外伝 ~七夕の客人~ 第1話
都心より電車で揺られる事二時間余り。
山々に囲まれた街に着く。
駅のホームに降り立った神野涼は、大きく伸びをしていた。二時間あまり座りっぱなしだったため、腰が少し痛くなってきている。
緑が少ない都心よりも、緑が多い街の空気の心地良さは、涼の顔を綻ばさせていた。
辺りを見渡した涼は、改札へと向かう人の流れに乗って駅舎を出る。
駅前もコンクリートやアスファルトで囲まれた、無機質な都心と比べると緑が多く、並木通りが自然の光を溢れさせていた。
ふと涼の顔に笑みが浮かぶ。
「いいところか……」
都心とは違う趣の街は、自分にとって変化をもたらすのだろうか。
予感と言っても良い感覚があった。
大学に入って一年が過ぎた頃から、なんとなくではあったが、全てに違和感を受け始めていた。大学がおもしろく無い訳ではなく、何かが違うと心の奥底で言っているようであり、それが何か分からなかったのである。
そうした違和感は次第に大きくなり、夏季休暇を待たずにこの街に来た。何かにひかれた訳ではなく、ただの学生の身であれば、このくらい小旅行が、精一杯と言う事だったのである。
環境が変れば、何か違う事を感じられるのではないかと思っていた。変化を求めていたと言っても良かったのである。
駅前のロータリーで、街の名を確認した涼は首を傾げてしまった。
「坂井市……?」
人名にしか思えない街の名に、涼の首が更に傾いていく。
「こんな街があったか?」
案内板には、地名や観光案内までついていた。それを眺めていた涼は、腕を組んで考え込んでしまう。
「七地区対抗七夕祭り……?」
七夕祭りなら街を挙げてするものだが、決して対抗するような祭りではなかったはずでは、と涼は思っていた。
要約すると。
坂井市の七つの地区で、七日間にわたる住民による競争を行い、その合計得点でその年の優勝地区を決めるとしている。ちなみに、今回で四十四回目とあった。
「四十年以上、続いている?」
長く続いている変わったお祭りなら、テレビなどで紹介されても良いものなのに、涼はまったく見た事も、聞いた事もなかったのである。
競争となるものなら、何でも競技として得点を与えられ、早食いや大食い、はてはジャンケンなどの勝敗がわかるものなら、何でもありだった。
更には観光客を呼び込むためか、坂井市在住でなくとも参加証を手に入れれば、誰でも競技に参加する事ができるとある。
希望者は各地区に赴き参加証を入手しなければならなく、祭りの期間中は必ず見えるようにしておかなければならなかった。また、複数の地区の参加証を入手できないなどの取り決めもある。
なんだかな、と思いつつも涼は案内板を更に見ていく。
市街から北に行くと、辰巳山があり山頂付近に湖があり、途中には見返り坂展望台と言うのがあった。南に行くと翠湖と呼ばれる平地になり、中心部の日刈区には日輪寺と言う寺院があり、並ぶように木谷区の森林公園がある。
「ん?」
と首を傾げた涼は、何か引っ掛かるものを感じてしまう。なんだか地名と名所のような所が、同じような名になっていると感じた。
そして、北西部には全日本のオフロード大会と、トライアル大会が開催される畑山オートコース場があった。それよりも市内に近い場所に、一部では有名らしい西賀大学と付属する大学病院がある。
しばらく案内板を見ていた涼は、顔を上げてバス停に向かっていた。
とりあえず、辰巳山の湖でも見てみようと考えたのである。
深い理由はなく、一番初めに目に付いた場所と言う事と、見て回るのなら遠くの方からと思ったまでの事だった。
バスに揺られて十分もすれば、閑散とした家屋が点在する麓の景色にかわる。さらに進んで行くと、道路を跨ぐ大きな鳥居があった。
「なんで、鳥居が……?」
呆気に取られたように、バスが鳥居をくぐるのを車内から見てしまう。
案内板には、確かに鳥居の印があったが、まさか道路を跨ぐほど、大きな物とは思ってもいなかった。
鳥居は境界を現し、この世とあの世、こちら側とあちら側を区切るもの。普通は、お寺や神社の境内と一般との区切りに建てられている。
それが山の麓にあると言う事は、山自体が区切りになっていると言う事だった。山岳信仰と言うものがあると、聞いた事はあった。
少し勘違いも入っているかもしれないが、涼の乏しい知識でも、そのくらいの事は知っている。
辰巳山にある湖、その名もそのまま辰巳湖だった。
湖に一番近い停留所は、辰巳神社の参道前である。停留所の右に辰巳神社の鳥居が見え、左に辰巳湖が見えた。
バスを降りた涼は、停留所から見える湖に肩を落としてしまう。
閑散としてあたりには、神社があるだけで何もなかった。
それでも涼は湖に近づいていた。ここまで来たのなら、湖畔でも見ておこうと思っての事である。
山林に囲まれた湖は空の青を映し、ゆったりと揺れる水面は光を反射させていた。
静かな湖畔、そう呼ぶにふさわしい場所である。
訪れる者は皆無ではないらしく、貸ボートが岸辺に並び屋台も出ている。観光客で賑わうと言うには程遠いが、寂れているわけではないらしかった。
湖面を見つめていた涼に、後ろから声をかけてくる者がいた。
「観光ですか?」
振り向いた涼は、そこに立つ同年代の女性に首を傾げてしまう。
「俺に言っているのか?」
「そうですよ。あなた以外にはいないと思うけど?」
周りを見てみても涼以外は、その女性しかなかった。向き直った涼は、女性に尋ねていた。
「で、俺に何か用なのか?」
「若い人がここに来る事が、めったにない事なので……」
「?」
「しかも、一人でいる事なんか、珍しい事なの。静で落ち着けるところだけど、あまり若い人向きの場所ではないから……」
何が言いたいのかわからずに、涼は黙って聞いていた。
「で、たいした事じゃないんだけど、人生投げるにはまだ早いと思うんだ」
「はぁ?」
言われた言葉を理解できずに、涼の首が傾きかける。
「生きているから面白い事もあるのよ。それを知らずになんて、もったいないと思うわ」
「…………」
言葉が出て来なかった。
「まだ若いし、これから楽しい事や面白い事がいくらでもあるって。だから……」
「だから……?」
と尋ね返してしまう。
「死ぬのは良くない。生きて楽しい事を見つけようよ」
意を決したように力強く言う女性に、何が言いたかったのかわかった涼は、驚いて思わず叫んでしまう。
「ちょっと待て! 誰が死ぬんだ!」
自殺志願者と思われたままにはできなかった。
「俺は死ぬ気なんて、さらさらない!」
「ちっ、違うの?」
驚いた女性に、涼は溜め息をつきたくなる。
「あたりまえだ。遊びに来ただけの俺が、なぜ死ななくてはならない」
だって、と女性は思い返すように言った。
「思いつめた顔で、じっと湖面を見つめていたし、この辺の人じゃないようだし……」
「駅の案内板でここを見ただけだ」
本当に、溜め息が出てしまった。
「湖を見に来る者はみな、全員自殺志願者か」
「本当に死のうとしていたんじゃないの?」
まだ信じていない女性に涼は頭を抱えたくなってくる。
「かんべんしてくれ。死ぬ気なんてない。それともここは自殺の名所か何かか?」
首を振って否定する女性に、涼は再び溜め息をついてしまった。
どこをどう勘違いしたのかと、問い質したい気がしてきたが、それは止めていた。
「俺は神野涼。で、あんたは?」
「ごっ、ごめんなさい。あたしは神崎のぞみ。そこの辰巳神社の娘」
「のぞみ……」
涼の胸に小さく痛みが走る。
それは後悔であり、己の弱さを思い知らされた時の痛みでもあった。
「どうかしたの?」
怪訝そうにのぞみが尋ねてくるが、涼は首を振っただけである。
「なんでもない……」
「そう?」
首を傾げそうなのぞみに涼は尋ねた。
「あんたは、早とちりが得意なのか、それともお節介やきなのか?」
「いや、あの……」
身に覚えがあるのか、のぞみは言葉を濁してしまう。それだけで涼にもわかってしまった。
「両方、なんだ……」
呆れたような声に、のぞみの顔が朱に染まる。
「まあ、どっちでもいいが……坂井でここ以外に、見れる所が他にあるか知っているか?」
「観光客?」
「遊びに来たと言っただろ」
「そうなんだ……」
やっと納得したのか、のぞみは頷いていた。
「じゃ、あたしが坂井を案内しましょうか?」
「案内?」
「そう。土地の者を案内につけた方が得だと思うけど?」
「それは、願ったりだが……いいのか? 見ず知らずの他人だぞ」
「初めは誰でも赤の他人よ」
笑って答えるのぞみに、その通りだと苦笑してしまう。
そして、これはもしかして俗に言う、逆ナンパなのかと首を傾げそうになった。
「俺は、逆ナンされるのは初めてだが……」
「ちっ、違うわよ! あなたには勘違いしてしまったし、声をかけたのはあたしだから。これはお詫び代わりよ! 観光客なら、案内があった方が……」
慌てて否定するのぞみに涼は、大きく肩を落とす。
「キタイしたんだが、残念だな」
「なっ、なっ……」
涼の落胆振りに、のぞみは言葉が続けられなかった。
「で、どこに連れて行ってくれるんだ?」
大して気にする風でもなく、涼はみのぞみに尋ねる。
その落差にのぞみは、大きく息を吐いて――深呼吸とも言うか――心を落ち着かせていた。
「ついて来て」
それだけ言うと、のぞみは神社へと歩き出す。ついて来なくても構わないような、ぶっきらぼうなさだった。
怒らせたかと思ったが、それはそれでいいかと、まったくと言っていいほど、涼は気にしていなかった。
のぞみは、境内に停めてあった赤いスポーツ車のドアを開けながら言う。
「乗って。どこに行くにしても、アシがないと不便だから」
「それはわかる。都心と違って、交通の便は良くないだろう」
「まあね。バスは一時間に、二本か三本ぐらしかないからね。どこの地方でも同じ様なものでしょう」
笑いながら同意するのぞみだった。
「まずは、定番の観光めぐり。坂井は山に囲まれているから、見ると言っても自然の景色を見て回る事になるの」
車を走らせながらのぞみは話し始める。
「神野さん……」
「涼でいい。さん付けで呼ばれる事なんかないからな。それに同年代だろ」
「大学生?」
「ああ。二年だ」
「じゃ、同い年ね。あたしは西賀大の二年よ。だから、あたしものぞみでいいわ」
自然の景色と言っていたにもかかわらず、車は市内の中心部に向かっている。気がついた涼がのぞみを見た。
「ますは観光めぐり、そう言ったと思うけど」
横目で涼を見たのぞみは続ける。
「で、坂井には昔からの名所が七つあるの。あなたがいた辰巳湖と辰巳神社、千鳥にある親子地蔵、日刈にある日輪寺、木谷にある森林公園、翠湖にある霊木。とまああるけど、全て坂井の七地区に一つずつって事よ」
「七つの地区に一つずつ……」
どこかで聞いたような事だと思った。
「ああ、あれか。七地区対抗七夕祭り。それと関係しているのか?」
「そうよ。って、勘が良いのね」
感心したようなのぞみだった。
「元々坂井は、七つの村が合併して出来た市なの。合併する前は、対抗意識が強すぎて諍いが絶えなかったそうよ」
「良く合併できたな」
「あたしもそう思うわ。どういう経緯だったかは知らないけど、合併した後も対抗意識は無くならなかった、と言う事らしいわ」
困ったものだと、溜め息まじりに言う。
「でねぇ、平和的に解決するために七月一日から七日までの七夕に、対抗戦をする事にしたの。それが七地区対抗七夕祭りの始まりとも言われているわ」
「それが今でも続いているのか?」
「ええ。今ではお祭り見たいになっているけど、大昔は酷かったらしいわ」
今度は、苦い顔になっている。
「あたしも聞いた話だけどね」
「まあ、想像はできるな。対抗意識が強ければどうなるか、それも聞いた話で酷かったと言うのなら、ある程度歴史を勉強していれば、な」
「へぇー、わかるんだ」
感心したようなのぞみだったが、思い出したように言う。
「あ、そうそう。どうせなら、七夕に参加しない?」
「参加? 俺は地元の人間じゃないが、誰でも参加……出来るような事を、案内板に書いてあったな……」
駅前の案内板を思い出した。
「七地区のどこかで参加証――客人の証――を貰って、競技の受付に提示しないと競技に参加できないの。一人一枚だけで、重複して参加証を受ける事は出来ないわ」
「地元の人間も参加証を持っているのか?」
「客人の証とは違うけどね。地元の者はランク付けがあって、前年の獲得ポイントに応じて、参加競技の組み分けをされるの。ポイントの低い者や客人達と同じ条件で、参加できないようになっているのよ」
「つまり?」
「客人に楽しんでもらうためのものよ。で、獲得ポイントに応じて賞品も出るし、商店街での買い物も割引になるわ」
まあ七夕の間だけ、とのぞみは笑っていた。
のぞみの案内で、坂井の七つの地区を巡った涼は首を傾げてしまう。
なぜかどこも違和感を受けていた。
観光地ならあってもおかしくはないものなのだが、そぐわない気がしてならない。なぜこんな違和感を受けるのか、不思議だった。
のぞみや地元の者が感じていないのだから、気のせいと言われてしまえば、それまでなのかもしれなかった。が、確かに引っ掛かるものが涼の中にあった。
案内してもらった礼を兼ねて、昼食は涼が奢る事になった。
何か悪いわ、とはのぞみの弁である。
「かまわない。バイトもしていたから少し余裕がある。それに、案内してくれた礼だ」
「そう。じゃ、遠慮なく」
言葉通りにのぞみは、遠慮とは無縁のようにあれこれと注文していた。涼はそれを呆れた顔で、見ていたのは言うまでもない。
嬉しそうに楽しそうに、注文の品を口に運んで行くのぞみに、涼はいつしか苦笑を浮かべてしまっていた。
「美味そうに食べるな」
「ん? 美味しいよ」
「そりゃあ、良かった。奢り甲斐があるって言うもんだ」
苦笑が笑顔に変る。
そののぞみの食べっぷりと嬉しそうな笑顔の前に、気が付かないうちに涼の顔が綻んでいた。
「案内してもらったのが、のぞみで良かった」
「?」
「久しぶりに楽しめた。ありがとう」
「なに、じじ臭い事を言ってるの。若いんだから楽しい事なんか、探せばいくらでもあるわよ」
「まあ、そうだな」
再び苦笑する。
「で、せっかくだから七夕祭りに参加しない。あたしがつきあうから」
どう、と言うようにのぞみが身を乗り出してきた。
「それは祭りの間か?」
「そう、七夕の間だけ。あたしが彼女替わりになってあげる」
のぞみの容姿は、美人と言える。恋人ぐらいいるだろうと思った。
「彼氏に悪いだろ」
「大丈夫。七夕の間だけだから」
請け負うのぞみに涼は、つい言ってしまった。
「いないのか」
「…………」
図星だったらしく、黙り込んでしまったのぞみに、まずいと思った涼は慌てる。
「七夕祭りは明日からだろ。俺は今日、帰るつもりなんだが……」
「参加、するわよねぇ」
のぞみの声のトーンが落ちている。
いやとは言えずに、涼は言い訳を考えた。
「泊まる場所がない」
「家に泊めてあげるわ。家には宿泊できるような離れがあるから」
「着替えも持ってきていない」
「コンビにでも売っているわよ」
「大学もある」
「単位を落とすほど頭が悪い?」
「いいや……」
「それとも、彼女に悪い?」
「いないが……」
「なら、問題はないわよねぇ」
ニヤリと口元に笑みを浮かべつつ、涼の言葉を解決していく。
どうあっても、七夕祭りに参加しなくてはならなくなった。
ちょっとした遠出のつもりが、滞在になってしまう。他に言い訳を考えてみたが、何も思いつかなかった。
「わかった。七夕祭りの間はいる……」
諦めた涼である。
決まれば行動は早かった。
すぐにファミリレスランを出ると、近くのコンビニに入り日用品の買出しと、それらを入れるバッグと宿泊するための用品を一揃いそろえると、その足で辰巳神社の近くので戻り、辰巳区の参加証を手に入れていた。
「参加証、ねぇ……」
カードサイズの参加証を眺めて涼は呟いていた。
表には辰巳区のロゴらしいマークがあるが、懲りすぎていて、何がなんだか良くわからない。真ん中に『客人』の文字、そして縁取りに文様が入っていた。
「失くさないで。七夕の間は、それが必要だから」
「地元の者とガードが違うのか?」
「デザインは変らないわ。ただ『客人』の文字が入っていないだけよ」
のぞみが微笑む。
「明日から、色々と回るわ。楽しんでもらえると良いんだけど」
「ああ、そうする。ここまできたら、楽しまないと損だしな」
カードを手に涼は答えていた。
流されてしまったかと感じていたが、それはそれでいいかと思う事にしたのである。こうなれば、七夕祭りを楽しんだ方がいいと考え直した。
が、おかしな雰囲気になったのは、のぞみが涼を連れて家に戻ってからである。
のぞみがおかしくなったのではなく、家人が涼を客人として連れて来たのぞみを見てからだった。
「こちらは、神野涼さん。七夕祭りに客人として参加するんだけど、泊まる所が無いんで家に……泊めようと……」
顔色が変っていく母親に、のぞみの言葉が止まって行く。
「……どうしたの?」
「なぜ、連れて来たの」
険のある声だった。
「なぜって……」
顔色を変えたままの母親に、のぞみは戸惑ってしまった。
普段は、おっとりとした感じの母親が、険のある声で責めるように見てくる。のぞみでなくとも、家族なら首を傾げたくなる事だった。
それだけではなかった。
何かを感じたのか、宮司でもある父親までが奥から出てきて、涼を見て『客人』の言葉を聞くと、同じように顔色を変えている。
「のぞみが『客人』を連れてきたのか……」
愕然としたように呟く父親に、意味がわからないのぞみの首が傾いていった。
おかしな雰囲気を感じ取った涼が口を開く。
「お邪魔のようならから、俺は市内のホテルを取り……」
「いや、そうしなくてもいい」
父親が涼の言葉を止めた。
「のぞみが『客人』を連れて来たのなら、私達はキミを受け入れなければならない」
声を落とし諦めの滲む声音で言う父親に、何か引っ掛かりを感じていた。




