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邪神の使徒は自由を尊ぶ  作者: 江島 新土
1/4

虚ろな少年は神に触れる

お初にお目にかかります、江島新土えのしまあらとと申します。

「う・・・・・・」


 微かなうめき声を上げながら少年は目を開けた。


「どこ・・・・・・?」


 両手をついてあたりを見回すが少年のいる場所には一筋の光さえなく、その目は何も映さない。

 少年は不安に駆られ、叫ぶように呼びかけた。


「誰かいねぇのか・・・・・・?誰か・・・・・・誰かぁー!・・・・・・――――ッ!?」


 少年の呼びかけが虚しく闇に溶け消えたその瞬間、少年は戦慄した。

 少年は今、不可解な状況に置かれて不安を感じ、誰かに助けを求めようとした。


 そう、『誰か』だ。


 それは不特定の何者かを指す語である。不安に襲われた際に頼るべき家族を指すものでも、共にあり励ましあえる友人や仲間を指すものでもない。


「誰か・・・・・・誰、か・・・・・・?」


 そんなはずはないと必死に思考を巡らせながら呼びかけ続けるも、少年の口から出る言葉は『誰か』のみ。

 思い出せない。誰も。


 母や父や兄や姉や弟や妹や祖母や祖父や友や仲間や知り合いの顔も声もしぐさも肌の色も髪の色も目の色も年も性格も見てきたはずの風景も感情も何もかも自分の事さえも――――ッ!


「・・・・・・思い、出せない・・・・・・?」


 ツゥ、と少年の頬を涙が伝う。


 何がどうしてか、少年からは一切の記憶が失われていた。


「とにかく、出ないと・・・・・・」


 誰もおらず、何も見えないここでじっとしているよりは何かをしていたい。

 少年が立ち上がり、暗闇を探るように両手をさまよわせながら歩くとものの数秒で壁に手が付いた。感触から石壁とわかった。

 そのまま壁伝いに歩くがまたもすぐに突き当たる。

 嫌な想像をした少年は青ざめて錯乱したように壁を伝った。数秒で突き当たる。次の壁もその次の壁も数秒で伝い終わった。ここは四角く囲まれており、道はない。

 ならばと壁をくまなく触り形も確かめるが溝一つない平面であった。つまりは扉の類もない。完全に閉じ込められている。


「出してくれぇ!!!誰か!!!頼むから!!!」


 もはや少年に冷静さなどなかった。顔は極限の恐怖と不安に歪み、狂ったように絶叫をあげながら石壁を叩いた。顔が涙と鼻水でべちゃべちゃになっても気にも留めずに叩いて叫んだ。

 しばらくそうしていた少年は右手と額を壁につけたまま膝を折り、さめざめと泣いた。

 暗闇と記憶喪失と脱出不可能な状況による絶望に呑まれ。


 少年は、泣いた。




 どれほど経ったろうか。日数は定かではないが二十回は眠ったか。

 何か起こるでもなく何をされるでもなく何をさせられるでもなく。少年は暗闇と静寂の中で過ごした。

 ただ、ただ、空虚であった。自分の外見も見えず、その記憶もない少年にとっては自分の存在さえもあやふやなものになっていった。

 そんな少年が死を望むようになったのは道理であると言えるのだろうか。

 初めは錯乱していて気が付かなかったが、どういうわけか餓えも口渇も感じない。餓死は不可能だった。

 ならば。


「・・・・・・ッ!」


 少年は幽鬼のようにゆらりと立ち上がって壁へと向かうと一片の躊躇もなく全力で頭を打ち付けた。

 激痛とともに額が割れて血が流れるが死を心より渇望する少年には何の障害でもなかった。

 そして幾度目かになる痛打の瞬間、少年は気を失った。


 しばらくして目を覚ました直後、少年は再び狂ったように――――いや、もはや狂っているだろう。額を側頭を頭頂を壁に床に打ち付けた。頭蓋が陥没するほどに打った。

 少年の上半身が血に塗れてゆく。それほどの出血にも関わらずに死ねないことに違和感を覚え、少年は額の傷に――――傷があるはずの場所に手を触れた。


「・・・・・・何だと・・・・・・」


 手が血に濡れた感触はある。しかし傷の感触は、ない。傷は少年が頭を打ち付けるたび即座に再生しているようだ。


「何だってんだぁーーーッ!!!」


 少年は全力で吼えた。

 何だというのか。自分は何のためにこんな目にあっているのか。記憶を失い外へ出ることも出来ず死ぬことも出来ない。


「何だ!?誰か見てんのか!?」


 目を見開いて闇の中の天井を見上げ、両手を広げる。


「俺のこの狂ったザマを見て誰か笑ってんのか!?そうなのか!?そうなんだろう!?いいさ、見ろよ!!最高に狂った大馬鹿野郎を見せてやるよ!!ク、ヒャハ、クッヒャハハハァーーーーーーーッ!!!」


 憎い!!憎い憎い憎い憎い憎いィィィィーーーーッ!!


 両手を振り回し、闇を掻く。

 俺の目に何物も映させないこの闇が!!


 拳で頭で壁を打つ。

 俺を閉じ込めるこの壁が!!


 自分の顔面を無茶苦茶に殴りつける。

 俺をこの世に縛るこの命が!!


 上を向いて獣のような声を上げる。

 俺の記憶を奪いここに放り込んだ誰かが!!


「ニクイイィィィィァ˝ァ˝ァ˝ァ˝ア˝!!」


 魂すらも絞り出すような全身全霊の絶叫を上げ、少年は糸が切れたように仰向けに倒れた。


「――――ハハ、ア˝ハハハハハ――――」


 血と涙と憎しみと狂気に染まった顔で、少年は笑った。





 ・・・・・・百回は寝ただろうか。

 少年は人形と化していた。

 動いているのは肺や心臓などの忌まわしき生命活動を行う器官だけだ。

 あれほどの憎しみさえも膨大な虚無に塗りつぶされて消えた。あらゆる感情は空虚な時間に呑まれた。

 もはや何もない。

 背中にあるはずの床の感触もない。感覚が失われている。

 何もせず何も感じず何も考えず。少年は眠りについた。





 少年の背が床と同化するのではないかという程時が経った。

 髪が延びて少年の顔を覆っている。どのみち何も見えはしないのだが。

 そんなおりの睡眠時間、少年は記憶にある限りでは初めての夢を見た。

 相も変わらず何も見えないが、いつもと違うのは全てが真っ白であること。


『あれ・・・・・・?』


 何かを訝しむ声がする。少年のものではない。


『君は誰・・・・・・?』


 どうやら少年に呼びかけているようだ。

 自分以外が発生させた音声を聞くのも初めてで鮮烈な刺激ではあったのだが、身じろぎ一つせずに過ごしていた時間が長すぎたために身体は反応を示せなかった。


『あらら、ずいぶん魂が朽ちちゃってるねえ。それ』


 声がそう言うと、少年の身体が微かに光を放った。

 意識がより鮮明になり、全身に活力が戻ってくる。

 少年は身を起こして自身の姿を確認した。

 髪の毛は赤毛であった。手足はずいぶんと長く飲まず食わずでいた割には痩せておらず、適度な筋肉量を保っている。年は体躯からして十歳程度だろうことがわかった。

 声の主を探してあたりを見回すが、それらしい姿は見受けられない。


『治ったみたいだね。僕の声が聞こえてるかい?』

「――――あ、あー。・・・・・・ああ、聞こえてる」

『それは良かった。それで、君は誰?』

「こっちが聞きてぇ」


 所在を問う声に対して少々やさぐれた口調で少年は答えた。理不尽に対する激しい怒りは少年の心を荒ませてしまったらしい。そして自分に一切の記憶がないこと、妙な石室に閉じ込められて死ぬことすらできない現実の状況を語った。


『なかなか酷い目に遭わされてるね・・・・・・。でもそれを聞いてなんで今君の精神にお邪魔しちゃってるのかに少し合点がいったよ』

「精神にお邪魔・・・・・・じゃあこれは・・・・・・」


 少年が白い光景を見回しながら言外に問う。


『夢とは違うね。君の精神世界とでも言おうか。・・・・・・ああ、こっちの自己紹介がまだだったね。僕は邪神になりかけの元自由神。その自由神側の意識だよ』

「神、ね・・・・・・」


 少年は呆然と呟いた。意識を取り戻してから訳の分からないことばかりだ。いわれのない理不尽にさらされたかと思えば神様のご登場。すんなりと腑に落ちるような出来事ではなかった。

 それでも多少なりとも腑に落とすため少年は自由神に説明を求める。


「なんでそんなものが俺の精神にいるんだ?」

『その説明のためには僕の状況から説明する必要があるね。実は昔他の神とのケンカに負けちゃってね・・・・・・』


 そう言って自由神は語る。

 負けた際に自由神としての名を奪われ、邪神としての名をあてがわれたこと。

 名がないと信仰――――力が集められず、存在の維持のためにすり減らす一方だということ。

 そのうえどこかに封印され身動きが取れない状況であること。

 邪神として祀られたせいで恨みつらみや邪な信仰が集まり本当に邪神化しそうなこと。

 人間のように精神に異常をきたすことはないが、凄まじく暇だったためボーッとしていたので、精神状態が似通い波長が合ったのではないか、ということ。


『それだけじゃ僕にかけられた封印を越えて繋がるのは難しいと思うから他にも理由はあると思うけど、僕にはちょっと分からないよ。ひょっとしたら君が閉じ込められてるっていう石室が関係してるかもね。・・・・・・納得してもらえたかな?』

「まぁなんとなくは理解した」

『そっか。それは良かった。時に、君にはお礼を言いたいんだ』

「え?」


 少年はおもわず間の抜けた声を上げた。


「俺、何もしちゃいないが」


 少年がしたことと言えば今も続けているこの問答だけだ。それも少年が教えてもらうことばかりで自由神にとって有益な情報をもたらせたとはとても言えない。


『いや、こうして僕と話してくれてるだけで大助かりなんだ』

「どういうこった?」

『「事物は認識されて初めて存在できる」って理論があるんだけど、分かるかい?』


 少年は首を横に振る。


『そうだね・・・・・・例えば街を歩くAさんがいるとしよう。君はAさんを知らないから気にも留めない。君にとってAさんは街の風景と変わらないんだ。もしそれが君だけじゃなく全ての通行人も同じだとすれば、Aさんはそこに存在してると言えるのかな?』

「んー・・・・・・。まぁ言わんとすることは分かった」


 自由神は続ける。


『僕らは肉体を持たない存在だからそういった理に影響されやすくてね。平たく言えば僕は邪神に侵食されてついさっきまで消滅寸前だった』

「ほー。そうなの、か・・・・・・」


 そう他人事のように返そうとして、気づく。


 まて。待て待て待て待て。


「それってつまり邪神が誕生して世界に放たれそうだったってことなんじゃ・・・・・・」

『そういうことになるね。君は人知れず世界の崩壊を防ぎ、延命したんだ。やったね!知られざる英雄ってやつだよ!』

「・・・・・・」


 軽くそう告げる自由神に少年は言葉を返すことができなかった。受け入れられる範疇外もいいところだ。


『さて、そんな君にお願いがあるんだ』

「・・・・・・わかった、聞かせてくれ・・・・・・」


 少年の様子を大して気にした様子もなく話を進める自由神に少年は力なく返した。最早諦めの境地である。


『まあそんな顔しないで。大したことじゃないよ。・・・・・・一つは君に自由に生きて欲しい。それが僕の本懐だからね。それからもう一つ、出来ればでいい、僕を探して助けてほしいんだ』

「・・・・・・今の俺の状況、教えたよな?」


 一つ目は言われるまでもなくそうする。二つ目も協力するのに吝かではない。ただしできるのなら、の話だ。

 少年の現実は自由などというものからはまったくもってほど遠い。それを知りながら何を言うのかと少年は声に少し怒気をはらませた。


『うん、分かってるよ。だから君に僕の力を分けてあげようと思う』

「力・・・・・・?」


 弱っているとはいえ曲りなりにも神の力。それがあればあの石室を脱出できるかもしれない。

差し込んできた希望に少年の目つきが変わり、ギラギラした光を帯びた。


『そ。今なら邪神と自由神の力が得られるよ?お買い得だね!』


 自由神の言葉に瞳の輝きは早々に陰り、代わりに不安と猜疑心に満ちる。


「待った、邪神の方もついてくるのか?」

『それはまあ、僕は邪神でもあるから。なるだけ自由神ぼくの力をより分けるけどあっちの方が存在の大半を占めちゃってるからどうしてもね』

「・・・・・・リスクは?」

『あるけど、そう大したものじゃないよ。自由神が「元」なのと同じで邪神も「なりかけ」でちゃんと確立した存在じゃないからね。時々破壊衝動とか加虐衝動に駆られるくらいさ』

「十分致命的だろうが!」


 そんなものが街中で突然湧き上がってこようものならすぐにお尋ね者だ。自由など望めないだろう。


『そこで自由神の力さ。自由とは、自身の在り方を選ぶこと。智で以て知り、意思で以て選び、力で以てつかみ取る。邪神が司る悪意と苦痛に自由神が司る解放と選択の力で対処できる。完全には抑えられないけど、時と場所と場合を無意識に選ぶ程度には相殺できるはずだよ』

「ふむ・・・・・・」


 本当に大丈夫なのか?と少年は思う。

 自由神の言うことを全て鵜呑みにするには抵抗があった。封じられた邪神が自由神を騙り、自分を利用して復活を目論んでいるとも考えられる。

 しかし、そんなリスクと疑念をはらんだ話ではあったが、そもそも自分が持っている情報は皆無。そんな状況では物事を疑い出せばきりがない。

 それに自由神が仄めかしたあの忌々しい石室から脱出できる希望は少年にとって眩しすぎる。

 少年は自由神の提案を飲むことにした。


「分かった。あんたの力、貰い受けるよ。ちっと疑わしいが目を瞑るさ」

『そっか。ありがとう。じゃあ早速行くよ。心の準備はいい?』

「ああ」


 少年がそう応えると同時に全身を何かが駆け巡るような感覚に襲われた。血管の内側に皮膚ほどの触覚が備わったとすればこんな感じなのだろうか。


『これで君は自由神の使徒にして邪神の使徒になった。具体的にどういう力が備わったのかは感覚的にわかるはずだよ。それじゃ、僕はそろそろお暇するね。僕の願い事、良かったら叶えてね』


 その言葉と同時に少年の意識も薄れてゆく。




『――――すまない』


 精神世界が閉ざされる寸前。

 自由神の最後の呟きは、当人以外の誰にも伝わることなく白に消えた。



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