令嬢は美貌の小公爵に溺愛される
月の光よ
今夜もあの人を優しく照らして
私達が夢で逢えるように…
「お姉様ぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
ポメラニアンとチワワを足したような愛らしい少女が、勢い良くアンジェラに抱き付いた。
「どうなさったの?そんなに勢い付いたら危ないですわ。」
「だって、今日やっとお姉様にお会いできたんですもの!」
ぎゅっと抱き付いた腕を離さず、アンジェラを見上げる青い瞳はキラキラ輝いた。
本日の園遊会は若手中心で、顔見知りも多く皆話に弾んでいる。そんな中でも彼らは一際目立っていた。
「あら、またセルジュ様がこちらをご覧になっていらっしゃるわ。」
ミシェルの視線の先に目をやると、いつものコンビが庭の隅でたむろしていた。
この国の王子マクシミリアン・ドゥ・レグルドールと、王弟である公爵の子息セルジュ・ドゥ・サルジャンテ。
マクシミリアンは爽やかでノーブルな顔立ち。体躯の良さと健康的に日に焼けた肌が精悍さを際立たせている。快活な笑顔を常に振りまいていた。
セルジュは美の女神も斯くやあらんと言われるほどの美貌の持ち主。加えてネコ科の猛獣を思わせるしなやかな体つきと鋭い目つきは、王子と対照的で少し近寄り難い。
二人は今日も人々の視線をさらっていた。
アンジェラが彼らの方を見ると、一瞬セルジュと目が合ったような気がしたが、ふいっと目を逸らされた。
“また睨まれてた。”
セルジュと目があった瞬間、確かに彼はアンジェラを睨みつけていた。しかも気付けば彼はいつも彼女のことを睨んでいる。あの顔から放たれる冷徹な鋭い視線は、ゾッとしないものではない。正直いって怖い。
“私、気づかない内に何かしちゃったかしら…。”
彼らは地位も身分も容姿もこの国でトップクラスだ。無論、頭脳も明晰。女性のみならず、男性にも人気が高い。
そんな内の一人から嫌われているのだと思うと、アンジェラの気分は非常に沈んだ。しかもその原因が何なのか分からない。分からないので謝りようも無いし、原因を改善しようも無い。
“関わらないようにするのが一番なんだけどね。”
それでも、自分が彼の視界に入らないようにするのは、中々難しい。特に、アンジェラを慕ってくれているラファエラは彼の従姉妹に当たる。彼女と会う時には大抵セルジュの監視付きなのだ。アンジェラが彼女に何かするのではと疑っているのだろうか。
“何もしないのに。”
「お兄様達なんてどうでも良いですわ。そんなことより… … …」
アンジェラは自分が平凡だと思っていた。背は高くもなく低くもなく、太ってもおらず痩せてもおらず、頭も飛び抜けて良くも悪くもなく、容姿も華やかでも地味でもない。
しかしアンジェラを始めとするミシェル、ラファエラの三人は、年頃の男性から見れば高嶺の花であり、女性からすると憧れの対象であった。
家柄、容貌、堂々たる立ち居振る舞い、傍目には彼女らに欠けているものは無いように見えたのだ。
そんなアンジェラの元に、父、侯爵から告げられた言葉は、まさに青天の霹靂であった。
「え!?お父様。もう一度おっしゃってくださいますか?」
「アンジェの嫁ぎ先が決まった。サルジャンテ公爵家嫡男、セルジュ殿だ。」
いくら、高位貴族は家を存続する為の政略結婚が主流とはいえ、選りにも選って、アンジェラにあの冷徹な眼差しを向けるセルジュだ。
「お、お父様、本当にセルジュ様ですの?何方かとお間違えでは?」
「いや、間違いは無い。公爵閣下はアンジェを次期公爵夫人にとお望みだ。」
アンジェラは全身の血の気が引いて、その場にへたり込みそうになるのを堪えた。
アンジェラの父は娘の様子に、公爵家に延いては王家の血筋に怖気付いたのだと考えたようだ。
“これは、どういうこと?”
茫然自失のままアンジェラは父の執務室をあとにする。自室に戻るとそのまま’ぽすん’とベッドに倒れ込んだ。
アンジェラは考えを巡らせる。あんなに自分を嫌っているセルジュが、自分との結婚を望むわけが無い。サルジャンテ公爵閣下の意向により、逆らえなかったに違いない。
アンジェラにとっても、この結婚は不幸になるとしか思えなかった。
これは畏れ多いけれど、セルジュから断ってもらうように頼んでみよう。もしできるなら穏便に結婚を回避する方法をお互い模索した方が良い。
少なくとも公爵の決定にアンジェラが逆らえるわけがない。でもセルジュが嫌だと言えば、公爵も諦めてくれるのでは無いだろうか。
「お姉様!あのお兄様と婚約って本当ですの?!」
アンジェラは朝からラファエラとミシェルに捕まった。教会の礼拝に訪れた人達を避けて人気の無い庭の木の陰に移動すると、ラファエラは開口一番本題に入る。アンジェラは困ったように顔を歪めて答えた。
「…ええ。昨日父から言われました。」
「なんと言うか…御愁傷様?」
ミシェルは無表情のまま頭の上に大きなハテナマークを浮かべて首を傾げた。
「どうしてこんなことに…」
アンジェラはセルジュの凍りついた視線を思い出し、身を震わせた。ラファエラは気まずそうに視線を落とす。
「私、セルジュ様にお話をしてみようと思います。」
「お姉様?」
ぽつりとアンジェラは呟くと、他の二人に向き合った。
「ちょうど顔合わせの日に二人の時間を作っていただけるはずです。あんなにきら…よそよそしいセルジュ様が、私と婚約などと、何か理由があるのかもしれません。場合によっては白紙に戻せるかもしれませんし。」
「…え、あ、いや、白紙は…難しいのでは…」
「それでも。お話してみますわ。」
「…大丈夫かしら?」
両家の顔合わせは、公爵邸で行われた。季節も春の花が咲きほこる頃、公爵邸最上級の応接間にて双方の両親と、若い二人が対面し形式上の約束を終えたあと、ありがちな「庭を案内して差し上げなさい」と二人は追い出された。よく手入れされている庭園の遊歩道を、アンジェラはセルジュの後ろについて歩く。
“沈黙が重い…”
両家の挨拶で名を名乗ってから、セルジュは一言も口を利かない。
青天に映えるミモザの花々や春の柔らかな陽射しとは裏腹に、アンジェラは気分が沈んでいた。これからセルジュに婚約を白紙撤回するための説得をしなければならない。
いくら政略結婚とはいえ、よりによって嫌っている相手と結婚するなどと、セルジュの立場なら拒否して当然ではないかと思うのだが、それを嫌われている自分から言い出すのはどうだろうか。
無言のままガゼボに案内され、既に設えてあったテーブル席に落ち着く。さわさわとお茶の用意をした使用人らがいなくなってから、アンジェラは勇気を振り絞ってセルジュに話しかけた。
「あの、セルジュ様…」
セルジュはティーカップを持ったまま、ピクっと眉を上げた。
アンジェラは緊張し過ぎて、ついミシェル達と話している時のままの呼び名で呼んでしまったことに気付く。
「あ、馴れ馴れしく申し訳ございません。サルジャンテ小公爵様。」
「…セルジュ、でいい。」
「……ありがとうございます。」
“良かった、怒ってない…”
自分の迂闊な失態に動揺したが、事態が悪化せずに済んで平静を取り戻す。
「貴女は…アンジェラ嬢と呼ばせてもらっても?」
「はい。いかようにもお呼びくださいませ。」
「……」
再び沈黙が流れる。
気まずそうに紅茶をすすっていたアンジェラは、やがて意を決したように顔を上げた。
「セルジュ様。お尋ねしたいことがございます。」
セルジュはティーカップから目を上げ、小さく頷いて先を促した。
許可を確認したアンジェラは続ける。
「セルジュ様は、この婚約に同意しておられるのですか?」
「…何?」
一瞬鋭くなったセルジュの視線にたじろいだアンジェラだが、勇気を奮い立たせて続ける。
「貴家と我がラプレミエール家に、政略的価値がどうあるのか、詳しくは私には分かりかねますが、その、セルジュ様ご自身は、相手が私で大丈夫なのでしょうか。私なんかよりももっと…」
「いえ、貴女しか有り得ません。」
アンジェラの言葉が終わらない内に、セルジュはきっぱり否定した。
“遠回しに言い過ぎたかしら?”
セルジュは王族の血をひくためか、家の更には国の有益性が、個人の好き嫌いを遥かに上回るということだろうと理解した。
でもそれだと結婚後の生活はどうなるのだろう。表では仲睦まじいとまでいかなくても、それなりに上手くいっている夫婦に見せることはできるかもしれない。
しかし、セルジュはアンジェラを睨み付けるほどあからさまに嫌っている。家庭内別居ならばまだ良いが、家の中で冷遇されたらどうしようかと考える。
最近読んだ恋愛小説でも、主人公が夫に嫌われて嫁ぎ先で冷遇される話がいくつもあったではないか。
“でもこれってどう訊いたらいいの?”
「…その、結婚後は」
「私に爵位が譲られ次第、両親は領地に引っ込みます。姉二人は既に嫁いでおりますので、私たち二人だけで王都住まいになります。」
セルジュはカッと目を見開く。鋭い眼光がアンジェラを刺す。
“ひっ…!”
「ご心配でしたら、すぐにでも公爵邸に移られますか?」
「いえ、そこまでして頂くわけには参りませんわ。」
悲鳴を上げそうになったがなんとか堪え、アンジェラがあわてて断ると、セルジュの眼光が弱まった。
「…そうですか。」
“恐かった…あんなに目を見開いたお顔を初めて見たわ。真正面から見るとかなりの迫力ね。”
アンジェラは表情こそ変えていないが、背筋を変な汗が伝った。
「セルジュお兄様、アンジェラお姉様とお会いしてどうでした?まさか、余計なことを口走っていないでしょうね。」
顔合わせの二日後、王宮の奥、王族だけが利用する中庭に従兄弟達が集っていた。
セルジュはひとつ物憂げな溜息をついて口を開いた。
「アンジェ、ああ僕の天使…。…夢のような時間だった。何度このまま時よ止まれと願ったことか。彼女を思い出すだけで胸が高鳴る。流れるブルネットの髪。憂いの影を落とす睫毛。私を見つめる色の瞳。陶器の様に滑らかな頬。薔薇色に誘う唇。嗚呼…願わくば、あの人の白く柔らかな肌にそっと口付けを捧げたい…。」
「お兄様はいちいち言い方がエロいのよ!」
「それは私も否定できないね。」
ラファエラもマクシミリアンも、これがセルジュの通常運転だと知っている。
アンジェラは嫌われているとばかり思っているが、実際はその逆で、セルジュはずっとアンジェラのことが好きだった。
「好き?そんな簡単なものではない。この想いは幾千万の星々に届くほど大きく海の底より深い愛だ。」
「うわ、重!」
「お姉様、お気の毒に…」
そうしてアンジェラとセルジュに近しい人々は彼の気持ちを知っていた。セルジュがどこに行っても、ストーカーのようにアンジェラを見つめているのを何度も目撃しているからだ。
一応彼の名誉のために付け加えておくと、彼はアンジェラに付き纏ってはいない。ただ、アンジェラの参加する所には必ず参加しているだけである。
「本当なら、彼女の吐息を感じる距離で、朝から晩まで片時も離れず、彼女の美しい声だけを聞き、彼女の輝く瞳を見つめていたい。そして跪いて彼女の足に…」
「うわ!きも!!」
「それは変態ですわよ!」
ポエティックな言い回しだが、内容はどう贔屓目に見てもただの変態である。
アンジェラに対してはずっとこんな風なので、セルジュはそれを危惧したラファエラとマクシミリアンの二人に、アンジェラと会う時はできるだけ言葉を発するなと言い含められている。
「どうして君はアンジェラ嬢のことになると、そう馬鹿になるんだ…」
「気安く彼女の名を呼ばないでいただきたい!」
「はいはい、悪かったよ。」
「そう。あの時彼女は無意識に私の名前を呼んでくれた。あの、小鳥のように愛らしい声で。「セルジュ様」、と。」
「…馬鹿すぎますわ。」
セルジュは父公爵の選んだ何人かの結婚候補者の中から、迷わずアンジェラを選んだ。
それは、数年前のある出来事が始まりだった。
「痛!」
すれ違いざま、セルジュの上着のボタンに淑女の髪が引っかかった。またか、とセルジュは内心溜息を吐く。こうやって、セルジュと話のきっかけを作ろうとする御令嬢方が決して少なくなかったからだ。
「動かないでください。今解きますので少しそのままお待ちいただけます…え?!」
うんざりした態度を見せるわけにもいかず、舌打ちしたい気持ちも抑えて、絡まった髪を解こうとすると、その淑女はあろうことかプチッと自分の髪の毛を抜いてしまった。
「この方が早いですわ。」
「で、ですが、貴女の美しい御髪が…」
「髪ならすぐに生えますわ。こちらこそ失礼いたしました。申し訳ございませんが、絡まった髪の毛は処分していただけますか?」
「あ、ええ…」
「ありがとうございます。では、失礼致します。」
唖然とするセルジュを残して、その淑女は颯爽と歩いて行ってしまった。後に残ったのはボタンに絡み付いた彼女の髪の毛と、シトラスの香りだけだった。
家に着いてから彼女の名前を訊かなかったことに気づいたが、素性はすぐに知れた。同年代の中でも目立つ三人組の一人だったからだ。
三人の内の一人はセルジュにとって従姉妹に当たるラファエラで、件の淑女アンジェラの崇拝者であった。おかげで彼女の情報はラファエラを通して具に知ることができた。
「お兄様はお姉様に興味がおありですの?」
「いや、ああ、まあ…」
「へえ、珍しいね。たくさんの女の子に付き纏われてから、あんなに女性不審になっていたのに。」
三人掛けソファーに一人、身を預けるように座り、そう言う従兄弟のマクシミリアン王子は、自分の立場もあって女性の対応はそつがない。
「そうですわね。でも趣味は悪くないですわ。むしろお兄様にはもったいないお方ですわね。」
ラファエラはお茶を飲みながら平然と言い放つ。
三人はそれぞれ王家の姉弟を親にもつ従兄弟同士で、年も近いことから、なにかと顔を合わせ他愛もない話をするのが常だった。
セルジュは壁際のサイドボードに寄りかかり、ハンカチを大事そうにそおっと広げた。ハンカチには一本の長いブルネットが挟まっている。
その髪の毛はあの時からずっとセルジュの心を捉えて放さなかった。
「…いや、ちょっとそれもどうよ。」
そんなことがあってから、セルジュはブルネットの淑女に無意識に目が行き、シトラス系の香りに振り向くようになった。
「なあ、お前がイイって言っていたあの子、どうだったんだよ。」
「それが「セルジュ様がいい」とか言われて振られてんの。」
「うるっせーな!敵うわけないだろ相手は王族だぞ!」
「見た目もな。」
「でもあれだろ。女嫌いなんだろ?だからアプローチしても無駄だろ?」
「それでもいいんだとさ。」
「誰のものにもならないからいつまでも好きでいられるってことじゃねえの?姉貴がそんなこと言ってた。」
「なんだよ。それが作戦かよ。身分も金も持ってるのに、女の人気も欲しいのかよ。」
「マジか〜。」
他人の立ち話は聞くもんじゃないなとセルジュは思った。今夜の夜会も御婦人方に追い回され、やっと一人になれた所で、今度は同じ男性達のやっかみを受けてしまうとは、ついていない。
「人の集まる所で、そういうお話をなさるのはどうかと思いますわよ。」
聞き覚えのある声に顔を上げると、ラファエラが腕を組んで彼らの前に立っていた。
「お、王女様…!」
「違いますわ。ラファエラ様はルキュイーヴル公爵家の公女様ですわ。」
ラファエラは国王の姉の娘で、その母親譲りの美貌から「王女様」と陰で呼ばれていた。
ミシェルが訂正すると、陰口を叩いていた男達は顔を赤くして互いの顔を見合わせて押し黙った。
「殿方も色々とおありのようですが、人様を一方的にどうこう言う話題は感心しませんわね。」
ラファエラを庇うようにしてアンジェラが進み出た。
セルジュの心臓がドクンと大きく振動する。あろうことか自分の真実ではない悪評を聞かれてしまったのだ。
「皆様もご本人にそう聞いたわけではないのでしょう?でしたら、憶測をさも本当かのように仰るのは失礼でしてよ。」
「で、でも、そういう噂は前から…」
「噂は噂です。ご自身の目でご覧になったことをお信じになるべきですわ。ではお邪魔しましたわね。皆様参りましょう。」
アンジェラがそう切り上げると三人はその場を通り過ぎた。後に残った男達はバツが悪そうにして、やがて会場に戻っていった。
思い掛けない援護に、セルジュはしばらくその場を動けなかった。
多分彼女は別にセルジュを庇ったわけではない。至極真っ当なことを言っただけなのだ。
しかしそう考えても、腹の底から湧き上がり、胸が締め付けられるような衝動を、セルジュは抑えることができなかった。
「それで、セルジュ様とはその後どう?」
顔合わせから週に2・3度、どちらかの家でアンジェラとセルジュは会うようになった。
どうやら彼は本当に結婚する意思があるようだ。
会っても会話は弾まないが、始めは恐かった彼の視線にもだんだんと慣れてきた。
それに、サルジャンテ公爵家の歓待ムードに少々面食らった。完全に未来の公爵夫人を歓迎する扱いである。
“本当にこのまま結婚するのかしら?”
今日は久しぶりにミシェルの家で三人だけのお茶会が開かれた。
「まあ、少しは慣れたと思うんだけど、未だに何を話して良いのか分からないわ。」
セルジュはといえば、会う度にアンジェラをガン見してくるが、必要最低限しか言葉を発しない。
さらに相変わらず視線は鋭いのだが、天性の容貌も相まって、美しい彫塑がそこにあるのだなと思えるくらいには慣れてきた。
「ねえ、訊いてみたかったんだけど、そもそも貴女にはセルジュ様と結婚する意思はあるの?」
ミシェルの問いを受け、アンジェラはぐっと言葉に詰まった。
そういえば、セルジュに嫌われていることの心配ばかりしていて、自分の意思など考えたことが無かったのだ。
「…あ、ると思うわ。たぶん…」
「はっきりしないわね。」
「だって、今初めて考えたんだもの。」
「初めて?」
ミシェルだけでなくラファエラまで驚いてアンジェラを見る。
「あれから何ヶ月経ったのよ。」
季節はもう夏。婚約が決まったのがミモザの花盛りの春の始め。
アンジェラはその間ずっと、セルジュとの婚約解消のことばかり考えていたため、結婚する自分など全く想像していなかった。
「ではお姉様はお兄様のこと、どう思ってらっしゃるんですか?」
「…どうって…ちょっと怖い…かしら。」
苦笑して思わず正直に話すアンジェラ。
「…やっぱり」
「ごめんなさい…」
「いいえ、謝ることなど全くないのですわ。むしろ謝罪しなければならないのはお兄様の方ですわ。」
ラファエラはアンジェラの手を両手で包んだ。
「それ、セルジュ様に直接お伝えしたらどう?」
「え?!」
「あら!それは良い考えですわ!」
「いやいやいやいや、それは流石に失礼では。」
「先に失礼な態度をとっているのはお兄様の方ですし。」
“怖いって言ったら、もっと睨まれてしまいそうだわ。”
アンジェラと二人の認識に齟齬があるとは気付かずに、次回のお茶会は、アンジェラがセルジュと会った日の翌日と決まった。
夏の社交シーズン。今夜の夜会にはセルジュがエスコートすることになっている。
これが婚約後初めて公の場でのお披露目になる。そのため、アンジェラの装いに主にメイド達の気合いが入る。
頭の天辺から足の爪の先まで丁寧に磨かれ、この日のために贈られたプラチナブルーのドレスを纏う。
これはセルジュの髪の色と同じ色だ。レースに散りばめられたビーズは光を反射してオーロラのように輝く。
ブルネットの髪に合うかどうか不安だったが、意外にも暗めのブルネットが映えて、アンジェラによく似合った。
「お待たせいたしました。」
回り階段をゆっくりと降りてくるアンジェラに、セルジュは目が釘付けになった。
アンジェラのスタイルの良さを活かしたシンプルなデザインのドレスは、歩く度ふわりふわりとジョーゼットが揺れて、セルジュの目にはまるで女神が舞い降りて来るように映った。
「セルジュ様?」
アンジェラが呼びかけると、セルジュの目つきは元の鋭さを取り戻した。
彼のシルバーグレーの上着にエメラルドグリーンのカフスが不思議と印象に残る。アンジェラの瞳のグリーンに似ていることに、周囲は気付いていた。但し、本人を除いて。
「いえ、ではまいりましょう。」
そう言って腕を差し出すとアンジェラから視線を逸らした。
慣れたとはいえ、こういう何気ない拒絶にはアンジェラも辛いものがある。静かに息を吐いて、平静を保つように努力した。
夜会会場はすでに人がたくさん集まっていて、賑やかな雰囲気が外まで漏れている。とりわけ’あの’セルジュの婚約者の初披露目とあって、人々の注目は、アンジェラに注がれていた。
「あの女嫌いとまで言われていた、サルジャンテの御子息がお選びになった御令嬢だけあって、本当に素敵な方ですね。」
本音なのか嫌味なのか大方の反応はそんな感じだ。政略結婚なのだから選んだも何もないのだが、それより彼が女嫌いだというのをアンジェラは初めて知って驚いた。
というか、あまり人の噂に興味が無かったので、気に留めていなかったというべきだろうか。
“それで私は嫌われていたのね。”
別に自分に落ち度があったわけではないらしいと分かり、一安心する。
しかし、女嫌いとあれば、結婚後の心配は益々現実味を帯びてくる。特に世継ぎの問題が。
“今日こそ話してみよう。”
アンジェラは密かに決意した。
飲まず食わずで挨拶をこなし(まさにこなしたという表現がぴったりだ)、流石に顔が引き攣ってきた頃、賑やかな宴をそっと抜け出し、二人はテラスに出て夜の庭園を眺めた。
給仕から受け取ったシャンパンで喉を潤す。夏の夜の暑さに冷えたシャンパンは格別だ。
アンジェラは景気付けにと残りを一気に飲み干し、近くのテーブルにグラスを置いてセルジュに向き直った。
「セルジュ様。」
篝火が焚かれ、ぼんやりとライトアップされた庭園に目をやっていたセルジュが、視線だけアンジェラの方を向く。
お酒の力でやや気が大きくなったアンジェラは、セルジュに詰め寄った。
「セルジュ様、私のことがお気に召さないのであれば、早いうちに婚約を解消致しましょう。今ならお互い穏便に…」
カタンとグラスが置かれる音がして、次の瞬間、アンジェラは抱きすくめられていた。仄かにウッディ系の香りが鼻腔をくすぐった。
「無礼な態度を許してください。本当は貴女とずっとこうしたかった。」
突然今までに無いセルジュの言動に、アンジェラの思考と身体はフリーズした。
「貴女が私を怖がっていることは分かっています。でも、どうか婚約解消なんて言わないでください…私には貴女しかいません。」
「…怖がっているわけでは…ありますけど。」
アンジェラは反射的に否定しようとしてしまうが、それでは変に拗れるような気がしてラファエラ達の言っていた通り正直に伝えた。
セルジュは尚も腕に力を込め、切なげに顔を擦り寄せた。
「私は貴女が好きです。」
「…?!」
「いえ、好きでは足りない。貴女を愛しています。もうずっと前から。」
あまりのことにアンジェラは言葉をなくす。セルジュの顔を見ようとするが、しっかりと抱きしめられていて、顔を見ることができない。
「私の態度が貴女を怖がらせてしまったのですね。」
至近距離で呟く切なげな声と、それと相反する意外なほどがっしりした体付きに、アンジェラは今までセルジュに関して、色んなことを自分が見誤っていたのではないかと気付いた。
“嫌われてなかった…”
そして何よりも、アンジェラの気持ちが少し軽くなった気がしたのだ。
「キスをしてもいいですか?」
“え?”
ホッとしたのも束の間、驚いてアンジェラが身を離そうとした途端、それが了承の合図だと受け取ったのか、唇に軽く触れ、すぐに離れた。
「え?」
「帰りましょう。」
動転しているアンジェラをセルジュは横抱きに抱え上げた。そしてそのままテラスを降りる。
「君、ここの者だな。サルジャンテは婚約者の体調がすぐれないので、申し訳ないがここで失礼すると主人に伝えてくれ。」
そして使用人と思しき男性に声をかけると、相手の返事も待たず馬車止めの方へ歩き出した。
「セ、ルジュ、様、どう、し、て…」
セルジュが足早に歩くせいで、抱えられたアンジェラの体はグラグラと揺れて上手く喋れない。
「もうしばらく我慢してください。喋ると舌を噛んでしまいます。」
んぐ、と口を継ぐんで、仕方なくセルジュにしがみついた。近くなった香りに、一瞬顔を緩ませたセルジュだが、足取りはさらに加速した。
その勢いのまま公爵家の馬車に乗り、御者は心得たように扉を閉め馬車を走らせた。
「あの、セルジュ様…」
セルジュは器用に馬車に乗り込み、そのまま座席に座った。…アンジェラを抱えたまま。
「降ろして下さい…」
しがみついていた手を離し、セルジュを押しやろうとするが、セルジュの腕はがっしりとアンジェラを抱えたまま、びくともしない。
「このままサルジャンテ公爵邸に向かいます。」
「え?どうして…」
セルジュはじっとアンジェラを覗きこんで軽くキスをした。
「貴女を私がどれだけ愛しているか、分かっていただけるまでこの手は離しません。」
「え?!いや、あの…」
“そういえば、さっき好きだって言われたわ…”
嫌われていなかったことに安心して、告白されたことがすっかり頭から抜けていた。
「婚約解消なんて言語道断です。…それとも、私のことが嫌ですか?」
急にしおらしくなるセルジュに、アンジェラの罪悪感が刺激される。
「…いえ、セルジュ様が嫌なわけではありません。むしろセルジュ様が私を嫌いなのだと思…」
「それこそ!全く!絶対!誤解ですから!」
アンジェラを抱えた腕は彼女の上半身を包み込み、ウッディ系の香りはアンジェラを翻弄する。
「…いつから、私のことを…?」
なんとか顔を上げ、アンジェラはセルジュに問う。
「あの時です。貴女の髪が私の心に絡みついてから…」
セルジュの話にアンジェラはそんなことあった?とまず思ったのだが、それは流石に今言ってはいけない気がして、黙ったままセルジュの話を聞いた。
「…以来、貴女から目が離せなくなりました。いえ、目だけではありません。心も身体も。」
そう言って、セルジュはまたアンジェラに唇を寄せる。
「分かっ…分かりましたから!」
両手で胸を押しやるとやっと拳ひとつ分くらいの隙間ができた。
「アンジェはどうですか?」
「え?私?」
いきなりの愛称呼びに動揺し、失礼と分かっていても思わず聞き返してしまう。
「アンジェは私のことをどう思っていますか?まだ怖いですか?」
正直なところ見つめられるとまだ少し怖い。けれど、つい先程までの気まずさは感じなくなっている。ただ若干、別の意味で怖い気がするけれど。
「…少し…。でも、セルジュ様が私のことを嫌いでなくて安心いたしました。」
素直に答えると、セルジュはふっと顔を緩めた。
「そうですか。ではこれからもっと私の気持ちを知ってもらい、私を好きになってもらわなければ。」
そう言いながら指の背でアンジェラの頬を撫でる。背筋がゾワっとして思わず身を捩らせたアンジェラに、セルジュは今度は深く口付けた。
そうして馬車が停まるまでずっと、恐らく小一時間ほど、アンジェラにキスの雨が降り注いだ。
漸く停まった馬車を降りると、そこは公爵邸ではなく、ラプレミエール邸だった。
「本当は我が家に連れて帰りたいのですが、まだ、御義父上と御義母上の許可をいただいていませんので。」
セルジュはアンジェラの手の甲にキスをして、彼女の思考を読んだように答えた。
翌日の恒例のお茶会はアンジェラの邸宅で開かれた。
庭園の白いガゼボから、彼女らの楽しそうな笑い声が響いてくる。
「で、どうだったの?」
どう、とは、前回のお茶会の話題の続き、アンジェラがセルジュに本音で話をすることになった件だ。
「…告白された…」
二人にグイグイ来られて交わしきれず、ティーカップで顔を隠しながらついに白状させられた。
「まあ!」
「ついに!」
「ついに?」
思いがけない言葉に、アンジェラは顔を上げる。
「ええ。ついに、よ。」
「…もしかして…」
「知っていたわよ。セルジュ様が貴女のことをずっと好きだったこと。」
反射的にラファエラを見ると、彼女もにっこりと頷く。
「マクシミリアンお兄様もご存じですわ。」
「むしろ気付いていなかったのは貴女くらいよ。」
『〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
改めて言われて、一気に羞恥が増す。睨まれていると思っていたあの視線は、アンジェラを見つめているだけだったと彼女達の話から理解した。
「ごきげんよう麗しきお嬢様方、楽しそうですね。」
不意にアンジェラの後ろの方から声がして、振り向くと、セルジュが満面の笑顔でこちらに向かって来た。慌てた侍女がその後ろをついてくる。
「お兄様!」
「セルジュ様!」
驚いて立ち上がるアンジェラと、不快そうに顔を顰めるラファエラ。ミシェルは落ち着いて立ち上がり頭を下げる。
「突然お邪魔したのはこちらなので、楽にしてください。今日は皆様に差し入れをと。先ほど出向いた先で偶々美味しそうなお菓子を見つけましたので。」
そう言うと、後から来たメイドが華やかで見るからに美味しそうなお菓子を並べ始めた。そして当然のようにアンジェラの隣に席が用意され、セルジュはピッタリと彼女の隣に腰掛ける。
「お兄様。今日は女子会ですのよ。」
「ああ、気にしないで。婚約者とその親友の皆さんに挨拶に来ただけだから。」
「その割には普通に座っているじゃない。」
すまして淹れたてのお茶を飲むセルジュ。苦笑するミシェルと、渋い顔のラファエラ。そして、困惑を隠せないアンジェラだった。
「昨日ぶりですね。」
「え、ええ。」
結局、しばらくしてラファエラとミシェルは諦めて席を立ち、引き留めようとするアンジェラに手紙を書くと言い残して帰っていった。
二人を見送ったアンジェラに、そのまま庭を歩こうと提案したセルジュは、彼女の手を取り、指を絡ませる。
この時期はむせ返るような緑が生命力を感じさせる。綺麗に手入れされている庭でも、そんな野趣がいいとかいった話をしながら歩いた。
花が落ちて実になり始めた花壇を越えてから、セルジュは急に木立の影にアンジェラを引き込み、腕の中に閉じ込めた。
「すみません。私は貴女といると浮かれてしまうのです。」
反射的にセルジュを見上げたアンジェラにキスをして、セルジュは嬉しそうに言った。
“改めて見ると、本当に綺麗な方なのね。”
陽射しを遮る葉陰の下、セルジュの顔に落ちる陰影が、陽の光を浴びているよりも憂いを含んでいるように見える気がする。
アンジェラは元々顔の美醜よりも、その人の雰囲気が印象に残る質なので、つい昨日まではセルジュの顔の良さよりも、怖い人という印象しかなかった。
しかし他の人が言っているように、本当に彼の顔は美しかった。
するりと滑るような鼻筋と少し突き出した赤い唇。伏し目がちな長いまつ毛と切長の目。前髪の隙間から覗く形の良い額。
彼の顔を意識したアンジェラの心臓は、ドキドキと早鐘を打ち出した。
加えて、汗ばむ陽気でお互い薄着なため、体温と香りがより間近に感じる。
アンジェラの腰に回された意外にも大きな手に、自分が思っていたよりも細腰であったことに気付かされた。
おずおずとセルジュの背に手を回し、彼の胸にそっと寄りかかる。セルジュは少し驚いたように眉を上げたが、嬉しそうな笑みを浮かべて彼女の肩口に顔を埋めた。
時折吹き抜ける爽やかな風が二人の髪を揺らし、熱を少しだけ冷ます。
“こうしているの、好き、かも。”
セルジュのことが好きかどうか問われると、まだよく分からない。しかし、ただこうやってお互いの体温を感じていることは、とても心地が良かった。
「そうね。それは好きになりかけか、好きってことね。」
先日のお詫びにミシェルを訪ねると、早速セルジュとの進展を訊かれる。
「…好き…」
改めて第三者に言われて、アンジェラはジワジワと顔を染める。
「まあ、あの顔にあれだけ愛されれば絆されるのも時間の問題でしょ。」
「…え?ごめん、今なんて?」
「いいえ。別に、こっちの話。」
すましてカフェオレを飲むミシェルにはぐらかされて、アンジェラは首を傾げた。
「アンジェ!」
取り留めない話をしてのんびりした後、そろそろと言って帰る頃、なぜか迎えに来たのはセルジュだった。
「セルジュ様!どうしてこちらへ?」
「通り道だったんで君の家に行ったら、こちらだと聞いたもので。」
ミシェルに挨拶をしてから、アンジェラにニコニコと笑顔を向ける。
「折角だから、好きですってお伝えしたら?」
ミシェルは口元を扇で隠し、アンジェラに耳打ちすると、アンジェラは耳まで赤くなった。
「さっき、ルデルニエール嬢に何を言われたんですか?」
馬車に向かい合わせで乗り込むと、セルジュが先ほどミシェルに耳打ちされた話を尋ねてきた。
「…えっと、それは…」
「あ、無理に教えてとは言いません。ただ少し、アンジェの様子が気になったので…。」
アンジェラはミシェルの言葉を思い出す。伝えた方がいいとは自分でも思うのだけれど、ついさっきセルジュが好きだと自覚したばかりだ。心の準備が伴わない。
セルジュはアンジェラの言いあぐねている様子をしばらく眺めていたが、あきらめて外の景色に目を向けた。
アンジェラはセルジュの視線が逸れたのに気付いて、彼の視線を追う。
馬車は貴族御用達の商店が立ち並ぶ街並みを抜けてゆく。
窓に映るセルジュの顔は、以前見た女神像のように何か現実離れして見えた。
「…好きです。」
「…はい?今なんと?」
突然、アンジェラの口から漏れた言葉に、セルジュは耳を疑った。
アンジェラは自分が思わず漏らしてしまった言葉にハッとする。
しかし一度口にしたなら、もう一度繰り返すことはそう難しくないと思えた。
「私、セルジュ様が好きです。」
「〜〜〜〜〜!!!!」
アンジェラは今度ははっきりとセルジュに告げた。
「セルジュ様?」
セルジュは口元を片手で抑え、頭の天辺まで真っ赤に染める。
髪が淡い色だと、頭皮まで赤くなっているのが分かるのだ、とアンジェラは初めて知った。
セルジュはそれ以後全く口を効かなかった。それだけだとまるで始めの頃のようだったが、異なるのは、アンジェラと視線を合わせないことと、明らかに挙動不審になっていることだ。
「そ、それでは、アッ、アンジェラ嬢!」
ようやくラプレミエール邸にアンジェラを送り届け、ぎこちないエスコートと挨拶を終えて、ふらふらと帰っていった。
呆気にとられるアンジェラと侍女らだったが、そんなセルジュがしばらくの間邸内で話題になった。
しかしその日を境に、アンジェラはセルジュと会えなくなった。
「要するに、好きな相手に好意を持たれたのが初めてで、どうしていいか分からない、と。」
「ヘタレのお兄様らしいですわね。」
いつもの従兄弟だけの茶話会で、セルジュがあれだけ固執していたアンジェラに会いに行かないうえに、顔を合わせないよう逃げ回っている理由を問いただすと、実にくだらない内容だった。
「…」
撃沈して突っ伏しているセルジュに、マクシミリアンは口を開いた。
「まあ、そんな君を助けてあげないわけでもない。」
ガバリ!とセルジュは顔を上げた。
「王子殿下、お客様をお連れしました。」
すると宮殿の侍従が扉の外から声をかける。
「ああ、ちょうどいい頃合いだね。どうぞ。」
そう言って立ち上がると、扉が開かれ、待ち望んだ人物が現れた。
「!!!」
「待ってたよ。よく来てくれたね。」
「畏れ入ります。お招きいただき光栄に存じます、殿下。」
入ってきたのはアンジェラだった。
「今日はそんな正式な会じゃないから、そう畏まらないで。
「畏れ多いことでございます。」
「お姉様、お久しぶりでございますわ。」
「ラファエラ様、ご機嫌麗しゅう。お手紙嬉しゅうございました。」
アンジェラは、セルジュに会おうとしても会えないと、ラファエラに相談していた。
そこでラファエラがマクシミリアンと相談して、今日の茶話会にアンジェラを招いたのだった。
「じゃあ、僕たちは庭に出ているから二人で話をするといいよ。」
「えっ?!」
「は?!」
そう言って彼らはアンジェラをセルジュを残して部屋を出て行った。
二人の間に沈黙が流れる。
先に口を開いたのはアンジェラだった。
「ご迷惑、でしたか?」
セルジュは意味が分からず、顔を上げてアンジェラを見る。
「私に失望されて、婚約を取消しなさりたいのですか?」
「ちがっ!」
勢いよく立ち上がったセルジュの剣幕に、驚いてアンジェラが顔を上げると、彼は悲痛な顔で、すがるようにアンジェラの前に跪いた。
「アンジェラ・ドゥ・ラプレミエール嬢、貴女を愛しています。どうか、私、セルジュ・ドゥ・サルジャンテと結婚してください。」
真っ直ぐな瞳はアンジェラを射抜く。
こんな時なのに、その瞳の美しさに心を奪われた。
「…アンジェ?」
無反応のアンジェラにセルジュが不安そうに呼びかける。
ピクリと動いてアンジェラは、そっと差し出された手に自分の手を重ねた。
「はい。お受けします。」
その手はセルジュにしっかりと握りしめられ、キスを落とされる。
そしてそのまま手を引かれると、アンジェラの体はセルジュの腕の中に収まっていた。
「貴女が私を好きになってくれたことが嬉しくて…でも、どういう顔をして良いのか分からなくて…」
そう言って赤くなるセルジュをアンジェラは見上げた。
「…貴方をお慕いしております。」
潤んだ瞳が重なり、どちらからともなく唇を寄せ合う。セルジュの情熱に、アンジェラは初めて自分の意思で応えた。
「うまくまとまったようだね。」
見計らったように、庭に面した扉からマクシミリアンとラファエラが戻ってきた。
ラファエラはアンジェラの元に歩み寄り手を取る。
「お姉様、こんなヘタレなお兄様ですけれど、どうかよろしくお願いしますね。」
「ラファエラ様。」
「そうそう。貴女に散々愛を告げていたのに、いざ自分が告白されたらテンパっちゃって顔も合わせられなくなるような従兄弟だけど、よろしくね。」
「マックス!」
「おや、久しぶりにそう呼んだね。」
マクシミリアンは目を細めて満足そうに微笑んだ。
【了】
お読みいただきありがとうございました。
※軽微な修正を行いました。(2022.03.07)
※誤字報告ありがとうございます。(2022.03.08)
余談ですが、誤字報告をいただくと、読んでもらってるんだなあと妙に実感して嬉しくなってしまう自分がいたり…