外伝 ~七夕の客人~ 第14話
目を覚ますと、紅の塊が眼に入ってくる。
ここしばらくの光景に、涼は安堵感を覚えるようになっていた。人でありながら人ではないほむらを、受け入れている事に戸惑いを覚えなくもない。
手を伸ばして紅の塊に触れると、紅の塊が起き上がってきた。流れ落ちる紅の髪が指を通り抜けていく。
「なぜかな?」
小首を傾げるようなほむらに、涼は片眉を上げて問い返していた。
「あたしを受け入れられるのか、不思議……」
呟くような声は確実に涼に届いく。
「普通は逃げるわ。ましてあなたは、この地の者ではないから」
「初日で懲りた。坂井を出れば死ぬのなら、最後まで付き合う」
「それだけ?」
問いかけるような眼差しに、涼は苦笑がもれてくる。
昨日からの会話は、ほむらの言葉遣いが、のぞみの言葉遣いに変わっている事が多くなっていた。
「おまえは良い女だ」
「器が気に入ったの?」
「器と言うな。今はおまえの身体だろ」
ふと、ほむらは微笑む。
「変った客人ね。あたしを人として扱っている。あたしは人ではないものよ」
「人を喰らうものか?」
ほむらの眼が丸くなった。
「記憶にないが、俺はおまえのような存在を知っている。知っているから受け入れ、おまえに命をくれてやる」
「なぜ……」
紅の髪と瞳、揺るがない強さ。
人が持ち得ない強さを持つ女に、涼は惹かれている事を知っていた。幼馴染の少女も、揺るがない強さを持っていたと思い出す。
ずっと一緒にいられると思っていた。叶わないとわかる前に、少女は理不尽に命を奪われ、自分は全てを呪うしかなかった。
だからこそ、涼は少女と同じ強さを持つほむらを受け入れている。
七夕と言う理不尽な事に対して、命をかけても抗うと決めていた。
「俺が、そう決めた」
「たった五日よ。それで……」
「そうじゃない」
小さく首を振る。
「十年前、俺は……」
誰にも話さなかった事を口にしていた。
「消えていく命を、ただ見ている事しか出来なかった。ずっと一緒にいられると思っていたのに、理不尽に命を奪われた……運命だったんだと言う者もいた。死んだ者の事をいつまでも引きずるんじゃないと言う者もいた……そんな事で納得できるか。俺は……」
ほむらの紅の瞳を覗き込んでいる。
「全てを呪う。全てを否定する」
「それでよくあたしを受け入れられるわね。あたしは……」
首を振って涼は、ほむらの言葉を停めた。
「おまえが何であれ、俺はその揺るがない強さを持つおまえを、好ましく思ってしまった。幼馴染が生きていれば、おまえのような揺るがない強さを持った女に、なっていたと思えるからな」
今更ながらにわかってしまった。
なぜ昔の話をするのか、なぜほむらに惹かれているのか、失くしてしまったはずの二度と見る事の出来ないものを、目の前にしているからだった。
「全てどうでもよかった。生きてる事も、人と関わる事も……死ぬ気はなかったが、死んでも良いとさえ思っていた……」
「涼……」
「俺は生きていない、死人のようなものだ」
ほむらは、何と言って良いのか判らないような顔になる。
「死人がおまえの力になるのなら、鼓動が止まるまで喰らえばいい。七夕に関する全てを終わらせるために、俺の命がいるのなら使え」
自分の命に意味があるのなら、こう言う事だろうと思っていた。
全ての事が、どうでも良いと感じていた自分が役に立つのなら、眼の前の人外に全てを委ねても良いとさえ、思っていたのである。
静に見つめてくる黒い瞳に、ほむらは戸惑っていた。
人の身体を持つが、ほむらは人ではない。そのほむらが人である涼を好ましく思っていた。かつて一度も経験した事のない思いが、どうすれば良いのかわからなくさせる。
人を喰らうものである事が、七夕だけの存在である事が口惜しく思ってしまった。
叶わない事だと知っていても、長く一緒にいたいとまで思っている事に、気がついてしまう。
器の人格が影響しているのか、それとも涼のような客人を待っていたのか、わからなくなっていた。言えるのは人外であるほむら自身が、涼を愛おしく思い始めていると言う事である。
そして、七夕を終らせる事は、ほむら自身の願いでもあった。
すでに道は示されている。
「共に滅んでも?」
「それもいいさ。おまえが望むのなら」
あっさりと返してくる涼に、ほむらの胸を暖かくした。名残惜しい気もしたが、涼の胸から身を起こす。
「涼、全てを終わらせましょう……」
背を向けたままほむらは呟いた。
「取られた五つのカケラを奪えば……」
「あいつらを見つけられるか?」
涼が身体を起こしてくる。
「大丈夫。見つけられるわ」
絶対の自信を持って、ほむらは宣言をした。
涼とほむらの二人が、広人と静を見つけたのは、昼下がりの木谷の自然公園である。
当てもなく歩いていたのかと思っていたが、そうではなく目的があって来たのだとわかった。
当の二人も待ち構えていたように、笑っている。
「そろそろだと思っていたよ」
広人の言葉とともに静の気配が変り、回りから風の音や雑多な音が消えていく。
「結界、か」
その声に涼が振り返った。
すぐ後ろに、腕を組んだ美沙が立っている。
「いつ来た?」
「ついさきほどだ」
涼に答えた後、美沙は納得したように頷く。
「誰も気が付かないわけだ。広域結界の中で、小さな結果を作る。よほど傍にいない限り、わたしでも見つけるのは難しいな」
理解できなかった涼は、聞き流す事にした。
それでも美沙の言葉はまだ続いている。
「これを作るための広域結界か。準備を必要とせずに作れるのなら、たいした力は要らないな。良く出来たものだ」
美沙の瞳が広人に向けられた。
「人外とそれを庇う者。それに人外と人外もどきが、まだ他にもいたとはな……」
「なんだい、キミは? 七夕に関わらない者が結界の中にいるなんて、おかしいな?」
「気にするな。わたしは傍観者だ」
ぽかんと美沙を見る広人に、涼は苦笑する。
非日常であっても、自分のペースを崩さない美沙に、ある種の強さを垣間見たようだった。何事にも動じない者は強者といえる。
「まあどうでもいいけど。一緒にいると、死ぬよ」
警告のつもりか、はたまた余裕なのか、広人は一応美沙に言っていた。
対する美沙の答えは獰猛なものである。
「安心しろ。人外に殺されるほど、わたしは弱くはない。おまえ達の決着がついた後、残った方を封滅する」
「たいした自信だね」
「自信? 違うな。事実を言ったまでだ」
「事実ねぇ……」
瞬間、広人は美沙の眼の前にいた。
「おもしろい芸当だ」
広人の手刀を美沙は、ヴァンジェラで受け止めている。
「口先だけではないようだね」
少し眼を見張った広人の口元が歪んだ。
「キミは、人なのかな?」
「おまえと一緒にするな。わたしは人だ。それに、おまえの相手はわたしではない」
受け止めていた広人の手刀を押し返す。そこに涼が踏み込んで拳底を繰り出していた。
飛び跳ねて広人は、静の傍まで戻っていた。
「デタラメだな。いくら人が鍛錬を積んだとしても、あんな動きは出来ないぞ」
呆れた声が美沙の口からでている。首を振った美沙が涼を見て尋ねていた。
「おまえも出来るのか?」
「無茶を言うな。俺はただの人だ」
「まあ、そうだろうな。むこうは人外もどきだが、それにくらべると、おまえはまだ人だからな」
「どう言う事だ?」
「ほら、来るぞ」
振り向く間もなく、涼は弾き飛ばされる。
「よそ見和していて良いのかな?」
広人の声が、転がる涼の耳に遅れて届いた。
反射的に後方へ飛んでいたからいいものの、そうしなければ、しばらく立ち上がる事ができないほどのダメージを受けていたはずである。
「クソ! 知っていたはずなのに」
片膝ついて立ち上がる涼に、広人が追いついてくる。
戦い始めた涼と広人とは対照的に、ほむらと静は互いを見たまま、距離を置いて立っていた。
「助けなくて良いの?」
「必要ないわ」
「追い詰められているわよ」
「涼は負けない。だから、あたしの手はいらないわ」
「たいした自信だ事」
笑うような、呆れるような声である。
「自信じゃないわ。事実だから」
ほむらの口元が吊り上っていた。はたから見れば、小ばかにした笑みにしか見えない。
「面白い事を言うのね」
緑の線がほむらに向かっていった。
掲げたほむらの左腕に緑の線が絡みつくと、朱色の霧が噴出す。
左腕が朱に染まるのをものともせずに、ほむらは右手で緑の線を掴み取っていた。
手繰り寄せるように左右の手で、巻き取って行く。
「痛みがないの?」
器を得た七夕の存在は、器の感覚も共有する。怯むはずの痛みを感じているはずなのに、顔色一つ変えずに引き寄せようとするほむらの行動に静は驚いた。
「地のカケラを、あなたはこう使うのね」
緑の線はムチである。
力のカケラを取り込んで、ムチとして使う静にほむらは笑っていた。力のカケラに決まった形はなく、使う者の使いやすいように形を変える。
それが七の力のカケラだった。
七夕の対戦者が力を得るとは、そう言う事である。
両手に緑のムチを巻きつけたままほむらが飛んでいた。一足飛びと言えるほど、肉薄してくるほむらに、反射的に静は身体を捻っていた。
本来なら必要のない事だったが、器である身体が勝手に動いていた。
腕を取られて、投げ飛ばされたのは静の方である。フェイントに、身体が勝手についていってしまっていた。
「あっ……」
呆けたような声が出た時は遅く、静の手から離れたムチは、ほむらの手の中に納まっている。朱に染まった左腕に緑のムチが絡み付いていた。
「取られたら、取り返せば良いだけよ」
「そんな、バカな……」
力のカケラが取られた事が信じられない静は、唖然とほむらを見てしまう。力のカケラを取り込んで力を得たはずが、力のカケラを奪われてしまった。奪われる事など頭にはなかったのである。
「なぜ、そんな事ができるの!」
信じられずに叫ぶ静に、ほむらは笑っていた。
左腕に絡まっていた緑のムチが、ほむらの手の中で緑の水晶球となる。力のカケラは決まった形がなく、手にした者の意思でどのような形にでもなるのだった。
「さて、これで一つ。次は何を見てくれるの?」
余裕を見せるほむらだったが、余裕などない事は自分でもわかっている。地のカケラを奪うかわりに左腕一本が使えなくなっていた。
「切り刻んでやる」
呟いた静の右手に青白い刀身が出現する。
右半身に構える姿は板についていた。剣道、それも上級者である事は立ち姿でわかる。
その姿に、ほむらの身体が少し沈んでいく、静が剣道の段持ちである事をのぞみの記憶から引張りだした。
そして、自身が空手の有段者である事も思い出す。ほむら自身が使った事が無くとも、有段者であれば、その動きは身体が覚えている。
ほむらは自分が不利な事は理解していた。相手はカタナを持ち、自分は素手であり腕一本が使えない状態ある。
それでも、倒される気はさらさらなかった。
剣道対空手、どちらが強いか。
やってみなければわからない。




