3話・可愛いと思っていたが愚かだった。
ドルレク商会会長・セイバル視点です。
店舗兼商会のある王都の一等地から馬車で半刻程の所に我が家はある。繁盛している事を示すため店舗兼商会はそれなりに華美だが、家まで華美にする気はなく、一級品の物で有りながらも抑えた装飾の家は落ち着く。妻のスペラも他国へ取り引きに行って帰って来ると我が家が一番落ち着く、と機嫌良くなるので、我等は似たもの夫婦なのだろう。現在もスペラは跡取りである長男のソレインを連れて他国へ行っている。予定では明後日には帰国だ。そんな事を思いながら馬車から降りると、忠実な執事・ジャンが珍しく顔色を悪くさせて待っていた。
また、サイレウスの事だろうか。次男のサイレウスは、跡を継がせないため、教育は一通りしかさせていなかった。だが、一通りで十分だ。サイレウスの婚約者は我が親友・ホアセンの娘。跡取り娘ではないから我がドルレク商会に嫁いで来る事になっていて、3年前にサイレウスと婚約してからのユリシーラに少しずつ我が商会の手伝いをしてもらっていた。
覚えたい、と進んで言ってくれたユリシーラの輝いた目は今でも覚えている。とはいえ、私が常に教える事は出来ないので普段は商会の部下達に任せていた。……そういえば、この3ヶ月程ユリシーラの意欲が落ちていると報告が有ったか。サイレウスが他の女と仲良くしている事が原因か? まだまだユリシーラも夢見る令嬢だな。サイレウスが他の女と仲良くしていたとしても、ただ話しているくらい良いじゃないか。そんな事くらいで嫉妬するのも良くないな。浮気なんかじゃあるまいし。
あ、いや、そういえば……ジャンが2回くらい、他の女を我が家に招いていた、と言っていたか? あの時はサイレウスが新たな顧客としてその女を引っ張って来ている、と思っていて聞き流していたが。今までは下位貴族の当主やその夫人若しくは裕福な平民相手ばかりだったから、その子息や令嬢も取り込みたい、と私が言っていたのを聞いたサイレウスが、新たな顧客として令嬢を引っ張って来たとばかり……
しかし、ユリシーラが落ち込む程、距離が近いのか? それは浮気だと思われる可能性もある、か? もしそうだとするなら婚約にも罅が入る、か?
「旦那様、お話がございます」
家の執務室に私が入るまで、出迎えの時の「お帰りなさいませ」しか言わなかったジャンを見て、嫌な予感がする。普段のジャンは、歩きながらでも軽くこの家の管理について報告をしてきて、何か問題点が有れば、執務室で重点的に話す。……つまり、執務室で切り出すという事は問題が起こったということだ。
「なんだ」
「サイレウス様が本日、浮気相手のご令嬢、ネフェリ・マナック様とやらを同席させた上で、婚約者であるユリシーラお嬢様に婚約解消を申し出られました」
「なんだとっ⁉︎」
さすがにそんな事態に陥っているとは思っていなかった。罅が入る所では無い。婚約そのものが無くなってしまう寸前だ。
「まだ旦那様とルドウィグ男爵様とが正式に話し合っていませんから、辛うじて婚約している状況ですが、ユリシーラお嬢様は婚約解消を受け入れてしまわれました」
そこからジャンは、サイレウスがユリシーラにした仕打ちについて、ユリシーラからの話だと前置きして全て語ってくれた上に、私が慰謝料を支払いたくないと思う気持ちを汲み取って政略的な婚約をサイレウスが結ぶから、解消するという提案までしてきた、と話した。
ユリシーラは、商会の仕事を手伝い始めていたから商人の考え方も理解していたのだろう。そして我が商会が信用を失わないように婚約解消する理由まで用意した。……たった15歳の少女にそんな理由を用意させてしまった。その事に私はショックを受けた。
商会の部下からの報告やジャンからの報告を聞き流していたツケを、私はあろう事か親友であるホアセンの娘で、将来の義娘である予定のユリシーラに払わせてしまったのだ。何も言葉が出なかった。確かに商人としては契約を破棄する事は信用問題に関わる。だが、どう聞いてもサイレウスの有責だと言うのに、慰謝料を支払わない方に話を持っていかれてしまった。
ユリシーラが帰ってから既に一刻は過ぎているようだ。それならばもうホアセンの耳に入っていると考えるべきだろう。そしてホアセンはユリシーラの話を聞いて政略的なら、と解消に異論は無いと言ってくるはず。よりによって革新派にお膳立てしてもらい成長してきた我が商会なのに、サイレウスが保守派の娘に夢中になるなど、掌を返したのと同じだ……。
「それでサイレウスは?」
「ユリシーラお嬢様が帰られて少ししてから、浮気相手のマナック様の腰を抱いてデートしてくる、とお出かけになられました。ユリシーラお嬢様は幼い頃からこの家に出入りしていたから、私共使用人とは親しいですが、それでもユリシーラお嬢様は常に私共にも手土産を持って来て頂きました。
あのマナック様にそうして欲しいと言っているわけではなく、ユリシーラお嬢様は使用人にも気遣いが出来るし挨拶もしてくれる方。ですが、マナック様は私共など居ないかのように挨拶一つされない。
申し訳ないのですが、ユリシーラお嬢様を見てきた私共は、あのマナック様を跡取りではないサイレウス様のお相手とはいえ、奥様とは呼びたく有りません。我等使用人一同は、ユリシーラお嬢様が嫁いでいらっしゃる日を心待ちにしていました。お嬢様もそれをご存知でした。跡取りのソレイン様の奥様と同様にお仕えする気が有りました。あのマナック様がソレイン様の奥様ではない事が救いですね」
ジャンがここまで言うのも珍しいが、ユリシーラの言動とネフェリ・マナックとか言う令嬢の言動を見比べてしまえば、そうなるのだろう。
「それにしても、よりによって保守派の娘か……」
「私は恐れながら、と進言致しました」
「そう、だな」
それを聞き流していたのは私の責任だ。そしてこの話をスペラとソレインが聞いたら……と思うと途端に胃が痛くなる。スペラはユリシーラを本当の娘のように可愛がっていた。ソレインも小さい頃からユリシーラを妹のように可愛がっていた。
何より……
「サイレウスは、愚か者なのか? 3年前、サイレウス自身がユリシーラを好きになったから、どうしても結婚したいとゴネて婚約したと言うのに……」
溜め息を吐き出した。本当はユリシーラをソレインの妻にしようと考えていた。幼馴染みだからそれなりに仲が良いし、兄と妹のような関係でも情が有ると思っていたからだ。ソレインにもユリシーラにも話していなかった。ホアセンにも、だ。話したのはスペラだけ。スペラは「ソレインでもサイレウスでも良いからユリシーラをお嫁さんに出来たら良いわね!」と言っていたのに。
それを偶々聞いてしまったサイレウスが「ユリシーラを好きだから、兄ちゃんと結婚させないで、俺が結婚したい!」と言ったのに。あいつの好きは恋愛では無かったという事か。ユリシーラの母であるテレサさんが亡くなった時にユリシーラを幸せにする、と約束した事も忘れたのか?
しかもジャンの話を聞けば、ユリシーラはサイレウスに恋をしていたのに、その気持ちを踏み躙った挙げ句に既に学園で噂される程の関係で、ユリシーラは嘲笑されていた、と?
「ユリシーラを大切に出来ないなら、サイレウスでも私は許さないわよ」
と、スペラに言われた事も忘れているのか、あいつは……。愚かな子程可愛いとは言うが、今回は庇えない。それどころか、我が商会の信用問題に関わる。
「サイレウスが帰り次第、此処に呼べ」
「かしこまりました」
こうなるとスペラが帰って来るのがもう少し遅いと良いのに……と思ってしまった。その間に少しでもこの件をなんとかしておきたかったのだ。
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