外伝 ~七夕の客人~ 第17話
夜の見返り坂展望台は、訪れる者もなくひっそりとしていた。
眼下を見下ろせば、坂井の街の灯が見える。坂井を流れる河川敷きで、七夕の終わりを告げる花火が打ち上げられていた。
遠くに聞こえる音を聞きながら、光の花のキラメキを涼とほむらは見ている。
「おかしなものね……」
「なにがだ?」
「終わりを告げる光が綺麗に見える。あたしは今まで、そんな事を感じたこともなかったのに。いつもの終わりと違うからなのかな」
涼は何も言わずに、溜め息をついていた。
「この七夕は、いつもの七夕と違っていた。あたしは人ではないはずなのに、人の思いと言うものがわかった気がする……」
「ほむら、俺は……」
涼の言葉が止まる。
ほむらの人差し指が、涼の唇に触れていた。
「何も言わなくていいわ。七夕の客人は、みな同じ思いを感じていたはずだから……」
微笑むほむらに、涼は言葉もなく見ているしか出来なくなる。
何を言っても、ほむらは消える事を翻えさないとわかっていた。だから、微笑んでいられるのだと理解してしまう。
自分の感情を持て余しそうになる涼は、口を開く事が出来なかった。
口を開けば、出てくるのは自分を呪う呪詛の言葉と、同じ事を繰り返した事に対しての怨嗟しか出てこないと知っている。
昔、何もできずに消え行く者を、見ている事しか出来なかった時のように。
待つ二人の前に一台のワンボックスカーが、見返り坂展望台の駐車場に入ってきた。涼とほむらの近くに停まると、ドアが開いて美沙が降りてくる。
その後ろから物腰の柔らかそうな青年と、涼より年下と思える少年が降りてきた。三人とも、群青色の動きやすい服を身に纏っている。
「約束だったな」
美沙の声が少し低くなっていた。
「おまえの消滅で、七夕は終るのか」
「このままあたしが消えても、七夕は終らないわ」
「そうか……」
美沙の身体が少し沈む。
「残る最後の一つ。辰巳のカケラを砕かない限り、それも今日が終る前に」
ほむらが両手を持ち上げた。
「辰巳のカケラは……」
微笑んでいた。
「このあたし。だから、美沙……」
ほむらを示す紅が、両手の間で玉になっていく。小さな玉が大きくなって行くと同時に、紅の髪が黒へと、のぞみの髪へと戻って行った。
「あたしは元の玉に戻る。七夕の玉が全て坂井の地に還る事になれば、二度と七夕は訪れないわ……涼……」
ほむらの呼び声に涼は、押さえがたい衝動を必死に押し殺して顔を向ける。
ほむらを連れて逃げる事も、美沙に全力で抗う事も考えなかった訳でもなかった。が、坂井を離れればどうなるかは、身に染みて知っていた涼は、坂井を出る事ができない。
そして、ほむらの望は消滅する事だった。
だから、逃げる事はできない。
「このまま消えるのか……」
「ごめん、涼。そして、ありがとう」
その言葉を最後に、黒髪のほむらの身体は崩れ落ちるように力を失った。倒れてしまう前に、涼がその身体を抱きとめてアスファルトに座り込んでいた。
顔を上げた涼の眼の前には、七日前に見た揺らぐ炎の水晶球が浮かんでいる。それがほむらである事はわかっていた。
「神野。つらければ目を背けていろ」
美沙が静に告げる。
それは、美沙の優しさだった。
涼は、首を振っていた。
「だめだ。俺は全てを見ておく……そうしなければならない……」
言い表せない思いが、涼の口を重くする。のぞみの身体を抱きとめていなければ、美沙の前に立っていたかもしれなかった。
今も、叫び出しそうな衝動を、無理やり抑え込んでいた。
「そうか……」
軽く頷いた美沙は右手に光刃を出現させて、宙に浮く炎の水晶球に向けて光刃を一閃させる。
一瞬、炎がうねるように踊り消えて行った。
「これで終わり……か……」
誰とはなしに呟く美沙に、物腰の柔らかい青年が報告をする。
「街境に待機させていた者から、報告がありました。結界らしきものが、今消えたとの事です」
「そうか……」
それは、坂井を覆っていた七夕の結界が消滅したと言う事だった。つまり、七夕の終りを意味している。
「おまえは、どうする?」
のぞみを抱えている涼を振り返った。
「どうした?」
答えないどころか、動かずに眼を見張ったまま固まってしまっている涼を、怪訝そうに見てしまう。
「……生きて……いる?」
呆然としたように呟く涼に、美沙は首を傾げてしまった。
「生きている?」
信じられないように、美沙は膝をつく。
「神崎が、か?」
「ああ……」
器と客人は消えると言っていた。なのに、のぞみが生きている事が信じられない。嫌な事が思い出された。
『器の人格は消滅しておる』
「おい」
涼が美沙に顔を向けている。
「人格の消滅した人間はどうなる? 植物人間になるのか、それとも違う人格が形成されるのか」
わからない、と美沙は首を振っていた。だが、わかっている事もある。
「神崎をこのままにする事はできないな。両親や兄がいたはずだ。彼らの元に連れて行かないと、まずいだろう」
「この状態なのにか?」
「ああ」
「何と説明する?」
「必要ない。一般人には無理でも、古い神官の一族の末裔なら、神崎がこの状態でも納得する」
「まさか……」
涼には信じられなかった。
「わたし達一族でも同じだ。神事や人外に関わった者なら、当たり前の事だからな。それに死体なら、こちらでどうとでもできるが、神崎は生きていると言える。行方不明にする事はできない」
美沙は涼を見た。
「神崎を連れて行くのは、おまえの役目だ。わたし達は、七夕に関しては傍観者でしかない。関わりを持ったおまえが、最後までやらないといけない」
「そうだな……のぞみとほむらに付き合ったのは俺だ。何もできずに見るだけしか出来なかったが、終らせるには俺がやらないとな……」
目を覚ますのか。それとも、このまま覚まさないのかはわからない。だが神崎のぞみを、このままにする事はできなかった。
ましてこの七日間は、深い付き合いをした間柄である。男としても無視をする事は、無理だった。
「わかった。おいて行かれた者の務めだろう」
頷いた涼は、望みを抱え上げて車に乗せると、自分は運転席に座る。
「神野!」
運転席側に回った美沙が言った。
「世話になった、と言うのも変か。もう会う事もないかもしれないが、ここでの事は他の者には言わない方がいい。わたし達以外は、誰も知らない事だ。だが、この七日の事は、忘れるな」
それは正気を疑われるから何も言うな、と言っているものだ。確かに、その通りだと涼は思う。同時にある事を思い出して、笑っていた。
「おまえも、翔と同じ事を言うんだな」
「桂木?」
「ああ。あいつも……いや、なんでもない」
翔も過去に自分を呪い、無力である事を嘆いた事があると、言う必要はないかと思い直した。それは、自分が言う事でもないとわかっていた。
ふっと、美沙はどこか翔と似ているところがあると感じる。
その思いが口に出た。
「おまえ達は、似たもの同士なのかもな」
「よしてくれ」
嫌そうな顔で美沙は首を振っていた。
「あんな奴と一緒にしないでくれ。わたしは、瑞紀が翔と一緒にいる事が不思議でならない。まったく、あいつのどこが良いんだ」
真面目な顔で言う事ではないと思うが、美沙は大真面目である。少しはフォローでもしておくかと、涼は苦笑しながら言った。
「あれでも、なかなか良い奴だ。そうでなければ、坂原さんが隣にいる訳がないだろう」
「だから、不思議なんだ」
頷く始末である。
もう、笑うしかない。
「面白いな。あんた」
「どこがだ?」
「そう言えるところがだ」
いったいどこがおかしいのかわからずに、美沙は首を傾げてしまった。
「じぁな」
片手を上げて涼は、車を発進させる。
向かう先は辰巳神社だった。
走り去った車を見送った美沙は、展望台を振り返って小さく呟く。
「未練、か……」
「どうかしましたか?」
呟きを聞きとめた青年が尋ねていた。
「いや、なんでもない……撤収するぞ」
坂井を一望できる展望台。
しかし、裏を返せば故郷の街に未練があり、見返ってしまうと言う事だった。サカイの人外が、この場所を選んだのは、何か未練があったと言う事だろう。




