2話・男爵令嬢として挨拶を。
ジャンが集めてくれたドルレク家の使用人全員。庭師が1人。料理人が1人。メイドが2人。侍女が2人。侍女長が1人。侍従が1人と執事が1人。その執事がジャン。
「長い間、お世話になりました。私ルドウィグ男爵領の領主、ホアセン・ファルクが一人娘・ユリシーラは、この度ドルレク商会の会長子息であるサイレウス様から婚約解消を申し出られ、受け入れました。正式な婚約解消は父・ホアセンとドルレク商会会長・セイバルおじ様との間での話し合いで決まりましょうが、サイレウス様のお心は既に私の元には有りません。長い間、末端とはいえ貴族令嬢だった私に色々思う所も有ったでしょうに、主人と同じように接して頂きありがとうございました。言葉だけで感謝を述べる事は申し訳なく思いますが、お許しください。お世話になりました」
私の貴族令嬢としての精一杯の挨拶とカーテシーに、ジャンが感極まったように「お嬢様っ……」と呼んでくれます。
「お嬢様、すみませんでした。サイレウス様が浮気していた事は既に承知しておりました。……あの令嬢を2度ほどこの家に招いておりましたから。その都度サイレウス様に小言を述べさせてもらい、旦那様にもお伝えしていたのですが……」
ジャンは、耐え兼ねたように話してくれました。本来なら執事は家の主人の不利になるような事は言わないし、主人の悪口など他言してはいけないのです。主人に二心あると思われますから。それなのに私に打ち明けてくれたのは、彼が良心の呵責に耐え兼ねたのでしょう。サイレウス様にもセイバルおじ様にも執事として諫めても変わらなかったのなら、それはもう彼の出来る範囲を超えていたということです。
つまり。セイバルおじ様は、黙認されたという事でしょう。
それならば、この婚約解消もご承知のはず。……寧ろもっと早くに話して欲しかったです。だって……サイレウス様とマナック様のことは既に学園でも噂されているのですもの……。
「良いのです。ジャンが出来る事をやってもダメだったという事は、セイバルおじ様も認めていらっしゃるということ。出来れば、お認めになられた時点で婚約を解消して頂きたかったわ。破棄だと慰謝料が発生しますが、婚約を交わした際の書類には、状況に応じて解消される事も有る、と記されていたのですもの。その状況とは私と彼の婚約は政略では無いので、私か彼のどちらかが政略的な意味合いを持つ婚約をしなくてはならない場合の事を指します。
サイレウス様が愛し合っていると仰るマナック様は、私の父ホアセンが賜っているルドウィグ男爵が寄親とさせて頂いているハーク子爵家のご親戚、ナホージ公爵家の派閥とは対立する位置の派閥の男爵家の方ですから」
「えっ……ナホージ公爵家と対立をしている……というと、革新派のナホージ公爵家に対し保守派のヤニシラ公爵家、でございますかっ」
私がマナック様の事を話せばジャンが顔色を変える。
「ええ。そうですわ。……ああ、さすがに商会の執事でも貴族の派閥の末端までは確認が取れませんものね。マナック様は我がルドウィグ男爵位と同じ男爵位のご令嬢ですが、グロース男爵領のネフェリ・マナック様ですわ。グロース男爵はヤニシラ公爵家の親戚であるヨグーニ子爵家の寄子ですもの。
という事は、政略的な意味合いを持つ、とすれば破棄ではなく解消になりますから慰謝料を支払う必要も有りませんわ。セイバルおじ様の事ですから、商人として一番支払いたくないお金を支払うのは好まないでしょう? 慰謝料など支払いたくないお金ですから、たとえサイレウス様がマナック様と愛し合っている恋愛での婚約でも、私との婚約を解消するのに、政略的な婚約とすれば、解消になりますわ。
サイレウス様も破棄では慰謝料を支払う事になる。でも支払いたくないから、解消を申し出られたのでしょう。慰謝料程商人にとって支払いたくないものはないですわよね。だって信用第一の商人が契約を破棄するのですから。ジャン、私も破棄ではなく解消ならば貴族令嬢としての傷は浅くて済みますから、お父様には政略的な意味合いで婚約解消と話を持っていきます。あなたもセイバルおじ様にそのように進言して下さいます?」
「そんなっ。それではお嬢様には何の得もないでは有りませんか!」
「慰謝料をもらっても破棄された令嬢では傷物扱い。何故なら破棄されるような瑕疵が私に有るという事。でも政略的な意味合いでの解消ならば、瑕疵が無い事を示しますから。貴族令嬢としての地位は守られるのです。実際、この3ヶ月程で学園の中等部商人科内ではサイレウス様とマナック様の堂々とした恋人同士の振る舞いはかなり噂になっておりました。4〜5ヶ月程前から少しずつ噂が出ていたようですが……私とサイレウス様のクラスが違う事で私が知ったのはこの3ヶ月程。そして、私とサイレウス様が婚約している事は既に知られています。
貴族の社交の場にサイレウス様を何度かお連れして顔繋ぎをしてもらっていましたもの。
それなのに、政治的に敵対しているグロース男爵家のご令嬢と親密な仲だと噂になっているのです。幸か不幸か私とサイレウス様は幼馴染みであるけれど恋人同士とは思われていませんでした。私の一方的な恋でした。……ええ、私の片思いと嘲笑を受けていますが、それも解消すれば消える事でしょう。
私が片思いの末に政略的にサイレウス様と婚約した。でも、サイレウス様は愛し合う恋人のマナック様と婚約したいから、私との婚約は解消した。……きっと高等部に進む事になるこの夏期休暇明けには、そんな噂が立つ事でしょう。私もこの3ヶ月程の嘲笑が無くなりますし、円満になりますわ」
長い長い話を終えて私はジャンと、そして集まっているドルレク商会の会長家で働く使用人達1人1人と言葉を交わし挨拶をして、もう二度と訪れる事の無いこの家を出ました。
(ごめんなさい、皆さん。この家に嫁いで来られなくて。セイバルおじ様とスペラおば様とソレインお義兄様にもお別れのご挨拶をしたかったわ。本当の家族のように仲良くして頂いてありがとうございました。)
私はサイレウス様のご家族に挨拶出来ない代わりに、ドルレク商会会長の家に向かって深々と礼を致しました。
(後は……お父様とお兄様にお話をして婚約解消の手続きをお願いして、ドルレク商会の方にも顔を出してご指導頂いた皆様にお別れのご挨拶をさせて頂こう。ただ残念なのは、もうドルレク商会の品を買えない事ね。他国で取り引きして仕入れて来た織物とか宝石とか靴の革とか……それをドルレク商会お抱えの職人さん達が作り上げた品を買うのがとても楽しみだったけれど……仕方ないわ。ヤニシラ公爵派のグロース男爵家のマナック様が婚約者になられるのでは……諦めましょう)
お読み頂きまして、ありがとうございました。