44話 紫村一族2
ベッドで眠る翔の枕元で、美沙は翔の顔を見ている。
「おい、いつまで寝ている」
返って来ないのはわかっていても、問わずにはいられなかった。
「このまま帰って来ないつもりか。まだ異形はいるんだ。わたしだけでは無理だ。おまえの異形の力が無いと倒せない」
ふと美沙は笑っている。
「わたしは、おまえの異形の力を当てにしている。異形を倒せるのなら、何でも利用するつもりだ。おまえを愛せればいいのだろうが……」
美沙は翔を愛おしいとは思えなかった。
翔の妹の凛に言われて、それを利用している事に過ぎないと自覚してしまう。
瑞紀が翔の事を話していた時のように、嬉しくて優しい笑顔を向ける事も、失いたくないと思う事も出来ない。
美沙が翔を失いたくないと思うのは、異形を倒せる者がいなくなると言う事だけだった。それでは愛しているとは言えない。
「……わたしには無理だ。おまえが許さなくとも、わたしはおまえと共にいよう。わたしがおまえを利用する……」
瑞紀を失ってから美沙の心には、大きな喪失感が残っていた。それはまだ消えてはいないが、翔と共にいる事で和らいでいる。ただ、翔にとってはどれほどの喪失感なのかは美沙にはわからない。自分が受けている喪失感よりも小さいとは考えてはいないのも確かな事だった。
「わたしは弱かった……」
自分の弱さ、姉の強さ。そして、長谷川や悠馬の強さを見せ付けられた事に、少なからず動揺していた。
なぜ弱いのか。
それを理解できたのは、翔や瑞紀、長谷川達に出逢ったおかげだった。
長老会の呼び出しで、自分に何が不足していたのか、何を求めればいいのかを知った。それはとても身近なものだと気がつけたのも、翔達のおかげである。
「紫村一族が強いわけじゃない。一族の者は芳賀と同じ間違いを犯している事に気がついていない。だからわたしは弱く、姉が強かった……愚痴を言っても仕方がないか……」
美沙は立ち上がって翔を見下ろしていたが、やがて腰を折り翔に顔を近づける。
「おまえの強さを分けてくれ……」
ゆっくりと美沙は翔の唇に自分の唇を重ねた。そして、すぐに離れると言う。
「おまえが目覚めるまで、わたしはわたしの出来る事をしよう」
踵を返すように美沙は、病室から出て行った。
紫倉家の客間に四人の若い男女がいた。いずれも二十代後半の若者達である。女性が一人、残る三人が男性。女性はこの家の者だった。
「急に呼び出して、ごめんなさい」
男三人は首を振る。
「気にするな。天音の呼び出しをスッポカスような奴はいない」
「で、俺達を呼び出したのは?」
「次期当主であるあなた方にお願いがあるの」
今もなお、黒い服を身に纏う天音の頭が下げていた。
紫村武士が異形との戦いで命を落としてから半年、天音は黒い服しか身に纏わなくなっていた。男達三人は、その事を知って何とかできないものかと思っている。
が、自分達が紫村武士と比べると一段下と言う事は身を持って知っていた。何もできない事に悩んでいる三人だったのである。
「待てよ。俺は次期当主じゃない」
そう言ったのは、三人の中でも最年長の紫堂孝雄。紫堂家の現当主であったライは、二ヶ月前の退魔行の最中に生死不明となった。消えたとしか言いようのないほど、存在がなくっていたのである。
その事を受けて紫堂家は、次期当主の選定を兄である孝雄ではなく、退魔の才が期待される弟の広明に決めた。孝雄はあくまでも、当主の補佐をする立場にあると言い渡されている。
「いいえ、孝雄さんが次期当主よ」
「広明が次期当主と決まっている」
「本家の二人。美緒と美沙は婿を取らされる事に決まったわ。美緒の相手として広明が選ばれ、美沙の相手として猛が選ばれたの」
「いつ決まったんだ?」
驚いた顔で聞いたのは紫森連だった。
「五日前の長老会よ」
「それは急な事だな」
「ええ。でも、あの二人は長老会の決定に否を唱えたわ。美緒は自分の相手は自分で選ぶとまで言い切ったそうよ」
楽しそうに言う天音に、男三人は首を傾げてしまう。
長老会の決定に逆らう事はできない、と知っている者には理解できなかった。
「あなた方にお願いしたいのは、その事に関係があるわ」
「それは何だ?」
短く聞き返したのは紫遠公一、どちらかと言うと寡黙な男である。
「次期当主ではなく、当主になる事。それも三日以内に」
黙ってしまった三人だった。
当主となるには、現当主である父親や兄弟を引退させなければならない。
自分から引退を言い出すような者は当主にはなれず、よほどの大怪我や体力の衰えを感じなければ引退はしなかった。
そんな者を押しのけて当主となる事が、どれほど難しい事なのかは十分に理解している三人である。だから黙ってしまうのだった。
「無茶な事だとは思っていないわ。あなた方の実力ならできる事と思ったから、お願いしているのよ」
「理由は?」
静かに聞いた孝雄と、苦い顔になる連である。
「美緒と美沙を自由にしてあげたい。三日後に美緒達が連れて来る者との勝負がある。それに勝てば、広明と猛を婿に取る事を止めさせると言っているけど……」
「けど?」
「そんな事にはならないわ。だから私は、長老会の決定を覆したい。それには四家の当主が、美緒たちの味方になる事が効果的よ」
「長老会の決定を覆すために、それだけのために当主になれと? それも三日以内に?」
「ええ、それだけのためよ」
紫村武士の願いでもあるとは言う気はなかった。今は自分の願いでもあり、行動するのは生きている者である。死者は何もしてはくれない、ただ思い出の中にあるだけだ。
「本気か?」
公一が真意を確かめるように天音を見ている。
「もちろん」頷いて続けた「今、一族を取り仕切っているのは、美緒と美沙の二人。依頼人との交渉、人員の手配その他、裏方は美緒が仕切って動いているわ。実行部隊は、美沙が戦力の中心になり動いている」
そこまで言った天音は、三人の顔を見る。
「知っている? 美緒と美沙が退魔行を取り仕切り始めて、死亡率と負傷率が二分の一に減少したわ。そして、人員がどこの部署でも過不足なく効率的に行動できるようになった。全てあの二人の手腕よ」
男三人は何も答えられなかった。
「紫村一族は変り始めている。私は数字でそれを知った。長老会の言いなりになると、変り始めた一族が元に戻るわ。この流れを止めるのは、一族にとって不利益にしかならない事は私でも分かる。もう、老人達の口出しは必要が無いはずよ。いま、一族を変えられるのは、美緒だけだわ」
真剣に明確な意思を告げる天音に、三人は気圧されたようになってしまう。自分達には考えられない事であり、無理な事だと思っていたからである。
何よりも美緒には、一族にとって重大な欠点があった。それは紫村一族の中では重要な事である。それを無視する事は、一族の者であるかぎり無理だった。
ゆえに天音のお願いに、頷く事ができないのである。
「それだけじゃないわ。美緒と美沙が今関わっているのは」
「関わっている?」
「異形の者を覚えている?」
忘れるわけがない。
一族最強と言われた紫村武士が勝てなかった相手だ。長老会からは、何がなんでも一族で倒せと通達が来ている。しかし、現れる場所も時間も不規則なうえ、連絡が来るのが遅すぎるため、一族の者が現場まで行けずにいた。
「その事に二人は深く関わっている。美緒は正体を探るために警察と協力し、美沙は足止めのために異形と戦っている」
「美沙が一人で異形と戦っているのか!」
驚いた孝雄は、思わず叫んでしまう。
「それが、そうでもないようよ。詳しい事は私にもわからないけど、異形を倒せる者がいるようなの。そのサポートに美沙は徹しているようよ」
「そんな奴がいるのか? 一族でも倒せないのに?」
「詳しい情報が入らないから何とも言えないけど、今までに現れた異形は六体、うち四体がその者に倒されたようよ」
「何者だ?」
首を傾げる公一に天音は、写真を一枚テーブルの上に出す。
「手に入れたのは、この一枚だけ」
紅の異形と顔面を半分血に染めた若い女の写真だった。その若い女の顔には見覚えがある。
「これは、美沙か?」
「そう。隣の紅の異形が他の異形を倒したらしいわ」
「異形に協力しているのか?」
「それも何とも言えない。ただ、美緒は一族の者では倒せないと知っているから、戦うなと言っている。これは一族では考えられない事よ。長老会がこの事を知ったら、どうなると思う?」
「何を馬鹿な事を言っている。我に一族に倒せない人外はいない。そう言うだろうな……」
長老会の言い分は理解できていた。だからこその通達である。
「で、無駄に死者を増やすの? それが一族のため?」
天音の言葉に三人は言い返せなかった。
「美緒は人の命を重く考えている。人的資源を損なわないように、そして、必要なら切り捨てる事もできる。だから、妹である美沙だけを異形の事に関わらせている。これは長として十分な資質を持っていると言えるわ」
「それでも不満は残る」
実質的な話になっていた。当主となるのは良い、父や兄弟を追い落とせばいい事だからだ。実力があれば問題はない。
「それを何とかするのが当主の役目ではない」
ニッコリと笑う天音に三人は苦笑してしまう。
確かにその通りだ。
長と認めるには退魔士の才があるかどうかは些細な事。その事に不平不満がでたら、何とかするのが当主の役目だ。
つまり、自分達が美緒を長として認められるかどうかと言う事と、三日以内に現当主を引退させ自分達が当主になれるかどうかと言う事である。
前者に関しては、三日後まで態度を保留する事ができる。三日後の勝負の行方ではなく、美緒達がどんな態度を取るのかによって決めればいい事だった。
そして、後者は自分達の力一つにかかっている。出来る出来ないと言う話しではなく、やるかやらないだけだ。
息を吐いて立ち上がったのは公一である。天音を見ると確認するように言う。
「三日だったな」
「ええ」
頷く天音を見て公一は客間を出て行った。ため息が出たのは、孝雄と連の二人である。公一が出て行った訳を理解したからだった。
自家に戻って父親を当主の座から引き摺り下ろさなければならない。それも三日の内にである。それなら、もうここにいる意味は無かった。
「あなた達はどうする?」
天音の問いかけに、孝雄と連は無言で立ち上がる。思いついたように連が天音に問いかけた。
「紫倉家は?」
「昨日の時点で、私が当主になったわ」
笑って答える天音に、二人は頷くとお互いの顔を見る。
「三日で大丈夫か?」
「泣き落としでも何でもやるさ」
肩を竦める連に、孝雄は笑ってしまった。かく言う自分もやるつもりだったからだ。
「天音」
今度は孝雄が呼んだ。
「おまえの頼みだから、俺達は応えよう」
「じゃ、三日後に」
片手を振って孝雄は連とともに客間を出て行く。一人残った天音は、大きく息を吐き出していた。自分の賭けは上手く行った。
「……あとは、あなた達次第よ……」
不安が無いとは言えない。自分の行動が正しいと自身がある訳でもなかった。
紫村一族を変えたいと願っていた愛しい人の思いを果たしたいだけだった。願いを果たした後は、弟に当主の座を譲り自分は身を引く気だった。
ただそれだけのために、天音は紫倉家の当主になったのである。




