表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異形の戦士  作者: 樹 雅
第1章 ~真紅の炎~
7/72

5話 翔と美沙

「ちっ!」


 舌打ちとともに美沙も駆ける速度を上げた。

 しかし、人と異形の速度差はどうする事も出来なかった。ほどなく美沙は、紅と黒の異形の姿を見失ってしまった。


「くそっ!」


 追い付けない。そんな思いが言わせた言葉だった。

 ベンチに腰掛けて一息ついた美沙は、全身の痛みに顔をしかめている。荒い呼吸を繰り返すたび、ズキズキと全身に痛みが走っていた。

 左手で顔を覆い、歯を食いしばって痛みに耐える。しかし、痛みはそれだけではなかった。今頃になって実感が湧いてしまう。


 瑞紀が死んだのだと。


 それが美沙の心を切り裂いていた。言い表せない喪失感が美沙の心を締め付ける。

 あの時、自分には黒い異形しか目に入っていなかった。

あれは、三ヶ月前の夜に出逢った異形に間違いない。幾人も死に、兄まで亡くして自分が生き残った。


 適わないのは判っていた。


判ってはいたが、異形の姿を見た時には何も考えられなくなって、向かって行く事しか思い浮かばなかったのである。そのために命を捨てる覚悟だった。


 結局、それが瑞紀を死なせてしまったのだと判ってしまう。


 彼女の性格を考えれば、すぐに判っていたはずなのに、自分を置いて逃げる事は無いと知っていたはずなのに、その事さえ思い浮かばなかった。

 我を張らずに一緒に逃げていれば、彼女は死なずにすんだはず。桂木にしても異形にならずにすんだはずだった。

 全ては身勝手な自分が招いた事。

 やるせなさと切なさに、美沙は顔を上げられない。


「……紫村……」


 声をかけられるまで、美沙は顔を片手で覆ったままだった。

 ゆっくりと顔を上げると、そこに紅の異形が立っている。眼の前の紅の異形が桂木翔である事に間違いはないが、美沙はいぶかしむように首を傾げた。


「おまえ、桂木翔だよな?」

「なに、言ってんだ?」


 首を傾げる紅の異形に、美沙はため息を付いてしまう。


「おまえ、いま自分がどんな姿か知らないだろう」

「えっ?」


 と紅の異形は自分の手を見てから、身体を見下ろした。


「なっ……」


 思わずと言うように紅の異形は美沙を見る。


「その姿で、おまえを桂木翔だと認識しろ、は無理だろう」


 紅の甲虫を思わせる自分の姿に翔は絶叫した。

その瞬間、翔は人の姿に戻っている。


「えっ? えっ?」


 戸惑ったような翔の声に美沙は、苦笑が浮かぶのを自覚した。


(まだ、笑えるんだ……)


 心は張り裂けそうなのに、笑える自分に驚いてしまう。それをもたらしたのが、目の前にいる男というのも不思議だった。


 瑞紀が愛した男。


 こんな男のどこが良いのか美沙には判らなかった。ただ、瑞紀がこの男と一緒にいる時は、いつもニコニコにと嬉しそうに笑っていたのは覚えている。

今も人の姿に戻れてホッとした顔をしていた。その顔を見て美沙の喪失感が少しだけ和らいでいた事が不思議に思えたのである。


 翔は自分の手足を見て、人の姿に戻ったと安心したように大きく息を吐いていた。顔を上げると、呆れたように苦笑を浮かべている美沙に気が付く。

 何だ、と翔が思っていると、それに気がついた美沙が口を開いた。


「……何と言うか……器用な奴だな……」

「器用?」


 なんだか信じられない言葉を聴いてしまった翔である。

そうだと頷いて美沙は続けた。


「異形の姿に変貌し人の姿に戻る。人にはそんな芸当は出来ない。前から変わった奴だと思っていたが、本当に変わるとはな」


 何かが違う。

そう思うのは決して翔だけではないはずだ。

 器用とか変わった奴だとかで、かたずけられるものではないはず。それなのに、美沙は平然とした顔で見返していた。

 それが、翔には不思議だった。


「何で、おまえは平気なんだ?」

「何がだ?」


 キョトンとした顔で美沙は聞き返してくる。


「何がって……自分でも信じられないのに、おまえは平気な顔をしている」

「現実を認識しているだけだが……問題でもあるのか?」

「問題があるのかって……」


 絶対に何かおかしいと思う翔だった。


「そう言う事じゃないだろう」

「だから何だ?」


 何を問題にしているのか、判らないように首を傾げる美沙を、翔は不思議そうに見てしまう。ずれているとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。


「俺の、あの姿が怖くなかったのか? あの黒い奴みたいに、おまえを襲っていたかも知れないのに?」


 それでも美沙は、首を傾げるだけである。意味が解っていないようにしか、翔には思えてならなかった。

 鋭いのか鈍いのか、よく判らない女だと思う。


「俺が怖くないのか? いつまた、あの姿になってしまうかも知れないのに」


 美沙は、物凄く不思議そうな顔になった。


「おまえを怖がる? どうしてだ?」


 地面にへたり込みそうになる。

 それに対して美沙はため息を付いていた。


「あのな。わたしは多少なりとて、おまえの事を知っている。どんな姿になっても、おまえはおまえだろ」


 そして、何かに気が付いたように続ける。


「それとも、あの姿になったら、おまえじゃなくなるのか?」

「いや。さっきの姿でも、俺は俺だ」


 翔の答えを聴いた美沙は再び笑っていた。


「なら、なぜおまえを怖がらなくてはならない」

「うっ……それは、それでありがたいが……」


 何か釈然としないものを感じつつも、答える言葉が見つけられない。


「で、奴はどうした?」


 真っ直ぐに見詰めてくる美沙に翔は首を振って答えていた。


「逃げられた。戻ってくる途中でおまえを見つけた」

「そうか……」


 そう言ったきり、美沙は黙って俯いてしまう。彼女の衣服は裂けたままであり、流れた血はすでに固まっていた。

 その姿に翔は、自分の上着を脱いで差し出していた。首を傾げる美沙に翔は照れたようにそっぽを向く。


「着ていろ。下着が見えている」

「あっ……ありがとう……」


美沙は素直に礼を言い、肩に掛けて左手で前を合わせた。今まで気が付いていなかったらしく、その顔が少し赤くなっている。

それなりに恥ずかしいのかと、翔は今更ながらに気がついた。美沙もやはり女だったと知る。


「紫村……瑞紀のところに戻ろう」


 翔の言葉に美沙の肩がビクッと震えた。

そして、首を振る。


「それは……出来ない……」

「どうして!」

「たぶん、あれを直に見て生きのびたのは、わたし達だけだ」


 冷静に言う美沙に、イラついた翔が叫んだ。


「だから、何だ!」

「何人死んだかは判らないが、間違いなく警察とマスコミの餌食になる」

「それがどうした! 瑞紀をあのままにしておけないだろうが!」

「わたしだって!」


 叫び返した美沙の瞳が涙に濡れている。


「……瑞紀のそばにいたい。だけど、この事は普通の事じゃない。生き残れる訳が無いのに生き残った。その事をどう説明する?」

「そのまま言えばいい」


 はき捨てるような答えが翔から返ってきた。


「だめだ。そんな事を言えば、拘束されるどころの話じゃなくなる。おまえを拘束される訳にはいかない」

「どうしてそうなる?」

「あれを見た者はわたし達以外にいない。見たままを話しても誰も信じやしない。簡単に言うとだな」


 イラついている翔をなだめるように、美沙は静かな口調で続ける。


「わたし達は大量殺人犯にされ、おまえにいたってはモルモットにされる」

「生き残ったのにか? 真実を言うのにか?」

「それが真実だからさ。誰もが納得する」


 わたしはごめんだな、と乾いた笑いが美沙の顔に浮かんでいた。


「何もするな。戻るな。そう言うのか、おまえは」

「そうだ。何もしないほうがいい。だから、瑞紀の元には行けない」

「ふざ……」


 翔の言葉が止まる。

 美沙が真剣な瞳で翔を見詰めていた。


「判らないのか? おまえは異形の姿になり、人の姿に戻った。人には決して真似できる事ではない。しかも、異形の姿のおまえの力は凄ましいものだった」


 黙ったまま睨み付けてくる翔に美沙は言う。


「人から異形へ、異形から人へ。その変化のシステムを解明できれば、最強の軍隊を作り出すことが出来る。研究に金の色目は付ける奴はいないだろう。それが、おまえが拘束される理由だ」

「それが…それだけが理由か?」

「そうだ。真実を言う事は、おまえに限って言えば、それが起こる」

「俺自身が、どうなっているのか解らないのにか?」


 翔の声が、低い唸り声にも似た口調になっていた。怒りを押し殺しているようにも美沙には思えた。

それが、美沙の心に引っかかる。


「どこぞの学者が言いそうな事だが『研究すれば解明出来ない事は無い。人類の発展のためにも研究すべきだ』とな」


 学者の言いたい事も美沙には解っていた。

だが、その対象となるのが自分の身近な者になると、そうはいかない。そして、そういう学者に限って始末に終えないものだ。


「おまけに、そういう奴らはおまえの身体を弄繰り回すのに、良心の呵責を感じない。人はその姿を変えられない。姿を変えられるのは人ではない。人でなければ何をしても構わないと思っているからな」


 淡々と事実のみを言うように美沙は話している。

 翔には言ってはいないが、美沙にはその経験があった。その時は、姉が気付いて兄とともに助け出してくれたのである。美沙にとっては苦々しい思い出だった。

 だからこそ、翔を同じ目には合わせたくはない。

そう思う反面、黒い異形を倒せるのは翔だけだという打算も働いていた。引き止められるのなら、自分を差し出しても良いとさえ思い始めている。


 そして、翔も美沙の言う学者の事を知っていた。それこそ、その通りの言葉を投げつけられ、自分にはなす術も無く引き下がるしかなかった事がある。

異形になる力があったのに、それさえ気が付かずに同じ事を繰り返した。

一緒に死ぬつもりだったのに死ねずに生きている。自分を生かしたのが異形の力と、紫村美沙と言う目の前の女だった。


(こいつが俺を生かす者なら、俺の命をくれてやろう。だが……)


 そう思っても口にはしなかった。


「俺は人だ」

「そう。桂木は人だ。わたしはそれを知っている。だが、他人はそう考えない」

「じゃあ、どうするんだ」

「ひとまず身を隠す。あの場にわたし達がいたのは事実だが、誰がいたのかは写真でもない限り正確には判らないだろう。しばらくは行方不明の方が都合は良い」

「おまえ、良くそんな考え方が出来るな」


 美沙は苦笑を浮かべる。


「経験があるからな」

「経験?」


 それには答えずに、まだ無事だったスマートホンを取り出して、どこかに連絡を入れていた。しばらく誰かと話していたが、すぐに話を打ち切る。


「今、言わないと二度とないと思うから……」


 頭を下げた。


「ごめん。わたしが悪かった」


 突然、謝られても、翔には何の事だか判らない。


「あの時、逃げていれば瑞紀は死なず、おまえも異形にはならなかった」


 だから、ごめん。と再び美沙は頭を下げた。

 その姿に翔は、何の感銘も受けない。

 それどころか、腹立たしい思いが湧き上がるのを止められなかった。


「全て、自分のせいだと言いたいのか?」


 黙ったまま否定しない美沙に、翔はイラついたように言う。


「瑞紀が死んだのも、俺が異形になったのも、あんな奴が出てきたのも、大勢が死んだのも、全てがか?」


 それでも美沙は、何も言わずに翔を見ていた。

 どうしようもなく腹が立ってくる。怒鳴り散らしたかったが、それは出来なかった。

 この事は、誰のせいでもない事を翔は知っている。自分を責めても、何の意味の無い事は四年前に学んでいた。それは、単なる自己満足でしかない。


 本来なら自分と美沙も、あの場所で骸となって転がっていてもおかしくは無かった。生きているのは幸運だった訳でも、奇跡だった訳でもない。自分が異形となり、黒い異形が逃げ出したからだった。

 そんな事も判らないのかと思う。

 だから翔はハキ捨てた。


「ふざけんな!」


 怒りを含んだ瞳に射抜かれて、美沙は身体を少しだけ引いてしまう。戸惑うように美沙の瞳が揺れた。


「全てを自分のせいにして、おまえは満足だろう。だがな、そんなのはただの自己満足だ」

「だが、あの時……」

「いい加減にしろ!」 


 思わず翔は、美沙の胸倉をつかんで引き寄せる。美沙の瞳を真正面から見つめていた。


「わかんねぇのか? おまえはおまえの、瑞紀は瑞紀の、俺は俺の事情であの場にいた。逃げようと思えば、いくらでも機会はあった。そうしなかったのは俺達自身だ!」

「おまえは、それで納得するのか!」


 叫び返してくる美沙に、同じように翔は叫び返す。


「出来るか! そんなもん!」


 奥歯がギリギリと鳴っていた。

 言い表せない感情が翔の身を焦がす。このまま美沙を無茶苦茶にしてしまいたくなる衝動が湧き上がった。

 必死でそれを押さえつけて、翔は美沙から手を離して顔を背ける。


「瑞紀が死んだんだ。理屈じゃない……」

「わたしはどうすればいい……」


 その答えを翔は持っていなかった。それこそ、自分自身がどうすればいいのかさえ判ってはいなかったのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ