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球審がたまらず滝音の肩を揺する。
「おいっ、君!」
薄く滝音が目を開けた。
「……失礼しました」
球審が思わず一歩引いた。端正な顔立ちの滝音の目は修羅の如く燃えていた。
ベンチから伊香保と藤田がその様子を見つめている。
「滝音くんと対戦相手の対策を考える時、たまにね、怖くなることがあるの」
隣の藤田に伊香保が呟いた。
「え?」
「さっきと一緒。時々、ああやって目を瞑ってじっとしてる。その後、目を開けたら怖い目になってるの」
「その後は滝音さん、どうなるんですか?」
「その後は……」
滝音が右手を掲げる。戦国時代の軍師の如く、まるで軍配を持っているようにさえ映る。
「道河原っ! 藤田と交代だ。下がれ! 結人、副島と交代だ。副島、ファーストへ急げ」
ちょっ、ちょっと待て。副島が慌てふためく。当然だ。監督は橋じいで、キャプテンは俺だ。
ちょっ、ちょっと待て。白烏が慌てて手を振る。当然だ。ここまで無失点できているのだ。
ちょっ、ちょっと待て。道河原が大声で叫ぼうとしたが、ここまで全て三振。エラーも冒している。道河原は歯軋りするしかない。
ぽかんとする球審と福岡高校ナインをよそに、滝音が勝手に選手を変え、守備位置を修正していく。
「ふぉふぉふぉ、滝音くんの血が騒いどるのう。ほれ、行ってこようかの」
ベンチの奥で涼んでいた橋じいが、ぷるぷるとベンチを出て、ひょこひょことグラウンドを歩いていく。何事かと動揺していた球審が、やっとベンチを出てきてくれた監督に気づいた。汗をぬぐいながら、その到着を待っている。
「いやはや、暑いのう。審判殿。そんなに分厚いもんを着とると、たまらんであろう」
ようやく球審の前にたどり着いた橋じいが日向ぼっこ感覚の会話を始めた。
「ええ、あ、暑いですね。あの、選手交代ですね」
橋じいは紙コップを片手に持っている。ゆっくりと麦茶を啜った。球審はただ唖然としている。
「そうじゃの。この子の言うようにしてくださいな」
「監督さん、あの、背番号で言ってください」
「……なんと! お主、番号とな! 人は名前に魂を宿しておるのじゃ。この滝音くんは鏡水という名を授けられておる。水が鏡となる時、すなわち一点の波も立たぬよう冷静沈着をこの滝音くんに親御さんは求めたのじゃろうて。であるからして、人の名と云うのは……」
球審は、突如として怒りだし、長く長く話しそうなこのおじいちゃん監督にあっさり降参する。
「は、はいっ。大丈夫です。自分で確認します。お下がりください」
球審は何とも言えない汗を拭き拭き、勝手に変わったポジションをバックネット裏へ伝えに走った。
「甲賀高校、癖ありすぎ……」
球審が苦笑いを浮かべて呟く。
「え? 何か言いました?」
アナウンスの係の女性が怪訝な目をして球審に訊ねた。
「あ、いや、なんでも……とにかく、今の通りに選手交代です」
『甲賀高校、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、白烏くんに代わりまして藤田くん。ファースト道河原くんに代わりまして副島くん。レフトに白烏くんが入ります……』




