外伝 ~七夕の客人~ 第12話
涼と翔の二人が会場に向かった後、ほむらはじっと睨みつけてくる女――紫村美沙と知っていた――を不思議に思っていた。
美沙に睨まれるような覚えのないほむらは、少し考えてしまう。
(……誘ってみるべき、か……それとも……)
幸いと言うか、翔の試合が始まり瑞紀は、そちらに集中しているようだった。
今、そばを離れても気がつかないとわかっている。
ゆっくりと踵を返したほむらは、美沙には目もくれずに瑞紀のそばを離れた。後を美沙が追ってくると確信しての事である。
祭りを楽しむように、ほむらはゆっくりと歩く、やがて祭りの喧騒が少なくなると、路地へと曲っていた。
立ち止まり振り返らずに言う。
「なぜ、追って来るの?」
答えが返ってこないことに、溜め息をついたほむらは振り返った。
そこに、険しい顔の美沙が無言で立っている。
「理由ぐらい聞かせて欲しいものだわ」
何もいわずに美沙の右手が持ち上がった。手に握られている物は、剣の柄のようなものである。
「何のまねかな?」
美沙が左足を一歩踏み出した。
腰を少し落としたその姿は、剣を構えた姿そのものである。
手首を返し左手が柄に添えられる。
と、柄を振り抜いた。
反射的にほむらは、跳び下がっている。
「なるほど。やはりおまえは、神崎ではないな」
確認したような呟きが、美沙の口から出てきた。
「何を言ってるのかな?」
首を傾げて見せたが、美沙は顔色一つ変えない。
「とぼけても無駄だ。わたしは人と、そうでないものを見分けられる」
美沙の瞳が細くなり、口元に笑みが浮かぶ。
それは絶対の自信の表れと言ってよかった。
再び美沙の左足が前に出てくる。
「あたしが人じゃないと言うの?」
肯定も否定もせずに、美沙は間合いを詰めた。
「なっ!」
美沙が驚いて跳び下がる。
間合を詰めたはずが、予想以上に至近距離になってしまっていたからだ。
ほむらが美沙の思惑とは逆に動いていたからである。近すぎる距離では、剣の威力は減少する。至近距離は、格闘戦の距離だった。
間合を開けるために、右に左にと距離を取るために動いたが、それでもほむらは、美沙の眼の前にいる。下がった分だけ、距離を詰めているのだった。
ほぼ同時に、動いている事が美沙には信じられない。
(動きが読まれていのか……)
「なぜかな?」
笑顔でほむらは美沙に尋ねている。そして、まだこう言う者が存在していたのかと、驚いていた。
「言ったはずだ。わたしは見分けられると」
離れられないならと、美沙は肘打ちを繰り出した。今度はほむらが跳び下がって、二人の間合が再び開く。
「おまえは神崎ではない。ならば神崎の姿を模するおまえは、人ではない」
再び剣の柄を構えて、美沙は視線をはずさずに言った。
「やめろ!」
美沙の動きを止める声がする。
「遅い!」
声の主にほむらが叫ぶ。
二人の間に涼が入り込んできた。
「どけ!」
一度は動きを止めた美沙ではあったが、目の前に立つ男が、涼であるとわかって叫んでいた。
「そいつは人ではない。人の姿を模した人外だ!」
「知っている!」
一瞬、美沙の全ての動きが止まる。
そして、知っていて止めると言うのかと怒りが募った。
「人外を庇うのか。おまえは!」
「人だろうが、人外だろうが、そんな事はどうでもいい!」
「人外に惑わされたか!」
美沙の左手が涼の胸倉をつかみ上げる。
涼はそうだとも、違うとも言わずに美沙を見ていた。
「こいつは神崎のぞみだ」
「やはり惑わせられたか。人外は人の姿を模して、人を喰らう。が、一つだけ模せない所がある。わかるか、おまえに」
「知るか」
「瞳だ。瞳だけは人外の本性が残る。そいつが神崎のぞみと言うのなら、瞳は人の持つものだが、そいつの瞳は人にあらざるものしか持ちえない瞳だ」
そんな事は、とっくに知っていた。
「紅の瞳は人外の証か」
「そうだ。わかったなら、どけ」
「断わる!」
いい加減にしろと言いたくなる。
さっきの敵だと言う二人もこの女も、人を振り回す事しかしていなかった。勝手な事ばかり押し付けてくるだけなら、従う必要はない。
思うようにするだけだ。
「どいつもこいつも……」
言い表せない怒りで、全身が震えそうになる。
弱い自分を呪った時も、何も出来ない事を嘆いた時でも、これほどの怒りを覚えた事はなかった。
「ふざけるな!」
叫んだ涼は、ほむらを振り返っている。美沙に胸倉をつかまれたまま、と言う事など忘れていた。
「ほむら! おまえもおまえだ! なぜ、こうも簡単にこいつを誘う!」
のぞみと言わずにほむらと言った事に、涼は気がつかず顔を戻していた。
「おまえも! なぜ簡単にほむらの誘いに乗る!」
「人外を封じ滅する事が、わたしの、一族の誇りだ」
関わっていない者が、入ってくるなと思った。
「誇り、か。ふざけた誇りだ」
「きさまぁ!」
「人外を滅する事が誇りだとしても、おまえは裏の七夕に関わっていない」
「何を言っている?」
「ほむら。コイツが何者か知っているか」
美沙にとりあわずに、涼はほむらに尋ねていた。
「知っているわ。紫村一族と言って、人外を封じ滅する者達よ。まだ存続していたとは、驚くばかりよ」
「つまり、退魔士か」
「そうよ」
「本の中だけと思っていたな」
今更驚くには値しない。
非日常的な事をこれだけ目にすれば、退魔士がいてもおかしいとは思えなかった。いや、いない方がおかしいと言えるだろう。
「で、人でありながら人外でもあるおまえを封滅する、か」
ほむらの眼が丸くなった。
「気付いていたの……」
苦笑が浮かんでくる。
「初めから知っていた。認めたくなかっただけだ」
「なぜ、認めの」
「この状況に飽きた。認めれば先に進めるだろう。それに……」
涼は、真っ直ぐにほむらを見た。
「おまえの敵は、俺の敵でもある」
「あったの……」
「ああ、むかつく奴らだ」
ギリッと奥歯が鳴っていた。思い出すと、胸の奥が熱を帯びてくる。
「意識的に巻き込まれたわけじゃないが、逃げる事ができないなら、足掻くまで。おれは、流される事に飽きている」
だからな、と涼は笑った。
「裏の七夕が終るまでは、おまえと共にいる。おまえが望むのなら、俺の命を持って行け」
「馬鹿な事を言うな!」
黙って聞いていた美沙が叫んでいる。
「馬鹿な事じゃない。必要なら、俺の命などくれてやる」
「本当に良いの、涼」
「ああ、俺を喰らうのなら、喰らえば良い」
行った途端に、美沙に身体ごと引き戻された。
「そんな事は、わたしがさせない! おまえが人外に食われるのを、見過ごす事などできない!」
美沙が睨みつけている。挑むような瞳は、ほむらに通じるものがある。
「わたしの誇りにかけても!」
「知った事か! 俺は死人だ!」
言った自分に驚いた。
同じ事を、同じ言葉を言った事がある。
それを知っていた。
そして、浮かび上がってくる言葉とその意味。
「そうか、ハザマのカイとウツロウモノ……か」
「何を言っている?」
戸惑う美沙と、目を丸くするほむらを無視して涼は笑っていた。
「人を喰らうウツロウモノ。人にあらざるもの……」
知っていた。
だから、違和感を受けていたのであり、ほむらに惹かれそうになっている。
「ほむら。おまえの存在は、七夕の間のみと言っていたな」
「ええ」
「七夕が過ぎれば、おまえや俺はどうなる」
「消えるわ」
「そうか、消えるか」
涼の口元に笑みが浮かぶ。
それは、覚悟を決めた者が見せる不敵、そう言える笑みだった。そして、そのまま美沙を見る。
「七夕の間、おまえは手を出すな」
「できるか。今、討つべき人外が眼の前にいるんだ」
「七夕で消える人外だ」
「おまえが喰われるのを、見ている訳にはいかない」
「それでもおまえは、裏の七夕に関わっていない。おまえが手を出す事じゃない」
「知らなければ、そうしている……」
胸倉をつかむ腕に力が入ってしまった。
「知ってしまったからには、無視する事はできない」
一族の誇りが、自分自身の存在意義が、それを許さなかった。紫村美沙とは、こういう女である。
「無視できないか。なら、俺はおまえの敵になる」
「なっ……」
「おまえが、ほむらを封滅すると言うのなら、俺は全力でほむらを護る」
一歩も退かない瞳が見下ろしてきた。
その瞳の強さに美沙は、胸倉をつかむ手を離している。理解しかねる顔が、涼を見上げていた。
「なぜだ。なぜ、そこまで人外に入れ込む」
「パートナーだからだ。人外であろうと、望んだ訳でなくとも、今の俺は、その立場にいる」
認めるからには貫くと決めていた。
全てを呪った事のある自分にできる事があるのなら、それを貫き通すべきである。諦めて嘆くのは、一度で十分だった。
「涼……」
呟くような声でほむらが呼ぶ。
「あなたは、何を示すの。あたしの消滅か、あるいは全ての終わり?」
謎めいた言葉に涼は振りかえった。
ほむらが淡い微笑みを浮かべている。
その柔らかい微笑みに、涼は見惚れそうになった。
かつて傍にあった微笑を思い出してしまう。失ったものは二度と取り戻せない事は、身に染みて知っていた。
再び涼は美沙に顔を戻す。
「認められないのなら、七夕が終るまで手をだすな」
「どう言う事だ」
「俺とほむらが存在するのは、七夕が終るまでだ。その後は、どうなるかは知らない。ほむらが言うには、俺達は消えるそうだ。だから、おまえは手を出さずに見届ければいい」
「でき……」
「ないか? たった三日だ」
被せるように尋ねる涼だった。
「…………」
答えられない美沙は、葛藤を抱えてしまう。人外を封じ滅する事が、自分の使命とも誇りとも言える。
それを邪魔する者がいるとは思わなかった。ましてそれが、護るべき人であるとは信じられない。
眼の前の男は、言葉通りに人外を護ろうとする事は、男の瞳を見れば用意に想像がついてしまう。護り手である自分が、人に仇なす訳には行かなかった。
『戦う術を持たない者の、抗う術を持たない者の代わりに戦うが、我が誇り』
譲る事も曲げる事も、出来ない信念とも言うべき美沙の誇り、それが邪魔をする。
「あー、いたいた」
明るい声が近づいてきた。
「もう。美沙ものぞみも、どこに行っていたのよ。捜したわよ」
瑞紀の声で美沙は、大きく息を吐いて力を抜くと、小声で涼に言う。
「おまえ達の事を見届ける」
「いいのか?」
聞くべきではないが、聞いてしまった。
「良い訳はない。が、おまえの言う通り、わたしは関わっていない。当事者からは、何も受けてはいないからな……」
「あ、神野さんもいたんだ」
「俺達よりも先に、二人を見つけたんだろう」
肩を竦める翔に、瑞紀がむくれた。
「見ればわかるわよ」
「それはそうだろうな」
再び翔は肩を竦めている。
「のぞみ、神野さん。この後予定はある? 良かったら一緒に行かない?」
にこにこと笑顔の瑞紀に、涼は少し呆れそうになった。そして、感心もしていた。
自分達を取り巻く、さっきまでの緊張感が散無していた。瑞紀が現れた途端に、それが起こっている。不思議なものを持っている女だった。
「ごめん、瑞紀。あたし達は別行動するから」
手を合わせるほむらに瑞紀は、残念そうな顔になる。そして、ほむらだけを呼んで少し離れていた。
「のぞみではないのぞみ」
にこにことした笑顔のまま怖い事を言う。本人が意識していない分だけ、言われた方はどきりとしてしまう。
「何の事?」
「隠さないで良いよ。私、あなたの味方だから」
真っ直ぐ臆する事の無く瑞紀は、ほむらの紅の瞳を見ている。
「あなたはのぞみだけど、中身は違う人でしょ」
「困ったな。あたしがのぞみじゃなければ、瑞紀や桂木君の事を知らないと思うけど?」
「のぞみの記憶を持っていれば、私や翔の事もわかるわ。それに……」
くすりと笑っていた。
「あなたの瞳は、人が絶対に持たないもの」
「髪の色に合わせたカラコンなんだけど」
「のぞみではないのぞみの名を知りたいんだけど、だめ?」
上目遣いに見てくる瑞紀に、ほむらは苦笑する。
人の話を聞かない事は、のぞみが知っていた。名乗るまで繰り返す事になる事は、目に見えている。
「ほむら、よ」
満面の笑みが瑞紀の顔に浮かんできた。
嬉しそうな笑みに、ほむらは首を傾げそうになる。
「その名の通り、綺麗な紅ね。いいなあ」
呆気に取られた。
瑞紀が見たまま、感じたままにしか言わない人だと、知っていたにもかかわらず、しばし呆けてしまう。
そして、ほむらは笑い声を上げていた。
こんな人もいるんだと、感心するしかない。
笑う二人を見た翔は、溜め息をついて首を振ると涼を見た。
「紫村と何かあったのか?」
「何も無いが」
「そうか……」
翔が涼を見ていた。
「いつまで坂井に?」
「七夕が終るまではいるつもりだ」
「あのな……」
少し言いにくそうな翔に、涼は首を傾げる。
「何だ?」
「思いつめるなよ」
「何の事だ?」
息を一つついた翔は涼に向き直った。
「俺もおまえと同じような顔をしていた時があった。全てを、自分自身さえ呪った……」
感情さえ消えた顔が翔を見ている。
「何があったかは知らないが、いや、相当な事だろう。それは決して忘れるなよ。忘れる事は、関わった者達に対して、罪になる」
「おまえ……」
「俺は、あの時……」
なぜ自分がこんな話をするのか、翔は戸惑いを感じていたが、涼の顔を見れば話していた方が良いと直感的に思った。
涼に、自分と似た雰囲気を感じ取ってしまった。
今でも、後悔と情けなさとさまざまな感情が、憤りと共に湧き上がる事だった。
「悠馬さんや四郎に迷惑をかけた。その事は後悔していない。その時の俺に出来る精一杯だったから……」
だからな、と翔は涼に告げる。
「ここに、坂井にも友がいる事を忘れるな」
「青臭いな」
「悪かったな」
「いいや、悪くない」
笑みが浮かんできた。
会ったばかりの自分を友と呼んでくれる翔と、たぶん同じように思っている瑞紀に、涼は感謝したくなる。
「七夕が過ぎても、またここに来る」
本気でそう思った。
例え、七夕が終わり消え去るとしても、思う心は真摯だった。
彼らといれば、自分を変えていく事も出来るだろう。
「そうしてくれ」
ただ一人、硬い顔のまま美沙は、ずっと瑞紀とほむらを見ていた。
紅の光が視界にある。
胸に感じる重みは。紅の光のものだ。
「本当にいいの?」
紅の髪が視界を覆う。
顔を上げたほむらの紅の瞳が、真っ直ぐ涼を見ていた。
「ああ、いいさ」
「死にたがりではないと、あなたは言っていたけど?」
「死ぬ気はまったくない」
「矛盾しているわ」
「していない。自殺する気はないが、必要なら命をくれてやると言っている」
「それが死ぬ事でも?」
「決めたからには貫く」
涼の口元に笑みが浮かぶ。
「人には譲れない事がある。譲れない思いがある。それで命を落とす事になっても、後悔はしない」
「あなたは……」
ほむらの紅の瞳が少し伏せられた。
「人にあらざるもの、人外、もののけ、妖魔……呼び名は色々あるが、おまえはどれにもあてはまらない」
人の記憶と人の身体を持つ人にあらざるもの。それを表す言葉は、人外ではない。
伏せられていた紅の瞳が持ち上がる。
「おまえはおまえだ。俺はおまえの隣にいる。だから、おまえを取り巻くものが理不尽なら、俺は反する。徹底的に」
「あなたが示すものは、それ?」
「ああ。七夕がおまえに理不尽をもたらすのなら、七夕を終らせる。二度とおまえや俺、神崎のような者が出ないように、七夕に関わる全てを」
紅の頭が再び涼の胸に乗っていた。
「あなたならできる。あなたは――を示す者だから……」
呟く言葉は、涼には届かなかった。




