縞模様たちの個性的な嘘
黒森 冬炎 様の『着こなせ!制服~お仕着せ企画~』参加作品です。
6年ぶりにラットリーと会ったのは、アメリカ系のある有名なコーヒーチェーンの店だった。
世界中のどこでも同じコンセプトに基づいた内装を採用しているそのチェーンの店舗で、慣れ親しんだ商品名のついたコーヒーを飲んでいると、初めての場所なのに、前にも来たことがあるような気分にさせられる。
彼女と無事に合流した後、向かい合った席に座った僕がそんなようなことを言うと、ラットリーは微笑んだ。
「まるで古い友人に会ったみたいに?」
スペシャルティコーヒーの市場を世界的に実効支配しているグローバル企業の友人になった覚えはない。
反射的にそんな風に思ったけれど、久しぶりに会った笑顔のラットリーにそう言うのは憚られた。
コーヒーと一緒に喉の奥に流して、そのまま忘れてしまうことにした。
久しぶりに会ったラットリーは、悪い夢から覚めたような、すっきりした顔をしていた。
その前にアメリカの片田舎で会った時の彼女はまだ前の夫と離婚していなくて、目の下に濃い隈のある顔で泣くように笑い、笑おうとしたところで泣いていた。
今、ラットリーは元気すぎるくらいに溌剌としていて、虚言癖と暴言癖のあった夫との、3年に渡る結婚生活を笑い話にして僕に話してくれている。
「あのさ、あんたには言っとくけど、結婚は、するまではすごく素敵な物だった。
でもしてみたら、地獄から直送されたクリスマスギフトみたいに酷かった。
ただ甘いだけのアメリカのスイーツを、限界を超えて食べさせられて胸焼けしているのに、食べるのをやめさせてもらえない。
それが結婚だった。
あんたも覚悟しときなさい。」
そう言って、ラットリーはカロリーの高そうなニューヨークチーズケーキをフォークで突いた。
「その代わり、アメリカの市民権が得られたんだから、悪くはなかったんじゃないの?」
苦笑しながら僕が茶々を入れると、ラットリーは首を横に振った。
「結局こっちで仕事を見つけたから意味なかったよ。
市民権いらないからあの3年を返してくれって思うけど、そんなこと誰もしてくれないし、そもそもできない。」
「時間は、いくら金を払っても1秒たりとも巻き戻らない。
そんな話、前もしたね。
覚えてる?」
「そうだっけ?
この前アメリカで会った時?」
「じゃなくて、もっと前。
フィリピンで語学研修を受けてた時。」
「ああ、あんたがドロップアウトする前の話ね。
確かに、そんな話したかも。」
僕とラットリーはアメリカへの大学院留学のための奨学金のプログラムの一環で、フィリピンで行われた語学研修で知り合った。
アジア各国から来ていた学生の中で、同じ大学に行くのが2人だけだったことがきっかけで仲良くなった。
渡米した後の、追加での補修という形で履修させられた学部生向けの英作文の授業でも一緒だった。
色々な巡りあわせの関係で、以前から希望していた業界で仕事ができることになった僕が大学院をドロップアウトするまでの短い間だけだったけれど。
「時間か、時間ね。
そうだね、絶対に、何をしても巻き戻らない。
今の職場にいると、実感が湧く言葉かも。」
ラットリーはそう言ってマグカップに口をつける。
今は何の仕事をしているのかと僕が聞くと、彼女は笑顔を引きつらせた。
この国に来てから数カ月になるが、こういう複雑な表情をする人を見るのは珍しかった。
「聞いたらまずかった?
答えたくなければ、言わなくていいんだけど。」
「いや、そんなことはないよ。
上手く説明するのが難しいなって思っただけ。
私、こっちに帰ってきてから犯罪者相手のカウンセラーみたいな仕事をしてるんだ。
今はちょっと休んでるんだけど、」
ラットリーはそこで言葉を切って、僕の表情を伺う。
僕も黙って彼女を見返す。
日焼けした肌、小さな鼻、親しみの持てる雰囲気の大きな目。
髪の毛は肩の少し上で切りそろえてあって、女性としては短い方だ。
英作文の授業で一緒だった彼女の前の夫が夢中になったのもわかるような気がした。
「犯罪者って、それはつまり、職場は刑務所ってこと?」
「そうだね。
持ち回りで担当しているから、週3でどこかの刑務所に通ってる。
語学ができるってことで、私は外国籍の囚人の対応を任されることが多いね。」
「語学っていうか、アメリカで取った学位のおかげでしょ。
それにしても大変そうだね。」
「大変、まあ、大変。
そうだね、大変なんだろうね。」
笑顔をもう一度引きつらせながら、ラットリーはフォークに刺したケーキの切れ端を口の中に放り込んだ。
「ちょっと愚痴っぽくなるけどさ、囚人って、みんな同じに見えるんだよね。
同じ縞模様の服着てるし、全員髪の毛短くしてるし。
外国人だともっとわからない。
初めて会った人でも、前にも会ったことがあるような気分になってくる。
囚人服に管理用の番号がプリントされてなかったら、誰が誰だかわからないと思う。」
「番号でしかわからないってのは、なかなかきついね。
他に何か区別するための材料はないの?」
「資料を見ながら話してるうちに、『ああ、こういう人だった』、って思い出すことは結構あるけどね。
カウンセリングの記録とか見てると特に。」
「へえ、面白いね。
面白いって言っちゃうと、不謹慎かもしれないけど。」
僕はわかったような相槌を打ち、残り少ないマグカップの中のコーヒーを飲み干す。
「そうだね、面白い。
面白いね、うん。
あとは、嘘の内容かな。
人によって嘘のつき方に癖があるんだよ。
自分は有罪じゃないってところは同じなんだけどね。
自分はハメられたとか、共犯者に切り捨てられたとか。
司法取引を持ち掛けられて、応じたら梯子を外されたとか。
有罪じゃない理由にバリエーションがあって、その上にさらに嘘をトッピングするやり方に個性が出るんだよね。
自分が無罪だって主張から時系列を遡って嘘に嘘を重ねて、最後には、自分は実はこの名前の人間ではなくて、別の誰かだって言い出す人。
自分の先祖はこんな偉い人だって自慢に始まり、自分が生まれ育った環境について全部でたらめなことを言って、全然無関係な場所でぶらぶらしていたら突然武装した警察に囲まれていたって主張する人。
この人は不法侵入と強盗の現行犯だったんだけどね。
きっともう、普通の人が一生で聞く分以上の嘘を聞いたと思う。
離婚する前に聞いた前の夫の嘘が可愛く思えるくらい。
質と量の両方の意味で。」
そこまで聞いた僕は、何と言っていいかわからず、さっき口にした言葉を馬鹿みたいに繰り返した。
「へえ、面白いね。
面白いって言っちゃうと、不謹慎かもしれないけど。」
「そうだね、面白い。
面白いね、うん。
面白いと言えばね、この間、前の夫に会ったんだ。
アメリカで離婚が成立した時、接見禁止の処分が出てたんだけどね。
まさか以前の結婚相手が縞模様の服着て、アメリカから数千キロ離れた国の刑務所で、他の誰でもない私がやってるカウンセリングを受けに来るとは思わないじゃない?
ちょっと普通じゃない量のドラッグの密輸で捕まって、懲役300年とかって判決が出たらしくてね。
何かの間違いで恩赦になっても、300年だから、よっぽどのことがない限り一生刑務所にいることになる。
でね、カウンセリングだから椅子に座らせて、話を聞くんだけど、やっぱり言うのよ。
自分は無罪だ、ハメられたって。
それから自分が生まれた時から逮捕に至るまでの作り話をするんだけど、どうも細部が自分が知ってる話のような気がして仕方なくて、何でだろうと思って書類を見返したら、名前が前の夫だった。
しかも、嘘の部分がまたしょうもなくて、私が押しかけてきたから仕方なく結婚してやったら、とんでもない悪妻だったとか言うんだよね。
それ、有罪判決出たのと全く関係ないだろって思いながら我慢して聞いて、ようやく一通り聞き終えたと思ったら、あいつ、言うんだ。
『君とは初めて会った気がしない、まるで古い友人に会ったみたいだ。きっと君は僕がずっと探していたオレンジの片割れで、運命の相手なんだ。結婚してくれ。』って。
私、笑っちゃったよ。
本当はカウンセリング中は絶対笑っちゃ駄目なんだけどね。
それを見て前の夫が怒り狂っちゃったから、本当にまずいことになってさ。
そういうわけで、雇用主と刑務所の間で大問題になって、今は謹慎中ってわけ。
あんたは真似したら駄目だよ。
って言っても、あんたは密輸に手を染めるようなタイプじゃないか。」
彼女が突いていたチーズケーキはもうなくなっていた。
相変わらず、何と言っていいかわからないままだった僕を尻目に、スイーツのお替りを購入しようと、ラットリーは席を立った。
しばらくしてブルーベリーパイの載った皿と一緒に戻ってきたラットリーに、前の夫の嘘は質と量の両方の意味で以前と違っていたかと僕は聞いた。
「そういや、全然個性なかったね、思い返してみたら。
前に結婚していた相手じゃなかったら、印象にも残らなかったと思う。
あの程度の嘘じゃ、ただの縞模様のみなさんのうちの一人だっただろうね。
そう思うと、結婚したのも、何でだったんだろう。
今更だけど、私、男を見る目がなかったのかも。」
送られてきた結婚式の写真を見た限りでは、お似合いで、お互いそれなりに幸せそうだったのにね。
反射的にそんな風に思ったけれど、久しぶりに会ったラットリーにそう言うのは憚られた。
コーヒーと一緒に喉の奥に流して、そのまま忘れてしまおうと、マグカップに口をつけたけれど、中身は空だった。
何故か今も忘れられないのはきっとそのせいなのだろう。
字数制限結構厳しかった…
アンサーストーリー希望します。