43話 桂木翔とは
近づいてくる四郎のバイクを見て、美緒達はとりあえず終わった事を知った。翔の様子がおかしいが、それは四郎が話してくれるはずだと思っている。長谷川と優香は撤収の準備を始めていた。
「悠馬さん。翔が気を失いました。とりあえず、運ぶのを手伝ってください」
バイクから降りながら四郎は言う。
わかったと答えて悠馬は、優香を振り返った。
「優香。俺のバイクで戻ってくれ」
「あんたはどうするの?」
「翔のバイクで行く」
「わかったわ」
「長谷川、すまんが、翔を連れて行ってくれ」
慌ただしく美緒達は撤収し、気絶した翔を連れて紫村科学技術研究所へと戻る。
今回の異形は倒しそこなったが、それよりも翔の身に起こった事が大事だった。何が起きたのかは不明だった。
途中までは紅の異形としてこれまで通りの戦いを繰り広げ、いきなり動きを止めて様子がおかしくなったのである。
遠目で見ていただけだが、人の姿に戻り暗緑の異形を退けた。
はっきりとわかっているのは翔だけだろう。傍に居た美沙も四郎も、驚いて戸惑っていたはずだ。
後部座席に横たわる翔をチラリと見た美緒は、ため息を付いて首を振るしかない。
何が、と言っても異形に関してほとんどと言って良いほど、何もわかっていない状況では、何が起きたかなどはわからないはずだった。
ただ、推測する事は美緒でも可能だった。
気絶した翔は、そのまま研究所で精密検査を受ける事になる。その間、悠馬達は美緒の執務室で待っていた。
「お待たせ」
クリップボードを片手に美緒が執務室に戻ってくる。
「翔は?」
代表するように聞いたのは悠馬だった。
「うーん」ペン先で頭を掻いて美緒は、どう言えば良いのか悩んでいる。
「悪いのか?」
「いいえ、違うわ。桂木君は……ただ気絶しているだけで、どこも悪くはないわよ」
ホッとした空気が執務室を満たしたが、優香の顔だけはまだ硬かった。異形の事件を初めから追っていた優香は、翔の様子がただならい事に思えていたのである。
「美緒……」
「ええ、わかっているわ。彼、桂木翔は……」
その先を言うかどうか、悩んだのはほんの短い時間だった。その事を口にしなければ、先には進められないと言う事もあったからである。
「彼は、人でなければ異形でもないわ。そして、人でもあり異形でもある」
一斉に首が傾いた。いったいどっちだと、全員の顔が言っている。
「おかしな言い方になったけど、桂木君を言い表す言葉はそれしかないのよ。彼は、彼の活動データは、ここ二ヶ月で飛躍的に上昇しているわ。人がいくら鍛えたからと言って、そんな事にはならないの。と言うよりも絶対に不可能な事よ」
そしてと美緒は続けた。
「異形は、その特性を変化させる事ができない。でも、桂木君の異形としての力は、その特性を変化させる事ができる」
「それが、人でもなければ異形でもない理由ね……」
理解したように優香は頷いていた。
「そうなのよ。だけどね、桂木君は人としての特徴を持ち、どこの誰が見ても人としか言えない。異形の姿に変貌してしまえば、それはもう異形の者としか言えない」
ため息を付いた美緒は、悠馬を見て聞いている。
「彼は、桂木翔は何者なの?」
「そう言われても、俺には人としか言いようが無いぞ」
肩を竦めて悠馬は答えるしかなかった。それなりの経験はしてきたが、普通の男と何も変わらない事を知っていたからである。
「彼の過去に何があったの?」
再び問いかける美緒だった。
「過去に何があった……か。どうしてそう思う?」
ため息をついた悠馬である。
「あなたは、桂木君と同じような状況になったら、彼と同じ事ができる?」
「無理、だな」首を振っていた「翔みたいに全てを捨てる事はできない。妹を一人にする訳にはいかないからな」
「松村君は?」
美緒は四郎にも尋ねていた。少し驚いたような顔になる四郎だったが、悠馬と同じように首を振っている。
「俺には出来ませんよ。仮に異形の力を持ったとしたら、俺はあの芳賀と同じ事になると思います」
「あなた達のように桂木君は考えなかった。異形の力を、人には持てない力を手にして、自滅するでもなく力に振り回されるでもない。普通なら、できない事をしている訳よ」
で、と美緒は悠馬を見た。
「桂木君がそんな考えを持つには、過去に何かがあって、それが影響しているはずなの。彼の考え方が特殊と言う訳ではないと思うけど、ただ漠然と生きてきた人にはできない」
再び悠馬はため息をついている。
「思い当たる事はあるが、俺が話すような事じゃない」
「彼を助ける事ができるかもしれないのに?」
「どういう意味だ」
「彼は、このままではいずれ破滅する」
「美緒!」
叫んだのは優香だった。
「心が耐えられない。耐えるだけの強さは人にはないわ」
「どうなる?」
唸るように尋ねた悠馬である。
「異形、その者になってしまうわ」
「それでもだ。それは俺が口にして良い事じゃない」
悠馬にとって四年前の事は言うべきではない事だった。
優香の場合は、優香の性格を知っていた事と、口にすべき事とそうでない事を、優香自身が身を持って知っているから、翔の過去を話した。
それにその時、悠馬と四郎が取った行動は犯罪行為でもある。警察官である長谷川の前では言うべきではないはずだった。
「やっぱり、何かあったのね」
頷いた美緒である。
「知ってるのは、俺と四郎ぐらいだ。他は誰も知らない」
「話してくれない?」
黙って悠馬は首を振っていた。
「悠馬……」
静かに優香が呼ぶ。
「話したくないのはわかるわ。誰だって話したくない過去はあるものだから。でも、話せる所は話したほうが良いと思う。美緒や長谷川さんの口は軽くないよ」
悠馬はため息をつくと四郎を見た。四郎も軽く頷いて、優香と同意見である事を示している。
「何があったのかは、言えない。あいつにとっても、まだ決着のついていない事だと思うから。俺はあいつが全てを捨てようとした訳が想像できる」
「それは?」
「簡単な事だ。死ぬつもりだったからだ。人でなくなっても言いとでも思ったんだろう」
少し辛そうな顔で悠馬は言う。美緒も辛そうな顔になっていた。
「瑞紀さんを眼の前で失ったからね……」
「いいや。それだけで死のうとするような奴じゃない」
悠馬は優香を見て聞く。
「俺が死んだら、おまえは死のうとするか?」
「しないわよ。あんたの事は、思い出に取っといて生きるわ」
笑って片手を振る優香だった。
「まあ、そうだな。恋人が死んだからと言って、後を追って死ぬような奴はいないとは言わないが、少ないだろう。翔もそんな奴じゃない」
「だったら、どうして死のうと思ったのよ」
「二度目……だからだ」
「二度目? まさか、前にも?」
「四年前にもな」
頷いて答える。
「そんな……」
「前の事も乗り越えたと言わない。今まだ尾を引いているはずだ。その上でまた、同じ事が起きた。死のうとしても不思議じゃない」
「いや、でも、もう四年も前の事なんでしょう」
「違う。まだ四年だ」
首を振って否定した悠馬だった。
「二度も眼の前で恋人を失った。その心はどうなるんだろうな……」
「前の時と瑞紀さんの時では……」
美緒の言葉が止まる。何を言いたいか理解した悠馬が、再び首を振っていた。
「眼の前で殺された。二度とも」
静かに言う悠馬だった。そして、淡く笑みを浮かべて美緒を見る。
「前の時は荒れた。今回は美沙がいてくれて良かった」
「どうして?」
「美沙の目的が何であれ、思惑が何であれ、例え翔を利用するつもりであれ、俺は構わない。だけどな、美沙がいる事で翔が死ぬ気をなくし、異形なって戦う事は翔にとっていい事だと思うからな」
悠馬の言葉をきいて美緒は、ため息が出てしまった。美沙からその通りの言葉を一番初めに聞いていたからである。
今はそうでない事を願いたい美緒だった。そうでなければ、あの二人は不幸になるのは目に見えている。きっかけは何であれともに死線を戦い抜けば、きっといい方向に変わってくれる事を願っていた。
そして、それが桂木翔を救う事になるはずである。
「で、その美沙は?」
研究所に着いてから、一度も執務室に顔を出しにこない美沙の所在を聞くためだった。
「桂木君の傍についているわ」
なんとも言えない顔の美緒に、優香が首を傾げる。
「どうしたの? まだ何かあるの?」
「あの娘。桂木君の傍から離れないのよ」
「心配なんでしょう、彼が」
笑いながら言う優香に、美緒は首を振っていた。
「睨みつけているのよ」
「はい?」
「だから、桂木君を睨みつけているの」
「……気を失っている翔の傍で睨みつけているのか?」
「ええ」
頷いた美緒に、悠馬はなんとも言えない顔になってしまう。四郎は意味があるのかと首を傾げ、長谷川さえもが呆れたような顔になっていた。
この時、活動データに目を奪われて、美緒は見落としてしまっていた。それを後になって美緒は後悔する。
異形の力は破滅を意味するもの。
それを忘れていた。




