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異形の戦士  作者: 樹 雅
第1章 ~真紅の炎~
8/72

6話 紫村一族

少し長めです。

 駅前の事件から三週間が経った。

その間、翔と美沙の二人は美沙の実家に身を寄せていた。

 駅前の事は、テレビで大々的に報道はされていたが、何が起こったのかは報じられてはいなかった。ただ、多数の死傷者を出したとしか警察は発表していない。


 憶測が飛び交い、噂が街に流れた。真相を知る者がいなかった事が、噂に尾ひれを付けさせ一人歩きをさせてしまっている。

 遠めに見ても人としか思えない者が出たとしか言えず、真近に見て運よく逃げおおせた者はバケモノが出たとしか言わなかった。

 それを結びつける者もいたが、証拠となる写真や映像がなく、全ては憶測の域を出ていない。


 当然、マスコミによる取材合戦は過激になり、独自の見解を報道し始めていた。それが、事実よりかけ離れていても、万人が納得しえるものであったなら人々は歓迎したのである。

 更に、マスコミが注目するほど、目撃者として名乗り出る者も多数現れ、事態は混乱し始めた。


 警察は、それを黙って見ておく訳にはいかなくなり、目撃者と名乗り出た者を一時的に拘束し事情聴集にあたる事態になる。

 目撃者達の真偽に奔走され事件自体の捜査は、遅々として進まない状況に陥ってしまっていた。

 何があったのか。

 一番知りたかったのは、警察であったが捜査は死者、行方不明者の身元確認に追われ無駄に日々が過ぎて行く。





 


 当事者の二人は、安穏と日々を過ごしていた訳ではなかった。

 翔は戦うための訓練を、毎日道場で気を失うまで叩き込まれて、逃げるにも逃げられずに実戦を想定した組み手を受けていたのである。


「なん、で……俺、が……」


 ボロボロになるまで、容赦なく痛め続ける相手に幾度となく言った言葉。

 返ってくる言葉はいつも同じだった。


「おまえがシロートだからだ」

「シロー……トの……なにが……悪い……」

「おまえが死ぬのは勝手だが、あれを倒せる可能性があるのは、おまえだけだ」


 床に転がる翔に、相手は淡々と告げる。その言葉の端々に口惜しさがにじんでいた。


「我らでは倒せないから仕方がない。異形の力を手にしたおまえを、戦士に仕立て上げるのが俺の役目だ。でなければ、おまえなぞ相手にはしない」

「どいつも……こいつも……勝手なことを……」


 震える体を押さえつけながら翔は立ち上がる。


「……俺は……戦士じゃ……」


 ガクガク笑う膝を押さえつけられずに翔は崩れ落ちた。そんな翔を相手は冷ややかに見詰める。

 気を失った翔に相手は、溜め息をついて首を振っていた。


「こんな奴に、俺は劣ると言うのか……」


 翔を運んでいく者達を見送りながら、男は苦々しく呟いていた。強者と言う自信があるからこそ、そう思うのである。







 ほどなく翔は全身の痛みで気が付いた。痛む体をかばいつつ上半身を起こすと、あたりを見渡してしまう。

 八畳ほどの部屋、気を失った時はいつもここに運ばれていた。


「くそ!」


 うなだれた翔の口からあふれ出た言葉である。


「……なんで、俺が……」


 あの日以来、紅の異形の姿に変貌できない翔に、武術を教えている者達は苛立ちを募らせていた。


 異形に変貌する力があるのに、なにを出し惜しみをしている。

それが彼らの言い分であった。

 翔自身、どうして紅の異形の姿に変貌できたのか判っていない。気がついたらあの姿に変貌し、黒い異形と殴り合っていた。

 本人でさえ判っていない事を他人が理解できるはずもなく、日々痛めつけられるだけになっていた。


 あの時、目の前で瑞紀が死んで、美沙の凄惨な姿を見せ付けられ、言い表せない感情がわきあがり、力を望んだ。

それが紅の異形へと変貌させたのだろう。

だから、もう一度紅の異形に変貌しろと言われても、それは無理だった。


 戦う事を知らなかった者が、戦闘訓練を積んだからと言って戦えるものではない。

 特に、あれと直に殴りあった自分には、あれが人の力で適うものではない事は十二分に理解していた。

 あれと戦えと言われても戦える訳がない。逃げ出すのが一番いい方法と判っている。だが、それを許す者はここにはいなかった。


 四年前にこの力があれば彼女を救えたはず。今回も、もう少し早く判っていれば瑞紀を救え、美沙も怪我などせずに済んだ。

 四年前も今度も、力を望んだのは否定しない。

 だが、護りたい者を護る事も、救いたい者を救えない力に何の意味がある。

 

 力は所詮、力でしかない。


 そして、その力も自分の力ではない事を翔は知っていた。翔自身は四年前と相変わらず自分が無力なのを思い知らされたのである。

 盛大なため息が口から溢れ出た。

 その時、ふすまが開いて美沙が姿を見せる。左手にお盆を持ち、右手は吊っていた。


「行儀が悪いが、カンベン」


 そう言うと、足でふすまを閉めて翔のそばに座る。


「身を隠すと言ったのはいいが、どう言う事だよ。これは!」


 翔はあの日以来、姿を見せなかった美沙に食って掛かった。


「戦い方を知らないおまえに、戦い方を教えているだけだが。それが何か?」

「だから、どうして俺が、そんな事をしなくちゃならない!」

「あれに対抗できるのが、今のところおまえだけだ。戦い方を知らないのは、同じ事を繰り返す事になるからな。それは良くない」


 肩を竦めながら美沙は、お盆の上の湯飲みを指差して続ける。


「ああ、そんな事より、これを飲め。体が楽になる」


 翔は湯飲みを持ち上げて、恐る恐る口をつけた。


「ぐふっ―――」


 恐ろしく苦い飲み物である。顔を歪める翔に美沙は説明した。


「我が家に伝わる万能薬だ。すぐに効果はないが、一晩で体の疲れが取れる」

「飲めるか、こんなもん! 不味いにもほどがあるぞ!」

「そうか? 慣れればたいした事は無いと思うが。まあ、無理にとは言わないが、飲んでおけば楽になるぞ」


 肩を落として溜め息を付いた翔は手の中の湯飲みを見る。美沙を見ると、何だか楽しそうな微笑を浮かべていた。

再びため息を付いて翔は、一気に中身を飲み干した。


「おー、凄いすごい。よく一気に飲めたな。わたしでもチビチビ飲むのがやっとなのに」


 感心したような言葉を棒読みで言う美沙に、翔はげんなりとした顔を向ける。

 言い返す気力が萎えてしまった。


 ところでと、美沙は居ずまいを正す。


「三週間前の事だが。報道はされているが、全ては憶測の域を出ていない。警察の正式な発表も捜査中としか出していない」

「それはそうだろう。何が起こったか判っている奴は俺とおまえぐらいだろう。その俺達が名乗り出ていないんだ。判る方がおかしい」

「その通りだ」


 同意して美沙は頷いていた。


「さらにな、わたし達が当事者と言うのも判ってはいない」

「それは、それは、ありがたいことで」


 投げやり気に、翔は肩を竦めて見せる。


「で。おまえはまったく顔を見せなかったが、何をしていた?」

「怪我の治療と情報の収集をしていたが……」


 美沙は首を傾げていた。


「もしかして、寂しかったのか?」

「違う!」


 とたんに翔は怒鳴っていた。どうしてそんな言葉が出てくるのかと不思議に思う。


「では、慰めて……」

「違う!」


 美沙の言葉の途中で、翔は再び怒鳴っていた。


「では何だ?」


 考え込むように美沙は、左手を顎に当てている。


「ここに連れて来たのはおまえだ。俺をほっぽいといて、おまえは何をしていた」

「だから、治療と情報……」


 と何かに気がついたように美沙は笑った。


「なんだ。やっぱり寂しかったのか」


(……こいつは……)


「それもそうだな」


 確かにと頷いている。


「ここでおまえを見知っているのはわたしだけだ。心細くなるのは仕方がない。しかし、意外とおまえは子供ぽいんだな」


 頭痛がしてくるのを翔は感じた。


「なるほど。瑞紀は、そういうおまえのところに惹かれたんだな」


 うんうんと美沙は頷いていた。と顔を上げる。


「瑞紀の代わりをわたしに求めるなよ」

「おまえは……」


 決して意識していた訳ではないが、翔の声が低くなっていた。このままでは話が進まないと思う。


「俺をどうするつもりだ?」

「おまえはどうしたい?」


 質問で返してくる美沙に、翔は片眉を上げる。


「あれと互角に渡り合えるのはおまえだけだ。わたし達では、せいぜい足止めぐらいにしかならない」

「何が言いたい」

「言わなければ判らないのか?」


 互いに相手の顔を見たまま言葉が途切れた。静寂がその場を包み込む。

 言外に含んでいる意味を翔は正確に理解していた。

だが、理解するのと行動するのでは意味が違ってくる。

 それが出来るかと聞かれれば、無理だと答えは決まっていた。


「聞きたい事がある」


 静寂を破るように翔は静かに言う。


「あれに出くわした時、前に一度出逢ったと言っていたな」

「ああ」

「いくら前に出逢っていたとしても、普通は逃げるはずだ。俺だってそうする。なのに、おまえは向かっていった。なぜだ?」


 答えようとしない美沙に、翔は淡々と続けていた。


「おまえは初めから驚いてはいなかった。むしろ喜々としていたようにも思える。異形の者とも言っていたな。確かに、あの姿を見れば異形の者と呼ぶのは解る。だが、普通はバケモノとし言わない。あれが何なのか、おまえは知っているのだろう」


 ついに美沙は、ため息を付いて首を振る。


「あれが何なのかは、わたしにも判らない。だが、おまえの言いたい事は解る」


 そう言うと美沙は、立ち上がってふすまを開けた。外は廊下と、その向こうに広い庭が見えている。


「なぜ、わたしの家に広い道場と、多くの者がいると思う?」


 翔は首を振る仕草で答え、チラリと美沙は目の端で捉えていた。


「物の怪、あやかし、人外の者、それらを封滅する退魔士。そんな話を聞いたことがないか?」

「あるぜ。小説やマンガに出てくるからな」


 翔の言葉に美沙は頷いてから振り返る。その口元には、苦笑とも言えない笑いが浮かんでいた。


「確かに、小説やマンガの世界だ。普通にはな」


 美沙は一度、瞳を閉じてから言う。


「だが、わたしにとっては、それは現実。わたしの家は、代々物の怪やあやかしを封じ滅する退魔を行ってきた一族。だから、人外の者の存在は知っていた。それに、わたしも退魔を行っている。いまさら、異形の者を見たからといって驚く事はないだろう」


 翔は呆気に取られたような顔で美沙を見てしまった。


「だが」


 美沙は翔のそばに座り、真っ直ぐに見つめてくる。


「退魔の一族でも、あれは倒せなかった」

「それが奴か?」

「そうだ。三ヶ月前にあれと始めて遭遇した。物の怪やあやかしに通じていた技が通用しなかった。わたし達の封滅が、ただの足止めにしかならなかった」

「で、逃げられたんだな」

「その通りだ。その時、三人が重症を負い、七人が死んだ。あれと渡り合えるのは、今のところおまえだけだ」


 真っ直ぐな美沙の視線に耐えられなくなった翔は顔を背けた。


「俺には……無理だ……」

「なぜ? あの時、おまえは戦った。なぜ、無理なんだ?」

「あの時と今とでは違う」

「どこが違う?」


 顔を向けてくる翔の瞳が揺れている。頼りなさ気な翔に、美沙は苛立ちが募るのを感じていた。


「……瑞紀が目の前で死んで、おまえも血だらけでボロボロだった。後先考えている余裕なんてなかった……」


 力のない翔の声に美沙の心は荒れる。


「……本当に、何も知らなかったんだ……」


 乾いた笑いが翔の顔に浮かんだ。


「……笑ってくれてもいい……俺は怖いんだ……」

「怖くても……」


 低く絞り出すような声が美沙の口から漏れる。

 対抗できる力を持ちながら、戦えないと言う翔が許せなかった。力を持った者の責を自覚しないのかと思う。


「……無理でも、戦ってもらう。おまえしかいない。それが解っているのか」

「俺だって、こんな力が欲しかった訳じゃない」

「あれをそのままにしていたら、また同じ事が起こる。今度はおまえの家族が、ほかの友人が犠牲になるかもしれない。そうならないとは言えないんだ」

「だから、異形になって異形と戦えと? 家族や友人を死なせないためにか?」

「それは大事なことだろう!」


 美沙は翔の胸倉をつかんで引き寄せていた。その瞳には、隠しようもない怒気が宿っている。唸るような言葉が溢れ出した。


「戦うだけの……力があって……どうしてその力を使わない……」

「……そんなのは、キレイゴトだ」


 翔は憤りとともにハキ捨てる。

 よりいっそう翔を自分に引き付けて美沙は言った。


「報酬が欲しければ、くれてやる」


 なぜ自分がこんなことを言ってしまったのか美沙には解らなかった。これ以上は言うなと思っていても言葉が口から出てしまう。


「好きにできる女が欲しければ、わたしをくれてやる」

「なっ、にぃ?」


 言葉が止まらなかった。


「おまえの自由になる女をくれてやると言っている。異形と戦う報酬はわたしだ」

「おまえ目当てで異形と戦え。だとぉ?」


 翔の顔が険しくなってくる。

 ふん。と見下したように美沙は睨んでいた。


「おまえの好きに出来る女を差し出すんだ。報酬としては十分だろう。男のおまえには嬉しいだろう」

「てめぇは……」

「お止めなさい。二人とも」


 穏やかな声が割って入ってくる。その声に翔と美沙が振り向いた。


「……姉さん……いつから……」

「さっきから不毛な事ばかり言っているわね。あんな事があったのだから、仕方がないのかもしれないけど、いいかげんそこから離れてはどう?」

「姉さんには、解らない……」


 翔の胸倉から手を離して、美沙はハキ捨てるように呟くと部屋から出て行った。その後姿見送った女性は、首を振ってから翔の隣に腰を下ろした。


「おかげんはどう?」

「いいと思いますか?」

「いい訳はないわね。あんな話の後じゃ」


 うんうんと頷いている女性に、翔は美沙とは違う意味で頭を抱えたくなる。

 が、気を取り直して翔は女性に尋ねた。


「美緒さん。俺に何の用ですか?」

「一度、あなたの身体を調べさせて欲しいのよ。美沙から聞いた話を信じない訳じゃないけど、今の桂木君の身体の状態がどうなっているのかを知っておきたいからね。今後の比較対象としてもね」

「それは構いませんが、身体能力が上がったとか、回復が早くなったとかは無いですよ。今までとは変ったとは思えませんが?」

「でも、あの時の姿には変貌できない」

「と言うよりも、自分でもなんであんな姿に変貌したのか不思議なんです」


 肩を竦める翔に、美緒はなるほどと頷く。


「それじゃあ、またあの姿になれと言われても無理よね」

「そうなんです」

「まあ、その事は後で考えるとして。とりあえず、明日にでもうちの研究所に来てくれない。美沙に案内させるから」

「はぁ、解りました」


 嘆息する翔だったが、何か面白がる美緒の瞳に気が付いた。


「何です?」

「いや、まぁね。あの娘があんな事を言うなんて、ビックリだわ」

「あんな事?」


 何の事だかわからない翔は首を傾げてしまう。


「わたしを自由にしていい。そこまで言うとは思わなかったわ」

「はぁ?」

「で、どうなの。美沙を自由にしたいの?」

「なにを……」


 戸惑う翔をよそに美緒は嬉々としていた。


「姉の私から見ても、美沙は引き締まった良い身体をしているわよ。抱き心地なんかとても良さそうよ。いただいてしまいなさいよ」

「なにをけしかけているんです」

「えっ? けしかけちゃぁいけないの?」


 楽しそうに言う美緒に翔は呆れてしまう。


「普通は止めるでしょうが」

「だって、ねぇ。あの娘、男気が一つも無いのよ。姉としては心配だし」

「何の心配ですか」

「それを言わせるの?」

「いや、いいです。言わなくて」


 慌てて翔は首を振っていた。

 止めなければ美緒は、とんでもない事を言いそうで、とても怖い。舌打ちが聞こえたのも気のせいだと翔は思う事にした。


「それにしても、あの娘が自分を差し出すなんてねぇ。桂木君の事がよっぽど気に入っているのね」

「はい?」


 フフフと楽しそうな笑いを浮かべる。


「女はね。好意を持っていない男には身体を許さないのよ」


 美沙に限っては違うと翔には思えた。自分の心も身体も手段として用いる事に、抵抗を感じていないとしか考えられない。

そうでなければ、ああも簡単に自分を差し出すとは言わないはずだ。まして、自分に好意を持っているとは思えない。


「それは、さておいて」


 と一転して真剣な顔になる美緒だった。


「美沙は言わなかったけど、あなたには知っていて欲しい事があるわ」

「何でしょう?」

「三ヶ月前に異形と遭遇して、戦った事は聞いていたわね」

「ええ」

「その時、七人が死んで三人が重症を負ったわ。七人の内の一人が私達の兄、そして重傷を負った三人の内の一人が美沙なの」


 初めて聞く内容に、翔は問いかけるように美緒を見てしまう。

悲しげな瞳が静かに見返してきた。人を責めるような瞳ではない。ただ単に悲しみだけが浮かんでいた。


「兄や美沙には退魔士としての才があり、私には無かった。兄妹で退魔士としての修行をおこない、何度も一緒に退魔行を遂行してきたわ」


 淡々と告げる美緒に、翔は返す言葉も無く聞いていた。


「兄と一緒にいる美沙を妬んでいたわ。なぜ、美沙だけがと。だけど本当は、何も解ってはいなかった」


 この先を聞いてしまう事に翔は抵抗を感じる。聞いてしまうと身動きが取れなくなる予感があった。


「兄が死に美沙が重傷を負い、何日も生死の境を彷徨っていた時に解ってしまった。兄と妹は命を懸けて退魔行を遂行してきたのだと。紫村の一族の本当の業は決して表に出ず、物の怪やあやかしに苦しむ人たちを救うのだと」


 美緒があえて淡々と話すのは、自分の罪悪感からかも知れないと翔は思う。

それは翔自身にも覚えがあった。乗り切ったとは言わない。今もその思いを抱えているからだ。


「浅はかだったのは私。才の無い私は妹を力づける事も、慰める事も出来なかった。私には何も見えていなかった。見ようとした時には、もう遅かった」


 美緒は一度言葉を切って、翔に申し訳ないような瞳を向ける。


「そんな妹を力づけ、慰めてくれた人がいた……」


 誰とは言わなかった。誰かは翔にも判っている。


「そう。瑞紀さん。彼女は美沙の唯一人の友人。同じような心を持ち、最も美沙に近い人だった。彼女がいなければ、美沙の心はもっといびつに歪んでいたでしょうね。その瑞紀さんも……」


 バチッと翔は片手で顔を覆ってしまった。


(だからか、瑞紀……だからか、紫村……)


 やっと理解する。

 瑞紀が美沙を大事にするのも、美沙が瑞紀を大事にするのも、そのためだった。

 だから美沙は、異形を倒せる可能性がある紅の異形になった翔に、自分を差し出すとまで言ったのである。

自分よりも瑞紀が大事だったから……瑞紀を死なせた自分が許せなくて……。


「戦えないというのは解るわ。彼女たちのためにも、あの異形を何とかして欲しいとは思う。でも、それは無理なのでしょう」


 質問ではなかった。

 ハッとしたように翔は顔を上げる。


「普通に……まぁ、それなりの経験はしましたけど。そんな俺が異形の姿になって異形と戦った。それは否定しません。自分の身に起きた事だから、良く判っています」


 翔は溜め息をついていた。


「だからと言って、もう一度同じ事をやれと言われても無理なんです。本音を言うと、この前の事も忘れたいぐらいなんです。でも、それは出来ない。忘れる訳にはいかない。俺自身もどうすればいいのか判らないんです。俺みたいな人間にとって、戦う事はものすごく怖い事なんです。すみません」

「謝る必要は無いわ。私でも同じ事だし、普通の人ならあたり前の事だから」


 と美緒は安心したような笑顔を翔に見せた。


「でも、安心したわ。安易に復讐だ。そのためだったら人でなくなってもいい。そう言わなかったから」


 美緒の言葉に翔は首を振っていた。


「違いますよ」

「違う?」

「あの時、奴を殺す事が出来るのなら、倒せるのなら、どんな力でも構わないと思いました。仮に人でなくなっても構わないと思っていましたよ」

「今も、そう思う?」

「奴みたいな姿になって、殴り飛ばして、蹴り飛ばして……純粋に狂喜しましたよ。これで奴を倒せる。そんな喜びが心に溢れた」


 翔は自分の肩を抱いてしまう。


「怖いんですよ。自分が……」

「よくそれで人に戻れたわね」


 感心したように美緒は溜め息とともに言った。翔の口元に自嘲めいた笑いが浮かぶ。


「普通だったら、戻れなかったでしょう」

「でも、あなたは人に戻った」

「ええ。奴に逃げられて、瑞紀のもとに戻る途中で美沙に会いました。血だらけでボロボロで……あいつ、俺を見て『おまえ、桂木翔だよな?』て言いましたよ。寒気がして、自分の手足を見て、恐ろしくなった」

「恐怖で人に戻ったの?」

「違うと思います。何かは判りませんけど」

「だから、あの姿にはなりたくない?」


 翔は、首を振って苦笑を浮かべていた。


「あんな力は無い方がいい。あんな力があると判れば狙う者が必ず出てくる。それは周りを不幸にするだけだ」

「経験があるような言い方ね」

「似た思いを味わった事はありますよ」


 その時の翔の顔に美緒は、何とも言えない違和感を受ける。それを確かめる前に、翔は首を振って続けていた。


「今は、あの姿になれるのか、なれないのか。自分でも判りません」

「そして、人に戻れるのか判らない。そう言う事ね」

「ええ」


 それは、そうでしょうねと思う。

 人に戻れるのならまだしも、それが判らなければ怖いと思うのは当然の事だ。それを無理強いする事は誰にも出来ない。

 溜め息をつくしかない美緒だった。


「まあ、取り敢えずは明日ね」

「判りました。午後からで良いんですよね」

「ええ。お願い」


 部屋から出た美緒は、先ほどの翔とのやり取りを思い返す。

 どこかは解らないが、違和感があった。何に対して違和感を受けたのか、会話を思い出そうとする。


「どうして……」


 そんな呟きにも似た声が美緒の耳に届いてきた。顔を上げると、美沙が柱に寄りかかっている。


「美沙。明日、桂木君を研究所の方へ連れて来てね。あなたもそろそろ良いはずだから」


 顔を上げた美沙の瞳には怒りが浮かんでいた。


「どうしたの?」

「桂木は……翔は……」


 美緒は、先が続けられない美沙に首を傾げてしまう。


「悔しくないのか……怒りは無いのか……それとも、臆病なだけか……」


 そうかと美緒は思った。

 妹はずっと戦ってきた。戦うための力を持つ者は、戦うのが当たり前と思っている。

 彼が戦えないと言った事が理解できないのだろう。妹から見れば、そう見えるのだろう。

 思わず嘆息して首を振ってしまった。


「それは違うわ」


 その言葉に美沙の瞳は怪訝そうに細められ、挑むような瞳が美緒に向けられる。その瞳は昔から変わらなかった。

 この瞳は寂しさや辛さの裏返しなのだと、今の美緒には解かる。美緒も昔はこんな瞳で美沙を見ていたと思っていた。

 自然と美緒は微笑を浮かべて、美沙を抱きしめる。


「なっ、なっ」


 戸惑ったような美沙の声を聞きながら、美緒はどうしてもっと早く、こうして抱きしめてあげる事が出来なかったのだろう。そう思ってしまった。

 そして、その答えはすぐに解ってしまう。


「ごめんね。私、何も解っていなかった。あなたが辛かった時も、淋しかった時も何もしてあげられなくて。本当にごめん。もう、無理をしなくてもいいの」


 美沙は、姉の抱擁を引き剥がして叫んでいた。


「解かるはずがない!」


 いいえと美緒は首を振る。


「今なら解るわ。立場が違っていても、私もあなたと同じ思いだった。今度の事で、それが良く判った。だから、ごめん。あなたの事を解ってやれなくて。姉妹なのにね」


 美緒の言葉に美沙は俯いてしまった。そんな妹を見つめながら言う。


「だから、桂木君の事もわかる。彼は、怒りが無い訳でも、悔しく無い訳でもないわ。そして、臆病でもない」


 美沙が顔を上げた。いぶかしむ妹に美緒は穏やかに続ける。


「本当に臆病なら、戦うと言うわ。そして、その場で逃げる。桂木君は逃げ出すような人かな?」


 あの時、逃げ出せる状況だったが、翔は逃げ出さなかった。

それは美沙も知っている。

 何も言わずに、首を振る妹に美緒は笑いかけた。


「どうして、彼は逃げなかったのかな」

「瑞紀がいたから……」

「そうね。瑞紀さんがいたから。そして、あなたもいたからだと思うわ」

「瑞紀がいないから、今は戦えない。そう姉さんは言うのか」


 いいえと再び美緒は首を振る。


「彼が戦えないのは、自分に自信が無いからよ」

「なぜ、そう言える?」

「判らない? とても簡単な事よ。自分が自分のままでいられる自信が無いからよ。異形の姿になっても自分であり続ける事が出来なくなる不安。そして、人の姿に戻れなくなるかもしれない恐怖。それが戦えない理由」

「そんなのは……」


 美緒は、首を振って美沙の言葉を止めた。


「それは、普通の人にとってはとても大切な事よ。あなたは、物の怪やあやかしを滅するためには命を投げ出しても戦えるわ。でもね。普通の人には、それが出来ない事なの」

「どうして……」

「私も同じだから。今、私にも退魔士の力があったとしても、私は戦えない。戦える力があるか、無いかではないの」


 理解できないように首を傾げる妹に、美緒はやっぱりと思ってしまう。


「あなたは、幼い頃から退魔士として育てられたから解りにくいと思うけど、戦わないではなくて戦えないのよ。そんな力は要らない。そう思ってしまうわ。普通に生きてきた人には、力があるから戦えと言われても戦えるものではないわ」

「でも、わたしは……」

「紫村の者としては正しい。それは私達の一族では当たり前の事だから。でも、人々ためと言うのは、本当にそう思っているのなら……」


 美緒は妹の瞳を真正面から見つめた。


「おこがましいわ」

「おこがましいだって!」


 怒りを含んだ瞳で叫ぶ美沙に、美緒は静かに頷いている。


「人々のためというのは、それが出来るのはテレビの中のヒーローだけ。絶対に人には無理な事よ。どんな大義名分だろうと、人は自分の都合でしか戦わない。それが普通よ」

「だから、翔は戦わないと?」

「そうよ。異形の力を持っているから、戦う義務があると言うのは反感を買うだけ。強制されて戦う事が出来る人はいないわ」

「だけど……」

「でも、大丈夫」


 安心させるように美緒は笑った。


「彼は再び異形と遭遇したら戦うでしょう。そういう人よ」

「矛盾している」

「当たり前よ。それが人なんだから」

「では、どうすれば翔は戦うようになる?」

「さあ。それは判らないわ。彼自身の問題だから。他人がどうこう出来る事ではないでしょう」


 肩を竦めて美緒は答える。そして、笑いながら美沙の胸に指を突きつけた。


「しかし、あなたもよく言ったわね」

「何がだ?」

「よっぽど桂木君の事を気に入っているのね」

「は?」


 何を言っているんだろうと美沙の首が傾むく。


「わたしが、翔を気に入っている? どうして?」

「何言ってんの。自分を差し出すとまで言ったくせに」

「それは、翔が男だからだ。好きに出来る女がいれば戦うかと思ったから。そう言ったまでだ」


 美沙の言葉に美緒は、あんぐりと口を開けてしまった。


「桂木君の事を好きなんでしょう?」

「好きでも嫌いでもない。友人だから」


 信じられないように美緒は叫んでしまう。


「戦わせるために、自分を差出すと言ったの!」

「その通りだが? 他に理由があったほうが良かったのかな?」


 キョトンとした美沙の言い方に美緒は言葉を無くした。黙ってしまった姉に美沙は首を傾げる。

 やがて美緒は溜め息をついていた。


「と、とにかく明日は午後から来て」


 解ったと頷いて離れて行く美沙を、美緒は脱力したように見送ってしまう。

 二人とも空回りをしている、それが美緒の感想だった。


(もし、本気で妹が桂木君の事を好きでそう言ったのなら、彼は答えてくれるかも知れないが、彼は妹が戦わせるために、そう言った事に気が付いていた。そう言う事なのね……)


 同時に、瑞紀が生きていればと思う。


(彼女が桂木君に戦ってと言えば、怖いと思いつつも彼は戦ってくれる。彼女なら、異形の彼の姿を見ても、何も変わらなく接して……それどころか、彼女の性格を考えると『かっこいいね』とか『すごいね』とか、ニコニコした顔で言い出しかねない)


 何だか頭を抱えたくなる美緒だった。


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