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アクアマリンの首飾り 6

 翌朝、幽体なので入る必要の無いロスエールを除く俺とニカ、アカネはそれぞれ朝風呂に入ることになったが、俺はその前に離れの庭先で『つむじ風の帽子』といつも背負ってる革鞄の手入れ済ませてから随分簡単な作りの離れの男湯に向かった。俺達ケムシーノ族はごく普通の虫系モンスターなので長湯等しない。具合悪くなるからさ。触手を操り、ざばっと桶で湯を被り、石鹸とブラシで全身を洗い、流し、集落の担当者が一応湯船に湯を張っておいてくれたので、

「潜っとくか」

 と湯船に飛び込み、昔、森の教室で習った「海で生まれた私達の先祖は新たな生存圏を求め、淡水、そして陸の環境へと侵出を試みて行ったのです」という教科書の件を思い出す。湯船の底は何やら母親の腹の中のようでもあるが、別に安心を感じるでもなく、ただ湯の中、息ができないだけだ。俺は暫く、進み難い底をワシワシ歩いてみたり、軽く泳いでみたり、口から息の泡を吐いてみたり、頭上に見える湯船の水面を見上げてみたりしていたが、息苦しくなり、触手を湯船の縁に伸ばし、自分で自分を引き上げた。

「プハァっ、陸の環境へと侵出を試みて行ったのです」

 縁に掴まって息をして、俺は当時熱心に学んだ訳でもない教科書の一文を暗唱し、こんなよく知りもしない集落の離れの風呂の縁が、俺の『生存圏』なのか? と思った。


 離れの居間に戻ると、一人待っていたロスエールのローブが暗灰色から暗めのクリーム色に変わっていた。

「あれ? ロスエール、着替えた?」

「皆さんがお風呂に行ったので、対抗してみました」

「ふふっ、対抗って」

 軽くウケながら触手を使って近くのソファに乗り、鞄は傍に置いた。

「随分さっぱりしましたね、ケム彦。下茹での済んだロブスターのようですよ?」

「『食材』に例えるのやめてくれよ」

「フフフフッ、失礼しました」

 実は俺達ケムシーノ族は実際に『食材モンスター』でもある。調理法によっては結構旨いらしいが、世界中にありふれたモンスターなので『安値』で取り引きされているようだ。冗談じゃないっ!

 俺がロスエールと、5分くらいかな? ロブスターの旨い食べ方と、それに合う酒について雑談していると、居間に風呂上がりのニカとアカネが入ってきた。アカネは一目でわかる程、毛艶がよくなり、昨日の半端な人間体を思い出すと、あの小娘が洗いたての兎の着ぐるみの中に入っているようでおかしかったが、それよりもっ! アカネの頭の上に乗って軽くのぼせたようにも見えるニカの格好に驚いた。

「あれ? ロスさん着替えた?」

「そうですが、ニカは随分なんというか、すっきりしてしまいましたね。フフフ」

 ロスエールも驚き、面白がった。

「何? ロスちゃん」

 不機嫌そうなニカ。ニカは服装も芝居じみた男装から簡単な部屋着になっていたが道化のような化粧を落とし、整髪料で決めていま髪もざんばらになり、黒ぶちの眼鏡まで掛けていた。

「このチビ、化粧落として普通の格好になったら急に大人しくなってやんのっ! イヒヒっ!」

「うっさいよ、兎ちゃん」

 反論のテンションも低いニカ。

「お、帽子っ! さっぱりして、茹でたロブスターみてぇだな!」

「それ、もういいから。つーか、ニカ。目が悪かったのか?」

「力を入れたら見える。気を抜くとボヤける。それだけ。ボクの目とかどうでもいい。昨日、200万がどうとか言ってなかった?」

 ニカから仕事の話を振るとか珍しい。あんまりイジって怒らせてもしょうがない。俺は改めてケムぴょんさんから頼まれた人間の村長への前倒しの手付け金200万ゼムを明日の夜までに用立てる必要があることを話し、さらに午前中に今作れる範囲のマップ作りと報告書の作成をニカに手伝ってほしいと頼みもした。飛行して移動し、洞窟の中でジィーンを唱えていたニカが一番持ってる情報量が多い。

「別にいいけど」

 ニカは意外な程、あっさり了承した。俺とニカが書き物をしている間、ロスエールとアカネは昨日、買い切れなかった品々を買いにゆき、ついでに来た当日はロクに聞き出せなかった。『虹の回廊の洞窟』に関する情報の聞き込みをやり直すことになった。装備品等の確認は二人が戻ってからやることになった。


 俺は元々事務仕事が得意だが、仕事に必要なこと以外は無駄口を全く叩かず、黙々と作業するニカも相当作業が早かった。片手に作業用マリオネットタクトを持っている。マリオネットタクトは念力を発生させる杖で、ニカが使っているのは作業用の物なので出力は弱いがその分、魔力を殆ど消費しない仕様だった。それで筆記用具や書類を操り、素晴らしい早さでマップと報告書を仕上げてゆく。ニカがあんまり真面目に仕事をするので俺はなんだかからかいたい気分になってきた。

「ニカ、その眼鏡には『変態』の性格を鎮める効果があるのか?」

「うっさいよ、ケム彦」

 短く返し、そのまま仕事の手を止めないニカ。俺は本当に、アカネと朝風呂に入った間に別のバッドピクシーと入れ替わったんじゃないかと思えてきた。作業上のやり取り以外、会話も無いまま40分程で複写も含め、マップ作りと報告書作りは終わった。まだ午前10半過ぎだ。ロスエールとアカネが戻るにはまだ早い。仕事が終わってもニカは無口で、小さな体でテーブルの上で胡座をかき、マリオネットタクトを持ったまま腕を組んで窓越しに、離れの庭をじっと見ていた。

 き、気まずいな。仕事は終わったんだから、さっさとマップと報告書の配達を集落の長老の家の下働きの者に頼みに行けばいい訳だが、今退室するとなんか負けた感じになる。ニカと同じテーブルの上にいる俺は触手で意味も無く繰り返し既に出来上がった書類を掴み、テーブルでトントンと叩いて整え直したり、書類を封筒に入れて、また出して、内容を確認するフリをしたりして無意味に様子を伺っていた。

「コーヒー飲みたいな」

 不意にニカは言ってきた。

「ああっ、いいよ。確か棚にあるんだっけな? クッキーもあったような? 俺、コーヒー淹れるの上手いよ?」

 そんな事実な無いが、俺はあたふたとコーヒーの支度を始めた。俺のコーヒーはケムシーノ族用の吸い口の付いたカップに注ぎ、ニカのはピクシー用の人間の子供がままごとに使うような小さなカップにかなり苦労して注いだ。茶菓子は棚にあったクッキーとレーズン。ニカはクッキーの欠片とレーズン一粒の切れ端をマリオネットタクトで手元に引き寄せてかじり、コーヒーを啜った。俺もモソモソとクッキーとレーズンを食べ、コーヒーを啜っていると、ニカは杖で食べかけのクッキーの欠片とレーズンの切れ端を自分の周囲にクルクルと回しながら、また口を開いた。

「作ってないよ」

「ええ?」

「どっちが本当とか無いから」

「おお、振り幅だね。よくあるよくある」

 よくは無いだろっ、と言った自分に内心ツッコむ俺。ニカはまた黙り、俺達は無言でコーヒーを啜り続けた。これは参った。俺は打開点を見出だそうと、ニカの左腕の腕輪に注目した。

「それ、ペインアミュレットっていうんだろ?」

 呪われたクラスのバッドピクシー族は普通には生命を保てないという。その為、『痛み』をペインアミュレットに蓄え、糧にして命を繋いでいる。

「やっぱ付けてるとずっと痛いのか?」

「そういう仕様の物を付けている人もいるけど、ボクのは違う。ボクのは『回想』の特性を持たせてある」

「回想?」

 ニカは自分の腕輪を眼鏡越しに見詰めた。

「狩った獲物の痛みも溜めているけど、ここに入ってる一番大きな痛みはボクの『本当の痛み』だよ。それを、いつもどこか感じていられるんだ。そうしないとね」

 ニカは今度は俺を見詰めた。

「どんな痛みも、薄らいで、忘れる」

「そんなに苦しいことなら忘れられないんじゃないか? その腕輪の特性は改められないのか? 種族が違い過ぎるから、基準がわからない。変えられないのか? 負担が大き過ぎる」

 俺はなんだか訳のわからない怒りを感じてきた。なんだ、そのクソみたいなルールはっ。

「ボクは恐ろしい。思い出す痛みより、忘れる痛みの方が、ずっと恐ろしいんだよ、ケム彦。コーヒーごちそうさま、ホントに君、淹れるの上手だね」

 ニカはそう言って微笑み、羽を羽ばたかせて居間から出て行った。


 ロスエールとアカネが買い出しの残りの品々と、昼食用のパンや飲み物等を持って戻って来たのは12時前だった。それより前、俺が書類の配達を頼みに居間を出た間に元の道化のような男装姿で居間に戻っていたニカは、アカネが袋から取り出したホットドックに、

「チョリソーいっただっきっ!」

 と勢いよく飛び付いてかじりついてアカネを呆れさせれていた。昼食を食べながら聞き込みの成果を聞いたが、やはり集落で得られた情報は少なく、虹鱗のネッサがどうもこの近海の出身であることと、近海の人魚の長は300年以上生き続ける長命者で、おそらくネッサ本人となんらかの関わりがあること以外はわからなかった。

「長老を含め、古い時代を知ってる者達は意識して口を閉ざしている様子もありました」

「この集落のジジババども、絶対なんか隠してたっ!」

 ロスエールとアカネはすぐ近くのことであるにも関わらず『知らな過ぎる』集落の者達に疑いを感じた風だった。

 食事と打ち合わせの後で肝心の、購入品の確認を行った。パーティ全体で使う道具や、個別の細々とした道具も今使える金額で一通りは揃ったが、各人の装備類は、

 ロスエールは、細身の鎖鎌を+1に強化し、元々持っていた2本のダガーと多数の短刀、カタール、作業用ナイフ3本の手入れを行い、火雀の羽も1枚買い足していた。

 アカネは、少し傷んでいた五節鞭を補修した上で五節鞭+0,5に強化し。予備用の間接攻撃武器にブーメランも1本購入していた。他には本来のメイン武器の『紫電サック』を持っていることと、狩猟用小刀1本、大振りの作業用ナイフ2本も持っていることを確認し、さらに耐毒の『ブーケの守り』も1つ買っていた。あくまで毒除けケープは返してもらわず、霧のタクトも持ったままだった。少し予算オーバーしていたが、自腹を切ったらしい。

 ニカは、『軽量』の特性しか持たせていなかったピクシーフォークに『守り』の特性を付加し、さらにニカの体のサイズに合ったブーケの守りは売っていなかったので持続時間6時間の『耐毒のロール』を1本買わせた。ニカは他に何も特性を持たせていないピクシーナイフも1本持ち、作業用マリオネットタクトは予備も合わせて2本持っていた。うわばみポーチの中にはピクシーサイズと人間サイズの拷問具も多数持っていたが、どれも実戦では使い難そうな物ばかり。だが、ナイフ状の物を相当本数持っていることは頭に入れておくことにした。

 俺は風属性を強化する『海風のバッチ』とブーケの守りも一つずつ購入した。元々持っている俺の手持ちの武器はダーツ11本と折り畳みノコギリ+1を1本、ポケットナイフ1本、折り畳みナイフ2本だ。 装備品の確認が終わると、午後はそれぞれ買ったり強化した装備の手応えを確かめることになった。


ロスエールとアカネはそこそこ設備が充実しているという集落の教練所に向かい、ニカはフォークを強化してもらった魔法道具専門店に向かい、俺は集落の中でやたら『風』を起こす訳にもいかないので、せっかくいい風も吹いていることだし、谷の岩壁の上で海風のバッチの力を付加したつむじ風の帽子を試すことにした。

「どれくらい飛べるかな?」

 岩壁の下で、まず俺は特技『旋風飛行』を使ってみた。つむじ風に乗って飛ぶ技だ。

「おおっ?! これはっ!」

 軽い軽いっ! 俺はあっという間に岩壁の中程まで飛び上がった。これなら他の3人を乗せても短時間なら高速飛行できそうだ。俺はそのまま岩壁の上まで上がり切った。岩壁上にはうっすら霧が掛かっている。この位置は集落と霧の結界の狭間らしい。俺は岩壁の縁から集落を見下ろす。下にいると狭い集落に感じるが、上から見ると谷沿いに細長い集落の面積はかなりある。

「あっちはずっと農地か、あれは茶畑かな」

 何気無く呟く。風が吹いているのに霧はまるで晴れない。谷の底にある集落の周囲は全て見通せない霧。しかし上空は晴天。俺は海の近くにある『虹の回廊の洞窟』の攻略に来たはずだが、なんとも奇妙な集落で今は一息ついていた。

「来てみないとわからないもんだが、俺じゃなくてもよかったかもな」

 思わず口に出た。本当にそうだ。この仕事、実力があれば別に俺じゃなくても問題無い。そもそも俺じゃなきゃならない仕事なんて無いだろう。全部俺が勝手にしていること。それで楽しいのかどうかもよくわからない。そんなことで毎度毎度、軽く死にかける。たぶん俺はバカだ。

 感傷に浸っていてもしょうがない。俺はため息一つついて、テストの為に改めて周囲に風を起こし始め、そこでようやく風の中に『異物』を感じた。

「なッ?!」

 俺は驚愕して触手を構えて振り返った。霧の向こうの大岩の上に、青い羽の『ヤツ』がいた。

「ようやく気付きやがったかムシ野郎っ! 間抜け面で上がって来てポエジーなこと抜かしやがって、後ろから7、8回はぶっ殺せたぞ? ああッ?!」

 墓場カラスのクロベエだ。ずっと俺を狙っている。首から下げた『スナッチアミュレット』の力で結界の類の影響を殆ど受けない野郎だっ!

「なぜ、すぐに襲ってこなかった?」

 俺は岩壁の縁から回り込むようにヤツから見て岩壁の中程までにじり寄る。海風のバッチで強化されたとはいえ、最初の攻撃で谷に落とされて空中戦に持ち込まれたら、さすがに勝てる要素も逃げ延びる要素も薄い。

 1本足で大岩に立つヤツは一つ目でジリジリ移動する俺を瞬き一つせず見ている。

「虫野郎っ、組の仕事だ。今だけ見逃してやるぜ」

「組、だと?」

 クロベエはかなり古い鳥魔族系マフィア『棘の巣』に属している。

「お前、鉄砲玉だろ?」

 クロベエは言葉では応えずに代わりに開けるのを見たことの無かった肩掛け鞄のファスナーを嘴で開け、中から装飾された青い鍵をくわえ出した。

「鍵? なんだ?」

「これからコイツをそっちに投げるが、めんどくせぇからいちいちテメェのクソ風で飛ばすなよ?」

 鍵をくわえたままクロベエはそう言い、ぞんざいに俺の手前辺りに投げてきた。俺を素早く飛び退く。ヤツは嘲笑った。

「ゲヘヘヘッ! 相変わらずチキンだな、虫っ! ソイツは『虹珊瑚の鍵』だ。テメェらが攻略しているクソ洞窟の地下3階の最深部、『アクアマリンの首飾り』の眠る『虹鱗の墓標』の間の扉の鍵だ」

「何っ?!」

「その鍵が無ぇと、それを上回るクラスの『海』の属性を持った解錠アイテムが必要になる。そのことは人魚どももバテラ一味の間抜けどももまだ知らなねぇ。あの場所に最初に行くのはテメェだ。虫野郎っ!」

「何を? 俺が?!」

 俺は混乱した。どういうことだ?!

「テメェのことはもう見切ってる。テメェはその鍵を売れねぇよ?」

「何をっ!」

 俺は自分でも驚く程簡単に激昂し、特技『風の鎌』をヤツに放ったが、バッチで強化された風の刃をヤツは造作も無いようにかわして飛び上がった。

「ギャハハッ! 確かに渡したぞ?! 虫野郎っ!!」

 クロベエは霧の結界の向こうに飛び去って行った。

「アイツっ、くそっ!」

 俺は暫く怒りが収まらなかったが、なんとか気を落ち着け、『虹珊瑚の鍵』を触手で拾い上げた。これは絶対高価な物だ。革鞄からロスエールから預かっていた銀の算盤を取り出し判定する。

「マジか?」

 鑑定金額は『4000万ゼム』だった。それだけじゃない。人魚かバテラ一味との交渉にも使える。俺の任務はあくまで金銭の獲得だ。それ以外のリスクを負う必要は無い。そもそもクロベエ等は一切信用ならない。だが、俺は、つむじ風の帽子を取ると、その裏側にある隠しポケットの中に鍵をしまい込んだ。

「なんのつもりだよ? 俺」

 つむじ風の帽子を被り直した。昨日洞窟を去る際感じた、呼ばれるような感覚が甦っていた。理由はわからない。だが、心臓の辺りが、痛い。『本当の痛み』とニカは言った。俺はそこまでの痛みをこれまで感じたことは無い。

 無い、はずだった。

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