正しい女の殺し方
俺は百合子が憎い。夫である俺を捨て、顔と若さだけが取り柄の間男の元に逃げた、あの尻軽女が憎い。
どうにか三十五年ローンを組み、やっとのことで建てた新居にたった一人で暮らさなければならなくなってから、俺は何度も思った。あの女を、いつか殺してやろうと。だが、うまくやらなければ俺が豚箱に放り込まれるはめになる。何の落ち度もない俺が、悪の権化である百合子に制裁を加えたことで法の裁きを受けることになるだと? そんなのは不服だ。
どうにかあの女を、俺の前科を増やさぬままこの世から葬ることはできないだろうか。いつからか俺は、そんなことばかりを考えるようになっていった。
まず考えついたのは、推理小説に使われているトリックを応用して完全犯罪を成立させることだった。
これは我ながら、なかなかいいアイデアじゃないだろうか? 最初はそう考えたものだったが、参考にする本を選ぼうとしていたところでこんな情報を思い出した。
――読者が実際に真似しないように、推理小説に使われているトリックでは人は殺せないようになっている。by どこかの誰か――
いかん。これでは目的が果たせないではないか。
俺は再び、策を練ることにした。
次に考えついたのは、プロの殺し屋に依頼をするという手段。やはりプロに任せた方が安心であるし、後始末もきちんとしてくれるだろう。
よし、この手で行こう。そう思って電話を手に取った時、俺はあることに気がついた。
――殺し屋に依頼したい時って、一体どこの番号に電話をすればいいんだ? by 俺の心の声――
真っ当な人生を送ってきた俺に、そんな裏社会の情報網があるわけがない。こんなもの、ネットで検索をかけたところで出てくるものじゃあるまいし……くそっ! これじゃどうすることもできないじゃないか!
結局俺は、せっかく思いついたアイデアを泣く泣く放棄しなければならなくなった。
やっぱりあの女を殺すためには、捕まるのを覚悟で俺の手を汚さなければならないのか……。
俺は悩んだ。悩みに悩んだ。悩みまくった末に飲んだくれて、挙句の果てには二日酔いでグデングデンになった。
ぐるぐると世界が回転する中で、俺はだだっぴろい床に寝っ転がりながら思った。俺はどうあがいても、あの女を殺せる運命の星の元にはいないのだろうか、と。
そんな時ふと、手元に何かが落ちていることに気がついた。何かと思って手に取ってみると、それは一本の五寸釘だった。
五寸釘? 何でこんなものが家にあるんだ? 普通なら、そう疑問に思うところなのだろうが、ここで俺の頭に浮かんだものは、全くの別物。
……そう、あの女を殺すとっておきの手段が、俺の脳内に舞い降りたのだ!
「ふはっ……ふはははは!」
そうだ。どうして俺は、こんな簡単な手段を思いつかなかったのか。そうだ、これだ。これがあの女の死に方にふさわしい。ふふふ、思い立ったが吉日。善は急げ、だ。
俺は二日酔いのつらさを忘れ、五寸釘を持って飛び起きた。そして、これまた偶然手元に転がっていたわら人形を引っ掴んで壁に打ちつけ始めた。
そう、呪い。俺は呪いによって、あの尻軽女を呪い殺してやるのだ。
呪いは世間では認められていない、未知の力。それが原因で人が死んだところで、それが殺人として認められるわけがない。
ふふふふ。ふははははっ! 今に見ていろ、百合子。俺はこれから毎日お前に呪いをかけて、じわじわ苦しめながらその命を奪ってやるからな。
ふふ、ふははは。ふははははは……。
「百合子! どうして俺を置いて死んだんだ!」
あの間男の叫び声が、葬式会場から漏れてきている。ここからはそれなりに距離があるはずなのだが、この耳にはよく聞こえてくる。
そう俺は、とうとう目的を果たしたのだ。あの百合子を! あの尻軽女を! 呪いの力によって殺すことに見事成功したのだ!
「ふふふ、今夜は祝杯だ。今日ほど嬉しい日は、今までの人生の中で一度たりともなかったからな」
思えばあの日から、打って、打って、打ちまくりの人生だった。果たして、家の壁にいくつの穴が開いたことだろう。
まあ、家の傷のことなど、もうどうだっていい。あの女の命を奪った代償だと考えれば軽いものだ。ふふふ。いっそのこと、あの間男も呪い殺してやろうか?
いや、それはやめておこう。あの馬鹿夫婦が、地獄の底で落ち合う日を早めてしまうと思うと胸糞が悪い。さて、そろそろお暇しようか……ぎゃっ!
「ちょっと、おじいちゃん。大丈夫?」
うう、足がもつれて転んだところをうら若き乙女に抱き起されるとは。俺も落ちぶれたものよ。
「俺はおじいちゃんなどではない。俺はまだ、八十五だ」
さて。ローンから解放された、穴だらけの我が家に帰るとしよう。祝杯は、入れ歯に優しい濡れせんべいをつまみに一杯やるとしようか。