第4話 深緑の大魔導士
空っぽだ。
暗闇の中を一人漂い、右胸辺りを抑えてそんな事を思った。
そこに本来何があったのかわからない。
けれど、何か大切な物を失った事はわかった。
こんなにも独りで、こんなにも寒い。
これこそが本当の意味で、孤独になるという事なのだろうか。
脳に鋭い激痛が走る。
俺はこのまま死ぬのだろうか。嫌だな。
せめて、あのゲームをクリアしてから…。
…ゲーム?
※※※※※※
「…っ?!」
死の淵で失くしたゲームの事を思い出したら起死回生した。
我ながら何という信念の強さだろう。
冗談はさておき、意識が覚醒したので回想する。
たしか湖に辿り着いて、赤い髪の女の子に会って、それから…。
「…生きてる?」
完全に死んだかと思った。
それ程大きく無かったと思うが、結構な勢いで火の玉が直撃した気がする。
よく無事だったな。
ちょっと深淵を覗いた気がするけど、きっと気のせいだ。
うん、気のせい。
ゆっくりと目を開け、周囲を伺う。
ここは何処だろう、見知らぬ木造の家だ。
親切な誰かが運んで介抱してくれたのだろうか、清潔そうなシーツが敷かれたベッドの上で俺は横になっていた。
起きたら夢オチでしたー!何て事は無かったらしい。
「おぉ、やっと起きよった。」
嗄れた声が聞こえた。
明らかに日本語じゃない声が。
「え?今、何て?」
そう聞き返してすぐに自分の口元を抑える。
ん??今俺は何て言った??
いや、頭がおかしくなったとか思わないで欲しい。
無意識に全く知らない言語が自分の口から飛び出たらそりゃ誰だって驚くでしょ?
しかも慣れ親しんだ日本語を聞いているかのように、違和感なくその言葉を理解できてしまったのだから尚更だ。
「まだ混乱しているのかのぅ。無理もない、丸一日寝ておったし、未熟とはいえあの娘の魔法を全身で受けてしまったのじゃから。その程度の傷で済んでいるのは幸運じゃったな。」
声のする方へ顔を向けると、少し離れた場所で木製の椅子に腰掛ける老爺の姿が目に入った。
どちらも長い白髪白髭で、鮮やかな深緑のローブを纏っている。
見るからに魔法使いといった風貌だ。
「あなたがここまで運んでくれたんですか?」
「フォッフォッフォ、まぁそんなところじゃの。」
それだけ腰が曲がっているのにどうやって俺を運んだんだ…。
やはり魔法で持ち上げたのだろうか。
良いなぁ、魔法。まさにファンタジー。
「とにかくありがとうございます。本当に助かりました。」
「なに、気にすることはない。そもそもうちの"ロロ"が無闇に魔法をお前さんに撃ち込んだのが悪いんじゃ。普段から人様に向けて魔法を撃つなとあれだけ言いつけておるのにのぅ…。」
裸を見られたくらいで大袈裟じゃ。なんて言ってるけど裸を見られたらそりゃ誰だって怒るだろ。
もし俺が美少女だったら迷う事なくバールのようなものを取り出して真っ二つにしている。
まぁ美少女どころか美青年ですら無いんですけど!
「そうだったんですね、そのロロという方は今どちらに?」
「おお、いま薬草を取りに行かせている所じゃ。直に戻ってくるじゃろ。どれ、温かい飲み物を淹れてやろう。」
そう言うと老爺は手元の杖を取って立ち上がった。
そういえばクロの奴がさっきから静かだけど、どうしたんだ?
アミュレットに向かって念話を試みるも応答無し。
よく見ると輝きが失せている気がする。
「そういえば、浮遊して喋る黒い球体みたいな奴を見ませんでしたか?」
カップを用意している老爺に尋ねる。
我ながら何を頭のおかしい事を言っているんだ思うけど、そうとしか形容できないから仕方ない。
「ふむ、あの黒い精霊の事かの?随分立派な精霊様じゃが、お前さんと契約しているのか?」
「立派な精霊様…?そいつは多分違う奴じゃないですかね。」
俺が知ってるのは皮肉屋でちっとも使えないダメな魂だ。
崇められるような存在では決して無い。
「しかし、倒れておったお前さんの周りを飛び回っていたのはあの精霊様くらいじゃぞ?他には特に何も居なかったと思うんじゃが…。」
まさかと思うが本当にクロの事を言ってるのか…?
この世界では精霊扱いになっているのだろうか。
って、何と無しに聞き流してたけど精霊がいるのか!
ますますアニメかゲームの世界みたいだなー。
でも何故か初めから知っていた気がする。
この世界の事なんて何一つ知らないハズなのに…。
それにしてもさっきから頭痛が酷い。
「あっ、すみません名乗り遅れました。僕は秋原真人と言います。」
「珍しい名前じゃのう、わしの名はオリバー。オリバー・J・カーディナルという。」
「オリバーさんですね、重ねてありがとうございます。宜しくお願いします。」
「礼儀正しいのう。どこかの貴族出身か?」
コミュ障のせいで身に付いた堅苦しい敬語が役に立つとは思わなかった。
まさか貴族に思われるとは。ふはは。
「いえ、恐らく平民です。」
「恐らく、というのもおかしな話じゃのう。まさか記憶を失くしておるのか?」
そういう訳じゃないんだけど、日本ではごく普通の家庭で育っているからこの世界の認識では平民で正しいだろう。
たぶん。
「とても遠い場所から来て、ここの文化がイマイチわからないのですが普通の家庭で育ったので。」
「ほう、旅の方じゃったか。」
旅の方…!!
素晴らしい響きだ、一度は呼ばれてみたかった。
「何にせよ、暫くここにいると良いじゃろ。怪我も完治していないしの。」
言われて自分の身体を確認する。
うおっ、結構酷い火傷だな…。
服を着ていれば目立たないが、跡が残りそうだ。
というか服借りちゃったな。
いつのまにか白いシャツと麻のズボンに着替えさせられていた。
まぁこの様子じゃ、着ていた服は消し炭だろうなぁ。
「それでしたら有難くお言葉に甘えさせて頂きます。」
「そうするといい。精霊様ならそこの階段を降りた書斎におる。何でもこの世界の資料を見たいといって降りたきりじゃ。」
「それは失礼しました。」
「フォフォッフォ。なに、精霊様のする事に文句は付けられんよ。お前さんも好きに読むといい。」
なんて良い爺さんなんだ…。
しばらく人の温かさを忘れていたから、こういう純粋な好意が嬉しい。
「ありがとうございます。それでは様子を見てきます。」
頭を下げてベットを抜ける。
頭痛は相変わらず酷いままだ。
リビングを抜け、玄関付近にある階段を降りるとすぐに本棚が立ち並ぶ書斎についた。
その端で何冊もの本に囲まれたクロを見つける。
「おいおい、あまり散らかすなよ…。」
『おはよう、やっと起きたんだね。』
まるで話を聞いちゃいない。
一心不乱といった様子で本を見ている。
「読めるのか?」
『まぁね、大体の言語は既に本で習得したから。君も読めるハズだよ。』
ん?なぜそうなる。
そういえば夢の中でとんでもない頭痛に襲われた気がするんだが、もしかして…。
『想像通りだよ。君の脳をちょっと借りて一気に覚えた。』
「あれはお前のせいか!!死ぬかと思ったわっ!」
人の身体を勝手に使うなんて勘弁して欲しい…。
でも言葉もわからない状態だったら大変だっただろう。
自分で覚えるとなるとどれだけ時間がかかるかわからないし、正直助かった。
『もっと褒めるといいよ。』
「いやいや、確かに助かったけど断りくらい入れてくれよ…、というか俺から離れて大丈夫なのか?」
『このくらいの距離なら問題ないよ。危険だったらすぐにわかるしね。』
褒めた所で何とも思わないクセにそんなことを要求するのは中途半端に俺と繋がっているからだろうか。
気がつくと俺には言語以外にも覚えのない色んな記憶があった。
意識していないとわからないが、思い出そうとすると何故か知っていた、みたいな。
例えばこの世界の事だ。
まず、想像通りここは異世界だった。
魔法や精霊なんて普通に存在するし、魔物と剣で戦ったりもする。
魔族と人族は当たり前のように敵対しているし、勇者や魔王の歴史だってある。
なんて王道な…。
亜人種なんかも存在するようで、エルフはその代表格だ。
どちらかというと、人族と友好的らしい。
そういえばあの爺さんの耳、少し長かった気がするけどもしかしてエルフなんじゃなかろうか。
『察する通り、彼はエルフだよ。それも相当な魔力を持った大魔導士だ。』
「マジかよ?!」
全然わからなかった。
魔力を探知する能力とか持っていれば一発でわかるのかもしれないが、残念ながら俺は非凡なのでそんな能力持ち合わせていない。
借り物の記憶を思い起こすと、確かにオリバーという名前が思い当たる。
なんでも、200年ほど前に勇者と共に魔王を討ち滅ぼした世界最高の魔導士だとか。
え、相当凄い人じゃん…。粗相をしなくてよかった。
でもなんでこんな場所に居るんだろう?
歴史では魔王を倒した後、行方をくらませて何処かに隠居してると言われているみたいだけど。
というかここは何処なんだ?
頭を捻ると世界地図が思い浮かぶが、運ばれた先が何処なのかわからない。
でも転移した直後に見たあの大樹が、世界の中心にある世界樹だとしたら何となく位置がわかるな。
世界樹の付近にある大きな湖、これが恐らく昨日辿りついた湖になるだろう。
"生命の湖"とか大層な名前が付いている。
というかすっごい便利だなこれ、何気にチートじゃない??
もちろん普通の記憶と同じように脳に保存される為、暫くすると重要な事は抜けていくみたいだけど、クロに勉強させておけばめちゃくちゃ博識になれるぞ…。
まさかの可能性に今後を期待しながら暫くこの世界の歴史や文化を頭の中で辿る。
どうなるか不安だったけど、これなら少しは何とかなりそうだった。
とにかく、早く元の世界に帰る方法を考えよう。
どれだけ理想的なファンタジー世界でも、実際に体を使って動くなんてごめんだ。
根っからの引きニート思考な俺は、そんな風に考えていた。