美袋きなこという人間
昨夜はよく眠れなかった。
美袋の言葉が頭から離れなかった。
理由は分かっている。だけどどうしていいかわからない。
美袋の傍にいればこの思いは消えてくれるのだろうか。
美袋は生きてくれるだろうか。
今日もきちんとネクタイを締め、登校する。
とりあえず美袋とちゃんと話をしないことには前に進まない。
今日こそ話をする時間をちゃんと作ろうと意気込んだ。
すると前方から橋の上で小学生たちが騒いでいる。
「おねえちゃん! あぶないからやめて!」
小学生たちがおねえちゃんと呼ばれる人を止めている。
なんだ? 危険なことでもしてんのか?
俺は興味本位で小学生たちが騒いでいるほうへ向かった。
そこは小さな川にかかった橋の上だった。
小学生たちは橋の手すりに足をかけて今にも下に飛び降りそうな女子高生を止めに入っている。
そりゃ小学生でも見て見ぬふりはできないだろう。五、六人の小学生が必死に女子高生を止める。
俺もその手助けをしようとそちらに向かった。
その姿がはっきりと見えた。その女子高生は俺の知る妖精だ。
「美袋!!」
俺は叫んだが美袋の耳には届いていないようだ。
「おにいちゃんのしりあい? おねがい! とめてあげて!」
小学生の群れにいた女の子が俺の制服のすそを引っ張る。
「美袋やめろっ!」
近くまできたが、美袋は手すりに両足を置き、下しか見ていない。
やばい。これ、やばい。
俺はとっさに美袋に抱き着こうとした。だが遅かった。美袋は川へ飛び込んでいった。
「おねえちゃん!」
小学生たちは叫ぶ。俺は美袋の後を追うように川へ飛び込んだ。
小学生たちは何が起きたのかわからず、俺たちを呼び続けた。
その川は結構深く、落ちた時は体が硬いマットにたたきつかれたように思えた。
意識はあったので必死に目を開く。目の前に美袋がいる。
意識はあるようだ。美袋は左右に首を振り何かを必死に探している。
俺たちの吐く空気の泡が邪魔して視界が遮られている。
美袋は探しているものを捕まえたのか、水面へと上がっていく。
俺もそれを追いかけるように上がる。
「っぷは!」
「っはあ! って、貴方は」
水の上に顔だけ出し、やっと美袋は俺の存在を認識した。
「お前、なにやってんだよ!」
「あ、あの小学生の帽子が川に落ちたっていっていたので」
「っんだよぉ」
俺は安堵した。まさかと思った。心臓が止まりそうになった。
「あ、あの」
「命は大切にしろ、な?」
俺と美袋は陸に上がり、水を吸い込んでしまった制服を絞る。
橋の上にいた小学生たちが拍手する。
「ありがとう! おねえちゃんおにいちゃん!」
その帽子の持ち主が俺たちがいるところまで走ってきた。
「あ、あのこれ」
美袋はずぶぬれになってしまった帽子を軽く絞って渡す。
小学生は満面の笑顔でお礼をいい、みんなのところへ戻っていった。
「す、すみません」
「これはお前のせいじゃない。帽子が落ちたのは自然現象だ」
俺は眼鏡を吹く。吹いても吹いても水滴が取れない。
全く。前が見えやしない。
「違います。あの、その、貴方をこんな目に合わせてしまったので…」
美袋は下を見ながら2つの長い髪に含んだ水を絞っている。
「俺の意思だよ。というか勝手に体が動いたんだ」
美袋がどうしてそこまでして自分のせいにしたがるんだろう。
これまでの災難の経緯だけなのだろうか。
周りや環境がそうさせているのだろうか。
だったらそれは勘違いだと教えなきゃいけない。
美袋がすべてマイナスに自分のせいだと思わなくていいようにしないといけない。
「でも、それでも」
納得してくれない美袋に俺は腹が立った。なんで伝わらないんだよ。
俺は両手を美袋の頬にあてて自分の方へ顔を向かせた。
「それでもじゃないだろ! 俺はお前に生きていてほしいよ!」
まぎれもなく事実だ。伝わってほしい。だから俺は美袋と目線を合わせて言う。
「生きていてほしい。美袋には」
本当に命を無駄にしないでほしい。これが俺の本心だ。
それが美袋だろうとも誰であろうとも。
「……そ、そんなこと、いわれたの」
俺の手に温かいしずくが当たる。だんだん頬が温かくなる。
「いわれるなんて、おもわなかった。そんなこと一度も誰も…」
だんだん美袋の目に涙があふれて息がまばらになる。
「だったら俺は言い続ける。世話もしてやる。だから」
美袋には生きていてほしい。つらいだろうけど。苦しいだろうけど。
「は、はい」
美袋は目にたまった涙を拭きとって俺を見る。
そして美袋は少し笑った。
このまま学校にいくとさらに噂が流れると思い、俺は学校に連絡した。
立花先生に電話を変わってもらい事情を話したら「今から迎えにいくからお前らそこにいろよ」といってくれたので俺たちは濡れた制服を絞りながら迎えを待っていた。
数分後、立花先生が車で迎えに来てくれた。さすが先生。体操服を借りて持ってきてくれていた。
身体を拭くためのバスタオルまで持ってきてくれていて、先生は俺達に渡した。
「ありがとうございます」
「いいって。きなこはこういうとこあるから逆に勘違いされるんだよ」
「こういうことって?」
「人の役に立ちたいって思ってやったんだろ?」
先生が美袋に問うと、彼女はバスタオルを抱きしめてコクンとうなずいた。
「それがどうもうまくいかなくてこうなってしまったわけだな」
「命の張り方がえげつないからもうやるなよ?」
俺は注意する。こっちの命が削られそうだ。
きっと美袋は道で引かれそうな猫を見かけても助けに行くのだろう。
だいぶ水分を搾り取れたので車の中で体操服に着替えた。
着替え終わった俺達は後部座席に座った。少し走り出したところで美袋が口を開いた。
「おに……立花先生はなんで彼に私のこと話したんですか?」
「竹上はなぁ強運の持ち主なんだ。お前のこと守ってくれるぞ」
「いや、守るとは言っていないし、強運の持ち主でもない」
「きなこ。今度は大丈夫だ。心配するな」
「う、うん」
「というわけだから、竹上よ。今日から席は隣同士にしてあるからよろしくな」
「いつの間に」
俺に拒否権はなかった。美袋はずっと下を向いたまま履き替えた体操ズボンを握っている。
そして少し震えているように見えた。
「へ!」
「いや、なんとなく」
なんとなくだ。気づいたら美袋の頭をなでていた。
それをバックミラーで見ていた先生はにやりとしていた。
一時間目の途中で俺たちは学校に着いた。
「誤解されるから二時間目からでるように」
そう言われて俺たちは保健室に向かった。
「あらあら。寒くない? ここ暖かいからここに来なさい」
里山先生は俺たちを温かいところへ案内する。
確かに咄嗟だったから気づかなかったけど、今の時期の水温はかなり低い。
学校について車から降りた時凄く寒気を感じた。これじゃあ風邪を引いてしまう。
「ありがとうございます」
俺は先に先生が案内してくれた場所にいたが、美袋は入り口でずっと立っていた。
「お前もこっち来いよ。風邪引く」
「私は、べつに」
あーもーほんとこいつは世話がかかる。
俺は美袋の腕を引っ張り連れて行く。美袋は首を振る。
まるで病院の診察を嫌がる子供のようだ。
「ほんとに竹上くんは強運の持ち主なんだね怪我一つしてない」
里山先生は俺たちに温かいお茶を用意してくれている。ありがたい。
これが強運でそうなっているのかは納得いかなかった。偶然だとは思うけど。
そもそも美袋と接点があるだけで災難に遭うというのはどこからきたものなのだろうか?
怪我をした、病気になった、何かが壊れた、そんなもの偶然だろ?
彼女が魔女で、何かの呪いをかけない限りそんな現象は起こらないのではないか。
もし本当に美袋の呪いがそうさせているならばこれこそ都市伝説だけどね。
でも美袋はそんなやつじゃない。さっきの行動で俺は思った。
自分のことは大切にしないくせに、他人は大切にするヤツ。
俺はそう思った。そういうやつなんだと思った。
でもこのことを本人に伝えるときっと全力で拒否されるので俺の心の中でとどめておく。
温かいお茶を用意されたので俺は飲む。美袋も我慢できなかったのか両手でコップを持ち飲み始める。
「竹上くん。よろしくね」
先生は俺たちを見ながらニコリと笑った。
「た、けがみ?」
「あ、そうか。俺挨拶してなかったっけ?」
「してなかったの?」
忘れてた。俺が一方的に美袋のことを知っていたからすっかり忘れていた。
言われてみれば貴方とかあのそのとかで呼ばれていたなぁ。
「俺は竹上慎也。改めてよろしくな、美袋」
俺は握手を求めた。信じてもらえるように。怖がらせないように。
美袋はコップを机に置き、恐る恐る握手を返す。
コップの熱なのか、美袋自身の熱なのかわからないけど、その手はとても温かった。