冬のねこさんどこいくの?
ひなたちゃんの家のお隣には三毛猫がいる。
お隣さんは猫を飼っているではなくお隣に猫がいるが正しい。
お隣さんは耳が遠くなった一人暮らしのおじいちゃんだ。
猫はそこに居候している。
猫の名前はタマ。おじいちゃんがそう呼んでいる。
タマがいつから居候しているかはわからない。
おじいちゃんに聞くと、
「はてさて……あれは十年前だったか……それとも去年だったか……タマちゃんはいつの間にか住むようになったんだよ。もしかしたら儂の親父が家を建てる前からここに住んでいたのかもしれないな。あーはっはっは」
豪快に笑ってごまかす。
タマの名前の由来も聞いた。
「それはあれだよ、宝石のように美しいからだよ」
たしかに、とひなたちゃんも頷く。
そんじょそこらの猫よりも美形で気品にあふれているからだ。テレビに映るタレント猫にも引けを取らない。
「まあ本当は男の子だからだけどな。あーはっはっは」
タマのことを聞きに来たのに、お隣のおじいちゃんがおしゃべり好きだということがよくわかった。
ひなたちゃんはタマの情報を集めていた。
なぜ集めたかというとタマと仲良くなりたかったからだ。
ひなたちゃんの家は決まりでペットを飼うことを禁止されている。金魚すら許されない。
タマと仲良くなって遊びたい。せめて撫でさせてほしい。
ひなたちゃんは動物に飢えていた。
一方のタマは人に懐こうとしなかった。
ねこじゃらしや肉を用意しても見向きもしない。
例外的にお隣のおじいちゃんには心を許しているらしく、ブラッシングの時は膝上でゴロゴロと喉を鳴らすらしい。
仲良くなれる気配も見えず、時は過ぎ、季節は冬となった。
そして事件が起きた。
ひなたちゃんが自分の部屋で九九の勉強していると、
「みゃおーん」
お隣から猫の鳴き声。
一発でタマとわかった。顔だけでなく声も美しい。
「みゃおーーん」
甘える鳴き声。
タマの生態を観察していたからわかる。
中に入りたがっている。
(おじいちゃん早く気付いてあげて……)
ひなたちゃんはそう祈る。
雪がしんしんと降り続けている。
外に締め出されたタマがかわいそうで仕方がない。
早く中に、温かいコタツの中に入れてあげてほしい。
「みゃおおおん!」
鳴き声に甘ったるさが消えた。
猫にも感情がある、とはっきりとわかる。
明らかに苛立っていた。
「みゃおおおおおおおん!」
それが最後の鳴き声だった。
八の段を暗唱するがところどころ間違えてしまう。
頭の中はタマのことでいっぱいだった。
(タマは居候だし、ひょっとしたら他の家の飼い猫なのかも……だけど他でタマが飼われているところは見たことないし……)
懐かない猫ではあるがどこかで寒さに震えていると思うと可哀そうで仕方がなかった。
だからひなたちゃんは探しに行くことにした。
まずは台所へと向かった。ご飯を探すためだ。
本当はビーフジャーキーが良かったが、サバ缶しかなかった。
ないよりはあったほうがいいだろうと思い、持っていくことにする。
それからスキー用のコートを着て、長靴を履いて、こっそりと玄関を開けた。
真っ先にお隣さんの家に。
中は真っ暗だった。
(もう寝ちゃったのかな……)
試しに呼び鈴を鳴らしても明るくなることはなかった。
(耳が遠くなってるし仕方ないよね)
ひなたちゃんは屈んで地面を観察する。
「これが……タマの足跡だね」
タマの足跡はおじいちゃんの敷地外へと続いていた。
「雪で隠れる前に急がなくちゃ」
ひなたちゃんはタマの足跡を追った。
それからどれだけ歩いただろうか。
ひたすらタマの足跡だけを見て歩き続けた。
その道のりはずっとまっすぐだったかもしれないし、何度も曲がったかもしれない。
気付いた頃には周りに家はなく、雪の平原に一人ぽつんと立っていました。
「あれ、あれ、タマの足跡は……ない!」
そしてタマの足跡も見失ってしまっていた。
帰るための道すらもわからない。
風が冷たく、隠れる場所もない。
風が一回吹くたびに体は十回震える。
「手袋、忘れちゃったな……」
ひなたちゃんはコートのポケットに手を突っ込む。
ポケットの中の缶詰がヒヤリと冷たい。
「どこか……どこか……あったかい場所……」
すると冷たい風の中、楽しげな声がどこからか聞こえてきた。
「誰かが……キャンプしてるのかな……」
周囲を見渡すと真後ろに大きなカマクラがあった。
「いつの間に?」
不思議なことがあったものです。
さらに不思議なことにカマクラは大きさの割には入り口がとても小さく、猫一匹が通れるほどのサイズです。
「楽しそうな声がするし、明かりも見える……少しだけお邪魔しようかな」
しかし頭でつっかえてしまいます。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ひなたちゃんはかまくらの入り口を崩しながら中へと入っていきました。
するとどうでしょう。
中心にはたき火がパチパチと燃え、その周りを猫たちが囲っています。
「あら、サクラさん。毛のツヤがまた一段と美しくなりましたね。シャンプー変えました?」
「ふふふ、ココアさん、気付いちゃいました? 下僕が気を利かせてくれたんですよ」
「いいですわねぇ。うちの主人なんか私がお風呂嫌いだと思ってなかなか入れさせてくれないんですよ」
「まあまあ、それも愛されているということでしょう」
「そんなそんな。サクラさんのところほんと羨ましいですぅ」
マダム猫が二足歩行で立ち話をしている。
「兄ちゃん兄ちゃん! あそぼあそぼあそぼ!」
「またか、レオ。兄ちゃん今忙しいの。ふあ……あぁ、ぬくいぬくい……」
「つまんないつまんないつまんない! あそぼあそぼあそぼ!」
弟猫が兄猫に構ってほしくてちょっかいを出している。
信じがたい光景だ。
雪の平原の真ん中にカマクラがあって、中にたき火を囲う猫たち。
何よりも信じがたいのは猫が人間の言葉でしゃべっていることだ。
「おうおう、そこのデブ猫」
ひなたちゃんに話しかけてくる猫がいた。
片目にはひっかき傷があり恰幅もよく、見るからにガラ悪そうな黒猫だった。
「見ねえ顔だな。新参か? マナーがなってねえな」
「マナーですか?」
「そうだよ。入り口を崩しやがってよ。ぼけっとしてないで直したらどうなんだ」
ひなたちゃんが広げた入り口から寒い風がぴゅうぴゅう入ってくる。
「ごめんなさい、すぐに直します」
雪を拾って固めて修復していく。
「おう、うめえじゃねえか。まるで人間だな」
「え、あ、はい、そうですね……」
「俺はここら一帯を仕切るボスだ。お前は新参だが、安心しろ。ここのルールを守る猫なら追い出したりはしねえからよ」
「助かります……」
「にしてもおまえほんとでっけえな。見たことない毛並みしているし」
「よ、よく言われます……」
「尻尾もねえじゃねえか」
「これは生まれつきで……」
「そういう猫もいるって話を聞いたことあるぜ。お前がそうなんだろ」
「あ、あはは……どうかな……」
「さっきから俺と目を合わせようとしないな? なんだ? なめとんのか? なめていいのはミルクだけだぞ」
ひなたちゃんはなるべくボス猫と目を合わせないようにしていた。
バレたら、大変。
そういう予感がしていた。
しかしこの様子なら案外顔を見られてもバレない気がしてきた。
一か八か、顔を合わせる。
「……えへ」
ボス猫の反応は、
「あああああああ!? こいつヒゲがねえ! よく見ると肉球もねえ! お前さては人間だな!!?」
案の定バレた。
するとカマクラの中は大騒ぎ。
猫だけのユートピアに人間が紛れ込んだのだから当然のこと。
カマクラの壁をジャンプして上るもの、たき火の周りをぐるぐると走り続けるもの、カマクラの外へ逃げたものの寒さに耐え切れず戻ってきたもの。
「ごめんなさいごめんなさい、用事が済んだら帰りますので」
「いいや! 今すぐ出ていきな! ここは人間がくる場所じゃねえんだよ!」
ボス猫はひなたちゃんの手をひっかいた。
「いたっ!」
ひっかき傷から赤い血が流れる。
「あああ! ついに人間を傷つけちまった! だけど! だけどよぉ! 俺はここを取り仕切るボス! なにがなんでも仲間を守らなきゃならねえんだよ!」
毛を逆立たせ、威嚇する黒猫。
一触即発。
するとそこにのんびりとした猫が一人と一匹の間に割り込む。
「おやおや、これは一体何の騒ぎだい?」
やけにダンディーな声の三毛猫が現れた。
「旦那! そこをどいてくれ! ネズミが一匹紛れ込んだ!」
「はっはっは。私も長く生きているがこのような大きなネズミは見たことない。彼女の名前はネズミではなく、ひなただよ」
「あれ、タマ……名前知ってたの?」
「お隣さんだからね。名前くらいは知っているさ」
「だから旦那! 早くどいてくれ! 始末しなきゃ!」
「若頭。その心意気は買うがこの御仁が君たちに危害を加えるように見えるか?」
「人間! 子供! それだけで充分危険だろうがよ!」
「この方は私の客人だよ」
「客人だああ!?」
「ああ、そうだ。この子は締め出された私を心配してここまでついてきてしまったんだ。追い返そうとしたのだがこの吹雪で見失ってしまってね」
「旦那……俺はあんたには大きな借りがある……だけど今回はあんたの失態だ……見逃してやるほど俺は親切じゃねえぜ」
「まったく……小さい頃は母の後ろにくっつき歩き回っていた甘えん坊だったのに……どうしてここまで乱暴な性格になってしまったのか」
「昔の話は関係ないだろ!」
「それならばこうしよう。ひなた。お土産があるんだろう」
「あ、はい……これ、つまらないものですが……」
ひなたちゃんはサバ缶を献上する。
「サバ缶だぁ……俺はウナギしか食わないグルメだと知っての愚弄か……」
「ならば若頭以外で分けて食べるとしよう。ひなた。開けてくれ」
「はい、ただいま」
ひなたちゃんはサバ缶を開ける。すると奥に引っ込んでいた元気いっぱいの弟猫が近寄ってくる。
「わぁい! サバだサバだ!」
後を兄猫が追う。
「こら、旦那が先だろう!」
「気にするな。私は後からでいい」
弟猫はパクパクと食べていく。
「ひなたちゃんだったかしら? わたくしたちにも頂けるかしら?」
「あ、はい、どうぞどうぞ」
セレブ猫の前にも開いたサバ缶を差し出す。
「あぁ、懐かしいわ……野良猫時代はよく食べてたの」
「サクラさん、若い頃は苦労してましたからねぇ……」
二匹はしみじみとサバを味わう。
「若頭もどうだ。腹が減っているだろう」
「いや! 俺は!」
「……なんだ、私のサバ缶が食えないのか?」
「いえ! とんでもない! いただきやす!」
ボス猫はサバを一口味わうと、
「うめえ!」
その後ふっきれたようにがっついて食べる。
「ひなた。彼を悪く思わないでくれ。彼はまだ生まれて十年しか経っていない」
「それでも私より年上なんだね……」
「私を見習ってどんなことがあっても気を立てずいつでもスマートにしてほしいものなんだがね」
「あれ、タマ、なかなか中に入れてもらえてなくて苛立ってなかった」
「ははは、まさか。この私が? 聞き間違いでは」
「え、でも……」
「ひなた。たき火の側によると良い。あたたかいぞ」
タマは強引に話題を変えた。
ひなたちゃんはたき火の側に寄って手をかざして暖を取る。
「あったかい……」
雪道を歩いて疲れていた。
体は自然とこてんと横に倒れた。
「顔が冷たいでしょう。わたくしが枕になって差し上げますわ」
「それならわたくしも」
マダム猫二匹が枕代わりになる。
「兄ちゃん、食べたら眠くなってきた……」
「じゃあ俺たちは足元で寝るぞ」
兄弟猫は足を温めるあんか代わりになる。
「お前ら、サバ缶一つで心許しすぎだぞ!」
「若頭。お前はひなたの手を温めてやれ」
「なんで俺がっすか!?」
「クロちゃん、つかまえた~もふもふ~」
「だれがクロちゃんだ! 勝手に名前を付けるな! 勝手にモフるな! 俺は人間なんかに懐柔されないぞゴロゴロゴロゴロ」
ボス猫は撫でられて喉を鳴らす。
「タマもこっちにおいで~」
「すまないがひなた。別の形で恩返しをする。家まで送り届けるという大事な仕事がある。サバ缶のゴミ出しも私がきっちりとこなしておこう」
「……じゃあ今度触らせてね」
「……いいや、今度もない。私と君は二度と会うことがないだろう」
「……おじいちゃんはどうするの?」
「寝ぼけながらも聡い子だ。おじいさんとももう会うことはない。彼は引っ越すんだ。少し離れた息子が住む家にね。人間の話し相手ができるんだ。さぞ嬉しいことだろう」
「……寂しくない?」
「……しょせんは猫と人だ。そして私は猫の中でも風来坊。感傷に浸ることはない」
「……じゃあ伝言」
「……ふむ?」
「おじいちゃんに私から何か伝えておくよ。あるんじゃない?」
「……ふうん。まったく人間の子供にはかなわないな。まるで話を聞かない」
「あるんでしょ?」
「君がそこまで言うのであれば致し方あるまい。そうだな……ブラッシングありがとうとでも伝えてくれ」
「それだけ?」
「欲しがるね、君は。まあ、そうだな、あとは……ばあさんにもよろしくとだけ伝えておいてくれ」
「あとは……あとは……」
「良い子はもう寝る時間だ」
タマはひなたちゃんの顔の脇に座ると顔をしっぽで撫でた。
「くすぐったい……触るなら手で……」
「おやすみぃ……おやすみぃ……」
「そんな赤ん坊じゃあるまいし……」
ひなたちゃんはしっぽが誘う眠気に飲み込まれていった。
目を覚ますとひなたちゃんは自室のベッドの上。
それもしっかりとパジャマに着替えていた。
「ひなたー! おりてきなさーい!」
そしてお母さんの声。
ひなたちゃんが降りていくと玄関にお隣のおじいちゃんが来ていた。
「おじいちゃん、引っ越すんですって」
「……息子さんの家でしたっけ」
「あれ、あなた聞いてたの?」
おじいちゃんは驚きながら頭をかく。
「おや、儂言ったっけ……? まあ言ったんだろうな。うん。ということで突然ですが隣の家は空き家になるんです。家財はもう出してあるんでそこは心配ないんですが」
「タマのことですか」
「そうだよ、そうそう。タマが心配でね。もしも寒そうにしてたら中に入れてやってほしいんです」
「だってよ、お母さん」
ひなたちゃんはにやりと笑う。
「ひなたちゃん、タマをよろしく頼むね」
「……よろしくといえばですね、私、タマから伝言を預かりました」
「伝言? タマから?」
「ブラッシングありがとうだって。あとばあさんにもよろしくだって」
「あなた、何を訳の分からないことを」
「いいんですいいんです、奥さん。そうか、タマがありがとうか……へっへっへ」
おじいちゃんは照れくさそうに笑った。
もうまもなくしておじいちゃんが住んでた空き家は取り壊され、空き地となり、すぐに新たな住人が家を建てた。
ひなたちゃんは中学生、高校生、成人へと成長していったが、やはりタマの姿を見ることはなくなった。
だけど彼女は待っている。
また吹雪の夜、どの面下げて助けを求めに来られてもいいように。
彼女の机の引き出しにはサバ缶が入っている。