央山地のド真ん中で、しかもたった一人で放り出されたんですのよ……そういうリブラも早かったのですね」
「え、私?」
「セントリファリスからここまで、普通なら一ヶ月の道のりですわよ」
「そ、それは…………軍事機密だから言えません」
ふふ、どうせ軍専用の回廊か何かがあるんでしょうね。
「そ、それよりリファリス、私には私の軍が」
「必要ありませんわ。だって、ここから先はわたくしと」
ドドドドドドドドドドドドドドッ!!
「この子達と、貴女とで攻め込むんですもの」
「な、何で私だけなのよ」
「あら、連れないですわね。貴女、今はわたくしの何なんですの?」
そう聞かれたリブラは、ぷいっとそっぽを向いて。
「……リファリスの……弟子です」
そう呟きました。
「……ふふふふ……あはははははははは! 良いわぁ、良くってよ、リブラ! 貴女がわたくしの弟子だと言うのでしたら、師匠の言葉を重きにして下さるんですのね!?」
「勿論です、師匠」
うふふ、うふふふっ!
「ならばリブラ、腐食砂漠を越えて、魔国連合の首都まで駆け抜けますわよ!」
「……っ……わ、分かったわよ! こうなったらとことん付き合ってあげるわよ! 天国だろうが地獄だろうが、どこまでもね!」
そう叫んだリブラに対し、わたくしはニィィッコリと嗤います。
「あらぁぁぁ、天国にも地獄にも行けませんわよぉぉぉ?」
「……え?」
「だぁぁぁって、リブラが何回死んだって、わたくしがまた生き返らせるんですものぉぉぉ…………あは、あはははは、あはははははははははは!」
ドドドドドドドド……
「……行ってしまいましたね」
「う、うむ……」
「……追いかけますか?」
「う、うむ……あ、いや、とりあえず待機じゃな。リブラ侯爵夫人が残していった軍もあるし……何より」
「何より?」
「……あの軍勢に……いや、群勢に敵う者は居らんじゃろ。ワシらは聖女殿の帰りを待つ事にしよう」
「そう……ですね」
ドドドドドドドドドドッ
……森を抜けて荒野に出たのですが、先に広がる紫色の霧は……。
「リファリス、あれが腐食砂漠よ! 毒の霧だわ!」
「分かりましたわ。『広域展開』『穢れを浄化したまえ』」
パアアアア……
巨大な魔方陣が現れ、立ち込めていた霧を吸収していきます。
「え、霧が晴れていく?」
「毒は悉く浄化します。もはや毒の砂漠では無く、単なる岩砂漠に過ぎませんわ」
「つ、つまり、このまま駆け抜ければいいのね?」
「その通りです。お願いしますね、大熊さん!」
グオオオオオオッ!
「お、大熊って…………こいつ、〝獣王〟じゃないの!」
「獣王、ですの?」
「中央山地を縄張りにしてる凶暴な大熊よ。あまりにも強くて誰も敵わないから、猟師の間で〝獣王〟とか〝腕の王〟とか呼ばれてるの」
「獣王……アームキング……」
「それ以外にも、首の三日月模様が赤毛なもんだから〝紅月〟とも呼ばれてたわね」
「あら、貴方も紅月ですの? 実はわたくしも〝紅月〟と呼ばれてますのよ」
グオオッ!
「あら、謙遜しなくて宜しくてよ。同じ〝紅月〟同士、仲良くしましょう」
グオオッ!
「か、会話してる!?」
「この大熊さん、非常に賢いですわよ。わたくしの言葉が理解できるみたいですわ」
「い、いや、熊の言葉を理解してるリファリスも大概だけど……」
「しかし、同じ〝紅月〟と呼ぶ訳には参りませんし、何と呼びましょうか」
「別に、熊は熊で良いんじゃない?」
「……リブラ、貴女は自分の愛馬に名前を付けませんの?」
「つ、付けてるけど」
「それと同じですわ…………さて、何と呼びましょうか」
「……馬の名前がリファだなんて言えない……」
「何か仰りまして?」
「あ、いやいや、何でもないよ。熊なんだから、ベア繋がりでベアトリーチェ、とか?」
ドドドドドドドドッ!
「さあ、初戦です。あの砦を一撃で粉砕しますわよ!」
グオオッ!
「さあ行きなさい、ベアトリーチェ!」
「ほ、本当にベアトリーチェになっちゃったよ……」
物騒なベアトリーチェ。




