第1話 ハリボテの勇者
リテマニア王国。
総人口約120万人のこの国は、全7大陸の中で最も大きい。
その中心に栄える首都ヴォイニルでは今日、歴史の1ページを飾るであろう大規模なパレードが行われていた。
王城から伸びる、この国で一番大きな道には赤いカーペットが延々と敷かれ、普段賑わいを見せている店も軒並み閉じている。
それは4日前に告知された唐突な催しであったが、国内に留まらず近隣諸国から大勢が一堂に会し、ある一人へ拍手喝采を向けていた。
『勇者様ぁぁあああッ!!』『勇者様!!どうか世界をお救い下さいぃッ!!』『我らが希望ッ!!勇者様ぁぁあ!!!』
口々に放たれるのは"勇者"という称号。
世界の滅亡を阻止する為に立ち上がった、勇気ある者へ贈られる称号。
ある者は何事かを呟きながら祈り、ある者は感極まって号泣し、ある者はその神々しい姿に手を伸ばしている。
その赤いカーペットの上を行くのは、王国の騎士団を筆頭に、何頭もの白馬が引く煌びやかな装飾の馬車。
大勢の歓声と打ち上がる花火の中、車内から国民へ引き攣った笑顔を振りまく一人の金髪美青年は、内心でこう叫んでいた。
『どうしてこうなったぁぁああああ"ッ?!?!』
※※※※※※
厳粛な空気に包まれた巨大な謁見室の扉を破りそうな勢いで開き、その場に似つかわしくない大きな足音を上げて、先ほどの美青年は荒い息を吐きながら玉座へと迫っていた。
何人もの衛兵がその後ろを困惑した表情で追いかけるも、青年の勢いは止まらない。
その姿に国王は肩肘をついて、煩わしいといった表情で眺めているだけだ。
「一体どういう事ですかッ!!父上ッ!!!」
広い謁見室に金切声が響き渡り、その場に居た側近や兵士、貴族達の表情が険しくなる。
そんな息子の訴えに、父親であるリテマニア王国の現国王ドスティン・テオ・ロートスは大きな溜息を吐いて答える。
「どういう事とはなんだ?もう少し具体的に話せ、ルーク。」
「とぼけるおつもりですかッ?!」
ルークと呼ばれた金髪碧眼絶世の美青年、リテマニア王国第三王子であるルークリウッド・テオ・ロートスは怒りの形相を隠す事もなくもう一歩、玉座へと踏み込む。
すかさず王の側近が行く手を阻み、唇を噛んだルークを国王は鼻で笑い飛ばした。
「とぼけるも何も無い。お前は神に選ばれた勇者で、復活した魔王を討ち滅ぼす。それだけの事であろう。」
「ですから、それがどういう事かと聞いているんです!!」
「えぇい、煩わしいッ!!」
彼の疑問は当然の事だった。
何せ、自分は勇者たる資格を持っていないのだから。
歴代、勇者として選ばれた者は皆"光"属性の魔法を使用する事が出来た。
魔王が復活すると同時に、世界の何処かで誰かが勇者としての力に目覚めると、文献には残されている。
その証として、光属性の魔法を使える事が挙げられるのだ。
ルークは、英才教育の過程で魔術も学んでいたが、数年に及ぶ訓練で得たのは土属性初級魔法のみ。
ましてや、光属性の魔法など…。
「僕は勇者などではありませんッ!現にその証である光魔法を行使する事が出来ない!!」
その言葉に、場にいた数人が驚愕といった表情を浮かべている事から、何らかの思惑によりデマが蔓延していると踏んだルークは、立て続け国王に諫言する。
「それが何よりの証拠です、こんな茶番はお止め下さい、父上ッ!!」
言い切ると同時に、これでは反論の余地も無いだろうと息を整える。
—しかし、その期待は嫌らしく口角を吊り上げた国王の表情と同時に裏切られる事となった。
ようやく落ち着きを取り戻したルークの足元に、輝く魔法陣が現れ、間も無く謁見室を膨大な光が呑み込んだ。
「なん——ッ?!」
数秒間輝き続けると、やがて光は収束していき、魔法陣諸共何事もなかったかのように消え失せる。
その光景に、ルークを含む誰もが口を開けたまま呆然と立ち尽くしていた。
沈黙の中、玉座に深々と腰を降ろしていた国王の肩が僅かに震えだし、やがて哄笑に変わる。
「ク…ククッ……、グァハハハハッ!!素晴らしい、素晴らしいではないか!我が息子、いや、勇者よッ!其れこそが光魔法、それこそが勇者の証ッ!皆も見たであろう!!神々しく光輝くその魔法をッ!!」
国王の言葉を受け、その場に居た全ての人間が先程のパレードを思い起こすかの様に、勇者を讃える。
「ちがっ、僕は、僕は魔法なんて使っていないッ!!!」
あの瞬間に詠唱できる時間など無かったし、自身の魔力も一切減っていない。
しかし、他者から見ればルークが無詠唱で光魔法を唱えたと映ったようで、そんな言葉を間に受ける人間はこの場に居なかった。
その反応に己の思惑が上手くいくと確信した国王は、二チャッとした嫌らしい笑みを湛えて続ける。
「…ククッ、謙遜も過ぎれば悪しというモノだぞ、勇者よ。…ふむ、そうだな、祝典の品として良い"モノ"をやろう。おい、連れてこい。」
王は側近の一人にそう命令する。
程なく、側近は部屋の脇にある通路から一人の少女を乱暴に連れて来た。
その少女は空色のショートカットで、頭上に獣人族の証である獣耳が生えていた。
瞳はくりりと大きな猫目で、給仕服からは尾が見え隠れしていた。
しかし、その獣耳の片方は三分の一ほど切り取られた跡があり、本来もっと長いハズの尾も、中途半端な長さで途切れている。
身長は155cm程で、大柄な側近に手首を掴まれ軽々と引きずられてきた。
「——っ!」
「いいからさっさと歩くんだ!!まったく、忌々しいッ!!」
その場に居るルーク以外の人々は揃って汚らわしいモノを見る目を少女に向けた。
亜人族、その中でも特に獣人族というのはこの国で最も忌み嫌われている。
それなら何故、彼女が王城にて給仕の姿でこの場に居るのかというと…
「ティナ?!」
「—ルークリウッド様…?」
ルークは、その少女と幾度となく顔を合わせている。
先月病気で亡くなった実の母の従者として仕えていたからだ。
「ティナ・ウラノスよ、お前は勇者と共に旅へ出て、その命を持って勇者を護り仕えろ。そして以後…、この城に立ち入る事を禁ずる。」
突然の宣告に誰もが驚きを隠せないといった様子だったが、貴族の内の一人から声が上がる。
「しかし、勇者様の従者が亜人の、それも獣人などと…。」
それは、この国では至極一般的で当然の意見だろう。
だが、何も問題無いといった様子で国王は瞑目する。
「この獣人は、只の獣人では無い。先の大戦時に貢献した今は亡き戦闘民族、猫人族の最後の末裔なのだからな。」
その言葉に周囲が騒めいた。
多くの視線を浴びて縮こまっているティナに視線を移した国王は、吐き捨てるように言葉を続ける。
「全く、汚らわしい。奴隷の、しかも獣人の分際で我が城を当然の様に闊歩しているなどと言語道断。しかし、そんな貴様でもついに大勢の役に立てる時が来たのだ。感謝するが良い。」
その言葉は本来、一国の王が発してはならない程の暴言だったが、されど相手は獣人族。
大戦時にどれだけの栄誉を挙げた民族だとしても、偏見の根は揺るがなかったのだ。
責める所か、頷く者しかこの場には居なかった。
「…か、畏まりました。謹んでお受け致します…。」
ティナは震えた声でそう言ったが、きっと本心では無いだろう。
しかし、彼女に選択肢など存在していなかった。
「これにて話は終了だ。勇者とその従者は直ぐ様世界を救う為にこの場を去れッ!」
—国王が告げた最後の一言で、ルークは全てを察した。察してしまった。
世界を救う、それは自分と忌まわしき獣人であるティナを、この国から厄介払いする建前に過ぎないのだと。
その魂胆に気が付いた時にはもう遅かった。
衛兵に両腕を引き摺られていたルークは、瞳を絶望の色に染め、ゆっくりと顔を上げる。
扉の先には、醜悪に歪んだ国王の顔と、全てを理解していたといった貴族や側近達の面々があった。
——あぁ、こんな世界、救う価値も無い。
そうしてハリボテの勇者は、理不尽な現実の荒波へと放り投げられたのだった。