羊飼いセシル
――――その昔、人間と魔物は長い間争いを続けて来た。
しかし、6つの国を代表する6人の英雄が魔物との戦いに終止符を打つ。
その時、人間達と魔物達との間で契約が結ばれ、人間に危害を加えない事を条件に魔物達はその命を助けられた。
かくして人間と魔物は、共存の道へと向かったのであった。
◆◇◇◆
俺は羊飼いのセシル。
グルタニア帝国の領土、サルマトリアという国の最南端、ノーヴィスという辺境の村で暮らしている。
仕事はもちろん、羊飼いをしている。
「動物と触れ合えて楽しそう!」なんて子供に言われる事もあるけど、羊飼いほど過酷で辛い職業は無い。
動物相手の仕事ってのは、まず365日休みが無いのだ。
「おい、セシル!薪割り終わったのか?終わったんならさっさと放牧行って来いや!」
「うっせーなオヤジ、今から行く所だよ。」
いつもの父親とのやり取りで、俺は朝7時から羊たちの放牧を始める。
俺は子供の時から羊飼いの仕事をオヤジに手伝わされて来たから、学校へは一切行ってない。
なので当然読み書きは全く出来ないし、世の中の事も良く分からないのだ。
「あ、セシルがいるぞっ! お前、いつになったら学校へ行くんだよ!」
「うわ~、羊のフンの臭いがするぞっ!」
近所の性格の悪い幼なじみ達が悪態をつき、最後には石ころを俺に投げ付けてくる。
その石を下手に避けてしまうと、奴らはムキになって石を投げ続けるので、俺はいつの日からか忘れたが、わざとその石ころに当たるようにしているのだ。
◆◇◇◆
セシルが住む山の麓から、3kmほどしか離れてない場所に「眠りの森」と呼ばれる深い森がある。
その眠りの森から、帝国騎士団の騎馬隊に命を狙われ、必死で逃げ続けている1人の少女がいた。
その背丈は少女というよりはどちらかと言うと幼女に近く、全身は褐色の肌、耳は人間のそれより2倍近く長く、上部が先細っている。
ダークエルフ。
その少女は、かつて人間や同族のエルフからも忌み嫌われていた、闇の妖魔ダークエルフの少女であった。
「おのれ、ダークエルフ!逃げ足の速い妖魔めがっ!······おい、お前ら、必ずあいつを捕らえろ! 失敗は許さんぞっ!!」
「「はっ!!」」
帝国騎士団のリーダー格の男が、10人の部下達をまくし立てた。
人間と魔物が共存する世界になってから、しばらく古の契約は守られて来たが、今ここにそれをやぶる者達が現れたのだった。
◇◇◇
帝国騎士団から逃れようと、必死で森を駆け抜ける少女の背中の上部には、その男達より放たれた矢が突き刺ささっている。
その鮮血は腰の辺りまで達していて少女は苦しそうに肩で息をしていた。
少女は眠りの森の生い茂る木々のおかげで、騎士団一行からその姿を隠すように逃げ続ける事が出来ていた。
しかし、夢中で走り続けて来た為、眠りの森の出口付近まで来てしまったのだった。
体力的に限界に近づいていたダークエルフの少女が前方を見ると、そこには羊の群れと1匹の牧羊犬を連れた若者、セシルの姿があった。
セシルは必死で走って来た少女と視線が合い呆然としてしまうが、少女は羊の群れの中に飛び込むようにしてその姿を隠したのだった。
少女は背丈が小さいだけあって、羊の群れの中に屈んでしまえばその姿は完全に見えなくなっていた。
しばらくすると、駆けて来た馬の足音と供に11人の帝国騎士団一行が姿を現す。
「······ん?羊飼いか。随分とみすぼらしい風貌だな。おまけに嫌な家畜臭が鼻に付く。」
馬上から騎士団のリーダー格の男が、自身の鼻を摘みながらセシルに悪態を付いてきた。
セシルは悔しい気持ちを抑えて、仕方なく目の前の貴族達に頭を下げた。
「おい貴様、何だその様はっ!平民は膝と頭を地面にこすり付けるんだ!すぐにやらないと叩き斬るぞっ!」
そう言いながら男は、乗馬に使っている鞭を振りかぶり、セシルの左肩を強く打った。
「うぐっ!」
セシルは痛みに顔を歪めたが、男に言われた通りに膝と頭を地面に付けて、貴族に対する敬服の意を表すしかなかった。
男の名はピケル。
帝国騎士団の間でもその悪態ぶりは知れ渡っていたが、ピケルは自分よりも立場の弱い人間には、その悪態ぶりに拍車がかかるような性格の男だった。
「おい、卑しい羊飼いよ!傷だらけのダークエルフの小娘を見なかったか?」
ピケルに質問されたセシルは、数秒の沈黙のあと口を開いた。
「······さあ、俺ははぐれた1匹の羊を探しに行って、今帰って来たばかりですから。」
「フン、使えぬ男よ。どうやら私の貴重な時間を卑しい羊飼いなどに使ってしまったようだな!······お前ら行くぞ!左右に分かれて奴を探すのだっ!」
ピケルはさらなる悪態を付き、仲間と共に走り去って行った。
しばらくして、セシルが男達の姿が完全に見えなくなるのを確認してから、ダークエルフの少女に近づいて声をかける。
「おい、もう大丈夫だぞ。奴らはどこかに行っちまった······!?」
セシルが羊の群れの上から少女の姿を見ると、ぐったりと地面に横たわって、まったく動かなくなっていたのだった。
「······た、た、大変だあああーっ!!」
辺りではセシルの大きな声に反応した羊達が、ピクッと顔を強張らせていた。