38話 兄妹
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美沙のバイクの速度に合わせて併走していく翔の姿を見送った悠馬は、やれやれと首を振りながら店の中へ戻った。
「香織、コーヒーを頼む」
「はい。四郎さんもコーヒーでいい?」
「悪いな、香織ちゃん」
「凛は?」
「香織と同じ物でいい」
四人の注文を聞いた香織が奥へと入っていく。
その間、凛は四郎の様子を横目で追っていた。案の定、四郎は香織の後を眼で追っている。視線を戻すとため息を付く悠馬と視線が合ってしまった。
凛を見て悠馬の顔に苦笑が浮かぶ。同じように凛の顔にも苦笑が浮かんでいた。
やがて戻ってきた香織が、三人の前に飲み物を置くと硬い声で悠馬に尋ねていた。
「兄さん、聞いてもいい?」
「なんだ」
「紫村さんと翔さんの事」
「あの二人がどうかしたか?」
「悠馬さん。私も知りたい」
凛も硬い顔で悠馬を見ていた。
「だから、なんだ?」
「さっき翔さんが来る前に紫村が言っていたんだけど……」
「わたしのようにはなるな。そう言ったの」
「そのあとで、綺麗に微笑んだの。思わずドキッとした」
「それに兄の事も利用しているって……」
凛と香織は何とも言え無い顔になりながらも真剣の目をしていた。
「何か大事な事を隠しているように思えて……」
香織の言葉が止まる。凛も息を呑んでしまっていた。
悠馬と四郎の雰囲気が違う物になっていた。唸るように尋ねたのは悠馬だった。
「……あのバカがそう言ったのか?」
「え、ええ……」
「やっぱり、翔の言うように美沙は単純なんだ……」
「兄さん?」
「本当に知りたいか?」
悠馬の声が怖いほど落ちている。
「悠馬さん……」
「兄さん……」
「二人とも。生涯口を閉ざすと、親や友人にも話さないと誓えるか」
悠馬の顔が凛と香織に向いた。真剣な顔、だがそれだけではなかった。
「誓えなければ、あの二人の事は考えるな。俺も話す事はない」
怖いぐらいの言葉と凛も香織も思ってしまった。
なぜ、そこまで言うのか判らなかったが、翔と美沙の二人の間には何かあると思えてならなかった。
聞くべきではないのかもと考えたが、今聞いておかなければ後悔するのではと感じてしまう。
「悠馬さん、教えてください。とても大事なことだと思いますから」
「兄さん、わたしも知りたい。紫村さんは不思議な人だし、翔さんはわたしにとっても、兄のように思える人だから」
「そう言うのなら話そう。二人とも、坂原瑞紀さんの事を覚えているか?」
ここでその名が出て来る事に、二人は首を傾げながらも頷いていた。
「美沙さんの親友だったと聞いているわ」
「翔さんの彼女だった人よね」
「そうだ。そして、翔と美沙と瑞紀さんは、駅前の事件に巻き込まれた」
「えっ?」
翔と瑞紀が駅前の事件に巻き込まれた事は、凛も知っていたが美沙までいたとは思ってもいなかった。
「瑞紀さんは、翔と美沙の眼の前で死んだ」
「紫村はな」四郎が横を向いたまま続けた「古流武術の師範級の腕を持っているほど強い奴なんだ。そこいらの男が束になっても勝てないぐらいな」
「美沙と瑞紀さんは幼馴染だった。護れる力もあったのに、護れなかったそうだ」
苦いと息が悠馬の口から出る。
「それがどれほどのものか。俺にはわからん。想像はできる、だがな、それは想像でしかないんだ。その場、その時になってみないと本当には理解できない」
やりきれない思いが悠馬と四郎の顔を硬くさせる。
異形の者の事は連日連夜報道されていたが、その件に二人が深く関わっている事は伏せなければならなかった。
それは知らなければ知らない方が良い事だと知っていたからだった。
「翔もな。眼の前で彼女を失ったのは二度目なんだ。前の時は荒れた。見ているこっちが耐えられないぐらいにな」
「二度目って、悠馬さん。あたしは知らないわ……」
凛の声が震えそうになる。驚いていたのは香織も同じだった。
「家じゃ、そんなそぶりも見せなかっただろう。そういう奴だ。知っているのは俺と四郎ぐらいだ。もう、いやまだ四年ほど前の事だ」
「あの時、翔の傍には誰もいなかった。自分の感情を持て余していたんだろう。俺や悠馬さんではダメだった。落ち着いたのは三ヶ月以上経ってからだ」
「そして、今回、また同じ事が起きた。翔にしては耐えられるはずも無い。美沙にしても耐えられないだろうな」
重すぎた。
この話は凛と香織には重すぎる。
「泣くな、二人とも」
言われるまで涙を流している事に、二人とも気がつかなかった。
「でも……」
「あの二人を可哀相だとは思うな。それはあいつらに失礼になる」
「翔も紫村も同じように思っているんだろう。自分が坂原を死なせてしまったと」
「それじゃあ、キズの舐めあいじゃない」
「違うな」
首を振った悠馬だった。
「そんなもんじゃない。上手くは言えないが、あの二人は互いが互いを必要としているんだろう。片方が欠けると意味を成さない。そんな似た者同志なんだろうな」
「兄さん。それを傷のなめあいと言うのよ」
「そんな事は良くない。兄さんもわかっているはずなのに」
香織と凛はわかっていないようだった。
翔と美沙の関係は、口にできないほど簡単な関係ではない事は、悠馬も四郎も分かっていた。
お互い大事な女性を失った、だから傍にいよう。
それならキズの舐めあいになる。
しかし、翔と美沙はそれで傍にいるわけではない事ぐらいは、二人を見ていればわかった。
ただ、それをどう説明すればいいのか、悠馬も四郎もわかっていない。感覚的には分かっているのだが、言い表すいい言葉が見つけられない事も確かだった。
「あの二人は分かっているさ。わかっているからこそ、傍にいるんだろう」
「でも……」
「坂原の事を抜きにしても、翔と紫村の事を考えてみろよ。あの二人、いいコンビと思わないか」
「確かに。おもしろいな、あの二人は」
笑って頷く悠馬だった。
「まあ、さっきの二度目の話は口にしないでくれ。翔に知られると、後が恐いからな」
「でも。姉さんは、兄さんを利用しているって……」
それでも凛は食い下がる。納得したように頷いていた悠馬だった。
「なるほど、上手い事を言うな。美沙も」
「そうですか?」
とは四郎である。
「美沙は翔を利用しているな。そう言っても間違いは無いな」
「あれが、ですか?」
違うんじゃないかと四郎は口にした。
「利用するのと、頼りにするのとではどう違う? あの二人に関しては同じ事だと思うぞ」
「いやなら、翔は逃げる。そう言う事ですか」
「そうだ。俺から見ると、いやいや利用されているとは思えない。むしろ、喜んで利用されているように見えるんだ」
「利用されているとわかっていて、従っているんですか? あの翔が?」
「だからな。翔も美沙を利用しているんじゃないかと思っている。それなら、不思議じゃない」
「翔が女を利用している?」
四郎にとって、信じられないよりも考えられない事だった。
「今はそれでいいんじゃないか。二人とも余裕が無いだろう。いつか、それが恋愛感情になればいいだろう」
笑いながら言う悠馬だった。
まだ納得していない凛と香織ではあったが、言うべき言葉が思いつかなった。それでもまだ凛は反発しようとする。
「でも……」
「なあ、凛。おまえは美沙が嫌いか?」
「…………」
「そうじやないだろう。姉さんと呼んでいるのが、いい証拠じゃないのか。あの二人が、どんな思惑で傍にいるのかは、当人達でなければ本当の事はわからない。キズの舐めあいでもいいじゃないか。今はあの二人がそれでいいなら、俺達がどうこう言う事でもないだろう」
悠馬の言う事は凛もわかっている。
義姉になって欲しいと思うからこそ、それでは困るのだと思っていた。だが、それは自分の我が儘でしかない事もわかっている。それを言えるだけの度胸は、凛には無かった。
悠馬は悠馬で、翔と美沙が最終的に一緒になればいいと思っている。
畑山の事件の時、全てを捨てようとした翔を美沙が引きとめた。愛しているわけではないだろうが、それでも美沙は翔がいなくなる事を由としなかった。




