第7話 脅威の獰猛犬
「なんでこんなもん持ってるんだよ…?」
ロロから手渡されたそれは、数年前に発売したスマートフォンだった。
この世界に在ってはならない物だ。
何度か電源を長押ししてみるものの反応は無い。
電池が切れているみたいだ。
「…やっぱり同じ物なのね。」
「あぁ、間違いない。これは俺が住んでいた場所で普及していたスマートフォンって機械だな。どうして持っているんだ?拾ったのか?」
問い詰めてみるも、ロロは俯向くばかりで反応は無い。
しかし、黙っていても話が進まないと理解したのかその重い口を開いて話してくれた。
「わたしはね、2年より前の記憶が無いの。」
記憶喪失という奴か。
普段の行動からは全く予想できなかった。
反応に困っている俺を差し置いてロロは話を進める。
「2年前、わたしは気付いたら世界樹の麓で倒れていたのよ。」
曰く、目覚めて困惑している所にオリバーさんが居合わせて保護してくれたそうだ。
それ以前の記憶は無く、言葉も話せないロロに名前を与え養子に取り、ずっと面倒を見てくれていたんだとか。
「だからオリバー爺には本当に感謝しているわ。わたしの親変わりに色々と面倒を見てくれた上に言葉や魔法も教えてくれたんだから。」
「そうだったのか…。」
唯一彼女が持っていた物がこのスマホで、両親や友人の記憶さえ全て忘れているなんて…。
ロロの気丈な態度からは想像もつかないような残酷な話だった。
『どう思う?』
アミュレットへ向けて念話を飛ばす。
『疑いようも無く、彼女は真人と同郷の人物だろうね。』
『だよなぁ…。』
ここまで聞いてしまっては他人事ではない。
問題はその事実をどう彼女へ伝えるべきか。
「何かわかったの?」
「そうだな…。恐らくロロは俺と同じ生まれだ。そうでなきゃ、こいつを持っている事に説明が付かない。」
誤魔化さずそのまま伝えた。
わざわざ俺なんかにそんな重要な事を話すという事は、彼女も真実を知りたいハズだからだ。
「…そう。」
「驚かないのか?」
納得したような彼女の態度に違和感を持つ。
自分の過去の一端がわかったというのに、全く驚かないというのは不自然だ。
「マサトが日本から来たと言った時、なんとなくそんな感じがしたのよ。初めて聞く地名なのに、どこかで聞いたことがあるような気がしたから。」
「そうか…。」
あぁ、だからあの時ロロは意味深な表情を浮かべていたのか。
記憶を失ったとはいっても、僅かにその欠片は残っていたのかもしれない。
脳から忘却されても、肉体や魂に僅かに残っている可能性もあるしな。
「それでどうするんだ?元の世界へ帰りたいか?」
「…。」
問題はそれだ。
彼女が本来この世界の住人じゃないとするなら、元の世界へ帰るべきだろう。
しかし、強要する気も権利も俺は持ち合わせていない。
彼女が帰りたいというなら協力するし、残るというならそれまでだ。
「…わたしは残るわ。前の記憶も無いし、オリバー爺だって一人じゃ生活できないだろうし。」
「そっか…。」
それは照れ隠しなのだろう。
彼女は根が優しい。
親変わりに自分の面倒を見てくれたオリバーさんが心配なのだろう。
チート爺さんとはいっても、結構な歳だしなぁ。
しかし、言い切った彼女の表情はどこか浮かないようだった。
迷いがあるのだろうか。
ともあれ、彼女が残るというならこの話は終わりだ。
一緒に元の世界へ戻るために旅をするとなると、それはそれで心強いし、楽しそうだけど。
せめて、この世界で彼女が幸せに暮らせることを祈ろう。
話が終わると、中途半端に切り上げた釣りを再開しに湖まで戻る。
どこか浮かない表情のままのロロが気に掛かったが、彼女が決めた事だ。
俺も釣りを再開する。
その日はそれ以上、竿に掛かる魚はいなかった。
※※※※※※
夜になって、ロロの手料理を頂き俺は部屋に戻っていた。
今夜のメニューは今日釣り上げた魚の酒蒸しと、サラダとスープだ。
ロロは料理が上手い。
ここへ来て毎日家事をしていたのもあるだろうが、天性の才能だろう。
元の世界にあった醤油やマヨネーズといった調味料はもちろんなかったが、ハーブだけで素晴らしい味付けを実現していた。
美少女な上に料理も上手いとなると、将来良いお嫁さんになるだろうなぁ。
そんな事を考えながら、薬草をすり鉢で擦って水で溶かした液体を火傷へ染み込ませる。
痛てーっ!!
何度やっても慣れないなぁコレ…。
しかし、火傷は殆ど跡も消え掛かっていた。
この付近に自生している薬草は聖域の中で育っているせいかとても強力なんだそうで、治癒魔法でも治らない傷も治ったりするそうだ。
治癒魔法は水属性の魔法の一つで、ある程度傷を塞いだり体力を回復させたりできるが、流石に跡が残ってしまうらしい。
旅立つ前に少しは鞄に詰めておいた方がいいだろう。
そう思いながら上着を着てベッドへ横になる。
明日も朝早く起きてロロの手伝いをしよう。
静かに目を閉じて、眠りについた。
※※※※※※
『…マサトっ!起きて!起きてってば!』
うーん…、何だ?
人がせっかく気持ち良く寝てるっていうのに…。
薄眼を開けて睡眠を妨害した人物を見る。
クロでは無いようだ。
「マサト、下から物音がする…。どうしよう、盗賊かな…?」
「なんだって…?」
目を擦りながら身体を起こす。
今何時だ…。
窓からは月が覗いている。
夜明けはまだまだ先だろう。
「盗賊よ、盗賊!さっきから下でゴソゴソと音がするのよ!」
ロロが小声で訴えかけていた。
無用心な寝巻き姿で、綺麗な赤毛には若干寝癖がついている。
「どうしよう…オリバー爺から留守を頼まれているのに…。」
「魔法で撃退できないのか?」
「そんな事したらこの家ごと消し飛んじゃうじゃない!」
まぁ、ロロは火属性の魔法しか使えないから一瞬で家事になるだろう。
しかし盗賊か…。
確かに耳を澄ませば下の階からゴソゴソといった音が聞こえたり、どこかにぶつかるような打撃音が聞こえる。
その度にロロは肩を震わせて不安に表情を曇らせていた。
「…クロ。」
『なんだい?』
「様子を見てきてくれないか。」
アミュレットへ向かって声をかける。
クロは肉体を持たないので眠る必要はない。
しかし、俺が眠っている間は俺の脳の記憶の整理だったり何だったりと色々作業をしているそうだ。
それが本来の仕事の一部なんだとか。
『わかった。でも、僕も闘えるわけじゃないから何かあったらすぐに戻るよ。』
「それで大丈夫だ、頼んだぞ。』
『了解。』
クロは浮遊できる為物音が立たない。
しかもこんな暗闇の中じゃあ姿を認識するのも一苦労だろう。
ロロが静かにドアを開け、その隙間からクロが部屋から出る。
ネズミとか猫なら良いんだけど…。
クロが戻るまでの間、俺とロロは固唾を飲んで報告を待った。
部屋に二人きりというのはこんな状況でなければドキドキの展開だが、そんな余裕はない。
しばらくするとドアの隙間からクロが戻ってきて、その不法侵入者の正体を明かした。
『まずいよ、魔物だ。』
「魔物?!」
ロロは少し大きめの声をあげてすぐに口元を押さえた。
「ばかっ!そんな大声出したら気付かれるだろ!」
「し、仕方ないじゃない!魔物だなんて、普通現れないんだから!」
押し問答していると、下から"ドンッ!"といった物音が聞こえた。
マズい、本当に気付かれたのかも…!!
『…魔物の資料を読んだ時の情報が正しければ、奴らはヘルハウンドという中級の魔物だろうね。僕らじゃ正直勝ち目は薄い。』
「まじかよ…。」
その名前を聞いてロロは完全に顔を真っ青にして口を両手で押さえている。
おいおい、ここは聖域とやらの力で魔物は出ないんじゃなかったのか…?
しかもオリバーさんが居ないこの状況ではかなりマズい。
とにかく、この場所から離れなくては。
「ロロ、どこか外に出る抜け道はないのか?」
「ある訳ないじゃない…、階段を降りてリビングを抜けなきゃ外には出られないのよ…。」
うーん、どうしたものか…。
ヘルハウンドは幸いまだ下の階を散策しているようで、二階に俺たちがいる事に気が付いていないみたいだ。
ふと、窓へ視線を向ける。
まぁそれしか方法は無いよな。
「何をするつもり?」
「窓から脱出する、ロープとか無いか?」
ロロは頷くと、クローゼットの奥から長いロープを取り出した。
着ているものしか服を持っていなかったので全然気が付かなかった。
窓縁にロープを固定して下まで垂らす。
壁伝いに降りれば問題ないだろう。
「よし、まずは俺から降りる。下で受け止めるからロロは続いて降りてきてくれ。」
「え?!嫌よ!し、下着が見えちゃうじゃない!」
顔を赤くして提案を拒否される。
そんな悠長なことを言っている場合じゃないと思うんだが…。
そうこうしているうちに階段が軋む音が聞こえた。
一階の探索を終えたのか、ついにヘルハウンドは二階に上がってきた。
「〜〜〜っ!!わかったから、早く降りなさいよね!!」
その音で観念したのか、窓からの脱出を促す。
もちろん、彼女の下着を合法的に眺める事ができて最高!!とか思っていない。
決して思ってはいないさ。
俺はロープをしっかりと握って窓から出る。
ロープは頑丈で、案の定壁伝いに何の問題もなく下まで降りる事ができた。
続いてロロが降りてくる。
うっほほーっ!!寝巻きの下は白かっ!
今まで見た景色の中で最も素晴らしい景色だった。
こほん、流石に彼女に悪いのですぐに目線を逸らす。
下まで降りてきた彼女を抱きとめようと手を伸ばして待機する。
「あっ…!!」
「ちょっ!!!!」
油断したのか、ロロは途中でロープを手放してしまった。
自由落下を始める彼女を慌てて受け止めるも、衝撃で体制を崩して俺も盛大に尻餅をついてしまった。
ドンッ!!!
…結構な音が鳴った。
ロロと俺は顔を合わせて冷や汗を流す。
ヤバい、究極に嫌な予感がする。
すぐさま起き上がり、ロロの手を握り家の裏手の山へ駈け出す。
振り向くと、二匹のヘルハウンドが玄関先でこちらを威圧していた。
「…逃げろ逃げろ逃げろぉぉおおおお!!!!」
「いやぁあああ!!」
その叫び声に呼応するように、ヘルハウンドは二人へ向けて勢いよく駆け出した。
俺たちは夜の山をとにかく無我夢中で走る。
後ろから確実に迫る死の気配に怯えながら。