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腐敗親話  作者: 坂東尚樹
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00.はじめに

「どうして声優になったんですか?」

 そう聞かれる度に当惑してしまう。

 なろうと思った事は一度も無い。気がついたら「声優」と呼ばれる場所にいた。

 北海道、旭川市。

 今でこそ「ラーメン」や「旭山動物園」の街として名を知られているが、私が幼い頃には「極寒」以外に誇れるモノが無いただの田舎町だった。

 -20度以下になると小学校は安全のために始業時間を遅らせ、もっとひどい時には休校になった。


 父は、その田舎町の郊外にある大きな製紙工場で働いていた。

 工場を取り巻く広大な社宅街に社員の大半が住んでいて、それがそのまま「パルプ町」という地名になっていた。「パルプ」と言うのは木材から抽出された繊維の事で、全ての紙製品はこの「パルプ」を原材料にして作られる。

「ポプリ」みたいにエキゾチックな響きの割には製造過程で盛大に化学薬品を使うため、工場は常に大量の廃液を吐き出していた。当時はそれが近所の川にほとんど垂れ流しで下流の汚染度は全国トップクラスだったらしい。

 太い煙突が吐き出す煤煙には年中悩まされていた。どんなに閉め切っていてもどこからか微細なススが侵入してくる。窓際に置いてあったLPレコードの半分くらいはそれで駄目になった。


「北海道出身」と聞くと、大抵の人が「自然がいっぱいでいいよねえ」てな事を口にする。しかし、私の生まれ故郷は何だか少し違っていた。

 確かに、針葉樹の彼方に大雪山を望む夕景は「北欧」さながらで、あまりの美しさに立ち尽くしてしまう事すらあったのだが、その絶景の下を流れる川はいつでも大量の工業廃液で缶コーヒー色に淀んでいた。

 もしかしたらあの場所は「文明」と「自然」が拮抗する最前線だったのかもしれない。「最前線」だったから、誰も「犠牲者」に気を使う事ができなかったのだ。


 小学校1年生の頃、日本初のTVシリーズ・アニメ「鉄腕アトム」が始まった。

 そのまま「テレビ漫画」がブームになって「鉄人28号」に「エイトマン」と、やたら「ロボット物」が続いた。もちろん「実写化」しにくくてアニメ向きという事情もあっただろうが、あの頃の「夢の未来」ってまだ「産業革命」の夢を引きずっていたような気がする。

 とにかく機械の力で人間を重労働から開放するのが人類の最大幸福。「電気を喰っても原子力があるさ」ってのが時代の空気だった。


 少し成長して「お子様向け」の正義感に飽き足らなくなった頃「サンダーバード」がやって来た。

 かつてない「重量感」や「ウェザリング(汚し)」。家屋敷からティー・カップにまで至る様式美の一貫性。それまでの日本の「お子様向け」が決して見せてくれなかったクオリティに、私は圧倒され、心酔した。


 この頃の日本の「テレビ」はまだ若くて「タマ不足」だったから、番組表には輸入物の「海外吹き替えドラマ」が多かった。「奥様は魔女」や「タイムトンネル」など日に2本は「吹き替えドラマ」をやっていて、最終回が来ても途切れずに次作の予告が続いていたのだから、相当数の「吹き替え作品」と声優さんの声が成長期の脳ミソに叩き込まれていた事になる。


 ちなみに「奥様は魔女」を観ていて一番驚いたのはサマンサの魔法ではない。

 巨大な冷蔵庫から取り出された馬鹿デカい牛乳ビンだった。「オーブン」という装置の存在を知ったのもあの番組だ。欧米の考え方や生活様式のほとんどは「吹き替えドラマ」から教わった。

 おかげで今だにシカゴではギャングがマシンガン撃ち合っているような気がするくらいだから、変な漢字のTシャツを着ているくらいでガイジンを笑えない。


 反面、中近東や南アジアがテレビで扱われる事はほとんど無かった。

「海外」と言ったらそれは「欧米やソ連」の事で、そこは日本よりも科学が進んでいて裕福で、周りの大人たちはみんなあんな風になろうとしてむしゃらに働いていた。


「作れば作っただけ売れるんだから、作らないと損なんだよ」

 そう言ってニヤリと笑った父親の顔がいまだに忘れられない。

 こんな狭い国でそんな事を続けていたらいつかプッツリと途切れてしまうに決まっている。「大人」がそんな事に気がつかないはずは無いから何か対策があるに違いないと漠然と信じていたのだが、まさか何も無いとは思わなかった。


「東京オリンピック」に「万博」に「月着陸」……

 痛いほどの使命感で盛り上がるために盛り上がりまくり、「北爆」だの「公害」だのを気にとめる人なんて少数派だった。いや、少ないというだけではない。はっきりと嫌われた。


「しらける」なんて言語道断である。

 そんな危険人物は矯正のために肩をつかんで揺さぶられたり、笑い出すまで殴り合ったり、海岸を夕陽に向かって走らされたりしていた。だから私はあの頃の日本製のテレビ・ドラマがあんまり好きではない。

 特に「ケンちゃんシリーズ」なんかに登場する「明るい家庭」を見ていると、何だか照れ臭ささがあふれてきて居心地が悪くなった。

 その頃の私には「アニメ」や「外国ドラマ」よりも、そういう「日本のホームドラマ」の方がずっと非現実的で「いかがわしく」感じられていたのだ。


「正義の味方の勝利」が絵空事である事などとっくに気づいていて、善悪や常識がくつがえってしまうような非日常的なストーリーにワクワクしていた。

「大人」の目から見ると、ちょっと「嫌な子供」だったかもしれない。


 まっさらで生まれて来たハズの無垢の赤ん坊が、なぜ「嫌な子供」に育ってしまったのか?

 理由は一つしかない。「嫌な育てられ方」をしたからだ。

 多くの「親」は、「遺伝」や「血統」が人格に与える影響ばかり取り沙汰して、あえて「正解」から目をそらそうとしてしまう。子供の頃は他に情報源が無いからそういう親が言う事をを鵜呑みにするしかなかった。

 だが、今ならきっぱりと断言できる。

 その「正解を避ける親」が、私の「障害」の原因になった。


「障害」という言葉がどんな状態の、どれくらいのレベルから使われるべきなのか、学問的に正確な線引きのルールを私は知らない。しかし、

 振り返ればある時期確かに「おかしかった」という自覚がある。

 今現在「正常だ」と胸を張って言い切る事もできないが、それでも前よりはずっとましになったという実感がある。


「無垢」で生まれたはずの赤ん坊が、どこでどうしておかしくなったのか?


 他人の「身の上話」が退屈な事は知っている。子を持つ親にとっては生理的に不愉快な話だろう。だが、あえて私はその原因を探索する旅に出ようと思う。

 我が子を私物化して自分の夢を託してしまうような「子供」に、これ以上「子育て」を任せておくわけには行かないからだ。

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