外伝 ~七夕の客人~ 第2話
夜になると、涼は神崎家の人達の前にいた。
ただ一人、のぞみだけが巫女姿でいる事に、涼は戸惑いを覚える。
更に言えば、神崎家の人達が一様に硬い顔になっている事が、戸惑わせる要因にもなっていた。
悲壮感さえ漂わせているとも言えるのである。
何と尋ねる前に椅子に促された涼は、巫女姿ののぞみの隣りに腰を降ろしていた。戸惑った顔で見てくるのぞみに、涼は軽く肩を竦めてしまう。俺に聞かれても、そう言う意味である。
「のぞみがキミを連れて来た事で私達は、のぞみとキミを辰巳の祠へ向かわせなければならなくなった」
「辰巳の祠……?」
「ここと辰巳湖を挟んだ反対側にある」
「そこに行けと?」
頷いて肯定する父親に涼は尋ねていた。
「なぜ?」
――辰巳の巫女が客人を連れ来る時、辰巳の祠に同行させよ――
「それだけで?」
尋ねても、頷いただけで何も言わない。
そう伝えられていると言う。
家人も意味が解っていないらしく、それ以上は詳しくは言わなかった。
「無茶だと思いませんか。俺が、それで納得すると思いますか?」
「無理だろうが、キミはのぞみと共に行かなければならない」
「一方的過ぎるとは、思いませんか?」
「もっともだ」
頷いているが、撤回する気はないようだった。
この時、涼はどんなに断わっても、堂々巡りになると感じた。それを感じ取った父親は言う。
「神事を司る一族には、理解しようとしても一般的には、理解できない事が多くある」
ただそれだけで、硬い顔をしているのではない事は涼にもわかる。行くだけなら、誰もこんな顔はしない。
それが何か。
聞ける雰囲気でもない事も確かだった。
溜め息をついた涼は立ち上がる。わからなければ、確かめれば良い事だ。
「のぞみ。案内してくれ。何かはわからないが、俺達は祠に行かないといけないようだ」
「うん……」
不安を隠せないまま、のぞみは頷いていた。
家族の目がすがるようでもあり、悲しむようでもある。まるで、のぞみの姿をまぶたに焼き付けているようでもあった。
これで不安にならない方がおかしい。
「祠に何があるの……」
「行けばわかる」
尋ねても、はっきりとした答えは返ってこなかった。
わからなければ、やはり行くしかない。
二人を見送った後、母親は顔を伏せてしまった。
「どうして、あの娘が……」
嗚咽とも取れる呟きが漏れる。
「私にもわからない。が、のぞみが『客人』を連れて来た事は確かだ……」
肩に手を置く父親の声も沈みがちだった。
「父さん。のぞみはどうなるんだ」
のぞみの兄は不安そうである。
「それに『客人』の彼は?」
首が振られていた。
「わからない。ただ……」
言い淀む。
言葉にすれば確定してしまうのではないか、そんな思いがそうさせていた。
「文献によれば、記録によれば『巫女』と『客人』は消える。そうある……どう捉えるのかはわからないが……消える。それは死を意味するのかもしれない。あるいは違うのかもしれない。その場に居合わせたのは、ずいぶんと昔の人だから……」
溜め息とも、吐息ともとれる息を吐き出してしまう。
一方、神社を出た涼とのぞみの二人は、辰巳神社を出て辰巳湖の回りを歩いていた。目指す祠は神社の反対側にある。
並んで歩く二人は夜道と言う事もあり、ゆったりとしたものだった。
「辰巳の巫女、ねぇ……」
「なによ」
頬を膨らませるのぞみに涼は笑ってしまう。
巫女姿ののぞみは可愛く見えた。コスプレのようで気恥ずかしさがあるのか、少し顔が赤かった。その姿で頬を膨らませれば微笑ましくなる。
「良く似合っている」
「なっ……」
絶句していたのぞみは、やがて息を吐いて頭をさげていた。
「ごめん。なんか変な事につきあわせるようで……」
「気にするな。埋め合わせはしてくれるんだろ」
涼は笑う。
それにしても、と涼は首を傾げるようにしていた。
気になる事があった。変だと思うには、十分な事である。
「神社とは別の離れた場所に、祠があるとはどう言う事だ?」
「?」
首を傾げて見上げてくるのぞみに、涼は自分の考えを口にしていた。
「辰巳の祠なら、辰巳神社とは無関係なはずが無い。祠と離れた場所に神社があるとは聞いた事がない……」
何かを祭る祠なら、その回りに社が建つはず。まったく別の場所に社を立てる事は無いと言えた。離すからには何かしらの理由があるはずで、その理由がわからない。のぞみの様子からも知っているとは、とうてい思えなかった。
あるいは、一族の長にしか知らない事なのだろう。
わからない事に嫌な予感と、不安が大きくなっていくのを感じていた。
そこにあったのは、小さな祠である。
人が足を踏み入れる事が少ないようで、ほとんど雑木林に埋もれていたが、祠の回りだけは綺麗に整えられていいた。
打ち捨てられているわけではなく、定期的に訪れて手入れをしているのだろう。
「そんなに大きなものじゃないわねぇ……」
祠を見たのぞみの感想に、涼は答えられなかった。
違和感。
坂井の七つの名所と呼ばれた場所と、同じ違和感を受けていた。
「で、どうするの?」
祠から涼に視線を移したのぞみが言う。
「俺に聞かれても困るが……」
「そうよねぇ……」
少し考えたのぞみは、祠の扉に手を伸ばした。
「まて」
「どうしたの?」
「なにか、変だ」
首を傾げるのぞみに、言い表せない不安が募る。
「空気が違う、とでも言うのか。ここは何かおかしい」
「あたしは何も感じないけど……もしかして、霊感があるとか?」
「霊感は、ない」
前に知っている感覚、身近にあった感覚と知っていた。
なぜと思う前に、思い出す事を拒否している自分がいる事に、愕然としながらも不安が大きくなるのを感じていた。
だが、それが何がわからない。
「なんなんだ、この感覚は……」
知っているのに思い出せない苛立ちから、涼の注意はのぞみから逸れていた。気がついたのは、のぞみの感嘆したような声が聞こえてきたからである。
「うわぁ、キレイ……」
振り返った涼が目にしたものは、のぞみが祠の扉を開けて中を見ているところだった。
光の照り返しがのぞみの顔を照らしている。感嘆したように微笑を浮かべ祠に手を差し伸べていた。
涼は動けない。
どんなに違和感を受けようとも、どんなに嫌な予感が膨れ上がろうとも、映し出されたのぞみ姿は美しくあり、目を奪われるものだった。
祠からのぞみが取り出した物。
それは水晶のような透明の球体だった。その中に炎が揺らいでいる。
声が出せない。
身体が動かない。
知っている。
なぜかはわからないが、涼はそれを知っていた。驚愕と、信じられない思いが身体を呪縛する。
言葉が浮かび上がってくる。
ウツロウモノ。
戸惑いが呪縛を深くした。
揺らいでいた炎が、大きく膨れ上がって水晶球の中で踊り始めた。
「えっ……?」
驚いた拍子に、のぞみが水晶の玉を取り落とした。
「あっ……」
瞬間、炎が踊る。
刹那。
炎に呑まれると思った涼が、反射的に動いていた。
呪縛されたように動かなかった身体が、飛んでいる。
のぞみを抱えた涼が横に転がっていた。自分でも何がなんだかわからない。気がつけば身体が動いていた。自分でも良く動いたと、思っていた。
のぞみを抱え起こした涼は、炎を見たまま尋ねる。
「大丈夫か?」
「えっ、ええ……」
答えるのぞみの声が戸惑っていた。なにが起こったのか、理解していないようである。かく言う涼も、何が起こっているのか理解していなかった。
ただ、眼の前で炎が意思を持っているように揺らぎ、何かの形を現し始めている事は理解できた。
ふいに涼は腕をつかまれる。
のぞみがすがりついてきた。
「なんなの……」
答える言葉を、涼は持っていない。それよりも、眼の前の炎から目を離す事ができなかった。
人の姿を模った炎。それこそ、眼の前で見ていても信じられなかった。
《我の邪魔をするぬしは何者ぞ》
声無き言葉が頭に響いてくる。
なんだと思う前に、涼は理解していた。
眼の前の炎が言ったのだと。
そして、既視感。
気のせいかもしれないが、ずいぶんと昔に炎と会話した気がした。
《其は、我の器》
「こんなの聞いていない……なんなの……」
すがりついてくるのぞみの声は震えていた。
涼は奥歯を噛み締めて、ただ揺らぐ炎を見ている事しか出来ない。再び呪縛されたように身体が動かなくなっていた。
「逃げろ……」
かろうじて声が出せる。
「無理……」
擦れた声が返ってきた。つかんでいる腕が震えているのがわかる。
悲鳴を上げて逃げる事など出来なかった。
揺らぐ炎を見て、逃げる事が不可能だと悟ってしまう。
非日常的な事でも、目の前で起こればいやでも分かる。
何も出来ずに死を目前に突きつけられた時、人は動く事が出来ないと初めて知った。
《七夕の訪れが、其を我に遣わす》
揺らぐ炎が近づいて来る。
《器と共におるのは客人。客人たるぬしが、我の邪魔をするとはの》
理解の範疇を超えるでき事は、言葉を発する事さえさせなかった。
揺らぐ炎が眼前に迫った。
不思議と熱気は感じない。感じるのは、圧倒的とも言える存在感だった。
「ひっ……」
小さな悲鳴が聞こえて、涼の腕から重みが消える。ダメだと思う前にのぞみは離れ、揺らぐ人の形をした炎が滑るように近づいた。
そして、炎がのぞみを覆う。
涼の伸ばした手は、空をつかんでいた。
声無き悲鳴がのぞみの口から出ている。炎に包まれたのぞみが、身体を仰け反らせて五歩離れた所にいた。
炎に包まれていたのは、そんなに長い時間ではない。
瞬間、それとも一分か。
涼には判断が出来なかった。
仰け反らせていた身体を戻したのぞみだったものが、涼を振り返る。
退きそうになる足を踏み止まらせて、涼はのぞみだったものを見ていた。
炎に包まれて衣服は燃え尽きているのに、やけど一つ負っていない裸身をさらす姿は、恐怖よりも畏怖を感じる。
「ふむ」
納得したような声が聞こえてくる。
「初めましてだな、客人。我は、ほむら」
紅の髪と瞳の女が涼を見て笑っていた。




