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目の前に、蛇然とした四番打者が幻蝶を餌にしようと、ぬるり、構えている。打席に入る前とそれ以外では、とても同じ人間には思えない。口が変形し、今にもこちらに噛みついて来そうだ。
『甲賀流蛇沼家 蛇身蚕食 玖之躯 弧橆喇』
次から次に……。蛇男め。僕の蝶をこれ以上は食わせないよ。
『舞え、幻蝶!』
これ以上ない揺ぎとともに、鉢谷の放った白球は宙を舞った。左右に揺れ、スピードも不規則。とても捕らえようがない。
そのはずだった。
キャイイィィィィン!!
蛇沼は打った瞬間、ぺろりと長い舌を出した。右中間へ飛んだ打球を必死でセンターとライトが追いかけている。
「2点差なら、チャンスはある!」
「抜かせてたまるかっちゃ!」
センター、ライトと次々に飛びつく。どちらもグローブの先までぴんと伸ばし、意地でもこの打球を抜かせない気迫のこもったダイビングであった。それでも、あと10センチ蛇沼の打球が上回った。
転々と打球が転がる。必死に立ち上がった両外野手が追いかけるも、大きな歓声とともに桔梗が本塁を駆け抜ける姿が遠くに映った。
蛇沼、この試合全ての打点を稼ぐタイムリースリーベース。蛇沼は三塁上でヘルメットを脱ぎ、ほわほわの天然パーマを解かしながら微笑んだ。
「嘘だ……。打てる訳がない。今のは僕の今まででのベストピッチだったのに……」
鉢谷は呆然と蛇沼を見ていた。
「僕はあんまり好きじゃないんだけど、コブラは毒蛇の王。どんなに蝶が華麗に舞っても、コブラはお構い無し。かするだけで死んでしまう」
甲賀3-0福岡
鉢谷はさすがにマウンド上でがっくりとうな垂れている。両手を膝につく。敗戦の責任を一手に引き受けた罪人のように、鉢谷の顔から色が消えていた。
山﨑が鉢谷に歩み寄り、膝についた手を引っ張り上げた。
「鉢谷、終わってない。野球は27個目のアウトを取られるまで永遠に終わんねえんだよ」
そう言って、山﨑がぽんと鉢谷の背中を叩く。内野手が遅れて集まり、鉢谷の頭を小突いた。
「3点なら満塁ホームランで逆転だ。屁でもないっちゃ」
古賀がそう言って笑う。静かに頷き、鉢谷は顔を上げた。だが、その顔に笑みはない。
鉢谷は分かっていた。
正直、この試合は負ける算段が高い。
可能性を否定しているのではない。勝ちたいという思いはちっとも失くしていない。それでも、うちには打てる打者が山﨑と古賀くらいしかいない。3点の重みは、自分の力不足としてずっしり背中にのしかかっている。
やはり、3点目を許してはいけなかった。三番、四番に打たれたのは自分の責任。僕にできることは……この仲間に最後まで夢を見させることだ。3点ならまだ夢がある。その夢だけは壊さない。壊してはならない。
白球に指を立てる。
っし!
鉢谷は生きてきて初めて自分に気合いを入れた。




