第13話 夜明け
暖かい早朝の陽射しが差し込み、蒼穹の広がる穏やかな空を見上げて、俺は強く歯を食い縛っていた。
何も、出来なかった。
成す術がまるで見当たらなかった。
それは傲慢だったのかもしれない。
元々半ニートの俺に何が出来たとも思えない。
今も尚後ろで啜り泣く少女の声が、俺を責め立てているかのように錯覚してしまった。
仕方がないだろう、だって…。
—俺は、あまりにも無力だった。
異世界に転移してきて、何処かでずっと楽観的に考えていた事が災いしたのだろう。
俺ならもしかして、なんて少しでも考えてしまった。
逃げ続ければ良かった。
立ち向かわなければ良かった。
どうにか出来るなんて傲慢が、こんな事態を生んだんだ。
幾つも浮かぶ後悔の念が負の螺旋を描き、俺の頭を支配した。
「ロロ…。帰ろう。」
「―っ、っ…。」
深緑のローブの切れ端と、杖の欠片を大切そうに抱えたまま、嫌々と首を振る。
しかし、オリバーさんは暫く待ってみても戻ってくる事は無かった。
強引に切り開かれたこの一帯に俺たち以外の生命の気配は無く、遥か遠くで鳥の囀りが微かに聞こえる程度で、後は静寂に包まれているばかりだ。
「とりあえず、帰ろう。オリバーさんも先に家に戻って居るかもしれないだろ?」
「——。」
それは気休め程度にもならない言葉だった。
でも、これ以上ここに留まり続けて再び危険に晒されるよりマシだと判断した俺は、そうやってロロを諭すしかなかった。
「頼むよ…、これ以上ロロを危険な目に合わせたらオリバーさんに顔向け出来なくなっちまう…。」
「―わかっ、た…。」
俺の口から続いた言葉は、吐き気がする程保身的なモノだった。
いつからこんな人間になってしまったんだろう。
建前ばかりが先行して、素直な本音を吐き出せない。
そんな自分にどこまでも嫌気が差すばかりだった。
何て、醜い…
それでも微かな声で返事をしてくれたロロは、ゆっくりと俺に顔を向ける。
その表情を見た瞬間、俺は言葉を失った。
爛々と輝いていた深紅の双眼からは光が消え失せ、諦観に支配されたように虚ろだった。
「ぁ―。」
俺は何かを言いかけて、固唾を飲んでついに口籠ってしまった。
こんな状態の彼女に掛けてやれる言葉は、どれだけ探しても見当たらなかった。
当たり前だ、ロクに他人とコミュニケーションを取って来なかった俺に、そんな器用な真似ができるハズがない。
この時、産まれて初めてその事を後悔した。
―怖いんだ。
下手な事を言って、傷付いている人をさらに傷付けるのが。
その事実に気が付き、ギュッと瞼を閉じて頭を垂れた俺の首元から、空間の揺らぎを伴って鈴を転がしたような声が聞こえた。
『…ロロ、オリバーさんが死んだとは限らないよ。僕らは彼の死んだ瞬間を見た訳でもないし、死体も転がっていない。』
「お、おいっ!!」
「——ッ!?」
その声を聞いた瞬間、ロロは瞳に怒りを湛えながら眦を吊り上げ、俺の首元を睨んだ。
バカかクロっ!!
そんなの、逆効果に決まってるだろ?!
念話で抗議する俺を無視して、クロはアミュレットから灰色の霧を噴出させてゆらりと出てくる。
ん…?灰色――?
「―なによ、それ。そんな無神経な気休めで、誤魔化そうっていうの…ッ?!知った風な口をきかないでよッ!!」
裂帛の怒声が辺りに響き渡った。
あわわわ、怖ぇー…。
今にもクロを殺しに掛るんじゃないかというその強烈なプレッシャーに俺は耐えきれず、自然と身体を縮こまらせる。
逆鱗に触れたようなものだ、その糾弾の意味は彼女でなくても分かる。
何故クロはわざわざそんな事を言ってしまたんだ…!
『気休めを言っているつもりは無いよ、事実を述べたまでだ。後ろ向きに考えたままでは事態は何も進展しない。最悪の可能性を考えるよりも、最良の可能性を信じて僕らは前に進むべきだ。』
…空いた口が塞がらないとは、まさにこんな状態を言うんだろう。
クロは自分で感情は無いと言っていたが、まさにそれを証明するとも言える言葉が飛んできて俺は愕然とした。
THE・理屈
そこに感情が絡むから人間というのはややこしい生き物なのに、それを一切考慮していない意見だった。
そんな簡単に考える事が出来たなら、ロロはこんな状態にまで陥っていないだろ…!
俺は冷や汗を浮かべながらぎこちなく首を動かしてロロの表情を伺う。
すると、予想に反して彼女はまるで射抜かれたようにハッとした顔でクロを見つめていた。
その瞳に、若干の希望の色を取り戻して。
「―そう…ね、うん。確かに、クロの言う通りかも知れない。このままじゃいけない、よね。わかった…とりあえず家へ戻ってみましょう…。」
「はぇ…?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
納得したのか…?あんな無責任な言葉で……?
まだ弱々しい声音だったが、「—いきましょう。」とだけ言って彼女は歩き出した。
嘘だろ…、そんな事で良かったのかよ。
『僕は君の深層意識にあった言葉を代弁したまでだよ。』
念話でそう言って、アミュレットへ戻ったクロ。
本当に敵わないな…。
心の中で感謝しつつ、ロロの後を追う。
もちろん、クロに伝わっているとわかっていながら。
※※※※※※
道中、特に会話という会話は無かった。
二人とも疲れていたのもあるし、何より少し持ち直したとはいえ連続して精神に負担が掛かったロロに会話を続ける程元気は無かった。
そういえば、クロの色が変わっていたな…。
真っ黒だったその姿が若干灰色になっていたのだ。
曰く、刀に宿っていた霧丸の魂の残滓が影響したせいなんだとか。
魂が変質したという事は、心や精神にまで多少なりとも影響してしまう。
半分離脱している俺の魂は、アミュレットの中から念話で疑問に答えてくれた。
いやいや、順応早すぎでしょ!
さすがに俺はまだ完全に受け止め切れているわじゃないぞ…。
以前より遥かに身体を自由に動かせるようになったが、だらしない肉体が全く付いてこないのでとても違和感があった。
これは鍛えないとダメか…。
体育の時間が何よりも嫌いだった俺には過酷な試練だが、仕方ない。
モノに憑依させると、それに宿る魂や記憶が混合する危険性がある事がわかったから、今後は迂闊に変なものにクロを憑依させないほうが良いだろう。
…しかしほんとどんな能力だよ。
魂を喰らうって、ソ◯ルイーターじゃねぇんだぞ!
まぁ喰ってる訳じゃなくて、深く影響しただけなんだそうだが。
魔物の魂なんかが混じったら、毛むくじゃらになってしまうかもしれないじゃないか。
そんな事を考えて歩き続けていると、いつの間にか俺とロロはオリバー宅へと無事に帰って来る事ができた。
随分と久しぶりのような錯覚に囚われる。
「オリバーさん…。」
「………。」
姿も、返事さえも、無かった。
ロロは開け放たれた玄関から部屋を見渡すと、何かを発見したようでフラフラと中に入って行く。
慌てて後を付いていくと、彼女は一枚のメモを拾い上げた。
横からそっと覗き見ると、そのメモはどうやらオリバーさんが書き残したモノのようだった。
随分焦っていた様で、走り書きされている字は読み難かったがこう書いてあった。
【ロロへ——
最悪の事態を想定してこれを残す。
ここへ戻ってくる間、覚えのある凶悪な気配を感じての。
ワシの推測が正しければ、恐らくは200年前に滅んだ『魔王』と同様のモノ—。
もしロロ達が対峙した相手が漆黒のローブを纏っていたら、間違いないハズじゃ。
そしてこの手紙を読んだ時、もしワシが居なくなっていたら以下の様に行動して欲しい。
・旅立つ真人君にお願いして付いていく事
・そうして故郷へ無事に帰る事
・ワシの事なんぞとっとと忘れてしまう事
短い間じゃったが、ロロの事は本当の家族だと思っておった。
こんな老骨と一緒で退屈じゃったかもしれないが、独り身のワシが孤独を感じなかったのはロロのおかげだ。
本当に感謝しておる。
こんな別れで申し訳ないが、末長く元気に生きておくれ。
P.S.
少しだが、ロロがいつか旅立つ時の為にと準備をしておった。
鍵を使って、書斎の本棚の裏にある扉を開けて欲しい。
それでは、達者での。
オリバー・J・カーディナル】
―くしゃっ、と読み終えたメモを握り潰したロロは、その瞳から静かに涙を零した。
「なに、それ…。」
握り拳を震わせているその表情は、怒りと悲しみが混じった悲壮なものだった。
「——ばかっ、オリバー爺の…バカ…っ、そんなもの、いらない…っ要らないから帰ってきてよッ!!うっ、うぅ…!!」
嗚咽を零しながら崩れ落ちそうになるロロを急いで抱きとめる。
そうか、魔王、だったのか…。
そんな歴史もある世界だし、いつかは敵対するかもしれないとは思っていたけれど、まさかこれだけ早く遭遇するとは思わなかった。
しかし、あのオリバーさんだぞ…。
かつて勇者と共に魔王を討ち滅ぼしたとされる伝説の大魔導士が、そう簡単に死ぬとは思えないけれど、まさか本当に…。
何処までも理不尽な現実に犯されているロロ。
それがどれだけ辛い事なのか、簡単に理解できるものじゃない。
ここで慰めの一つでも掛けられたら、とも思うけれどそんなモノは欺瞞でしかないのだ。
それに、先程クロが発したあんな直接的で無神経な言葉に納得したロロが、上面の言葉で楽になるとも思えない。
それでも、せめて少しでも孤独が紛れるなら側に居てあげたいと思った。
お節介だってわかってはいるけれど、痛々しい彼女の姿を見てどうしても放って置くことはできなかったからだ。
※※※※※※
その後、『しばらく一人にして。』と言ったきりロロは部屋から出てこなくなった。
速攻で振られてしまった…。
だが、ロロは俺なんかが思っているよりずっと強い。
この短時間で口が利ける程なんだ、一人でだって最善の答えを見つけるだろう。
あれ、何か俺今すごく気持ち悪いな…。
こうやって主人公面するから痛い目を見ると、今回の一件で学んだばかりじゃないか…。
とにかく家具を元に戻そう。
疲れてはいたが、オリバーさんの治癒魔法のおかげか大した程じゃない。
「なぁ、クロ。」
『なんだい?』
よっ、と椅子を動かしながらアミュレットへ話し掛ける。
「オリバーさんは手紙でああ言ってたけど、どう思う?」
『どうって、ロロの事かい?』
「それもあるけれど…。」
もし本当に俺に付いて来ると言ったら、もちろん断るつもりも無いし、寧ろこちらから誘いたいくらいだ。
しかし、今の彼女の状態ではすぐに旅立つ事は出来ないだろう。
暫くは、擦り切れてしまいそうになった精神を療養する必要がある。
『別に急いでいる訳でも無いんだし、いいんじゃないかな。その間、筋トレでもして肉体を鍛えると良いよ。』
「まぁ、早く帰ってコーラをがぶ飲みしたい気持ちはあるんだけどな…。」
あっ、ヤバぇ、思い出したら手が震えてきた…。
なんてね。
しかし筋トレねぇ…。
俺は玄関先に立て掛けた日本刀を見る。
折角なので、刀には霧丸という名前をつけた。
今後の冒険でも重宝させて貰うだろうし、早くも愛着が湧いてしまったのだ。
そのうち剥き出しの刀身を納める鞘も手に入れないとなぁ。
「って、違う違う。それもあるけれど…。」
『オリバーさんの事でしょ?』
「そうだ。」
実際それが一番の問題だ。
遺言書のような手紙を残していたが、やはりそう簡単に彼が死んでしまうとは思えない。
現にクロの言った通り死ぬ瞬間を見た訳でもなければ、死体があった訳でもないのだから。
跡形も無く消滅した可能性も無くはないが、全ての属性の魔法を極めた超人だ。
もしかしたら何処かで息を潜めているのかもしれない。
『正直、僕にも検討は付かないよ。でも、死んだと確証する事もできないしね。』
「そうだよな…。」
ロロもきっとそれを分かっているのだろう。
だからこそ、今だってあれだけ平常でいられるんだ。
俺なんかより遥かに過ごした時間は長いしな。
色々と推測しつつ、一通り家具を整頓した後床に金色の鍵が転がっている事に気が付いて拾い上げる。
「これ、オリバーさんが手紙で言っていた鍵か?」
『そのようだね。』
ふむ、まぁしかし勝手に部屋を開ける訳にもいかないので机に置いておく。
ロロが気付いたら回収するだろう。
流石に、眠くなってきた。
とりあえず寝よう、考えるのはそれからだ。
二階へ上がり、充てがわれている客間へ向かう。
途中、手前のロロの部屋を通り過ぎる時、微かな泣き声が聞こえた気がした。
…起きたらご飯でも作って持っていってやろう。
これでも一人暮らしだったので嗜む程度には料理が出来るのだ。
こちらの食材でうまく作れるかはわからないが、まぁ何とかなるだろう。
そう決心して部屋に入り布団に寝転ぶと、一瞬で微睡みの中へと深く沈んでいった。
起きた時、ロロがいつもと変わらない気丈な態度で接してくれるのを祈りながら。