第1話 夕立と蜃気楼
休日の雑踏と、異常な程の湿気。
アスファルトは熱に侵され、排水溝からは異臭が立ち込める。
「あっちー…。」
USBメモリが大量に入った段ボール箱を店先に出し、滝の様に流れる汗を拭う。
信じられない暑さだ。
朝、家を出る前に見たテレビニュースでは観測史上最大の暑さを記録すると取り上げていた。
なるほど、納得できる猛暑だ。
「おーい、バイト!こっちの商品も外に並べてくれぇ!」
「はいっ!」
あくせくと店主の命令に従い、次々と商品を並べて行く。
とある電気街の裏通りにある小物家電屋だが、休日となると観光客で賑わい大変忙しい。
暑さで滅入る気持ちを押し殺しバイトに励む高校二年生、秋原真人はビラを配っているメイド達を横目に仕事を従事する。
「あー…、バイトなんてやってないでメイド喫茶で涼みてー。」
「なんでもいいから、とっとと商品並べてくれ…。」
溜息を吐く店主に苦笑いを浮かべて答える。
今日はバイトを早く終わらせて、新作ゲームを買って帰るぞ!
それだけを糧に、このクソ暑い中休日出勤に応じたんだから。
ふと遠くに目線を移すと陽炎が出来ていて、景色が歪んでいる。
ビルの合間から見える空には入道雲が浮かび、本格的な真夏を演出している。
そういえば、夕方は一時的に雨が降るんだったなぁ。
退勤時間と雨が被らないことを祈りながら、黙々と作業を続けていく。
—7月も後半、夏休みの事だった。
※※※※※※
「…くぅぅう!!ついに手に入ったぜ!!」
戦利品袋を覗き込んで思わずガッツポーズを取ってしまう。
延期に延期を重ね、発売を待ち焦がれたゲームがついに手に入ったのだ。
泣きゲーと有名なファンタジーRPG、その続編だ。
初回限定版には豪華にも、登場人物の魔法使いが首から下げているアミュレットが付いていた。
我慢出来ずにそれだけ開封し、同じように首から下げてニヤついているのは我ながら気持ち悪いオタクだなぁと思う。
「とっとと家に帰ってインストールしなきゃな…お?」
緋色のレプリカ宝石が嵌ったアミュレットを片手で弄んでいると、頭上に冷たい感触が当たりふと立ち止まる。
雨だ、それも大粒の。
「ヤバいヤバい、こりゃ大雨になるな…。」
この季節特有の夕立。
落ちかけた日に照らされてどこか幻想的に輝いている。
うだるような暑さと排気ガスの臭いに混じって、雨の香りも立ち込める。
急いで駅に駆け込み、息を整えて電車に乗った。
家はバイト先から30分程電車を乗り継いだ場所にある。
両親共に放任主義なのでこの歳にして一人暮らしだ。
ロクに友人も居ないので夏休みとなるとバイト以外は家に引き篭もってゲーム三昧、恋愛に明け暮れる健全な高校生活とは縁遠い生活を送っている。
別に僻んだりしていないので哀れに思う事なかれ、ゲームの中で理想の女の子とイチャイチャできて自分の中では幸せなのだ。
電車に揺られながら車窓を眺める。
外はバケツを返したかのような酷い豪雨に晒されていて、ビルが立ち並ぶ景色は一層灰色の世界を思わせる。
その中に一つ、違和感があった。
「なんだ、あれ…。」
一際高いビルに重なるようにして生えた半透明な一本の大木。
蜃気楼か何かだろうか、とにかくそんな光景を見たのは生まれて初めてなので非日常感に何処か心を躍らせながら眺ていた。
次の瞬間、目の前が真っ白になって轟音が鳴り響いた。
「な、なんだ?!」
視界が眩み、鋭い耳鳴りで軽くパニックを起こす。
次に酷く脳が揺れる感覚と、強烈な吐き気を催した。
「…ッ!!!!」
必死に口元を抑えて耐える。
途中電車が酷く揺れて、悲鳴が聞こえた気がしたがそんな事に注意を向けている暇は無かった。
どのくらいそうしていただろうか。
数秒だった気もするし、何時間も耐えていたような感覚もする。
気がつくと乗客は一人も居なくなっていた。
「は、はぁ?」
理解が追いつかず、思わず声に出してしまう。
電車は何事も無かったかのように走り続けていて、外は真っ暗になっている。
さっきまで夕方だったはずなのに。
車内は静まり返っていて、別の車両にも人気は無かった。
あまりの不気味さに肩が震えて今にも泣きそうだった。
すると『ボッ…ボッ…。』と車内アナウンスの電源が入ったような音が流れ、砂嵐の中声が聞こえた。
『…い…ヴぉ…チい……に……お』
雑音のせいで聞き取り難いのもあったが、明らかに日本語じゃなかった。
「…ぁあ…ぁあああああ!!!!」
頭がどうにかなりそうだった。
叫びながら一心不乱に他の車両へ移動する。
「誰か!!誰かいないのか?!?!」
他の乗客は何処へ行ったのか、とにかく同じ境遇の人間を求めた。
こんな状況で一人でいるのがあまりにも心細くて。
何度別の車両へ移っただろうか。
最後尾の車両に辿り着いた時、一つの人影が俯いて座っているのが見えた。
ボロ切れのような黒いローブを纏っていて、長く伸びた前髪で表情は伺えなかったが、別の人間が居たことに酷く安堵してすぐさま駆け寄った。
「おい、大丈夫か?!一体何がどうなってるんだ…。気付いたら誰も居ないし、外は真っ暗だし…。何か知らないか?」
声を掛けると恐らく男性であろうその人物は、少しだけ肩を震わせてこっちを見た。
「…あぁ、そうか…。そういう事、だったのか…。」
何に納得したのか、全く要領の得ない返答で混乱する。
よく見るとその姿はローブだけでは無くボロボロで、至る所に切り傷や血に濡れた箇所があった。
表情は長い前髪のせいで相変わらず分からなかったが。
「ひッ…。な、なんでそんなにボロボロなんだよ…。」
「……いいか、次の駅に着いたら必ず降りろ。降りたらすぐに湖へ行け。」
「はぁ?ちょっとまってくれ、そんな事より何があったのか教えてくれよ!」
「…もう時間が無い、とにかく降りるんだ。」
勝手な命令だけして電車を降りろという。
先程の不気味な車内アナウンスの後、電車はゆっくりと減速して何処かに止まるようだった。
「嫌に決まってるだろ、何でこんな意味のわからない場所で降りないと行けないんだ!」
「ダメだ、このままこの電車に乗り続けていたら必ず後悔する。」
「意味がわからない、何一つわからねぇよ!!」
やり取りをしている間に電車は完全に停車し、ドアが開いた。
外は真っ暗で何も見えない。
「いいから今すぐ降りろ!!」
「待って、待ってくれ!こんな意味不明な場所で降りれるかよ!?一人にしないでくれ!!」
必死にそいつの肩を掴もうとしたが、いきなり立ち上がり強引に腕を取られてドアの前へ引き摺られた。
「大丈夫だ、お前は一人じゃない。」
「はっ?何を言って…
言い切る前に突き飛ばされる。
抵抗も出来ずに俺はドアの外へ飛び出してしまった。
最後に見たその男は、泣いているようだった。
「…今度は、上手くやれよ。」
遠のく意識の中、聞こえた言葉はやっぱり意味が分からなかった。