閑話 生きる為に
少し時間が戻ります。
真人が異世界へ来てから三日目の出来事です。
窓から差し込む強い日差しに寝心地の悪さを感じ、やむなく起床する。
客室の一間を当てがわれた俺は、この世界へ転移してから3日ほどをオリバーさんの家で過ごしていた。
『おはよう、真人』
「あぁ、おはよう。」
不自然にも美しく光る模造品のアミュレットから掛けられた挨拶に返答して、ベットを抜ける。
今日もいい天気のようだ。
木造の扉を開けてリビングへ降りると、まだ朝早いようで誰も居なかった。
この家の家事はロロが全て担当しているので、普段なら既に朝食の下拵えを始めているはずだが、今日は特段早く起きてしまったようだ。
水場へ向かい、顔を洗う。
三日目にしては随分適応した気がするが、現代日本の冷遇とは掛け離れた温かいオリバーさん達に、つい甘えてしまった。
そうこうしていると、木造の階段を軋ませながら一人の少女が降りてきた。
「おはよう、ロロ。」
「んー…おはよう…。」
まだ寝ぼけているのか、はだけた寝巻きとボサボサの赤髪を揺らしながら曖昧な返事をしたオリバーさんの孫娘であるロロ・カーディナル。
しかし、血の繋がりは無く、養子だ。
洗面台の前まで歩を進めると、ほとんど閉じた瞼のまま立ち尽くしている。
朝に弱いのだろうか。
「ロロ…?」
「…………ん。——っ?!」
こちらの存在に気がつき、ゆっくりと目を見開く。
その驚愕したような表情から、次の展開を予想したが対応に遅れてしまった。
強烈なナックルを頂き、地面に倒れ伏す。
「っ!!そ、そういえば、あんたが居たんだっけ…。」
油断していた、というような言い方だが既に2回目だ。
いい加減居候の存在にも慣れてくれると助かる。
特段悪びれた様子も無く、そのまま踵を返して階段を登っていく後姿に恨めしい視線を向けた。
最初の印象が最悪だったとはいえ、ぞんざいすぎる扱いに思わず溜息を吐いてしまう。
ここでの生活は、半ニートの俺には実に健康的過ぎる生活だった。
基本的には自給自足、 それで賄えないものは定期的に首都ヴォイニルへオリバーさんが買い出しに行くそうだ。
俺は怪我の治療という名目の下、ここの家に厄介になりながら異世界の情報収集や旅の準備をさせて頂いている。
「ふぉっふぉっふぉっ。そう気に病むでない。ロロはワシ以外の人間とは関わりを持っていなかったので仕方ないのじゃ。」
「はぁ…。」
朝食を終え、ロロが淹れてくれたハーブティーを頂きながらオリバーさんと雑談する。
ロロは既に洗濯の為庭へ出ており、居間には二人だけ。
「そういう訳で、ワシがロロを預かってから友人と呼べる存在すら居なかったのじゃ。仲良くしてやってくれ。」
「俺は良いんですけど、彼女はそう思わないでしょう…。」
先程の反応といい、この三日間の対応といい、友好関係を築くには些か彼女からの好感度が低すぎる。
原因を辿れば俺に問題があるので、何も言えないが…。
「そうでもないぞ?少なくとも、ロロはお前さんに関心を持っておる。」
「そうは見えませんが…。」
「まぁ、じきに分かるじゃろう。」
もしそうだとしたら、あのツンツンした態度もいずれデレてくれるのだろうか。
そんな事を考えていると、洗濯物を干し終えたロロが戻ってくる。
髪を纏めて可愛らしくポニーテールに結わえているが、それが彼女の給仕スタイルだ。
「オリバー爺、これから狩りへ行ってくる。」
「おぉ、気をつけての。」
「狩り…?」
先にも述べた通り、この家は基本的に自給自足だ。
しかしこれまではハーブを採取したり、魚を釣り上げる程度だった。
夕食に何かしらの肉が出た事もあったので、てっきりオリバーさんが首都で買い揃えているのだと思ったらこれも自給自足という事らしい。
「…そろそろ罠に獲物が掛かっているハズだから、それを回収するだけよ。」
「あ、あぁ。そういうことか。」
疑問を浮かべている俺に半目で答えるロロ。
何もそこまで睨まなくても良いじゃないか…。
「ふむ、そういう事なら、マサトくんも手伝ってきてくれるかの?」
「…はぁ?」
「え、俺ですか。」
突拍子もない提案にロロが心底嫌そうな顔をし、困っている俺にオリバーさんは気にした様子も無く続ける。
「獲物は小動物といっても結構な重量じゃ。運ぶのには肉体を持て余した青年にはピッタリの仕事じゃろう。」
そういいながら何やらこちらに目配せしてくるオリバーさん。
共同の作業をこなして少しでも仲が改善される事を狙っているだろう。
『真人、ここは彼の提案に乗ってロロの信用を築いた方がいいよ。』
『まぁ、そうだよな…。』
念話でクロが後押ししてくる。
確かに、世話になっている家でいつまでもギクシャクした空気というのも申し訳ない。
未だ苦虫を噛んでいるロロに向き直り、手伝う旨を伝えると渋々ながらも承諾してくれた。
「怪我してるんだから、無理しない事ね。」
「っぐ、わかりました…。」
ふんっ、とそっぽを向いて玄関を抜けた彼女の後を慌てて追いかける。
おかしいな〜、怪我させたのはどこのどいつだっかなぁ〜、という言葉を飲み込んで。
※※※※※※
「たしか、この辺に…。」
場所はオリバーさん宅の裏手に広がる森の中。
1km程離れた場所だ。
ここに来てから見た動物といえば、極彩色の毛並みをしたリスだったり、羽が四枚もついてる小鳥など、いずれも元いた世界では見られない珍獣だった。
たまに食卓に並ぶあの謎肉は一体何の肉なのか気になる所ではあった。
「あの〜、ロロさん。獲物って何の動物なんですか?」
足場の悪い森の中をずんずんと進む逞しい背中に、畏まった口調で質問してみた。
「…はぁ、うさぎよ。」
「うさぎ」
何の捻りも無い単語に思わず鸚鵡返しをしてしまった。
てっきりファンタジーちっくな聞いたことも無い名前が飛び出してくると思ったので拍子抜けだった。
しかし、兎一匹くらいならロロ一人でも楽々と運べるんじゃないだろうか?
少し疑問に思ったが、きっと何匹も捕らえるのだろうと一人納得した。
すると、足元を確認しながら歩いていた俺の頭に何かがぶつかった。
「っ!ちょっと、何してるのよ!」
「ひっ、すみません!」
どうやら立ち止まったロロの背中に頭からぶつかってしまったようだ。
裂帛した声に思わず本気で謝罪してしまう小心者。
しかし、いきなり止まってどうしたのだろう。
ロロが周囲を警戒していると、前触れなくアミュレットからクロが抜け出してきた。
『斜め右方向、200m程先に何か居るみたい。』
「え?」
「な?!そんな事までわかるのか…?」
『剥き出しの魂だからね、風の流れや微かな音、そこまで離れていなければ不自然な気配は何となく読めるよ。』
「それは何とも便利な。」
「すごい…、流石大精霊様ね。」
念話では無くロロにも聞こえる様に話しているので二人して驚いた。
"魂"という単語はご都合よく聞き流してもらえたようだ。
というか、罠を仕掛けた本人が場所を忘れていたのかよ…。
目印くらい付けておくように、後でアドバイスしよう。
ちなみに、クロは声帯なんて持っていないので不思議になって以前聞いた所、空間を振動させて音を発しているらしい。
自分の魂なのにクロについて知らない事が多いのは、魂は魂で独立した記憶保存領域や思考を持っているからなんだそうだ。
実体を持たない魂がどうして…?と質問したら、『そもそも魂の根源とはこの星に由来しているのでは無く何たらかんたら』と哲学が始まったので、悟りを開く前に思考を手放したのだった。
『まぁ敏感な分、強力な物理的干渉をされると消滅しちゃうんだけどね。』
淡々とした声で最後に説明されたが、その伺えない表情に在りもしない舌がテヘペロしているのを幻視した俺たちは、二人して肩を竦めた。
「とにかく、行きましょ。」
深い森の中なので、200m先とはいえ木々に阻まれ未だに対象は視認できない。
先を促したロロに続いて再び、今度は慎重な足取りで獲物へと近付いていった。
間も無く、その姿を見た俺は思わず息を飲んだ。
「う、うさぎ?」
「えぇ、そうね。うさぎよ。でもこいつは中々の大物ね!」
「いやいや!えっ、うさぎ?!」
おつむが弱いのか?なんて思わないでくれ。
うさぎと言われて目の前にいる生物を指差されたら、誰だって同じくらい動揺してしまうだろう。
そいつは、2m以上ある体長に、ずんぐりとした、それでいて筋肉質な肉体を茶色い体毛で埋め尽くし、大きな顔には見た物を射抜いただけで殺害してしまうのでは?という程凶悪な瞳をぶら下げてこちらを荒い息と共に睨んでいた。
うさぎ?
いいえ、明らかに熊です。
俺の知ってる熊と違う点と言えば、その頭に申し訳程度に生えたウサミミくらいだろうか。
その部分だけ白い毛並みだったが、兎と言える要素はそれ以外に何一つ見受けられなかった。
罠である足枷が深く肉に食い込んでいて、既に何度も抵抗を試みたのか至る所に深い傷を負っていてかなり消耗した様子だったが、未だ敵意を振り撒くその姿に俺は近付く事も出来ずにたじろいでいた。
「なにボサッとしてるのよ、手伝って!」
「は、はいっ!でも何をすれば…?」
呼ぶ声に何とか意識を取り戻し、上擦った声で返事をした俺に呆れたというような視線を向けるロロ。
「ん」
「これは?」
「鉈よ。」
そういって手渡されたのは確かに鉈だ。
それはもう見るからに普通の鉈。
ただ、農具としては些か刃が鋭すぎるのではないだろうか…?
「これでどうしろと…?」
「はぁ?あんた、そんな事を一々説明しなきゃわからないの?…それで、首を、落として。」
「ひっ!」
"首を、落として"の部分だけ、無駄に笑顔を振りまいたロロ。
ただし、目が絶対零度。
悪魔だ…悪魔がいる…。
『真人、日本では経験する事は無かったけど、この世界で生き抜くには必要な事だよ。』
「ぐっ、わかってはいるけど…。」
「さっさとしなさいよね。私は、こいつが逃げないように見張っておくから。」
そう、何となく覚悟していた。
いずれ動物、或いは人を殺めなければこの異世界では生きていけないのでは、という事。
渡された無駄に鋭利な鉈を、その茶色い鎌首にかける。
しかし、死の瞬間まで抵抗を諦めないといった様子の熊兎は、既に尽きている筈の体力を振り絞ってでも回避しようと身体を動かす。
「ちょっと!何してるの?!早く息の根を止めないと!」
「わかってる!!でも…。」
いくら奇怪な動物とは言え、今迄死と無縁だった俺に、そう簡単に生き物を殺めるという選択をするのは難しかった。
—故に、その躊躇が、その時間が、事故に繋がってしまった。
『真人!避けるんだ!!』
「——?!」
メキッ!と、金属がひしゃげる音が静かな森に響き渡ったと同時、うつ伏せに倒れていた熊兎が勢い良く立ち上がった。
「——!!ルース・ヴォアっ!チッ!!」
言葉通り、何かあった時の為に見張りをしていたロロが素早く火球の呪文を唱えるも、熊兎が大振りした腕によって詠唱を中断させられる。
「グゥォァアアッ!!!」
本能に従い必死に生にしがみつく、獣の雄叫びが森に轟く。
若干の諦観を浮かべていた瞳は、今や憎悪と殺意を込めて俺たちを鋭く睨んでいる。
「な、なんでよ…!確かに罠に嵌っていたのに!!」
『どうやら古く、錆び付いていたのが原因のようだね…。』
クロのその言葉通り、熊兎の足に食い込んでいた枷は、一部の地肉を残して壊れて外れていた。
「す、すまない!俺のせいで!」
「…仕方ないわ。初めてだったみたいだし、強要したわたしにも責任がある。とりあえずこの状況を何とかしましょう。」
「何とかするっていったって、ひッ!!」
ブォンッ!!
まるで巨大な棍棒でも振ったような風切り音が胴体を掠める。
その巨大な腕が直撃すれば、確実に内臓が幾つかもっていかれるだろう。
「あ、っあ!!はぁ、はぁ!!」
本気で死ぬかと思った。
一秒、いやコンマでも遅れていたら、と想像すると、指先から震えが伝わってくるのを感じた。
この世界に来て死を間近にしたのはこれで二度目。
一度目はロロが放った火球、でも、今回相手は美少女でも何でもない。ただの毛むくじゃらだ。
こんな状況で何を馬鹿な事を考えているのかと、我ながら苦笑してしまうが、それでも少しだけ頭が冴えて心に余裕が出来た。
どうせ死ぬなら、美少女に殺されたい!
…小心者だと思っていたが、自分は以外と図太いのかもしれない。
攻撃を外した熊兎は、傷付いた足が痛むのか、勢いそのままよろけて態勢を崩していた。
もちろんロロがその一瞬を逃すハズがなかった。
「ルース・ヴォア・イアッ!!」
次こそ最後まで詠唱を完成させ、翳した両手から灼熱の火球を発射した。
「グァアッ!!」
片膝をついた熊兎の頭に、その火球は見事命中する。
残された頭部から、特徴的なウサミミを焼き払って…。
「今よッ!」
「、あぁ!今度こそッ!!」
少しだけ呆てしまったが、流石にこの状態で躊躇っている程俺も命が惜しくない。
その掛け声と共に、今度こそ、本当に覚悟をする。
鉈を振り翳し、瞳から半分生気を失った熊兎の首元に狙いを定める。
震える手を叱咤し、次に来る背けたくなる光景をしっかり見据え、俺は勢い良く飛び上がった。
「うぉぉおりゃぁああッ!!」
ダンッ
ザシュ…!!
鮮血が吹き出し、返り血を浴びる。
少しの静寂、崩れ落ちる熊兎。
そうして俺は、初めて生き物を殺した。
「…はぁ、はぁっ!」
手には肉を断つ感触が鮮明に残っている。
膝立ちで、顔に付着した返り血を袖口で拭っていると、ロロが神妙な面持ちで近寄ってきた。
「…お疲れ様、やるじゃない。」
「あ、あぁ…なんとかな。ははっ」
そうやって無理に笑ってサムズアップした俺の頭を、ロロは徐ろにその胸に抱きしめた。
「は、ぇっ?」一切の理解が追いつかず、困惑し切った俺の頭を優しく撫でる感触があった。
「…わたしだって、初めて生き物を殺した時は怖かった。思わずオリバー爺に泣きつくくらいに。」
そう言うと、ロロはそっと俺の肩に手を付いてその身から離し、真っ直ぐ見据えて来た。
「でも、生きる事って、必ず痛みを伴う事なのよ。相手も、自分も。だから、慣れちゃいけない。何者も殺める事に、慣れちゃいけない。わたしはそうオリバー爺に教わった時、それを忘れないと誓ったわ。」
今まで見た事の無い真剣な表情で語るロロを、ただ茫然と眺めている事しか出来ない俺に、最後に優しく笑いかけた。
「だから、あんたも殺す事に慣れないで。殺すのは、生きる為だけ。それさえ忘れなければ大丈夫よ!」
「あぁ…、ありがとう。」
どうしてだろう。
その言葉は、自分の中にスッと落ちた。
手足がゆっくりと震えを止める。
『彼女が言う事はもっともだね。まぁ、僕は倫理観なんて持ち合わせていないから、敵なら躊躇わず殺してしまえと思うけど。』
「台無しだよ…。」
クロの辛辣な言葉に、俺は今度こそ肩を落とした。
既にロロは俺から離れ、息絶えた熊兎を運ぶ為にロープを巻き付けている。
そうか、これを引き摺って足場の悪い山道を1kmも…。
「自分より年下の女の子に諭されるなんて、格好悪いな…。」
「本当ね、無様だわ。」
「そこはっ!そんな事ないよって!言
ってくれる場面じゃないの?!」
「ふふっ」
屈託の無い笑顔を向けられて、それ以上責める事が出来なくなってしまった。
なんて逞しさなんだ…、一生かけても彼女には敵う気がしなかった。
「んっ!準備できた!さぁ、早く、"マサト"!」
「?いま、名前で…。」
「あ——、い、いいから早く手綱握ってキリキリ引っ張るの!!」
「は、はひぃッ!!」
そうして、帰宅する頃には完全にくたばった俺と、出迎えたオリバーさんに薄い胸を張ってドヤ顔するロロとで、三人で豪勢な夕食を楽しんだ。
この日からロロは俺を名前で呼ぶようになったのは言うまでもない。
少しでも距離が縮まった事を、素直に喜んだのだった。