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鉢谷は眉間をつまんで、まとわりつく違和感を払おうとした。何とかして、舌に這われた首もとを拭いとろうとする。
だが、どうしても前を見ると、その気概が飛んでいく。
バッターボックスに立った桔梗は、抵抗しながらも鉢谷の瞼が確かに落ちているのを確認した。
「たいした精神力だけど、あたしの勝ちね」
鉢谷は硬直した右手を見つめるが、どうにもならない。目の前の桔梗に術をかけられたようだ。
やはり、くノ一か……。
鉢谷は血管の浮き出るほどに力が入った右手でボールを掴んだ。だめだ、このまま投げると回転がかかる。幻蝶は投げられない。
この試合、初めて鉢谷が腕を振って投げた。
「えっ!」
思わずキャッチャーがそう叫ぶが、意味は到底分からない。何でもないただの棒球が桔梗へ向かう。
「ありがとね!」
桔梗はその甘々の初球をいとも簡単に弾き飛ばした。
キイイィィィン!
鉢谷の頭上を襲った打球にセカンド、ショートが次々に飛びつくが追いつかない。桔梗のセンター前ヒットで、甲賀ノーアウト一、二塁のチャンス。ここでチーム初ヒットを放った蛇沼が打席に入る。
甲賀ナインがネクストバッターズサークルの副島に視線を送った。ノーアウト一、二塁のチャンスで打席に蛇沼。普段の試合であれば、送りバントだ。だが、この試合の蛇沼はなんだか雰囲気が違う。副島はバットに顎を乗せたまま迷っていた。
どうする?
どうするんや?
どうすんの?
皆がそんな目を向けても副島は答えを出せそうにない。
皆が副島へ向けていた目をベンチ内へ移した。伊香保と滝音はどうだ、と。
だが、伊香保、滝音も迷いに迷っているようで互いに話し合いに夢中だ。こちらも答えを出せそうにない。
ナインはベンチの更に奥へ眼光を向けた。俺たちには監督がいるじゃないか。
ベンチ奥、陰ったそのベンチに悠々と橋じいの姿が見える。このチャンスにどうするのか、慌てている様子は微塵もない。どっしりと動かずに戦況を見守っているようだ。ランナーの桐葉、桔梗、打席の蛇沼は橋じいの動きを待った。
ベンチメンバーが振り向く。藤田がぽつりと寂しい声を出した。
「……えっと……寝て……ますね」




